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731からフクシマへ!!

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!


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核・戦争のない世界!!





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アジア太平洋戦争開戦の日、日本は誤った道を歩む!!

戦争を伝えるミュージアム

 

昨日も大きな地震があった!!地震原発、核処理施設は危険!!

核廃絶を日本から訴えよう!!核廃絶!!反原発!!

新潟県も、新潟地震中越地震中越沖地震が起きている!!
東電による1000億円規模の資金拠出 具体的活用法は「再稼働決定後に検討」 新潟県議会で柏崎刈羽原発めぐる質疑

柏崎刈羽原発再稼働で「電気代は下がる」は本当か?新潟県に直接の効果なし コスト減効果「先食い」も

【柏崎刈羽原発】“再稼働”に期待する経団連に新潟知事「簡単なものではない」 賛否割れている現状への理解求める

柏崎刈羽原発が再稼働へ…なぜ動き加速?地元住民の思いは?元経産官僚「現地の実情が東京に伝わっていないし、東京の人も考えようとしていない」

川内原発 乾式貯蔵施設整備計画 市民団体が取り下げ求める

 

 

 

日本被団協が核兵器禁止条約の参加求め約344万人の署名提出



日本被団協 非核三原則の堅持など求める声明発表

【戦後80年】道内4つの被爆者団体が初の“共同声明”…核廃絶&禁止条約への参加求める「実効性ある核廃絶目指して」…被爆者健康手帳持つ人は道内171人 平均年齢86歳超に

 
自民党よ!!嘘をつくな!!
 

何でこんな展示会を八王子でやるの??軍国主義日本の復活か?

東京上陸!防衛技術博物館 出張展示 in 八王子

 
機械技術遺産として国産防衛装備品を後世に遺すために、東富士演習場隣接地に博物館の設置を目指す「NPO法人防衛技術博物館を創る会(所在地:静岡県御殿場市、代表:小林雅彦)」は、2026年1月10日(土)、11日(日)の二日間、東京都内ではじめてとなる車両展示と活動報告会を実施する。今回の出張展示会では戦後GHQ管理下で戦車からブルドーザーに改造され、日本各地の復興作業に活躍した「更生戦車」の最後の生き残りといわれる「九五式軽戦車改造ブルドーザー(通称:ハ号ブル)」をはじめ、世界初の量産小型4輪駆動乗用車といわれる「九五式小型乗用車(通称:くろがね四起)」などを展示する。

 

 

 


情報公開裁判『化学学校記事』控訴審

秘密保護法撤廃!!憲法9条遵守!!

『化学学校記事』を全面公開せよ!!

裁判所は、しっかり行政を監視せよ!!

自衛隊化学学校は今までどんなことをやって来たのかを明らかにせよ!!

化学学校で作った『化学学校記事』を何で自分の所で保管していない?
そんなことは絶対ないはずだ!!

自衛隊は核戦争を想定して演習をやっている!!
日本は、戦争を放棄したはずだ!!なんで核戦争の想定をするのか?
『化学学校記事』16号(1970年)までは、防衛省は発行は認めている。それが1970年、日本が1925年のジュネーブ議定書を批准した年だ。日本が国際法に違反して、それ以前に化学学校でいろいろなことをやっていたことが、ばれないようにするために存在を認めないのか?

 国際条約と化学武器  

                        2等陸佐 島田典夫            .

3、第1回へ一グ条約以来の毒ガス使用禁止の国際条約 

(3)べルサイユ条約

欧州大戦がが速合国勝利のもとに終局を結び1919年6月米国提唱の平和条約がぺルサイユ-で締結された。この条約においては「独逸国に対してのみ毒ガスの製造・輸入並びに研究を禁じ戦時中に使用したこれらの諸施設全部を連合国の監督の下に破棄する」ということであった。

 欧州大戦の調停者であった米国大統領「ウイルソン」は平和条約の締結とともに民族自決国際連盟の2大主義を提唱したが後者においては, 世界の永久平和を施策する常設機関を「ジュネーブ」に設けて常時国際上の諸問題を討議しようとした。

ここで奇異なことには提唱国である米国がこの条約に批准もせず、またこの国際連盟にも加入しなかったことである。

 

2025年11月27日(木) 東京高裁824号法廷
何で、東京高裁は証人尋問を認めない??
何で、高裁は、じっくりと話を聞かないのか?

2026年3月19日(木)13:15 判決言い渡し
せめて、原告側が出す調書をしっかり読んで判決してもらいたい!!

『化学学校記事』の情報をお持ちの方は

nobu.goi@gmail.comまでご連絡ください!!

『化学学校記事』を公開せよ!!

情報公開裁判『化学学校記事』控訴審!!

 

地震の多い日本に原発は危険!!原発再稼働反対!!
54基も原発を作ってミサイルでも飛んで来たら大変だ!!
マス・メディアは、政治権力から独立してきちんと報道せよ!!
 事故が起きたら、大惨事になる!!日本だけでなく世界に大きな放射能災害をもたらすことは、福島の事故を見てもわかるはずだ!!



知事発言めぐり野党が追及「県議会で信を問う」「存在をかける」【新潟】

北海道 鈴木知事 泊原発を視察 3号機の再稼働判断に注目

 

【柏崎刈羽原発】“信の問い方”に野党が反発 新潟知事は「県議会に信を問う」と表明も米山隆一前知事は苦言呈す

原発建設の是非を問う『住民投票』を実施した元巻町長「“信を問う”相手は県民」【柏崎刈羽原発 再稼働】

中部電力 浜岡原発不適切契約「非常に重大」原子力規制委員長

【緊急アンケート結果発表】柏崎刈羽原発の再稼働容認、花角英世知事の判断に不支持多く、県民投票望む声が多数

市民有志は花角知事に発言の撤回を求める【柏崎刈羽原発 再稼働問題】新潟県

柏崎刈羽再稼働容認めぐり「人間の鎖」新潟知事に抗議「県民に信を」

山口 上関町の原発計画 埋め立てめぐる裁判で住民側の敗訴確定

 

Apple、サプライヤーに再エネ100%義務化

 

北海道 泊原発3号機 知事が再稼働容認に前向きな考えを表明へ

 

熊本 震度5強 建物被害相次ぐ けが人も 1週間程度十分注意を

 
 
どこにそんなお金があるのだ!!税金でしょ!!
 

高市首相は発言撤回を!!日中友好、日中永久不再戦!!
日本は、憲法9条によって
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。と宣言している!!

高市発言)
「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと、私は考えます」
中国の内政に干渉するべきではない!!
1972年の日中共同声明で、日本は、中国に侵略戦争の謝罪をした。

「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。」

そして、中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であると認めたではないか!!

(以下、日中共同声明より)
2、日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
 日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

高市さん、存立危機事態になったら、国民生活・自然環境を破壊する戦争をするのですか?


高市首相の台湾有事発言は「極めて危険」「憲法にも反する」、有識者らが撤回求める緊急声明

高市首相発言から1か月 中国からの海・空便キャンセル相次ぐ

高市首相「日本は台湾の権利・権限を放棄してる」⇒中国大使館がXで「不法かつ無効」と発言。「台湾統合したいのになぜ?」中国側の“事情”とは

 

政府 中国軍戦闘機のレーダー照射問題 冷静に対応していく方針

 

山梨県 中国四川省との学術文化交流フォーラム中止に

 

中国 国連事務総長に再び書簡 高市首相の国会答弁 撤回求める

 

与那国ミサイル配備に苦言 知事「相手への心証変わる」

81歳・大御所歌手「高市さんに言いたい」台湾有事発言の撤回求める「日本を攻撃目標にしてもいいよということ」「危機をあおる状況がすでにある」

【高市自民】日本民間に実害の高市発言「損をどうしてくれる、怒りある」古市憲寿氏→高市支持派に反論「中国批判して気持ちよくなってる人いるけど」国益損なってる、他にやり方あったよね


共産・山添拓氏、高市首相台湾有事答弁の撤回要求「憲法を蹂躙…危険極まりない発言」と批判

中国大使館、自民党の石破茂前首相の発言「台湾は中国の一部。変えてはならない」をX投稿

 

浜崎あゆみさん 上海のコンサート 急きょ中止に

高市氏、宣伝費に8000万円超 24年総裁選 水面下で巨費投じる

 

中国外務省 日本政府の答弁書について「まったく不十分だ」

再審法を改正せよ!!

最高裁判所 再審テーマの研究会で袴田巌さんの弁護士を講師に

 

検察は隠し持つ全証拠を開示せよ!!

19回(20回?)再審請求を請求しても一度も認められず、獄中で亡くなった平沢貞通氏は、本当に無念であったろう!!

狭山事件フィールドワーク2025「確かめよう!石川さんの無実」

 
 

 
石川一雄さんの歌

裁判官 家令に託して 10年目 期待と不安で 胸騒ぐ

本音のコラム 2025年11月4日東京新聞

石川一雄 短歌に託して 鎌田慧(かまたさとし・ルポライター 

 10月31日51年前のこの日は狭山事件で一審死刑だった石川一雄さん当時35歳の東京高裁判決だった無罪を信じていた支援者3万が日比谷公園に集まっていた期待は裏切られ寺尾正二裁判長の判決は有罪無期懲役だった

 この日の暗黒裁判に抗議して毎年東京で集会が開かれている今年は芝公園だったしかし石川さんは3月冤罪を晴らせないまま、誤嚥性肺炎で死去した再審請求人として妻の早智子さんが壇上に立った会場では石川一雄 短歌に託して』(解放出版社刊)販売された

 1939年被差別部落に生まれ貧しさのため小学校にさえろくに通えない識字者。自分の名前を書くとき、「一夫」ませていた脅迫状でカネを奪おうと考えるなどあり得ない。文字が冤罪の根源 だった文字に復讐するように獄中で看守からを学び当時同じで行き来していた死刑囚から短歌の指導を受けた

教育の機会奪われ過去の吾(われ)生死を賭して獄で学ばむ」

 小学校2年から畑で野菜を作り4年の頃から父親の農作業を手伝い登校しなかった

蜘蛛(くも)の巣に蝶(ちょう)せるからみ風に揺られて夜は更け渡る
死刑囚との運命と見たが枯葉だったその頃の怒り

「無実をば叫び続けて3年をこの憤り誰に伝えん」 

 
何でこんなに再審が遅れたのか??
 

 

 

 

福島原発事故から出た汚染土の問題!!

2025年5月22日 東京新聞

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「30年中間貯蔵施設地権者会のHP

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第33回                          

講演:神栖ヒ素被害事件の経験から考える

南典男さん(弁護士・NPO化学兵器被害者支援日中未来平和基金

神栖ヒ素被害事件の経験から考える!!

 

神栖と土呂久を結ぶ亜ヒ酸

 

 

11月2日船橋東部公民館で「医の倫理と戦争」の上映会と講演がありました。
約100人の入場がありました。

 


東京大学医学部附属病院の50代医師 収賄の疑いで逮捕

「医の倫理と戦争」のホームページ

医の倫理と戦争(予告編)

 
 
 
 

ビキニ被災船員補償訴訟原告団下本節子さんのスライドより


核は抑止力にはならない!!地球を破壊し続ける!!

今の日本政府は、核を持とうとしている!!



 
映画会・アンケート

1、社会問題に向き合い、記録し続けた樋口氏の活動を初めて知りました。公害に立ち向かい続ける姿勢に敬意を払います。

 子ども、孫たち、人類に核の悲劇を残さないために、平和利用などあり得ないことを広げ阻止したい。

“核と人類は共存できない。” 胸に刻んで生きていきます。ありがとうございました。

府中市、チラシ、80代以上)

 
 
 
樋口健二コーナー


原発は定期点検などのときにも、原発労働者を被曝させている。事故も起きている。

被ばく労働者は62万人を超える!!

 

731部隊関係

知られざる旧日本軍の“細菌戦”部隊…東南アジアに展開 「感染症予防」の裏で繰り返さた“ペスト菌ノミ”実験 関与した軍医たちの戦後は…【news23】|TBS NEWS DIG


731部隊の関する情報を送ります。
「桜の華 風化させてはならない歴史」は4回の短い動画です。
CCTVでアップした動画。
 
 
 
ある中国の方から、731部隊の写真が送られてきました。
ギガファイル便で送ります。(たくさんの写真がありますのでダウンロードには時間がかかると思います)
 
中国の方からのメール
これは私が長年にわたって収集した731部隊に関する写真及び実物資料です。先生方とこれらの資料を共有したいと思っており、どなたでも無料でどのような場面でも使用でき、これらの資料は永遠に無料で提供されます。使用する際には、事前に私の許可を取る必要はございませんので、直接ご使用いただけます。
より多くの方にこれらの資料を見ていただければ幸いです。
長年にわたってご努力をされている先生方に、心から感謝申し上げます。先生方は正しく、勇敢に一段の歴史を再現してくださいました。中国国民は先生方一人ひとりの勤勉な努力に感謝しています。
もしこれらの資料が先生方に少しでも役立てれば、私の大変な光栄とさせていただきます。
添付ファイルは以下の通りです。
1、關東軍哈爾濱衛戍病院(哈爾浜第1陸軍病院) 旧731部隊元隊員 岩本三郎のアルバム。
2、加茂部隊 写真機携帯許可証 第二八号 
  ノモンハン細菌戦 加茂部隊 写真 
  赤ちゃん解剖の写真
3、陸軍軍醫学校レントゲン科  アルバム
4、哈爾濱衛戍病院東寧など 103枚
 よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
哈爾浜衛戍病院岩本三郎

 

 
昭和13(1938)年の軍医団雑誌より
写真の左側にある看板には「第33分科 軍陣医学部会」とある。細菌戦、毒ガス戦の分科会だろうか?上にある丸型の枠には、会長小泉陸軍軍医団長と高杉海軍軍医会長の写真。細菌戦を主導したのは、石井四郎ではなく、天皇も含め、軍の上層部だ。
 
 

10月8日の西山勝夫さんの資料

731部隊と医の倫理」に画期的な言及をした日本医学会-創立120周年記念シンポジウム及び『未来への提言』刊行の意義と課題
西山勝夫
「戦争と医の倫理」の検証を進める会
連続学習会(オンライン・第4回)
2025年10月8日
 
※日本医学会は、原発事故についてどのような判断をしているのだろうか?
原発推進だ!!
 
天皇、皇族が731部隊に関与していたことになれば、自民党政府は躍起となって隠蔽するだろう!!
 731部隊の資料はないのではなく、明らかに隠蔽している!!
日本医学会は、731部隊の反省し、きちんと過去を検証せよ!!

「戦争と医の倫理」に関する画期的な言及に至る画期的プロセス

「戦争と医の倫理」に関する画期的な言及の確定 
『未来への提言』 p72 
2023年3月
わが国も、これまで医学・医療の名において、人々に大きな犠牲を強いた過去を持つ。
戦時中に石井機関と731部隊で中国人やロシア人等を対象とした非人道的な人体実験が広範に行われ、この研究には当時の日本の医学界をリードしていた大学教授たちが多く参加していた事実がある。その後も、ハンセン病患者に対する強制隔離 や優性手術を行った事件や薬剤エイズ事件等の重大な事例、さらには「旧優生保護法」に象徴される生命倫理原則や基本的人権インフォームド・コンセントの蹂躙が起こった。私たちは、こうした過去の過ちに学び、将来にわたって非倫理的な状況が再び起こることのないよう、私たち自身の倫理を確固たるものとし、時には流れに抗うことも医学に携わる者の責務であることを改めて認識する。
 日本医学会は、医学・医療の進歩が、患者と社会の理解および信頼と合意を得て、社会の基本的価値と倫理規範に合致した形で提供されるよう、不断の努力を払うことを決意し、現在そして未来の医学・医療が、患者と人々に大きな幸福と福祉をもたらすことを希求する。
 
 

遺棄毒ガス弾を探す旅

 

共同通信では、ポッドキャスト中国語チャンネルを運営していますが、そのチャンネルで、遺棄化学兵器被害がシリーズで取り上げられていますのでご紹介します。
日本語と中国語が交互に話されますので、中国語が分かる方もわからない方もぜひお聞きください。

https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/program_chinese.html

 

戦争・虐殺反対!!日本の軍拡路線反対!!

世界がお互いに助け合える社会に改変するには?

防衛目的でミサイル配備をするな!!

 

日本被団協が核兵器禁止条約の参加求め約344万人の署名提出

 

高市首相 福島訪問 廃炉完了に向け国も責任持ち取り組む考え

 

献金規制を軽視と首相を批判 公明代表、党首討論で

 
 
 
 

 

イスラエル ネタニヤフ首相 大統領に対し恩赦を求めたと発表

 

ガザ地区当局 戦闘開始以降の死者 7万人超えたと発表

 
 
 
 
 

 

広島 日本被団協の田中代表理事 米での被爆証言の活動を報告

 

 

小泉防衛相、与那国島のミサイル配備「防衛目的」 中国に反論

 

(社説)日本学術会議の改組 政府の学問支配 許さぬ決意

 

高市首相 所信表明演説で安保関連3文書改定の方針表明で調整

 

高市首相発言めぐり 日本被団協が非核三原則の堅持求める声明

 

中国 広東省でモーターショー 日本企業は販売環境厳しさ懸念も

 

中国商務省 “誤った道進み続けるなら必要な措置をとる”

 
 
 

高市政権が原潜保有の道に踏み込んできた

 
靖国神社はなぜあるのだ??
 
 
 
日本の現状
 
 
 
石破首相の戦後80年の所感

石破首相 戦後80年にあたり所感を発表

天皇の戦争責任、戦争の加害に触れていない!!

 

原発反対!!核融合発電反対!!

 

本当の事を報道してほしい!!被ばくを隠蔽するな!!
電力を食うリニアはいらない!!自然破壊がすさまじい!!

リニア総工事費は当初計画の約2倍に JR東海

 
 

核融合発電 国内での技術確立へ 内閣府が工程表策定の議論開始

20170303小出裕章先生にきいてみた!!〜
土岐市核融合科学研究所 重水素実験について

 
 
 
 

 

毒ガスと人骨

自衛隊『衛生学校記事』情報公開裁判

10月2日(木)11時~16:30 証人尋問 東京高裁511号法廷

自衛隊「衛生学校記事」を自分の所で発行していて、なぜ原本も含め、
今まで発行してきた機関誌が、1冊もないなんて明らかにおかしい!!
自衛隊は、明らかに隠している!!

 ※裁判の傍聴で感じたこと。

・衛生学校図書室の図書原簿に二重線に引いた図書が廃棄されたという傍証に『日本医事新報』の廃棄したことを挙げているが、自衛官が自分の判断で、ゴミになりかけた『日本医事新報」の合冊本を、その捨てようとした自衛官と話し合って、彰古館に勝手に展示できるのか?

 そんなことはできないだろう。必ず、上司の命令・指示がなければできない。ましてや、自分の判断で、勝手に彰古館に展示できるはずはないではないか!!
その作業を勤務時間内にやっていれば尚更のことだ!!

勤務時間に内に、ゴミになりかけた『日本医事新報』を時間をかけて、何回も階段の上り下りをして運んだと、それも上司の了解もなく、自分の判断で?

又、ゴミ置き場にその『日本医事新報』を運んだ自衛官は、亡くなったとされているが、本当に亡くなっているのだろうか?

・亡くなったとされる自衛官と短期間ではあるが、一緒に衛生学校図書室に勤務した自衛官は、それ以前、以後は教務畑に勤務していたという。その人が、図書室勤務の時に、平積みにされた図書の名前すら憶えていないのは明らかにおかしい。不思議だ。廃棄されようとする重要書類の名前くらい覚えているはずだ。教務を務めていたとすれば、そのぐらいは当たり前だと思う。偽証していないのだろうか??

・原告側の証人が、古本屋から『衛生学校記事』の月刊本全冊と、季刊本の一部を入手した。それによると、初期の月刊本には、731部隊の細菌戦の記述があったという。それも部外秘と書かれていた。
 そんな大事な資料を、衛生学校は保存していないというのは、考えられない。

731部隊・細菌戦資料センターのチラシより  (一瀬法律事務所発行)
◇10月2日 (木) 11時~16時30分 
東京高裁 511号法廷 
 
『衛生学校記事』情報公開裁判(証人尋問)
 
1、証人 古野巌(陸上自衛隊衛生学校2005年9月図書室図書係)
2、証人 木村益雄(陸上自衛隊衛生学校2005年9月彰古館担当)
3、証人 林田泰幸(陸上自衛隊衛生学校2021年~2024年訴訟管理官)
4、証人 大内要三(軍事ジャーナリスト)
 
 10月2日、陸上自衛隊衛生学校の機関誌『衛生学校記事』の開示を求めた情報公開裁判(2013年11月提訴)の控訴審で4人の証人尋問が行われます。
 
 2023年8月の1審(東京地裁)の判決は、衛生学校図書室で保管していた『衛生学校記事』を当時の図書係だった鈴木武範氏が廃棄したと推認することには合理性があるとして防衛省の不開示処分が違法ではないと認定しました。
 
 しかし、鈴木氏の証言では、
①図書原簿の『衛生学校記事』『ふかみどり』『保安衛生』『防衛衛生』の製本雑誌の記載部分に廃棄のための赤二重線(90カ所)を引いたのは私です、
②上肢から廃棄の指示を受けたのですが、上司が誰かは覚えていない、
③二重線を引いた製本雑誌を廃棄したかは覚えていない、
④二重線を引いた製本雑誌のうち『ふかみどり』『保安衛生』『防衛衛生』は図書室に残っていて、『衛生学校記事』だけがない理由は判らない、
⑤廃棄のためには図書委員会にかけていないし、図書委員会にかけることを知らなかった、などと述べており、2人しかいない図書係の証言として『衛生学校記事』製本雑誌16冊を廃棄した自体が極めて疑わしい内容でした。
 
 また、1審判決が鈴木の「廃棄」を証言を信用できるとした最大の理由は、鈴木尋問の10日後に証言した木村益雄氏(彰古館担当)が、鈴木氏が『日本医事新報』の製本雑誌93冊をゴミステーションに運んで廃棄しようとするのを見つけて彰古館で引き取り保管したとの突然の証言。しかし、国 は鈴木氏には同じことを尋問していません。
 
 控訴審では、鈴木氏と木村氏の再尋問を請求しました。ところが、鈴木氏は死亡していたため、図書係の同僚だった古野氏と鈴木・木村尋問担当だった防衛省大臣官房の林田泰幸氏の証人尋問が採用されました。
 また1審判決後『衛生学校記事』月刊分全冊を古本店で購入し、新たな意見書を出した軍事ジャーナリストの大内要三氏に対する証人尋問が行われます。
 
 私たちの裁判で明らかになっている政府・防衛省の隠蔽体質は日米による戦争突入の動きと一体のものであり「民主主義の否定」そのものです。
 
◆『化学学校記事』情報公開裁判
 第1回控訴審 11月27日(木) 13:30~  (824号法廷)

次回、『衛生学校記事』情報公開裁判は、2026年1月13日(火)13:30~
511号法廷 最終弁論(結審)は日にちが変更になる予定です。わかり次第お知らせします。

731部隊を引き継ぐ自衛隊細菌戦・化学戦部隊

 
 

関東大震災朝鮮人虐殺と治安維持法

 




731部隊の細菌戦と毒ガス戦」パネル展・アンケート集計

2025年9月18日(木)~21日(日) 小平市中央公民館1階ギャラリー

会場アンケート

9月19日(金)

1、2019年に専修大学で「731部隊」に関する論文を書いた者で、当時、読んだ文献の内容を思い出すものもあれば、初めて知ることができた証言などに出会え、濃密な時間になりました。

 もっともっと多くの日本人に知ってもらいたい内容で、歴史を改変しようとしている現代の日本の良くない流れに、より歯止めをかけなければという思いが強くなりました。

 貴重な資料をこの目で見ることができて良かったです。

 パネル展の開催ありがとうございます。いつか被害者遺族の思いが日本中に届く日を願っています。

(20代、市内、友人)



 

第124回八王子アクション


 
NO WAR!八王子アクション

天皇家の戦争責任についてはどう考えているのか?

天皇の慰霊の旅とは、日本人が多く亡くなったところを慰霊している。
日本が加害を与えた所で、日本軍の被害にあった方々には謝罪しなくてもいいのか?あの戦争は、聖戦なんかじゃない!!

 

昭和天皇の后の活動記録「香淳皇后実録」を公開 宮内庁

 

天皇皇后両陛下と愛子さま 養護ホームで被爆者と懇談 長崎

 

第10回戦争の加害パネル展 8月8日~15日

延べ入場者は、1700人でした。

今、戦争中の加害の面の報道が、少なくなっています。

本当にこのまま、日本が戦争で行った加害行為を反省しないのでいいのでしょうか?

日本軍の行った731部隊の人体実験、細菌戦、平頂山や南京、シンガポール、アジア各地で行った虐殺、日本政府は、心から謝罪の態度を示すべきではないのか。

 

“悪い歴史も知るべきこと”日系アメリカ人男性の問い

 

関東大震災の朝鮮人虐殺、茅ケ崎でも初の追悼式開催 朝鮮人に間違われた日本人も犠牲…「事実を語り継ぐ」

 
●第10回「戦争の加害展」(かながわ県民センター1階展示場)

第10回「戦争の加害展」の感想

◆8月11日(月)

97、群馬の森のことについて最近のことも書いてあり、良かった。

相模湖のことは忘れていたので、思い出し、新しいことも知ることが出来て良かった。

身近な所のことも大事だと思いました。

(40代、横須賀、友人)

記憶の継承を進める神奈川の会

スパイ防止法

 

高市首相「スパイ防止法」制定に意欲 外国勢力の工作に対処で

 
「スパイ防止」の言葉の裏で
私たちの「知る権利」が奪われる前に
 
セキュリティ・クリアランスって何?
2024年に成立した経済秘密保護法で導入された制度です。
防衛産業などで働く民間人を対象に、精神疾患歴、借金の状況、飲酒の節度といった個人情報を広範に調査します。
 プライバシーの侵害だけでなく評価基準が不透明なため、国による恣意的な判断でキャリアを断たれる可能性があります。
 現在は政治的な思想信条の調査は行えませんが、スパイ防止法ではこの歯止めが外される可能性があり、その場合は憲法の信条の自由に反します。さらに調査対象も広がり、厳しくなる危険性もあります。
 
 


「戦後80年」に振り返る戦争と平和

 

 

山口 長生炭鉱の坑道で発見された骨のようなもの 人骨と確認

 

復員兵の父は枕元に刃物を置き「誰かが殺しに来る」と叫んだ 戦争PTSDの被害家族が国に言いたいこと

日本は第2次世界大戦でどこに負けた?日本の子どものほとんどが「中国」と回答せず―中国メディア

 

残されたのは“80年続く右腕の痛み” ウラン採掘に動員された少年

国策で「性の防波堤」 羽田周辺、慰安所を「認可」 戦中は「産業戦士」の 戦後は占領軍の相手

いち市民が「本音」語るだけで取り締まり…「戦前反戦発言」を調べた高井ホアンが「相互監視」の再来を危ぶむ

カルテが語る「心の傷」=下桐実雅子

隠された戦争被害、直視せねば=黒井秋夫 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会代表

 

 

三多摩平和交流会(会場の写真)

三多摩平和交流会の感想
学習会③  ビデオとお話
(60代女性)
とても貴重な証言ビデオを見せていただきありがとうございました。特に従軍看護婦の方の証言は初めて伺いました。兵士の方の証言や市民の方などを聞くことは何度かあったのですが、従軍看護婦の方の貴重な証言は別な意味で生々しく、とても貴重なもので勉強になりました。「韓国のヒロシマ」も、自分が知っていることが。いかに通りいっぺんのことがと改めて感じました。どのビデオも、これからも多くの人に見せて頂きたいものと思いました。機会があれば、また別の証言ビデオや記録ビデオを見たいと思いました。
 
琉球弧を戦場にするな!!

 
 
なぜ、医学者は脱原発と叫ばない??
 

東電 核燃料デブリ取り出しへ 追加で9000億円規模の費用見込む

最高裁6.17判決(2022.6.17)

最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、生業など4 訴訟について「仮に国が東電に津波対策を命じていたとしても、想定外の津波により事故は防げなかった」として国の責任を否定した3人の多数意見によるもので、 三浦守判事は「責任あり」とする反対意見だった。判決は世論、法曹関係者からも厳しい批判にさらされているが、以後、地裁、高裁ではこれをコピーする判決が続いている。

 
 
 
 
核廃絶!!原発反対!!
被団協は、原発反対とも言うべきだ!!
 
 
 

広島 長崎 原爆投下80年を前に 日本被団協など3団体が共同声明

   被爆80年を迎えるにあたって
  ヒ口シマ・ナガサキを受け継き、広げる
   国民的なとりくみをよびかけます

 1945年8月6日広島・8月9日長崎。アメリカが人類史上,初めて投下した原子爆弾は、一瞬にして多くの尊い命を奪い、生活、文化、環境を含めたすべてを破壤しつくしました。そして、今日まで様々な被害に苦しむ被爆者を生み出しました。このような惨劇を世界のいかなる地にもくりかえさせぬために、そして、核兵器廃絶を実現するために、私たちは被爆80年にあたって、ヒロシマナガサキの実相を受け継ぎ、広げる国民的なとりくみを訴えます。                                    

       2025年7月23日

                 日本原水爆被害者団体協議会日本被団協

    原水爆禁止日本協議会(日本原水協) 

    原水爆禁止日本国民会議(日本原水禁

 

2025.7.21 NO WAR 八王子アクション(八王子駅北口)

 

 
 



 

第120回 NO WAR 八王子アクション



 
武器輸出反対!

オーストラリアに護衛艦を 日本企業 売り込みの働きかけ強める
米政府・軍需産業への異常奉仕

 
 
 

核廃絶!!脱原発!!(2025.7.18)

国民平和大行進(八王子→日野)


異常気象!!

ことしの夏 平均気温は平年比2.36度高い“異常な高温” 気象庁


汚染土の拡散反対!!

 

 

中国電力“中間貯蔵施設 建設可能”山口 上関町に調査結果報告

50年代、60年代の核実験の影響しているのでは?

南太平洋ツバル 国土水没のおそれで国民の半数 豪への移住申請

 
戦争反対!!即刻停戦!!


 
 
<私の戦後80年談話>
 日本国憲法は、アジア・太平洋戦争の痛切な反省の下、戦争をしない、戦力を持たないことを宣言し(9条)、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、日本がその実現のために努力することを誓っています(前文)。私が戦後80年談話を出すなら、今こそ、この憲法の非暴力・積極的平和主義の実践をと訴えます。
80年談話について話す大江京子弁護士=東京都墨田区の東京東部法律事務所で(坂本亜由理撮影)
 
 日本は、核兵器禁止条約を批准し、パレスチナ自治区ガザでの大量虐殺やウクライナでの戦争を止めるために、国際社会において積極的な行動を取るべきです。
 憲法の平和主義は、21世紀における安全保障の道標であり、行動原理です。暴力を暴力で制圧する、武力で平和を維持するという考えは非現実的、非人道的です。軍事力で脅しつけるのではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義」(前文)を信頼し、連帯して安全と平和を保持する。お互いに脅威とならない信頼関係をつくる営みこそが大切です。
◆東アジアで絶対に戦争をさせないための地域枠組みをつくろう
 
 
洋上風力と原発どちらがコストが安いのだ?
 
再審法改正を!!
 
 
 

毒ガス被害者の救済が遅れている!!



毒ガス兵器 旧日本軍製造所の記録見つかる 工員被災の記録も

 
被曝者の救済も遅れている!!
 
 
 
中国で731部隊をテーマにした映画「731」が中国で公開された!!
(澁谷での試写会を見た感想)
自分が描いていた731部隊の実相とは大きく異なり、731部隊の特設監獄に女性指揮官がいたり、監獄内を花魁が歩いたり、特設監獄の軍属が、はかま姿や学ランのようないでたち、石井四郎の和服姿、また石井四郎の娘の姿の描き方、安達実験場の深い穴、敗戦間際の731での祭りの場面に面食らった。しかし、随所に、人体実験の生々しい光景や細菌戦の模様が描かれていた。「マルタ」と呼ばれていた被験者を、日本の医学者が倫理を逸脱して実験材料にしていた事実は消すことはできない!!
 趙林山監督は、映画にエンターテイメントを取り入れたかったのだろう。
日本の特質:軍人たちと女性の関係、天皇制と祭りというように。
 
 
 趙林山監督と私(澁谷にて)
 
 

中国国内サイト削除前の貴重な予告編 中国映画 731

 
 
 
 

慰安婦像、ドイツ女性博物館で恒久設置の除幕式 「記憶風化させない場所に」と正当化

 


広島 “毒ガス製造の島” 原画が語るもの

 
訪問税反対!!

大久野島の歴史を伝える山内正之さんのお話のメモ

中国の毒ガス被害者、日本の毒ガス製造に関わった人々は、戦後も大変な思いをしている!!

北九州の曽根製造所でも新たな毒ガスの資料が見つかった!!

 



 

 「毒ガス工場の島」伝える山内正之さん(80)

 

2025年6月7日総会講演山内正之さん大久野島の毒ガス工場が語る戦争の加害と被害

イペリット(故北宏一朗推薦)

 藤枝静男・・・明治41年(1908)1月1日、静岡県に生まれる。本名勝見次郎。八高理科を経て、千葉医大卒。戦時中は平塚海軍火薬廠共済病院眼科部長。戦後、浜松市で眼科医を開業。昭和22年より、八高時代の友人平野謙本多秋五らの雑誌「近代文学」に『イペリット眼』『やせ我慢の説』『犬の血』などを発表。・・・
 
平塚の海軍火薬廠の技研(技術研究所)では何をやっていたのか?

※島章(平塚海軍火薬廠共済病院眼科医)

10 
 「眼科の先生が見えたぞ。も少し辛抱せい」と軍医大尉が白い方のベッドに声をかけた。章はそちらに近寄り、顔も唇も約1倍半に膨れ上がった顔を覗き込んだ。そして開瞼器を恐る恐る上下の眼瞼の内側に辷り込ませ辷り込ませ、「動くと痛いぞ」と小声で叱りながらそろそろと眼を開けていった。
「見えるか?」と彼は言った。すると上方に吊り上がっていた黒眼が、異常に懸命な表情を以って真中に下り、彼の顔を凝視し、それから直ちに「うう」と呻ると同時に再び吊り上がった。彼は手早く開瞼器を外し「大丈夫」と言った。球結膜の浮腫は強度であったが、角膜には上皮の剥脱が見られるだけで、必ずしも危険な状態とは思われなかった。病状は両眼同様であり、又赤い方の患者も変わりはなかった。彼は軍医に「大したこともないようです」と言った。そしてすでに除毒の際洗顔してあるならば、今後は時々肝油を点眼するに止めて、余り弄らない方がいいだろうと付け加えた。 
 
 
 
 
 
相模海軍工廠の資料


 

ジュネーヴ議定書100


1925
年に成立したジュネーヴ議定書を御存じでしょうか。
毒ガスと細菌を兵器として使用することを禁止した最初の国際法です。
ジュネーヴ議定書1925年に行なわれた武器取引取締国際会議で採択されました。

当初は毒ガスの使用禁止を目的としていましたが、
1925
68日、ポーランド全権のカジミェシュ・ソスンコウスキ(Kazimierz Sosnkowski)が毒ガスだけではなく細菌兵器も禁止すべきと発言しました。
ソスンコウスキは細菌兵器は戦闘員だけでなく一般民衆にも被害を及ぼし、生態系も破壊する恐ろしい兵器になると演説したのです。

この提言が入れられて617日に参加国はジュネーヴ議定書を承認したのです。
ジュネーヴ議定書の日本名は「窒息性ガス、毒性ガス又はこられに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」といいます。

日本政府は当時、ジュネーヴ議定書を承認し、署名をしました。
ジュネーヴ議定書は3年後の1928年に発効しましたが、日本政府が批准したのは1970年になってからでした。

日本政府はジュネーヴ議定書に署名をしましたが、議定書を無視し、毒ガスと細菌兵器を開発し、中国で使用し、中国の民衆に多大な被害をもたらしました。

ジュネーヴ議定書成立100年にあたる2025年に下記の企画をしています。
集会等をご案内しますので、ご関心のある方はご参加くだされば幸いです。

2025
68日 ソスンコウスキの提言100年を記念して 

               戦争被害調査会法を実現する市民会議
                          川村一之



日本軍の毒ガス開発とジュネーヴ議定書

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

【軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会】
人骨発見36周年・戦後80年・ジュネーヴ議定書成立100年企画「人骨問題と毒ガス問題」

 
 
 

 
 
 
日本政府は、重慶爆撃に対し、メッセージを発信しないのか?
 
1941年6月5日に起った重慶防空壕内窒息事件

重慶日本国総領事館からのメッセージ
●6月5日(いわゆる「重慶大爆撃」の日、惨案は1941年)、重慶市では防空警報音響試験(防空サイレンの吹鳴試験)が行われ、「重慶大爆撃」関連施設などで記念活動が実施されます。トラブルに巻き込まれないよう安全確保に注意してください。

 

●本年は第二次世界大戦終戦80周年(「抗日戦争勝利80周年」)にあたり、関連記念活動が例年より大規模に実施され、日本や日中関係への関心が高まることが予想されます。特に過去の日中間の歴史にかかわる記念日(いわゆる「注意を要する日」)前後には、事前の情報収集や外出時の安全対策、日本関連の行事開催の慎重な検討をお願いします。

軍都ヒロシマ

大日本帝国時代を彷彿とさせる提灯奉迎などはやめるべきだ!!

提灯で天皇皇后両陛下を歓迎・広島【ロングバージョン】


天皇家の戦争責任は?



 







 




 

 


提灯行列は1937年12月の南京陥落を思い出す!!やめてもらいたい!!写真は軍都広島の写真 提灯行列後に南京で起こったことは?




西田氏、再び持論 雑誌寄稿で「事実」と主張 ひめゆり発言 訂正せず 沖縄の現状「修正が責務」

えん罪被害者の名前間違える 警視庁・東京地検幹部が謝罪も… 大川原化工機えん罪事件

“空襲被害者救済の法案 早期成立を” 被害者や支援者訴え

 

今の保守政党は、731部隊の究明を全くしようとしない!!

大日本帝国陸軍生物戦部隊の名簿公開(ジャパンタイムズ



国立公文書館は、旧大日本帝国陸軍が中国に駐屯していた生物戦部隊の隊員の氏名を研究者に公開しました。
研究者たちは、名簿の公開により、中国で生物兵器の開発と人体実験に関与した731部隊だけが広く知られているそのような部隊を取り巻く謎が明らかになることを望んでいます。
 
リストには、中国東部の南京に拠点を置く第1644部隊と、中国南部の広州に拠点を置く第8604部隊のメンバーの名前が含まれています。国立公文書館によると、2つのユニットのリストは2024年度に保健省から移管され、3月に終了しました。
 
滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授は、この春、リストへのアクセスを申請した。
 
1945年に編纂されたこのリストには、部隊メンバーの名前、登録住所、軍の階級、自宅に関する情報が含まれています。1644部隊には約2,000人が名を連ねており、8604部隊には約850人の名前が名を連ねている。どちらのリストにも、2つのユニットのすべてのメンバーの名前が含まれていると考えられています。
 
731部隊は、ハルビン郊外の当時の満州、現在の中国東北部に拠点を置いていました。そこには日本が傀儡国家を持っていました。ペスト菌を使った生物兵器の研究を行っていたといわれています。
 
Unit 1644のリストには、Unit 731から異動したメンバーの名前が含まれていることが判明しました。
 
「これは、実際の状況を完全に理解するための新たな一歩かもしれません」と、83歳の西山氏は開示について語った。

 

報道: 初公開の中支那及び南支那の防疫給水部の『留守名簿』

朝日新聞(2025/5/14): 「謎の細菌戦部731部隊とつながる謎の細菌戦部隊 名簿が初公開、実態解明に期待隊」

朝日新聞(2025/5/14): 「謎の細菌戦部隊」にいた父は何をしたのか 足跡を追った息子の執念

北海道新聞(2025/5/14): 旧日本軍の細菌戦「組織全容解明へ」 731部隊関連部隊、2850人の名簿公開

赤旗(2025/5/14): 細菌戦731部隊 留守名簿公開

信濃毎日新聞(2025/5/15): 南京拠点に細菌兵器を開発した陸軍の部隊 所属隊員の名簿見つかる 長野県出身者名も複数

時事通信(2025/5/21): 旧軍細菌戦部隊の名簿公開=研究者、実態解明に期待―国立公文書館

ジャパンタイムズName lists of former Imperial Japanese Army biowarfare units released

京都新聞(2025/5/22): 旧日本軍「細菌戦部隊」新たな名簿発見 滋賀医科大学の研究者に公開、実態解明の糸口に

 

戦後80年目の夏、在日朝鮮人2世パク・スナム監督(90歳)
新作ドキュメンタリー『よみがえる声』を全国の劇場で公開したい!!

12月13日(土)~19日(金)横浜シネマリンパクスナム全5作品特集上映
12月19日(金)~31日(水)「よみがえる声」厚木のえいがかんkikiにて上映


 

 
ハンセン病患者として施設に収容され、強制的に「虹波」を接種されて死んだ人は、何人いるのだろうか?国は調べる意思があるのだろうか?
「虹波」は731部隊支部ハイラルで人体実験を行い、その後、ハンセン病療養所、熊本の菊池恵楓園だけではなく香川の大島青松園でも人体実験が行われていた!!

旧満州でも「虹波」の治験か 旧陸軍が開発し高松市のハンセン病療養所などで”人体実験”の歴史【香川】


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
きちんと全部情報開示せよ!!廃棄したなら、再調査せよ!!

日本軍の毒ガス展

日本軍の毒ガス展



「日本軍の毒ガス展」の感想
5月5日(月)
6、講演が聞きたくて来ました。パネルの内容も分かり易かったですが、お話を聞くとイメージもわいてくるのでとても良かったです。毒ガスが人道的に解釈されて研究されてきた。研究員の性(さが)・・・トコトン研究したい。どんな使い方に関係なく・・・と倫理との葛藤が無いのか。様々な戦時下でのことを知るたびに疑問に思ってます。侵略し、占領した国民を差別し、人間としてみない。これも差別として永遠の課題です。5月の連休に考えさせられることが多く、有意義に過ごせました。担当の方々にお礼を言いたい。
 (70代、チラシ、友人、川村講演)
 
黒井講演の感想
19、質問もさせて頂きましたけれど、私は幼少期からの長年のイジメ被害や親からの虐待等で対人関係のトラブルや社会的差別、拒絶等に苦しみ、現在も16年近く精神科や内科に通院しています。
 戦争体験だけではない身近な事案由来でトラウマやPTSDに苦しみ、精神障害に苦しみ、結果的に友達もなく、結婚もできず、父は(とんでもない独裁主義者だったが)ガンで死去、母は2年近く前に蒸発。もうどこにも相談や話せる先がなくなった。言うだけで言わせておいて同情されたり、他人と比較されたり、言い訳並べても逃げられたり、もう自殺するか犯罪者になるしかなくなった。私の存在なんて世界中からどうでもいい存在に見られている気がしてならない。先ほどの出した質問に対する回答が前例にない話なのか回答になっていない。イジメ被害や親からの虐待からのトラウマ障害の中年男性が、結婚したり、友達いたらいけないのかも知れないけれど、あんまりじゃないか!
 何で俺だけが、何で自分ばかりが?いう苦痛が今もよぎってならない 。
(50代、東京都日野市、WEB)
 
 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の団体が中国における日本軍の犯罪を明らかにする展覧会を開催。
著:邢晓婧 徐可越
 
中国における日本軍のガス戦争の犯罪を暴露する展示会が最近、日本の横浜で開催された。
12日、「日本のガス戦争展横浜実行委員会」の五井信治委員長は環球時報記者のインタビューに応じ、日本政府は人民の戦争記憶を消し去ろうとしていると述べた。五井氏がメンバーである市民団体は、長年にわたり侵略日本軍のガス戦争に関する多くの情報を収集し、展覧会を通じて公開してきた。この展示会を通じて、これらの「眠っていた歴史資料」を公開する。日本侵略軍が中国で犯した犯罪についてより多くの人々に知ってもらい、日本政府に歴史を直視するよう促すことを望んでいる。
五井信治氏はグローバル・タイムズ記者に対し、この展覧会の当初の目的について、日本は1925年に「戦争における窒息性ガス、毒ガスその他のガス及び細菌兵器の使用禁止に関する議定書」(すなわち「ジュネーブ議定書」)に調印したが、それでも戦時中は毒ガス兵器の製造と使用に奔走したと語った。
中国での日本軍に対するガス戦の展覧会の宣伝ポスターには、こんな一文がある。
:今年は戦後80周年である。今一度振り返るべきではないだろうか。日本が中国で実際に何をしたのか?
この点について五井信治氏は、日本は中国だけでなくアジア諸国を侵略し、非常に重大な罪を犯したと述べている。
日本政府は、国民の心から戦争の記憶を少しずつ消そうとしている。しかし、これらの歴史的事実は、今日の日本の教科書で少し触れられているか、まったく触れられていない。
日本政府は、少しずつ国民の戦争記憶を消そうとしている。
同氏は、日本の市民団体のメンバーとして、このような展覧会を通じて、より多くの人々が日本の侵略軍が中国で犯した罪を理解し、戦争によってもたらされた苦しみを深く反省し、日本の政府が歴史を直視し、同じ過ちを繰り返さないよう強く求めることを願っていると述べた。この歴史をより深く理解してもらうため、展覧会では、レクチャー・プログラムも用意されている。
五井信治氏によると、来場者のほとんどが、展覧会を通して、日本の教科書ではほとんど触れられていない、あるいは全く触れられていない内容を知り、日本が戦争中に犯した罪に気づき、展覧会を非常に実りある有意義なものと感じたという。
近年、日本は「軍備拡大」を意図して、防衛予算を大幅に増やしている。「日本の軍備増強に反対します」と五井信治氏は述べた。五井信治氏は「日本は現行日本国憲法第9条(日本は永久に戦争武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する。)を守るべきだと思います。戦争中に犯した罪について謝罪すべきです。」 と述べた






毒ガス年表

1894年 日清戦争

1904年 日露戦争 

1907年  「ハーグ条約」(毒ガス使用禁止

1914年~18年  第1次世界大戦(毒ガス大量使用100万人死傷)

1918年  シベリア出兵 大量の防毒マスクと毒ガスをシベリアへに送る、陸軍省に臨時毒ガス調査委員会を設置

1919年  陸軍科学研究所設立  化学戦の研究に着手

1925年 「ジュネーブ毒ガス議定書」調印 (毒ガス・細菌兵器の戦争使用禁止)、

    宇垣軍縮 軍備近代化のための毒ガス兵器の促進 

1929年 大久野島にて毒ガスの生産開始 

1930年 台湾湾霧社事件霧社事件弾圧に日本軍初めて毒ガス使用

1931年 満州事変 

1933年 陸軍習志野学校創設(毒ガス戦訓練開始)、関東軍防疫班創設(731部隊の前身)

1935年~36年  イタリア軍エチオピア侵略で毒ガス攻撃

1936年 2.26事件 陸軍毒ガス準備

1937年 日中全面戦争を開始大本営陸軍部催涙ガスの使用許可

1938年 731部隊ハルピンに細菌工場を建設  大本営陸軍部 くしゃみ性毒ガスの使用許可 

1939年 同大本営陸軍部致死性毒ガスの使用許可、関東軍化学部チチハルに創設、曽根兵器製造所(毒ガス弾の充填)創設 

1941年 アジア太平洋戦争開始 

1943年 相模海軍工廠(寒川)にて毒ガスの生産開始 

1944年 大本営陸軍部毒ガスの使用中止命令

1945年 日本敗戦 中国全土及び日本各地で日本軍の毒ガス大量投棄  

1946年 極東国際軍事裁判 日本軍の毒ガス。細菌戦は不起訴 

1950年~53年朝鮮戦争
1954年7月1日 防衛庁自衛隊発足(戦時中の反省なきまま、旧軍関係者入隊)

1954年(昭和29)大蔵省から「ガス障害者救済のための特別措置要綱」が通達された。なぜ「毒ガス」と明記せず、「傷害者」が「障害者」なのか不審を抱く人もいた。政府は特別措置によって毒ガス問題に蓋をし国家責任を回避したのである。しかし、旧陸軍共済組合加入の旧従業員の道はついたが、大久野島で働いた動員学徒や勤労奉仕隊、女子挺身隊、などは救済されず取り残された。    

1964年 自衛隊化学学校サリンの合成に成功 

1965年 ベトナム戦争本格化(アメリカ軍枯葉作戦)

1969年 沖縄米軍知花弾薬貯蔵所で毒ガス漏洩事件 

1970年 日本国会「ジュネーブ毒ガス議定書」批准

1972年 「生物・毒素兵器の禁止条約」調印、日中国交回復 

1974年 中国黒竜江省ジャムス市、旧日本軍の毒ガス弾で35名重軽傷 

1980年~88年 イラン・イラク戦争イラク軍毒ガス使用)

1984年 旧日本軍の毒ガス戦関係公式文書相次ぎ発掘 

1990年 国連軍縮会議で中国代表、日本に対し遺棄毒ガス兵器の廃棄処理を要求 

1993年 「化学兵器禁止条約」締結 (他国に遺棄した化学兵器の廃棄義務も明記)

1995年 東京地下鉄サリン事件、日本政府調査団、中国各地で日本軍の遺棄毒ガス兵器の確認、日本国会「化学兵器禁止条約」批准

1997年4月29日 「化学兵器禁止条約」発効、日本政府、中国の遺棄化学兵器の処理を開始

2018年7月6日 オウム真理教の死刑囚全員死刑執行(自衛隊とオウムの繋がりは解明されず 信者の中には自衛隊員が複数いた)

2025年3月19日 東京地裁判決 自衛隊「化学学校記事」の開示を却下(化学学校の実態を隠し続けている) 

 

2025年現在 遺棄化学兵器の処理事業は終わっていない

 

1931年~45年の間、中国では2091回の日本軍の毒ガス使用が確認され、9万4000人の死傷者を出したと中国資料は伝えている

1945年以降、中国の遺棄毒ガスによる被害者は2000人以上と推定されている

 

 

 



 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 





























 
    

北坦村の毒ガス被害
 記念碑に刻まれた弔文
 1942年「5・27」は1000を越える英雄たちの血が塗り込まれた1日だった 「5・27」それは偉大な民族解放戦争が敵と相対峙した最中の最も過酷な悲惨な1日だった。群をなして人を襲った野獣―日本侵略者とその走狗は冀中の長期的統治を狙い、華北を統治し、トーチカを構築し、民衆に向かって血も凍る虐殺を展開した。定県の民族的愛国者―優秀な中国共産党員と、勇敢なる戦闘指導者、民兵、農民はまさにこの日、民族の不滅をかけて、獣どもと―日本鬼子と頑強に戦い、栄光的な死を遂げた。
 私たちは「5・27」の惨状を永遠に忘れない。多くの乳飲み子が母とともに虐殺された。烈士の鮮血で赤く染められた 黄土には、800の死者が横たわり、北坦の道々は埋まった。子らは親を求め、父母は子を探し、止めどもない涙でどの目を真っ赤になった。恨みと傷心の日―「5・27」誰がこの日を忘れられようか
 親愛なる死者たちよ、あなたたちは、民族の自由と解放のために、日本侵略者による壊滅的な「蚕食掃蕩」を粉砕するため、私たちの故郷を守るため、勇敢にも武器を持って立ち上がった。―手製の銃、手製の砲、手榴弾、地雷で百倍も勝る機関銃、大砲、戦車、毒ガス・・・を持つ敵と相対し、郊外で、屋上で、街路で、地道で戦った。銃弾の中、毒ガスが蔓延する中、1日と休まず激しく頑強に抵抗し、幾度となく敵の猛襲を撃退し、多くの敵軍と裏切り者を撃退、冀中の輝しい戦いとして名を轟かせた。もはやあなたたちは私たちと離別したが、あなたたちの精神は永遠に伝わり、あなたたちの名は永遠に残る。
 不朽なる英雄たち、あなたたちの流した血は決して無駄ではなかった。あなたたちの血と生命は、ついに抗日戦争に最後の勝利をもたらし、私たちは勝利であなたたちを埋葬することができた。烈士の皆さん、永久の安息を迎えてください!私たちは必ずあなた方の血の跡を踏みしめ、あなた方が成し遂げられなかった事業を引き継ぎ、独立と自由、民主、統一、富強なる新中国をあなた方英霊に呈します。私たちは永久にあなた方を忘れぬよう、特にここ沙河南岸の根拠地―北坦に記念堂を築き、千古にわたり追悼します。
 
「5・27」殉難烈士長存!
中華民族解放万歳!
殉難烈士万歳!
                       中華民国35年(1947年)孟夏中浣建立


戦後の日本軍の遺棄毒ガス弾の被害者
*なぜ、日本政府は、毒ガス被害者の救援に当たらない??なぜ民間基金??
 
 

 

特定非営利活動法人 日中未来平和基金とは
 旧日本軍が中国各地に遺棄した毒ガス弾などにより、今なお中国国内において重篤な健康被害によって苦しんでいる被害者の医療支援を進めるために、日中両国の民間団体が協力して設立された基金です。
 私たちは、日本の市民と中国の市民、日本の医師と中国の医師との協働によって、遺棄化学兵器被害者への医療支援や精神的サポート活動などを行っていきます。
■組織概要
 名 称
特定非営利活動法人 化学兵器被害者支援日中未来平和基金
英語名
The Japan-China Cooperative Fund for Victims of Chemical Weapons
設立年月日
2016 年 10 月 20 日
事業年度
毎年 4 年 1 日から翌年 3 年 31 日
渡邉 知行
■事務局
住 所
〒 160-0022
東京都新宿区新宿1-6-5シガラキビル9階
URL
 
化学兵器被害者支援日中未来平和基金
設立趣旨書
 
◆遺棄化学兵器(毒ガス)被害問題とは
​ 中国の大地には、いまなお、旧日本軍が遺棄した数多くの化学兵器がねむっています。
  先の大戦において、旧日本軍は、国際法上その使用が禁止されていた化学兵器を中国に大量に持ち込んだ上、戦場に配備し、使用しました。
それら大量の化学兵器は、日本敗戦前後の時期に、地面に埋められたり河川に投棄されるなどして、組織的に遺棄されました。これが、中国国内に、大量の遺棄化学兵器が存在することとなった所以です。遺棄された大量の化学兵器は、戦後、化学兵器であることを知らずに触れるなどした数多くの中国の人々に、計り知れない被害を与えてきました。化学兵器被害は、皮膚のびらんをはじめ、呼吸器・内臓・神経など全身に症状が及びます。たとえ一命を取り留めても、時を経て疾患の進行や遅発性の症状が現れ、その結果、被害者たちは、健康被害のみならず、働けずに困窮生活に苦しみ、あるいは就学できずに将来の夢を失うといった、全人生にわたる被害を受けています。
◆これまでの活動の経緯
​「失われた命や健康はもとに戻せない、でも、せめて安心して医療を受けられるように、生活の支援をしてほしい」・・私たちはそんな被害者たちの願いを受けて、1996年以降、日本政府を被告として、複数の訴訟に取り組んできました。訴訟の目的は、司法の場で日本政府の法的責任を明らかにし、日本政府に、被害者たちの医療支援・生活支援のための制度をつくることを促すことにありました。
  そして、化学兵器にばく露して発症している疾患を早期に発見し、その被害を解明するため、私たちは、日本の医師らの協力を得つつ、中国の医療機関を利用しての日中合同検診を、複数回実施してきました。
  しかしながら、私たちは、このような活動に取り組む一方で、被害者たちの健康状態や生活実態が、時を重ねるに従って悪化している現実を目の当たりにしてきました。
  被害者たちは、生活苦のため適切な治療を受けることができません。癌などの病気を発病しながら十分な治療を受けられずに命を落とす被害者たちは後を絶ちません。
  そのような被害者たちに、今までの検診活動にとどまらず、一刻も早く、具体的な医療支援・生活支援を行うことが必要です。
◆私たちが行うこと
 中国では、2015年8月14日、中国人権発展基金会という民間の基金と日本の民間団体とが協力し、すでに遺棄化学兵器被害者に医療支援を行う旧日本軍細菌化学兵器被害者救済基金が設立されています。
 私たちは、この基金と協力し、日本の市民と中国の市民、日本の医師と中国の医師との協働によって、遺棄化学兵器被害者の救済のため、以下の活動を行っていきます。
1.遺棄化学兵器被害者への医療支援
 これまでの検診活動の知見を踏まえて、中国の医師と日本の医師が協働して被害者を治療し、被害者の症状を和らげる医療支援活動を行います。また、被害者が常時服用している薬の費用を、中国の旧日本軍細菌化学兵器被害者救済基金を通じて援助します。
2.日中双方の市民による遺棄化学兵器被害者への精神的な支援
​社会的に孤立した被害者たちに、日中双方の市民との交流の場を作り、「私は一人じゃない」という思いを持ってもらえるよう、精神的な支援を行います。
3.広報活動
​旧日本軍の遺棄化学兵器による被害について、実態を市民に広く知らせるため、講演などの広報活動を行っていきます。
4.遺棄毒ガス兵器被害者の研究支援及び被害者支援のための政策提言
 いまだ全体像が把握されていない化学兵器による身体的被害の全体像を解明するための医学研究を支援していきます。また、事業を通じて、遺棄化学兵器被害者に対してどのような支援が必要かを見いだし、遺棄化学兵器被害者支援のための政策を提案していきます。
 私たちの活動が社会的に広く信頼されるように、また、志を同じくする人々に開かれた団体として認知してもらえるように、さらには、法人格を持つ団体として上記に掲げた各種事業を行うことができるように、この度私たちは、特定非営利活動法人NPO)を設立することとしました。私たちは、NPO法人化を機に、ますます充実した活動を継続的に行っていきます。
◆日中間の民間交流
 私たちは、日中の医師と市民が協力し合って日中の遺棄毒ガス被害者を支援し、日中の市民が直接交流することにより、双方が信頼し合い、日中関係がさらに良くなることを目指しています。
 
以上
2016年3月2日
設立代表者   南 典男
 
 
遺棄毒ガスによる被害
被害の症状
 これらの遺棄毒ガス兵器の存在は明るみに出ることがないまま、戦後、化学兵器であることを知らずに触れたり、晒されたりした多くの中国と日本の人々に甚大な被害を与え続けています。化学兵器による被害は、皮膚の糜爛(びらん)をはじめ、呼吸器・消化器・神経など全身に症状が及びます。
 呼吸器障害などの症状は、時間の経過とともに悪化していること、さらに後発的な健康被害として、発ガンのリスクも高くなることが指摘されています。そして、毒ガス被害者が最も苦しんでいる症状の一つに高次脳機能障害や自律神経障害などの神経障害があります。いつも体がとてもだるい、力が入らないなどの症状で働けなくなったり、学業を続けられないほどに至っています。しかし、こうした症状は外見からは分かりにくいため、怠けているなどと誤解され、孤立してしまうケースが多くみられます。
 たとえ一命を取り留めても、被害者たちは、こうした健康被害のみならず、友人や家族を失ったり、働けずに困窮生活を強いられたり、あるいは就学できずに将来の夢を失うといった、全人生にわたる被害を受けています。戦争の被害は、実は今も現在進行形として起こっているのです。
 
被害者の苦しみ
丁樹文さん / Ding Shu Wen
事故当時24歳。
202003年8月4日朝、チチハル団地の工事現場から5つのドラム缶が掘り起こされました。ひとつは腐食していて、ひとつは壊れて液体がもれていました。工事現場からドラム缶が出たと連絡を受けた丁さんは、工事現場に赴き、この5つのドラム缶を廃品回収業者に売るために、ドラム缶を手でかかえて運びました。マスタードの臭いがしましたが、廃棄油かと思っていました。実はこれが、マスタードガスの入ったドラム缶だったのです。丁さんは、廃品回収業者であった李さんと出くわして、李さんに200元でこのドラム缶を売りました。李さんの三輪車にドラム缶を移しました。李さんは濡れたドラム缶を素手で触って濡れ、その手でお札も数えたので、丁さんが受け取ったお札も湿っていて、丁さんはそれをズボンのポケットにしまったので、太腿にも液が付きました。
ししかしお昼になると目の痛みや液がついた皮膚に紅発疹がいくつも現れ、みるみるうちに大きな水泡になりました。あまりの痛さに病院に行くと、医者は、感染症を防ぐために大きな水疱をハサミで切り開いて、たまった水を出しました。あまりの痛さに死んだ方がまし、と思うほどでした。その後、太腿の皮膚移植手術も受けましたが、大きな傷跡が残ってしまいました。あのドラム缶を受け取った李さんは、事故から17日後に亡くなりました。
3ケ月入院し、退院して妻子の下に帰ると、我が子はハイハイができるようになっていました。子どももの成長が唯一の救いでした。退院後も早く仕事につきたいと就職活動をしました。建築会社、ダンボールの会社などで働こうとしましたが、できませんでした。以前より注意力が散漫になり、記憶力も衰え、体力もなくなっていました。光の刺激に過敏になり、傷口も痛むなど仕事になりませんでした。仕事ができないとわかった時のつらさはなんともいえません。自分は役に立たない人間になったのか、と思ったり、家族の期待にも応えられない、というのはとてもつらいことでした。
 
牛海英さん / Niu Hai Ying       
事故当時26歳。
 当時、牛さんはチチハル市内の廃品回収業を経営していました。当時、夫と子どももいました。
2003年8月4日朝、市内の工事現場から出土したドラム缶が廃品回収所に持ち込まれました。ドラム缶を解体し、鉄として売ることになり、ドラム缶の解体作業が始まりました。中からカラシの匂いのする液体が出てきました。毒ガスだとは知りませんでした。作業所中にものすごい臭いが充満し、吐き気を催す程でした。
昼過ぎになり、作業をしていた従業員の李さんが早退し、病院に行きました。夕方になって、李さんの奥さんがやってきて「あなたも病院に行った方がよい」とすすめられ、病院に行きました。顔中に黒い斑点がいっぱいで、両足、股間、太ももにも腫れが出ていました。
1ヶ月たっても、腹のところで感染されたところがまだ腐っていて、完全に感染されたところを切り取ってしまう手術をしました。3ヶ月治療を受けて、やっと直って退院しました。でも、治癒して退院したのではありません。治療のしかたがなかったのです。
退院後も、近隣の人々も伝染の恐れがあると言われたり、軽蔑されたりしました。
 現在も体の不調は続きます。
 
李臣さん / Li Chen      
事故当時29歳

当時、李臣さんは、黒竜江省ジャムス市で黒竜江省航道局の職員として働いていました。
1974年10月20日真夜中の午前2時ごろ、松花江で浚渫作業をしていました。ジャムス市記念塔から200m上流の地点で吸泥ポンプがカンカンという音がして、メインエンジンが異常停止しました。船の上で機械管理をしていた李臣さんたちが修理にかけつけ、手動リフトでポンプのふたをあけると、ホンプの中から水があふれ出ました。その水は黒色でマスタードのような臭いがしました。李臣さんはこの黒い水につかってリフトのチェーンを手でつかんでふたをあけたため、体全体に黒色の液体をあびてしまいしまた。さらに李臣さんは黒い水が充満したポンプ内に手をいれ、中から金属製の物体をとりだしました。それは直径10cm、長さ5 0cmの砲弾でした。砲弾はさびついていて、頭部がつぶれて中から黒い液体が流れ出していました。この液体は23日に防疫センターの検査でイペリットとルイサイトの混合液であることがわかりました。日本軍の遺棄した毒ガス弾だったのです。紅旗09号事件です。
午前3時ごろから、めまい・吐き気・頭痛・呼吸困難・口の渇き・流涙などの症状がでてきました。黄色い液体を嘔吐し、手がかゆくなって、体の力がぬけてしまいました。ジャムス市の病院で手当をうけましたが病名はわかりませんでした。21日にはハルビン医科大学の病院に入院しました。入院時に両手の水疱はぶどうの房のようにはれあがり、頭の上にも鳥の巣のような水疱ができました。24日に瀋陽の病院に転院し、マスタードガス中毒症と診断されました。治療はびらんした部分 をきりとって消毒するという方法でとられました。しかし、皮膚がただれると指と指の間に水かき状の膜ができ癒着するようになりました。何年も入退院をくりかえし治療を受けました。その後1997年になって、ハルビン市障害者連合会から肢体障害3級という認定を受けました。働いていた黒竜江省航道局は休職扱いで基本給だけになり、1999年定年前に早期退職をしました。
1997年、他の遺棄毒ガス被害者とともに日本政府を相手に裁判を始めました。何度も原告として訪日し、証言しました。この裁判は2003年東京地裁で李臣さんたちの訴えが実り、日本政府に賠償命令がでる勝訴判決を勝ち取りました。しかし、日本政府は控訴し、高裁では逆転敗訴となってしまいました。李臣さんはその後も体調が回復せず、2020年3月、お亡くなりになりました。
 
被害者との歩み
 私たちは、中国黒竜江省ハルビンで6回にわたり、集団検診を行ってきました。(2016年9月現在)これらの検診活動を通じて、先に述べたような症状を明らかにしてきました。そして、近年では日本の医師らと中国の医師が協力し合い、日中合同検診を徐々に実現してきています。
 その一方で、被害者たちは、生活苦のため適切な治療を受けることができていません。ガンなどの病気を発病しながら十分な治療を受けられずに命を落とす被害者もいます。検診では限界があります。被害者たちが少しでも健康・生活を取り戻せるような実質的な医療支援、生活支援が必要不可欠です。
 一日も早く、被害者たちが全うな医療を受けることができるよう、NPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金の設立に至りました。


 

 

 

 

 

日本でも毒ガスを、海・湖・川などに棄ててきた!!

大丈夫なのだろうか?

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花博(2027年)は大丈夫か??

2027年国際園芸博覧会は、2027年に神奈川県横浜市瀬谷区と旭区に広がる上瀬谷通信施設跡地を主会場に開催予定の国際園芸博覧会

 

 相模鉄道瀬谷駅の北側に「海軍道路」という名の桜並木があります。この一帯は2015年まで米海軍の支援施設・通信基地でしたが、今は返還され2027年の国際園芸博覧会(花博)の予定地 です。

 ここは戦時中、帝国海軍の厚木航空隊などへの補給基地・弾薬庫でした。今は広大な草地ですが、北側には大きな水槽跡、円筒型燃料タンクを載せる台座跡。南東側には「特薬庫」と呼ばれた覆土式倉庫は現存しています。この特薬庫は毒ガス弾保管庫でした。その近くに漏洩した毒ガスを放出するための換気塔の基礎構造物があります。・・・・

 

 

日米軍事同盟反対!!

自衛隊「統合作戦司令部」発足 陸海空自衛隊を一元的に指揮

日本政府は、なぜ歴史的事実ときちんと向き合わない??

 4月22日防衛省戦史資料室に元731部隊の池田苗夫の書いた「きい弾射撃による皮膚傷害・・・・」を閲覧しに行った。現物はあったが、写真を撮ろうとすると、この資料は業者じゃないと写真が撮れないという(つまり有料)、又肝心な袋とじの部分は公開しないとのことであった。この国は、731部隊の大事な資料もまともに公開できない後ろ向きな国だと思った。
 石破首相は、「(略)その手立てと言うものが歴史の経過とともに失われた。・・・わが政府はそのような不誠実な政府ではございません。」と強弁しているが、手立てがあるのにそれを隠し続けている「不誠実な政府」なのである!!

井本日誌は、公文書(業務日誌)であって、私文書ではない!!

井本日誌は1993年まで公開されていたのに、なぜその後、非公開になったのか?プライベートのものだからと言うが、そのような理由はおかしい!!

私的なものではない!!

井本日誌には、きちんと常徳の細菌戦の様子などが書かれている!!

戦史叢書には、井本日誌からの引用が多数あるが、井本日誌にある細菌戦の記述は全くないのはなぜか?

「井本熊男業務日誌」をめぐって

731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及

(山添議員のフェイスブックより)
予算委員会で旧日本軍731部隊について質問しました。
政府は戦後一貫して、「具体的な活動を示す資料がない」と言い張ってきましたが、今回防衛省防衛研究所に人体実験の記録があることを明らかにしました。
「き弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察」と題する資料は、イペリットという致死性のガスを人に向けて発射したり水溶液を飲ませたりし、その後の症状の経過を観察したもの。1984年に毎日新聞がスクープしたのと同じ内容ですが、政府が保管していたという点が新しい。
作成者は当時731部隊にいたことがわかっています。本人が寄贈したものであり、受け入れた際の「所見」には「人を使用して行った試験の成績であり、得がたい貴重なもの」とまで書かれています。人体実験の記録であることは一目瞭然ですが、答弁に立った防衛大臣は公文書であることを認めながら「客観的な事実を確認できない」と逃げの姿勢。どこまでも事実を認めようとしません。
政府に寄贈されたのは1964年。防衛研究所が文書を公開したのは2004年であることを初めて明かしました。40年にわたり隠してきたことになります。そしてその間国会では、「資料がない」とウソを言い続けてきたことになります。そうして長らく隠ぺいした挙げ句に、「古い話で確認できない」ーーあまりに不誠実です。
隠ぺいし、ウソをついてきたと指摘すると、ムキになった石破首相が「わが国はそんな国ではない」と強弁。
私たちの国の拭いがたい過ちです。戦後80年、これ以上目を背け続けるべきではありません。

真摯に検証し、事実を認めよ。

【731部隊】新資料で追及‼国会質問 徹底検証


 
731部隊員であった軍医少佐池田苗夫の毒ガス実験の資料は明らかに731部隊の人体実験を示す資料ではないか!!
日本は、戦場でのびらん性毒ガスの使用を公式に認めていない??731部隊でやっていたことは、国家犯罪だ!!



極秘
 きい弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察
                       加茂部隊 池田少佐担当
 
第2章  症例
第3地域陣地内
303号 特種構築物(銃眼開口、扉閉鎖)内 無装面
10日23時頭痛、皮膚は著変なし、鼻汁、頸内掻破感、咳嗽、悪心、嘔吐3回を訴ふ
11日7時食思不振、体温37度皮膚は顔面、頸部の掻痒、左耳後部両膝蓋陰嚢発赤潮紅あり、眼は羞明、疼痛流涙多量眼瞼浮腫鼻汁頸内掻破感咳嗽多量咽頭発赤悪心嘔吐5回を訴ふ
11日17時眩暈、不機嫌、全身倦怠あり、顔面瀰漫性殊に口周囲、頸、腋窩、肘、陰嚢、亀頭、臀部に亘り発赤潮紅あり、顔面頸には掻痒著明、眼、背、項、鼻汁道、陰嚢、口周囲に粟粒大の小水疱散在し刺様性疼痛を訴ふ、眼は羞明、疼痛、流涙多量、眼瞼浮腫、角膜溷濁を呈す、鼻汁、嗄声、頸内掻破感咳嗽を訴ふ、扁桃腺は発赤腫脹し前胸部呼吸音粗、背面は左上部濁音を呈す
 
12日19時食思不振体温38度口周囲、鼻翼、頭部、毛髪生へ際に小豆大水泡あり、疼痛著明、頭部膿疱化せる湿疹を見疼痛あり陰嚢疼痛著明眼は羞明疼痛流涙多量眼瞼浮腫結膜充血し鼻汁、咳嗽、咽頭発赤あり
 

Ⅳ 毒ガスの生産

1 陸海軍・民間工場での毒ガスの生産 

忠海製造所での生産 

 陸軍兵器行政本部造兵課の資料によれば、1942年1月現在の忠海製造所の月産能力は、イペリット・ルイサイト(きい剤)250トン、ジフェニールシアンアルシン(あか1号)75トン(3月に80トン)、青酸(ちゃ1号)75トンだった。きい剤生産能力の内訳(1944年3月現在)は、きい1号(イペリット)甲乙丙が月産各50トン、きい2号(ルイサイト)が100 トンだった。1944年3月、青酸の生産能力の15トン分は曽根 製造所に移されている。

 生産実績を見ると、占領期にアメリカ軍が作成した「標的番号85、東京第2陸軍造兵廠忠海製造所」という文書によれば、表3のように陸軍が国内で製造した毒ガスの総量は 6616トンになる。 

発足当時の自衛隊は、旧軍とは全く別の組織ではなく、旧軍関係者が多数入隊し、戦時中と同じように戦争の反省もなく、発足した。核戦争、生物戦、化学戦を想定、訓練し、兵器の研究、開発、一部は製造をしている。




 
国際法違反の、細菌戦や毒ガス戦のことをいつまでも隠していていいのだろうか?
この国家のやばい事実!!

(西山勝夫さんのメールより)
中谷元防衛相が「自衛隊は昭和29年に創設され、旧軍とはまったく違うものだ」として、断絶していると強調したのに対し、山添氏は、731部隊所属の池田苗夫氏が1964年に寄贈した、毒ガスを使った人体実験記録について、防衛省防衛研究所に保管され、2004年の公開まで40年も秘匿されていたと指摘。その裏には、防衛研究所が1983年に作成した「公文書の公開審査実施計画」があると指摘しました。
 同実施計画には「第731防疫給水部関係人事資料」と「細菌兵器に関するもの。(ア)実験についての報告・記録(イ)使用の疑いを抱かせるもの」が特別に示され、審査に回すことを指す「摘出」と書かれています。
 山添氏は「731部隊をはじめ、毒ガスの使用や細菌兵器の実験、使用に関する資料が当時防衛研にあったということだ」と強調。防衛省の大和太郎防衛政策局長は「審査をする121人の戦史部所員は全員旧軍関係者だ」と認めました。
 山添氏は「旧日本軍と断絶どころか、連続しているからこそ、人体実験などの隠蔽の基準までつくった。」と述べました。
 
 
 
多摩霊園にある731部隊員が造った『精魂塔』、731部隊の犠牲者にすまないと思わないのか??2025年6月12日撮影
 
戦後、元731部隊が、年1回あつまり、中国での細菌戦の研究に精魂を尽くしたことにたたえ合っていた?ミニ靖国!!


本庄繁(当時関東軍司令官)は、柳条湖事件は、関東軍の仕業とわかっていても、墓にはそう書かなかった!!
「排日の極」と偽っている!!
最後にある「国体の護持」は誰からか強制されたものか、本人が書いたものか?
天皇には、戦争責任があることは明らか!!

本庄繁の遺書
「多年軍の要職に奉仕致しながら御国をして 遂に今日の如き破局に近き未曾有の悲境を見るに立到らしめたる
仮令退役とは云へ何共恐懼の至りに耐へず罪万死に値す
満州事変は排日の極鉄道爆破に端を発し 関東軍として自衛上止むを得ざるに出でたるものにして 何等政府及び最高軍部の指示を受けたるものにあらず 全く当時の関東軍司令官たる予一個の責任なりとす
爰に責を負ひ世を辞するに当たり 謹て聖寿の万歳 国体の護持 御国の復興を衷心より念願し奉る
 
昭和二十年九月 本庄 繁」

2025年6月12日撮影
 
阿南惟幾の辞世の句(本庄繁の墓の近くにある)
「大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすへき 片言もなし」
なぜ、阿南は、天皇の戦争責任を問わない??
 
 
 
 
不当判決!!(3月19日、東京地裁判決)

自衛隊で実際にやっていることを隠蔽するな!!

自衛隊化学学校が作成した『化学学校記事』の情報公開を求めた裁判で、東京地裁は、原告の主張を無視して請求を却下した!!『化学学校記事』については、情報公開を求めて審査請求をしたが、3年以上経ってから「不存在」の返事が来る始末。この間、防衛省は何を画策したのだろうか?

 自衛隊化学学校では、1950年代から、毒ガス製造に関わり、1964年にサリンを合成しており、その後も毒ガスを作り続けている。

 その化学学校が作成した『化学学校記事』が1冊も自衛隊にないという事は考えられない!!何で、機関誌を敢えて隠すのだ!!
裁判所は、強く情報公開を迫るべきだった!!

 1925年に作成された毒ガスの実戦での使用を禁止するジュネーブ議定書に、日本は1970年になってやっと批准した。

その頃に作成された『化学学校記事16号』までの発行は自衛隊も認めている。16号は、原告側が持っていた。

 認めたという事は、持っていることではないのか?

裁判所は、国側に加担し、三権分立を自ら放棄している!!

裁判所は、憲法9条を積極的に評価して、防衛省の態度を糾弾すべき!!

 化学兵器禁止条約を日本は、1995年に批准しているが、OPCWの監視下、防護のためと称して、毒ガスを作り続けている。

 戦中、毒ガス兵器を使い、その反省もせずに、戦後も毒ガス兵器の開発に手を染めている防衛省を、司法は裁かなくて良いのか、疑問を強く感じる。

裁判所には憲法9条を改めて、確認してもらいたい。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

『化学学校記事』12号の掲載された知られざる細菌戦の記述(杉田記事)

1938年 華中 細菌大量使用、1939年 ノモンハン 細菌大量使用、1940年 重慶爆撃 ペスト菌 コレラ菌使用、1941年 湖南省 細菌作戦、1943年 華中 華北 細菌作戦

化学兵器禁止条約(日本は1995年に批准)、これもザル法か?

化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めている。また、1925年1月1日以降に他国領域内に同意なく遺棄した化学兵器についても廃棄処理を行うこととされており、遺棄国に処分に必要な費用や技術の提供を義務付けている。

*しかし、遺棄毒ガス弾の被害者に対しての補償などは明記していない!!(欠陥だ!!)

化学兵器禁止条約第2条9項の規定により、以下の目的については例外が認められている。

・工業、農業、研究、医療又は製薬の目的その他の平和的目的

・防護目的、すなわち毒性化学物質及び化学兵器に対する防護に直接関係する目的

化学兵器の使用に関連せず、かつ化学物質の毒性を戦争の方法として利用するものではない軍事的目的

 

 


悪法!!秘密保護法撤廃!!

秘密保護法によって隠された自衛隊の実態について踏み込んで取材できる環境づくりが絶対必要だ!!

地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え

地下鉄サリン事件被害者 “風化感じる”回答の8割以上 NHK調査


自衛隊合憲論反対!!

1995年3月20日地下鉄サリン事件発生

自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。

科捜研の結果が出る前から自衛隊は、サリンであることを知っていた。

オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、電話で情報のやり取りがあった。

戦後も日本は自衛隊で毒ガスが作っていて、化学兵器禁止条約を批准(1995年)してからも、防護のためとして自衛隊では毒ガスを作っている!!サリンVXガス等)

自衛隊とオウムの関係もはっきりさせず、早々とオウムの幹部を死刑にした当時の安倍政権と法務省にも問題あり!!

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


立民・有田氏「地下鉄サリンは防げたのでは」 警察庁「当時の判断でオウム捜索に至らず」

2つの機関誌の情報をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお寄せください。

自衛隊は、発足当初から、毒ガスの研究をしていた!!

警察はなぜ、オウムと自衛隊のつながりを調べない?
自衛隊サリン製造の情報がオウムに流れていた?
オウム信者の中に自衛隊員がいたではないか。

 

「地下鉄サリン事件」から30年 心身への影響 アンケート調査へ

自衛隊サリン週刊金曜日




オウム真理教と闘って

ー関東地区青年婦人研修会の講演からー

関東地区開拓営農推進委員会(会長=野口正次茨城県関連会長)の青年婦人研修会が4月26日、山梨県で開催された。

 今回は上九一色(かみくいっしき)村富士ヶ嶺地区でオウム真理教の無法と闘ってきた、元富士豊茂開拓農協組合長竹内精一氏の講演を聞き、参会者は大きな感銘を受けた。次に紹介するのは竹内氏の講演要旨である。

行政には再三、再四訴える。

 昨年(1994年?)の1月にオウムが第2上九に診療所を作るというので建築確認を申請した。私は航空写真を持って土木事務所へ行き、第2上九には診療所を作るスペースはないことを説明し、閲覧を求めると、審査中だから閲覧できないと断られた。その後3人で閲覧に行くと土木事務所では現在の建物は198㎡の平屋だから村への届け出だけでよいという。しかしそこにはすでに4階の建物が建っている、私が「あなた方は現地へ行って中へ入って見たのか」と聞くと、「オウムは今入られては困るといっている」との答えで、その後保健所でも3月14日に許可をした。1週間後に強制捜査が行われた。

 
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