何故男性は恋愛や結婚から撤退したのか?
今現在我々日本人は「女性より男性の方が結婚を拒み恋愛からも逃避してる」という凡そ人類史に類例を1例だけしか見ない凄い状況の中にいる。これは決して大袈裟な表現ではなく、例えば内閣府による令和4年独身男女の結婚願望調査で20代女性で結婚願望あるのは64%、20代男性で54%となっている。

男女の4~5割が結婚願望ないのも異様だが、結婚願望の強さが女性>男性になってるのは前代未聞だ。人類種の雌は生物学的には妊娠~出産に約1年かかり、尚且つその後1年半ぐらいは授乳の世話に追われるという哺乳類の中でも重い生殖コストを背負っている。生物においては1般的に「生殖コストの重い方」が求愛されるので、人間種においても長らく雄→雌への求愛が普通であった。これが崩壊した原因は「女性の男性への要求が遂に男性性欲のソレを上回った」からに他ならず、加えて人間種の雄が生殖に関して持つ生物学的なリスクが顕在化したからだろう。
人間種の雌の生殖コストの重さは説明したが、実は雌のコストは(自分で子を産むという形で)母性を確実に得られる為、出産後すぐに母性投資が報われる。1方男性はフェミニスト的に言えば「ぴゅっ」するだけであるが、代わりに父性を確実に得ることは出来ない。雄は雌がいつ妊娠するか?妊娠したか?妊娠したとして自分の子供かが分からず、また托卵の危険性も常に付きまとうからだ。
それ故に人間の生殖戦略は論理感を無視すれば男性は「経済的に可能な限り多くの妻/専属の性交渉相手を持つこと」であり、女性は「男性からの投資を確保しつつ更に魅力的な男性と交際する選択肢を残すこと」…と言われているが、実はコレは全く論理的ではない平和ボケの戯言である。そしてこの言説の何処が馬鹿々々しいか?を知れば、自と男性が何故結婚から撤退を始めたのか分かるだろう。
1夫多妻制社会
男性は可能な限り多くの性交渉女性を持ち、女性も男性からの投資を確保したうえで更に魅力的な男性を探す…という社会は存在することは存在する。例えば南アフリカのヒンバ族では、既婚男女の大多数が配偶者以外の性交渉相手を持つ。その社会で生まれた子供の半分は夫の遺伝子ではないことが研究で示唆されている。男女共に論理感を捨てた最適な繁殖戦略をとっていると言えるだろう。
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.aay6195
そしてヒンバ族の男性の最大の特徴は働かない事だ。いや、この表現は適切ではないかもしれない。何故ならヒンバ族の男性は男性同士の闘争には熱心であり、他に歌やダンスといった余暇にも熱心である。しかしながら彼等には「村や社会の為に建設的な事をしよう」という発想がないのだ。彼等の暮らしぶりについて日本人の日本語による記事があったので貼るが、見て貰えれば分かる通り、彼等の村には生活に必要最低限の設備はあるものの畑や工房といった生産設備が全くない。1応観光客向けの店はあり、そこで男性が働いてはいるのだが、店には売るモノがなく、男性はトランプで1日中遊んでる感じである。
ヒンバ族に限らず、この手の生殖戦略をとる集団は例外なく生産設備…特に畑を持たない。何故ならば農業…特に鋤耕は家族を養うために男性の労働を必要とするため、父子関係の確実性を重視しない集団では実現不可能だからだ。男性は自分の子供かも分からない子供や、自分の子供を産んだかも分からない女性の為に献身するインセンティブはない。それ故に、この繁殖形態を選んだ集団は集団行動をとれず、またそのような概念を持てず、戦争(集団闘争)においては成すすべがなく、言い方は悪いが征服する価値のないような僻地へ追いやられるのだ。
また我々が手にする文明は「分業」が不可欠だ。スマートフォン1つをとっても、その設計、部品の製造、組み立て、輸送、販売、通信インフラの提供…etc、世界中の無数の人々の専門的な労働が関わっている。如何なる天才も自分1人の手でスマートフォンを開発設計製造する事は出来ない。同じ作業を繰り返す事による技術の熟練、道具の共有や移動時間の短縮といった効率化による量の増大、特定分野への集中によって実現する知識の深化と革新…1人1人が特定の仕事に特化する事は社会全体の生産性の飛躍的向上をもたらすのだ。
しかし分業には「依存」という大きなリスクが伴う。例えば狩猟に特化した人間は農耕を行う人から作物を分けてもらえなければ飢えるし、農耕に特化した人間も狩人から肉や毛皮を得られなければ生活が成り立たない。ここで分業を成立させるための鍵となるのが社会への帰属意識…信頼だ。つまり「自分が相手のために働けば、相手も自分のためにきちんと働いてくれるだろう」という期待がなければ、誰も安心して自分の仕事に特化・集中出来ないのである。そして前述の通り1夫多妻制社会では基本的に自分以外の人間は「全員薄っすら自分の敵・ライバル」になるので、相手に何か任せて依存する選択肢…というか発想自体が生まれない。こうした社会で高度な文明が見られない根本理由である。(また人間並みの知能を持つ生物が幾らか発見されてるにも関わらず、それらの種から文明が生じない理由だ)
因みに女性も女性で浮気不倫が解禁されているが故に同性間の競争から逃れられず、幼少から死ぬまで男性の気を引くための美容競争に曝される。ヒンバ族の女性は「世界1美しい」とされてるが、彼女達はその美を保ち磨く為に生涯で1度も風呂に入らず赤い泥と脂肪を混ぜたものを髪と肌に塗り続ける。因みにヒンバ族の女性は貼った記事を読んだり検索すれば分かるが、老若問わずスタイルがいい。
1夫1婦社会
この社会の特徴は集団の結束力が高く、また分業が可能であることだ。人間の性欲に縛りをかけることで、同性間の競争を抑制し、「自分の子供」という投資対象の確実な存在は「自分の子供の為のより良い環境作り」として社会集団意識を生じさせる。そして意外な事にこの恩恵を最も受けるのは男性ではなく女性である。
まず1夫多妻制社会では労働を行うのは雌の役割になる。ライオン然りセイウチ然り、基本的にハーレムを持つ動物は代替可能性が雌>越えられない壁>雄になるのだ。もっと分かりやすく言えばハーレムにおいて雌は2、3頭死んでも問題ないが、雄は1頭死ぬだけで全てが終わる。ここで「なら雌も他のハーレムのところに行けば」とはならない。ライオンのハーレム…プライドにおいて雄が死んだ場合、大抵は即座に新しい雄が現われるが問題はそこからだ。プライドを乗っ取る為に雄は前の子供を皆殺し、反抗的な雌や年老いて産めない雌を追放するのだ。その理由は2つある。
1つは雌の発情を促すため…雌ライオンは授乳中は発情しないので、新しい雄は自分の子孫を出来るだけ早く残す為に授乳の必要性をなくす(=子を殺す)ことで、雌を素早く発情させ、交尾出来るようにするのだ。
そしてもう1つは新しい雄にとって、前の雄の子どもを育てることは、エネルギーと時間を使うだけで自らの遺伝的利益にならないからだ。その観点から前の雄の子や反抗的な雌や年老いた雌は皆殺しにすることが最も合理的な行動となってしまう。何故なら繰り返すが、雌の代わりは幾らでもおり、何頭か殺したり追放しても大した問題にはならないからだ。
しかし1夫1妻制だと雄は複数の雌に投資したり、そもそも投資コストを雌に押し付けたりせず、確実に自分の子供を産んだ1つの雌と確実に自分の遺伝子を継ぐ子供に投資する事になるので、1夫1妻制の種の雌は他の種の雌よりも雄のリソースを得られる事が殆どである。実際人間は動物種の中でも「父親が母親の出産後もリソースを注ぐ」珍しい種だ。チンパンジー、ボノボ、オランウータン…etcこれらの種は何れも出産後の雌にリソースを注がず、ピュッしたら即座におさらばする。前者2つは乱交社会、後者は××社会であり、何れも父性の確実性は低い。(ハーレム型のゴリラでは雄は縄張りを守るが、食料探し等の労働は雌の仕事である)
人間種の雌は2つの生殖戦略で雄から継続的庇護を引き出す事に成功している。1つは万年発情期という形で常に妊娠可能性を匂わせる事で、常時雄の求愛アプローチを引き出すこと。これに関しては女性が奢り奢られ論争で「奢らない男性はNG!いや奢ってくれたからといって確実にセックスさせるわけではないけど、やっぱ奢って貰う方が好印象ではあるよ?割り勘する気も、セックスする気もないなら飯に行かなきゃいいじゃんって?そりゃそうだけど断り切れなかったり相手の顔を立たせてあげたり…」と延々と言葉を濁し続ける現象が分かりやすいだろう。そしてもう1つは「貞操観念」という概念だ。
貞操観念と自由恋愛
貞操観念は人類社会に2つの原動力をもたらした。第1に父親としての安心感を確保し、他の雄との争いを最小限に抑え、また配偶者や子供に惜しみなくリソースを注げるようになり、更には集団の枠を超えた社会の帰属意識を持つようになった。我々が少子化だの温暖化だの持続的開発だのを気にするのは「我々の子供がよりよい社会や未来で過ごせるように」という動機によるものに他ならない。
そしてもう1つは「結婚=生殖」という図式により、こうした特定女性への継続的庇護に社会的インセンティブを与えることだ。また貞操観念を重視、不倫や浮気を「悪い事」とすることで男性にも女性にも子供に対して安定的庇護を注ぐインセンティブも付加した。浮気や不倫に寛容で、妻の産む子が自分の遺伝子を引くものか確信を持てない場合、夫は子供に庇護を注ぐインセンティブが削がれるし、妻も特定の子供に執着するよりとっかえひっかえする方が合理的になるという形でインセンティブが削がれる。実際母子家庭世帯における子供は虐待率や非行率が著しく高く、特に女性の自殺者や売春婦や犯罪者の大半は母子家庭出身だという証拠がある。詳しくはコチラ。
要は「家族で協力し合う」という発想自体が貞操観念と半ばセットになる概念なのだ。しかしながら、このシステムが現在上手く回ってないことは予め説明する間でもない。その理由は第1に自由恋愛によって、結婚が事実上「生殖の入り口」ではなく「生殖の制限」として機能していることだ。
現代日本において結婚までの貞操は最早期待されてない。むしろ「n歳まで童貞の男性は人間性に問題がある」に代表されるように、童貞を貫く男性は「セックス出来ない落伍者」と見做される。女性に関しては処女でも責められる事はないが、女性に処女性を求める男性は嘲笑され、貞操の大事を叫ぶ人間は「時代遅れの性差別主義者」として扱われるという形で、女性には事実上性的奔放に振る舞うインセンティブが付与されている。端的に言えば全女性は生殖をチラつかせて男性から求愛アプローチを受ける事が出来る武器を持っているので、社会が貞操を気にしないなら、それを結婚までワザワザ封印する理由はないというわけだ。
このように今は結婚は事実上、「生殖する為の土壌」から「生殖を自由に謳歌出来る人間の生殖を制限する枷」へと変化した。性欲、結婚、育児…この3つはかつては1体であったが、現在の社会ではそれらは対立してる。
離婚
そして自由恋愛と並ぶ致命的な要素が「離婚」である。離婚は特に男性においては破滅的な影響を及ぼし、離婚というリスクを加味すると、1般的に独身男性より高所得な傾向のある既婚男性のほうが自殺しやすいという計算になってしまうほどであることは以前noteに書いた。
しかし離婚が持つ破滅はこれだけではない。何故なら離婚は存在自体が家庭における夫婦のパワーバランスを変化させるからだ。具体的には離婚という選択肢があり、尚かつそれを容易に行える環境では貞淑なパートナーの方が不利になる。端的に言えば、浮気されたパートナーは配偶者を失うが、浮気側は予め?確保しておいた候補と即座にパートナー関係を築けるのだ。実際米国の離婚の容易化と結婚生活における分析では、離婚が法的に容易になればなるほど貞淑でない側が1方的な離婚を多用するようになっている。
https://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/732532?journalCode=jpe
そして離婚は結婚生活における安心感や信頼を奪う。いつ心変わりしたり浮気するともしれない相手に、惜しみなく継続的庇護を注ぐ事は人間は出来ないのだ。離婚の容易化は人間関係における害や不幸から素早く抜け出せる社会の前進として語られやすいが、実際には後進である。個人が容易かつ1方的に関係から抜け出すことが出来るようになったという事実は、ペアが互いに互いを信頼することを困難にし、むしろ積極的に裏切るインセンティブすら与えているのだ。実際女性はデート後に無視を続けてる事に対して「筋通しましょうや」と言われただけで逆切れして大騒ぎする1方で、29歳まで付き合っても結婚して貰えない男性に「筋を通せ!」と大騒ぎするほど色々後退してしまっている。
人間関係の問題は例外こそあれど、大体は時間と共に解消していくし、双方に互いを思いやる気持ちと意思があれば乗り越えられるものも多いだろう。しかし容易な離婚は、文字通り安易な解決策を与え、解決可能な問題に向き合うインセンティブを削ぎ、結婚生活をより不快で耐えられないものにしてしまうのだ(これは結婚に限らず人間関係先般の特徴でもある)。
結婚は最早現代社会においては安心や信頼を提供しない。
ゲーム理論
女性が育児の大部分を担い、男性の方が稼ぐ事を考えると、必然的に社会においては男性から女性へ富が流れる事になる。これは事実上「男性税」のようなものであり、男性の努力する気や稼ぐ気を萎えさせるように思えるし、実際所謂「寝そべり族」は日本でも増加中だ。しかしかつてはこれは殆ど問題視されなかった。何故なら皆婚時代において男性の富は女性に吸われるが、妻と子供に対して法的・社会的権利を有し、遺伝的にも明らかな権利を有しており、言わば「情けは人の為ならず=送った施しは回り巡って自分の利へと還元される」が成立してたからだ。しかしご存じの通り今やソレは崩壊した。
未婚時代の到来や自由恋愛により、男性の女性に対する富の移転は「投資」から「ギャンブル」へと変化した。しかも当たる確率は公表されておらず、そもそも当たりが本当にあるかも分からず、当たりを反故されたり、最悪逮捕の可能性すらある、胴元(女性)にあまりに有利過ぎるギャンブルだ。どんなに男性が女性に尽くしても、女性は筋通すことなく男性を容赦くなく切り捨てる。というより女性はハッキリと性愛において搾取を意識して行動してる…当たりのないクジを買わせてる…事が数々の研究から明らかになっている。
また女性が男性の好意を搾取的に消費してる事も確認されている。例えばAmazonのMechanical Turkを使用して「グルメコール…その気にない異性に対して食事を奢ってもらう為に気のあるフリをする」は道徳的に許容されるか?またこのような行動をとった事があるか?あるなら頻度はどのくらいか?調査した。すると2つの研究で女性の23~33%がこのような行動をとっていることが判明した。尚頻度は5%が非常に頻繁、15%が頻繁、33%が時々、24%がめったにない、21%が非常に稀だった。
こうした搾取の容易化は女性が結婚する大きな動機を失わせる。女性は今や結婚しなくても男性から継続的庇護を引き出せるし、なんなら継続的庇護を引き出すにはむしろ結婚してる方が不利まである。また国家からの手厚い女性支援もこの傾向を加速させる。短期的には女性にとって結婚するメリットはないに等しいどころか、女性の武器の使用を制限されるデメリットさえあるのだ。
しかし良いことづくめというわけでもなく、長期的には女性にとっても地獄へと続く階段だ。まず女性は加齢に伴い妊孕性は下がり、それに伴う形で女性の武器は鈍になっていく。また現在日本では国家の支援を受けて1人で子供を育てる制度は整ってるものの、それを積極的にやりたい女性は殆どいないだろう。こうした女性への福祉と搾取の容認(自由恋愛)は、若い女性の短期的な非婚インセンティブと、母親になることへの長期的インセンティブを乖離させている。
ナッシュ均衡
現状の男女は既にゲーム理論における「相手が裏切りを選択する可能性が高く、協力を出して大損するわけにはいかないので、裏切りをだして互いに損するしかない」という局面に突入している。現在私達の社会が、まだそこまで行ってないように見えるのは、皆婚時代に作られた社会規範がまだ完全にはなくなっておらず、その慣習になんとなく乗っているからに過ぎない。
法律や社会が変わっても人間はその瞬間に言動を変えるわけではない。我々は自分のパパとママが結婚し、それなりに仲良くやり、周囲の年上の人間も結婚し、それなりに人生やってくのを見てたので、なんとなくそれが正しいとして行動する。ハッキリ言えば平和ボケだ。だが今の我々の姿、男女で互いにいがみ合い、女性は筋通さず、男性は寝そべり、女性の明らかな虚偽告発がSNSでバズり、実子誘拐が国際問題と化し、親権とられた男性は悲嘆にくれ、同年代の仲間は不同意性交等罪で告発され、結婚が最早何の安定も信頼も提供しない事を目の当たりにした平和ボケしていない世代はどうなるだろうか?
その答えが欧米の1夫1妻制社会に無理やり連れてこられた黒人達だ。彼等は米国で1960年代に無責離婚…どちらか1方の意思だけで離婚出来る制度…が導入された瞬間に「最適解」を選択した。

崩壊ジャパンレール
貞操観念を大事にし男女互いに協力し合う結婚制度は終わり、今の結婚制度は男性が当たりがあるか?も分からない宝くじを買うギャンブル結婚制度へと変化した。
この「ギャンブル」において、男性が支払うことになるチップ(時間、金銭、誠意)はあまりに大きい。1方でリターンは極めて不確実だ。かつて結婚が提供した「父性の確実性」「家庭という安息の地」「社会的信用の向上」といった確固たるリターンは、今や離婚というカード1枚で1方的に無に帰すリスクに常に晒されている。親権を失い、築き上げた財産の半分を奪われ、子どもと会うことさえままならなくなる。それどころか結婚の前段階の恋愛でもパートナーの1存で社会的に抹殺されかねない「不同意性交等罪」のリスクまで背負わされる(因みに不同意性交等罪は夫婦間でも成立する)。このギャンブルを男性が積極的にやりたがると思う方が不自然だ。
男性が恋愛や結婚から撤退しているのは、彼らが臆病になったからでも、責任を放棄したいからでもない。むしろシステムの構造的な欠陥とリスクを冷静に分析し、極めて合理的な判断を下した結果なのだ。自分の遺伝子を残すという生物学的なインセンティブさえも、現代社会が突きつける数々のリスクの前では霞んでしまう。確実性のない未来のために、現在のリソースと精神を過剰に投資することは、賢明な選択とは言えない。これが、いわゆる「草食化」や「絶食化」や「寝そべり族」や「mgtow」と呼ばれる1連の現象の根源にある冷徹なリアリズムだ。
我々の社会は後戻りの出来ない「ナッシュ均衡」の罠に深くハマっている。男女双方が相手の裏切りを警戒し、自衛のために協力を拒否する。その結果、双方が望まないはずの「孤独」という結末へと突き進んでいるのだ。旧世代が築いた「結婚して当たり前」という社会規範の残り香が、この崩壊の速度を僅かに緩めているに過ぎない。しかし、この搾取的なゲームのルールを生まれながらにして知る若い世代は、旧世代のように「なんとなく」でギャンブルに参加することはないだろう。
そして男性の撤退は、単に少子化を加速させるという次元の問題には留まらない。それは人類が長い年月をかけて築き上げてきた「信頼」と「協力」を前提とする社会モデル、すなわち文明そのものの基盤が崩れ始めていることを示す、極めて重大な兆候に他ならないからだ。男性が社会貢献や共同体への投資インセンティブを失い、女性が短期的な利益の最大化に走り、長期的な安定を築く術を失う。その先にあるのは、分業が成立せず、集団になれず、愛国心もなく、誰もが互いを信頼出来なくなるリヴァイアサンの誕生だ。
我々文明を持たない獣へと回帰しつつあるのかもしれない。
余談:リヴァイアサンについて
人類の歴史では、ローマ帝国、マヤ文明、メソポタミア文明など、かつて栄華を誇った多くの巨大で複雑な社会が突如として崩壊し、より単純な社会へと逆戻りする現象が繰り返し起きてきた。何故このような「崩壊」が起きるか?の問い、考古学者ジョセフ・ティンターは侵略、気候変動、内紛、資源枯渇といった個別の理由だけでは、この普遍的な現象を説明できないと考え、全ての崩壊に共通するリヴァイアサン…人類文明を崩壊させる怪物…を探し求めた。
そこでティンターは経済学の概念である「複雑さへの投資に対する限界収益の逓減」を発見した。これは以下のようなプロセスでリヴァイアサンを誕生させる。
step1.社会は「問題解決」のために複雑になる
ー社会は人口増加、食糧問題、外敵からの防衛、資源管理といった様々な問題に対応するために、官僚制度、大規模な軍隊、巨大な建築物(ピラミッドや神殿)、灌漑システムといった、より「複雑」な仕組みを発展させる。
step2.最初は投資に見合うリターンがある
ー複雑化への投資は、最初のうちは非常に効率的だ。少ないコストで大きな利益(問題解決、安全、豊かさ)をもたらす。
step3.やがてリターンが頭打ちになる(限界収益の逓減)
ーしかし社会がさらに複雑化を進めると、次第にコストばかりがかさみ始める。 例えば更なる食糧増産のためには、より痩せた土地を耕したり、莫大なコストのかかる灌漑施設を作ったりする必要が出てくる。軍隊や官僚機構も、維持・拡大するためのコストは増え続ける1方、それによって得られる新たな利益は少なくなっていく。 要は複雑さを維持・向上させるための追加コスト(投資)に対して、得られる成果(リターン)が釣り合わなくなっていくのだ。
step4.合理的帰結として崩壊する
ーこの段階に達した社会は、新たな問題やストレス(干ばつ、侵略など)に対応する余力を失う。1般大衆にとっても、社会を維持するための重税や労働負担ばかりが増え、見返りとなる利益(安全や福祉)はほとんど感じられなくなりリヴァイアサンが誕生する。
ある社会システムを維持するためのコストが、それによって得られるベネフィットを明らかに上回るようになった時、人々はそのシステムから離れ、あるいはその崩壊を容認し、リヴァイアサンを誕生させるというわけだ。
このフレームワークを当てはめると、現代の男性が結婚から撤退しつつある現象は、変化した社会システムに対する極めて合理的な適応行動と解釈出来るだろう。かつてはハイリターンな「投資」であった結婚が、現代では成功してもリターンが少なく、失敗すれば全てを失いかねない「ハイリスク・ローリターンなギャンブル」へと変質しただ。この状況下でギャンブルから「降りる」という選択をする人々が増えるのは不思議ではない。
テインターがリヴァイアサンを「必ずしも大惨事ではない」と述べたように、個人レベルで見れば、結婚からの撤退はリスクを回避し、個人の幸福を最大化するための賢明な選択かもしれない。
しかし社会全体の視点で見れば、この「静かな撤退」の広がりは、結婚制度が本来担ってきた「次世代の再生産」という根源的な機能の衰退を意味する。これは人口減少、社会保障制度の危機、そして共同体の崩壊といった、より大きな問題へと直結していく。
ローマ帝国が、その維持コストを賄えなくなった末に崩壊したように、現代社会もまた、その存続の基盤である「家族」というシステムを維持するためのコストとベネフィットのバランスが崩れ、システムそのものが機能不全に陥っている。そして生まれ落ちるリヴァイアサンは、決して甘美な終末をもたらす存在ではないだろう。

