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忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い、視点の跳躍──そしてたまに、自分自身。精度はいつも道の途中。  

#1193🌗株価という影

株価というものを、
私はずっと「動く数字」だと思って見ていた。

上がった、下がった、
高い、安い。
ニュースが騒ぎ、板が揺れ、
人の心がざわつく。 📊🌪️

けれど、ある本を読んで、
その見え方が少し変わった。

株価は、
二つの要素に分解できると書かれていた。

ひとつは、
企業の実体。
その会社が何を作り、どう稼ぎ、
どんな強さや弱さを持っているのかという、
変わりにくい「本体」の部分。 

もうひとつは、
人がそれをどう思っているか、ということ。
期待、不安、流行、恐怖、希望。
つまり、光の当て方だ。 ✨🔦

株価とは、
実体に光が当たって、
地面に映し出された影なのだという。 🌑

影は揺れる。
光が少し動くだけで、
同じ実体でも、影の形は変わる。 

実体は、そう簡単には変わらない。
工場が一夜で消えるわけでも、
技術が昨日と今日で別物になるわけでもない。

けれど、
人の心は一瞬で変わる。 

楽観すれば影は伸び、
恐怖に染まれば影は縮む。

だから株価は、
日々、瞬間ごとに動く。 ⏳📈📉

この構造を理解したとき、
「割安」「割高」という言葉の意味も、
少し静かに見えるようになった。 🌾

それは単に、
株価が安いか高いか、ではない。

今、この影は、
実体に対してどんな光で照らされているのか。 

過剰に明るすぎないか。
不安という名の影が、
必要以上に濃くなっていないか。

相場環境という大きな照明の下で、
この影は歪んでいないか。 

株価を見るということは、
影だけを見ることではない。

影と、
影を生んでいる実体と、
その上から差し込む光を、
同時に想像することだ。 🌓

そして忘れてはいけないのは、
影は影にすぎない、ということ。

踏めば消える。
追えば逃げる。 👣

だから私は、
影に振り回されないように、
時々、立ち止まって
光の向きと、実体の輪郭を確かめる。 

株価は、揺れ動く影。
本当に見つめるべきものは、
その奥に、静かに立っている。 🤍

 

#1192🚜夜を削る人へ ❄️🌙

夜中 🌙
眠りの底に
低い音がゆっくり混ざる

遠くで
明かりが
ちら
ちら
ちら ✨

夢かと思って
目を閉じると
それでも音は消えない

ああ
今日も
誰かが
道を残してくれている ❄️

雪は
誰の事情も聞かずに
ただ積もる

人は減り
回数は減り
それでも
ゼロにはならない

夜を選ぶ人がいる 🚜

誰にも見られず
誰にも褒められず
それでも
ハンドルを握る人がいる

あなたが削っているのは
雪だけじゃない

朝の不安
通れないかもしれないという
小さな恐れ

その上を
誰かが何も考えずに
歩いていく 👣

それでいい
それが仕事なんだと
知っている背中

エンジン音が
遠ざかると
街はまた
静かになる 🌨️

その静けさの中に
確かに
あなたの跡がある

今夜も
ありがとう

夜を削る人へ
静かな敬礼を ❄️🚜🌙

 

#1191🌙つかず、離れず

呼ばれていない場所に
無理に声を置かなくていい ⭐

期待されていない沈黙は
責められもしない
ただ、そこにある

近づきすぎると
役割が生まれてしまう
離れすぎると
関係だと呼べなくなる

その間の
名もない距離 🌙

星を置く義務も
手を振る責任もなく ⭐
ただ
今日もそれぞれ
元気に息をしている

反応しなくていい
理解を示さなくていい
正しさを共有しなくていい

自由は
選ばないことも
選べるということ 🌙

私は
何もしない自由を
静かに選ぶ ⭐

そして
何も壊れない 🌙

 

#1190🌫️見えてしまう人の、静かな立ち位置

人と関わっていると、
ときどき奇妙な感覚になることがある。

その人の今の姿と、
少し先の姿が、
同時に見えてしまうような瞬間。

🌫️

言葉にすると大げさだけれど、
予言でも直感でもない。
ただ、時間の層が少しずれて重なって見えるだけだ。

今ここにいるその人は、
まだ自分の中にある価値を
自分の言葉で呼び出していない。

でも、その人が歩いていく先では、
それが静かに核になっている気がする。

それが、とてもいいものだった場合ほど、
胸の奥がざわつく。

🫧

「今は、まだ気づいていないんだな」
「でも、きっと辿り着く」

そうわかっているのに、
なぜか伝えたくなってしまう。

あなたは、もう十分に素晴らしいよ、と。

けれど、
その言葉は今のその人のOS(物事の捉え方)には
まだ差し込めないことも、同時にわかっている。

人は、自分の速度でしか
自分の場所に辿り着けない。

他人が先回りして
「そこがゴールだよ」と指さしても、
それはただの風景説明でしかなく、
実感にはならない。

だから私は、
言葉を飲み込む。

観測者でいる、という立場に戻る。

 

人の人生は、
編集できない。

どんなに善意であっても、
どんなに正しい評価であっても、
介入はできない。

それでも、
伝えたくなってしまう気持ちが消えるわけではない。

その間に生まれる、
小さな苦しさ。

何もしていないのに、
何かを抱えてしまったような重さ。

たぶんこれは、
わかることの副作用なのだと思う。

わかってしまうことと、
背負うことは違う。

そう言い聞かせながら、
今日も私は一歩引いた場所に立つ。

見えていることを、
心の中でそっと確定させて、
その人が自分の足で歩くのを待つ。

🌙

観測者でいることは、
無関心ではない。

むしろ、
とても静かな敬意なのだと、
最近ようやく思えるようになった。

 

#1189🌒📈 株価という影――大暴落の夜に、振り子の音を聞く ⏳

株価というものは、
不思議な生き物だと思う。

数字で書かれていて、
📊 チャートもあり、
一見するととても合理的で、
計算できそうな顔をしている。

けれど、
あの上下運動を眺めていると、
どうしてもそうは思えなくなる。

📈 上がりすぎる夜があり、
📉 理由がよく分からないまま
崖から落ちるように下がる朝もある。


---

📖 ある本の中で、
こんな説明に出会った。

株価は、
人々の心理を映したものだ、と。

欲と恐怖。
🫀 この二つの感情のあいだを、
株価は振り子のように
ゆっくり、そして確実に行き来している。


---

✨ 欲が強くなるとき、
人は未来を少しだけ
明るく描きすぎる。

「この企業は、もっと成長する」
「世界は、このまま良くなる」
「今回は違う」

そんなストーリーが、
🧵 一本ずつ、静かに重なっていく。

すると株価は上がる。
実体以上に、
軽やかに、遠くまで。


---

🌑 反対に、
恐怖が広がるとき。

「もうダメかもしれない」
「想定外だ」
「何か、取り返しのつかないことが
起きている気がする」

理由は後から
いくらでも付け足される。

大切なのは、
😶‍🌫️ 恐怖が共有されてしまうことだ。

恐怖が共鳴すると、
振り子は一気に反対側へ振れる。

それが、
暴落だ。


---

ここで面白いのは、
 企業そのものが
急に別の存在になるわけではない
という点だ。

工場が一夜で消えるわけでもない。
社員が全員いなくなるわけでもない。
昨日までの稼ぐ力が、
突然ゼロになるわけでもない。

変わったのは、
☀️ 光の当て方だ。


---

株価は、
企業という実体に当たった光がつくる
🌓 影だ。

光が弱ければ、影は短い。
光が強ければ、影は長く伸びる。

欲という光が強すぎると、
影は実体以上に大きくなる。
恐怖という光が極端になると、
影は歪み、輪郭を失う。

📏 暴騰や暴落とは、
影が異常に伸びた状態なのだ。


---

人間の欲と恐怖は、
なくならない。

理屈では分かっていても、
感情は勝手に動く。

だから振り子は止まらない。
行き過ぎては戻り、
戻りすぎては、また行き過ぎる。

株価の歴史とは、
この振り子が描いた
静かな軌跡なのかもしれない。


---

🌌 大暴落の夜、
画面に映る赤い数字を見ながら、
私はふと思う。

今、揺れているのは
企業なのか。
それとも、
人間の心なのか。

たぶん答えは、
最初から分かっている。

私たちが見ているのは、
企業そのものではなく、
🫥 欲と恐怖がつくり出した影なのだ。🌗


 

#1188❄️受け継がれなかったものたち

世代が変わるとき、
部屋の中にあるものの多くは、
静かに役目を終える。

それは、壊れたからでも、
価値がなかったからでもない。
ただ、次の時間には
合わなくなったというだけだ。 ⏳

昔から、
物は世代を越えるたびに減ってきた。
江戸の町では火事があり、
明治や昭和には移動と貧しさがあり、
多くの家財は自然に失われていった。 🔥🌊

だから「処分する」という行為は、
意識されることすらなかった。

必要なものだけが残り、
残らなかったものは、
語られずに消えていった。 🍃

それが、この百年ほどで変わった。

工業化と大量生産によって、
一代では使い切れない量の物が
一つの家に集まるようになった。
衣服も、家具も、道具も、
壊れる前に次の時代がやってくる。 🧥🪑

災害は減り、
家は残り、
物は静かに積み重なった。 🏠

そして、
世代が交代するその瞬間に、
「残すもの」と
「残らないもの」が
一気に可視化されるようになった。 

受け継がれなかった者達は、
誰かに拒まれたわけではない。

それらはただ、
次の生活に居場所を持たなかった。 ❄️

重すぎる服、
今の動きに合わない道具、
使い方が共有されなくなった家具。

それぞれが、
かつては合理であり、
最善であり、
時間の中で選ばれた存在だった。 🧵

「捨てる」という行為が
語られるようになったのは、
物が余ったからではない。

時間の速度が変わり、
生活の形が変わり、
役割の交代が
人の判断に委ねられるようになったからだ。 🌬️

残す役目と、
手放す役目。

それは対立ではなく、
循環の中で
自然に分かれた仕事に近い。 🔁

保存されることで
時間をつなぐものがあり、
更新されることで
次の時間が始まる。 ✨

受け継がれなかった者達は、
失敗作ではない。
役目を終えただけの、
過去の正解たちだ。 🕊️

物は、
すべてが未来に渡る必要はない。

減っていくこともまた、
長い時間の中では
ひとつの継承なのだ。 ❄️⏳

 

#1187🧥折り返された布の時代

❄️
このコートを手に取って、
最初に感じたのは重さだった。
ずっしりとした生地の量感。
今の服に慣れた身体には、少し過剰に思える。

鏡の前に立ってみると、
形はどこか現代的にも見える。
肩は柔らかく、いかにも昔のスーツのような硬さはない。
それなのに、どこか決定的に「今」ではない。

理由は、首元だった。

よく見ると、このコートには
スーツのジャケットについているような
はっきりした折り返しの襟はない。
いわゆる「ラペル」と呼ばれる形だ。
代わりに、フードからそのまま続くような襟があり、
それが胸のあたりまで大きく開いている 🌬️

あとから分かったことだが、
あの折り返しの襟というのは、
もともと前身ごろ――
胸の前に来るはずだった布を
外側に折ったものらしい。

折ることで、
表だった布の裏側が見える。
それが「襟」になっている 🧵

そのままでは形が定まらないので、
昔の服には、
その内側に少し硬い素材を仕込んで
形を覚えさせていた。
それを「芯」と呼ぶ。

このコートには、
そのはっきりした折り返しも、
しっかりした芯もない。
けれど、
「中に着ているものを見せるために、前を開ける」
という考え方だけが残っている。

身幅が太いのも、その延長だ。
この服は、
一枚で完結するためのものではなく、
中に厚みのある服を着ることを前提に作られている。

糸の太い、もさっとしたニット。
ジャケットのような、形のある服。
そうしたものを重ねた上に羽織るため、
布はたっぷりと使われ、
丈も長く、幅も広い 🧶

今の服は、違う。
中は薄く、軽く、
首元で完結する。
だから、
このコートの重さや広さは、
役割を終えてしまっている。

この一枚は、
きちんとした服と、気楽な服のあいだで
揺れていた時代の名残だ。
折り返しの構造を手放しながら、
その考え方だけを残した、
少し不思議な形 🍃

服は、
流行だけで変わるわけではない。
中に何を着るか、
どう動くか、
どんな時間を生きているか――
そうした生活の重なりが、
布の使われ方に現れる。

このコートは、
折り返された布の時代を、
静かに語っている ⏳❄️

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