今やっている大河ドラマ「べらぼう」の視聴率が悪いという記事を見た。これは私は時々見ているが何が主題なのかよくわからないドラマだなと思った。今風に考えれば出版人と権力者の戦いを描きたいのかとも思える。主人公の役者さんはなかなか色気もあり演技も上手いと思うしその他の出演者も個性的な人が多い、しかし個性的すぎてそちらに目がいってしまうということがある。渡辺謙さんとかベテラン俳優もたくさん出ていたがなんだかその重厚さが場違いのような気がした。蔦屋重三郎と言っても当初は知る人はあまりいなかっただろう。そういうあまり知られていない人を主人公にするのはいいことだけど知らない分筋を追うのに大変で途中でくたびれてしまうのではないかと思う。やはり大河はよく知っている人が主人公のほうが安心してみられる。紫式部を主人公とした「光る君を」をも主人公は有名だがその生涯とか時代とかはあまり知られて位二ので途中でついてこれない人も多かったのでは。両作とも視聴率は良くなかったが私は狙いとしては面白いと思ったので筋をもっと簡単にすればよかったのにと思った。
旧暦の12月14日は赤穂浪士が吉良邸にに討ち入って吉良上野介を討った日だ。毎年この頃になるとテレビで忠臣蔵のドラマとか映画の再放送をよくやっていたが最近はあまり見ないようだ聞いたところによるともう若い人は赤穂浪士とか忠臣蔵についてよく知らないようでテレビでやってもあまり見られなくなったようだ。私たちくらいの世代までは知っていて当たり前の話だったが今は知っていても関心のない人のほうが多いのだろう。いずれ忘れ去られる物語になるのかもしれない。水戸黄門も大岡越前も映画やテレビでは昔からおなじみだが再放送ばかりで新しいものはもう作られないのだろう。水戸黄門も大岡越前もいずれ忘れ去られることになるのか。忠臣蔵は江戸時代から続く庶民の共通の物語だと思っている。それがおそらく数年後には大半が知る事の無い話となっているだろう。今の日本人には共通の物語として語れるものが少ない。民族の共通の物語というものがないというのは寂しいだけでなく怖い。新しい忠臣蔵はもう作らなくてもいいがせめて過去のドラマとか映画をこれからもこの時期放送てもらいたい。
小学校、中学校、高校と私には友人と呼べる友人は一人もいなかった。親しくお互いの家に行ったり来たりすることもなくまた登下校一緒に帰ったりどこかへ一緒に遊びに行くこともなかった。教室内でさえ親しく口をきく同級生もいなかった。まったく学校でもクラスでも孤立していた。寂しいと思ったこちはなかったし逆にいじめられることもなかったしいじめに加担することもなかった。大学生になって3人くらい仲の良い友人ができた、それは卒業してからも関係は続き月に1回くらいは飲みに行ったり遊びに行ったりした。仕事をするようになって一番長く務めた職場では3人くらい友人と言っていいのかどうかわからないが職場でもよくしゃべり飲みに行ったりした、一人は相当年配の人だったが楽しかった、本当に親しいと言えるのは職場で親しくなったKという人だ。一番よくあちらこちらに遊びに行った。誰からも好かれる人間で私も大好きだった。私は他人にも言われたが性格に難があってあまり深い付き合いは出来ない人間だ。だからどれだけ親しくしても家に遊びに来ることは拒んだしその人の家に浅帯に行くのも嫌だった。今は全くそれらの人との交流は絶えてしまった。私から連絡を絶ったことのほうが多い。どれだけ仲良くしていてもやはり深く長く付き合いのは私には無理だ。どれだけ親しくしていても私には深い友情も愛情も他人と持つことはできない。寂しいとは思わない。今はそれでよかったと思っている。
去年から年賀状は出していない。今までは自分からは出さなかったが来た年賀状には返事を出していたが去年は返事も出さなかった。年賀状は昔から私はそれほど熱心ではなかった。自分から出すこともなく来た年賀状に返事を出すだけなのは小学生の頃からだった。自然に年賀状は来なくなる。中学生になっても同じで3年目には誰もくれなくなる。今家に来る年賀状はすべて企業や業者からである、しかしこれもこれからは来なくなるらしい。小中学生の頃はさすが年賀状が来ないと寂しく思ったが自分が出さないから仕方がない。親も特に子供に年賀状が来ないことに心配もしていないようだ。そもそも自分たちが出していないから子供に年賀状が来ないことに関心もないようだ。我が家は年賀状だけの付き合いもない。もう65歳になれば新しい付き合いもない。世間はどうなのだろうか。企業による虚礼として年賀状がなくなれば年賀状そのものもなくなるのではと思う。年賀状とは無縁の私だがそれは寂しいことだと思う。
私自身が戦争を体験したことはない。日本の戦争は80年前に終わった。戦争についてどう思うかと聞かれれば「戦いたくないから反対」と答えるしかない。しかし今も他国で起きている戦争については正直無関心である。私自身が反対しようが賛成しようがどうしようもない。ロシアとウクライナの戦争については何もわからない。ロシアがウクライナを攻めているのでロシアが悪いと言われている。しかしそういう単純な話ではないのかもしれない。戦争を悪とか善で語れば悪に決まっているだろうがそんな悪い戦争がどうして今日まで何百年と世界各地起きているのか。それは戦争は悪で善ではないけど正義だからである。攻撃しているロシアも攻撃されているウクライナも戦争は悪だと知りながら正義のために戦っている。ロシアの正義はウクライナにとっては正義ではない。その逆もある。正義ってなんだろうか。誰もが自分の正義を持っているが正義ってなんだろうかとわかる人はいない。わからないから自分の正義を捨てることもできないし相手の正義を認めることはできない。戦争が正義をめぐっての戦いなら戦争は永久になくならない。
私自身が戦争を体験したことはない。日本の戦争は80年前に終わった。戦争についてどう思うかと聞かれれば「戦いたくないから反対」と答えるしかない。しかし今も他国で起きている戦争については正直無関心である。私自身が反対しようが賛成しようがどうしようもない。ロシアとウクライナの戦争については何もわからない。ロシアがウクライナを攻めているのでロシアが悪いと言われている。しかしそういう単純な話ではないのかもしれない。戦争を悪とか善で語れば悪に決まっているだろうがそんな悪い戦争がどうして今日まで何百年と世界各地起きているのか。それは戦争は悪で善ではないけど正義だからである。攻撃しているロシアも攻撃されているウクライナも戦争は悪だと知りながら正義のために戦っている。ロシアの正義はウクライナにとっては正義ではない。その逆もある。正義ってなんだろうか。誰もが自分の正義を持っているが正義ってなんだろうかとわかる人はいない。わからないから自分の正義を捨てることもできないし相手の正義を認めることはできない。戦争が正義をめぐっての戦いなら戦争は永久になくならない。
子供のころから家にはマンガ本のサザエさんが全巻あった。意地悪ばあさんも、エプロンおばさんもあった。長谷川町子さんの作品はその他にもたくさんあってほとんど家にあって何回も繰り返し読んだ。テレビのアニメのサザエさんはあまり好きではないがマンガ本のサザエさんは今でも好んで読んでいる。最終の巻でもおそらく昭和45年の大阪万博あたりまでが話題なのでマンガ本としては55年前に終わっている。昭和20年代、30年代、40年代の当時の日本の中流の家庭を題材にしている。今読んでも私は古さを感じないのはなぜだろうかと思う。よく言われることだがサザエさんの基調音には落語がある。落語はそれこそ江戸末期から明治にかけてできた噺が基本でしかし今聞いても古さを感じない。それと同じことだろうと思う。そういえば「こち亀」も落語に通じるものがある。「こち亀」も1巻から100巻くらいまであってこちらも今も愛読している。日本の漫画は世界的に有名らしいがサザエさんやこち亀が最も日本らしい漫画なのでもっと読まれてほしい。
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