番組終了後にネットで死亡説、逮捕説まで囁かれた。そんな“デマ”を一笑に付し、ワクワクさんは現在も全国で工作のイベント活動に勤しんでいる。ただ、実は荒っぽい性格というのは本当か?プロインタビュアーの吉田豪が迫った――。
死ぬまでワクワク!させますよ

久保田雅人
試しに……と画用紙とハサミを持った瞬間、取材ながら“ワクワク”させられた。工作番組『つくってあそぼ』の放送開始からすでに35年、今でも我々を一瞬で子どもに戻してくれるお兄さん。そこには想像以上の波瀾万丈な人生と、ワクワクさんを背負う覚悟があった。──僕はリアルタイムでOVA『メガゾーン23』(※1)を観た世代なので、40年前に華々しく主役デビューした方がこういう形で芸能界を生き抜いていくとは思いませんでした。
久保田:今日はその話からいきましょうか。もともと私が最初に所属した劇団は、三ツ矢雄二(※2)さんと田中真弓(※3)さんが立ち上げた「プロジェクト・レヴュー」という劇団だったんですね。──でも、最初は落語家志望で。
久保田:小学校のころから落語をやっていて、高校出て噺家になろうと思ってたぐらいで。──落語家出身だと勘違いされるぐらいの雰囲気があります。
久保田:そうなんです、最初に覚えちゃったのがそういうしゃべり方なので。ただ、落語の道には行きませんでしたけどね。高校生のときに歴史の本が好きになって、日本史の教師になろうと思ったんです。でも父親が厳しくて、大学に行くなら就職のことも考えて政治経済学部しか認めないと。「史学科に行きたいなら落語をやめろ」と言われ、それを条件に大学に進学しました。──でも結局、教員にはならずに劇団に応募したと。
久保田:周りはみんな私が大学院に残るか教師になると思っていたら、大学4年で教育実習先の八王子でたまたま立ち読みした雑誌に、「劇団の第1期生募集」の広告を見つけて応募、合格しちゃったんです。私がオーディションでは最年長で。ほかは高校生とか中学生でした。──アニメファンの中高生が集まってたわけですね。
久保田:そう、みんな真弓さんや三ツ矢さんのファンで、ひとりだけなんか変なのがいるわけ。それが面白かったのか選ばれたんですよね。そこから道を大きく踏み外して(笑)。