Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


Yahoo!ニュース

介護施設に夫婦で「同室入居」 生活の荒れた夫と認知症の妻は死ぬまでともに過ごせるか#老いる社会

映画監督・映像ディレクター

2人部屋がある介護施設は少なく、夫婦で同室に入居することは容易ではない。介護度の違いなど、夫婦が「老後を共に過ごす」にはさまざまな壁がある。三重県大紀町のサービス付き高齢者住宅に、2人そろって入居している夫婦がいる。西村栄生(さこう)さんと洋美(なだみ)さん。今は落ち着いて暮らすようになった2人だが、ここにいたるには曲折があった。最初に夫婦で入った老人ホームでは、スタッフとのトラブルにより夫だけが退去。自宅でひとり暮らしを始めた夫は寂しさからか酒量が増え、生活は荒れた。やがてケアマネジャーだった大西信二さんの計らいにより、今の施設で再び夫婦での生活を始めたが、今度は妻にストレスによる変調が表れた。介護が必要な高齢夫婦が、どうしたらともに穏やかに暮らしていけるのか。西村さん夫婦と大西さんがたどった道を追った。

●2人で暮らした施設から夫が退去

「杉の子」で暮らしていたときの西村さん夫婦
「杉の子」で暮らしていたときの西村さん夫婦

三重県大紀町は、山と海に囲まれた農林漁業の町だ。高齢化が進み、町に住む約7000人の2人に1人が65歳以上の高齢者になっている。西村栄生さん(78)、洋美さん(77)夫婦は、この町の錦漁港でともに長い時間を過ごしてきた。栄生さんは漁師、洋美さんは近くの工場で働いていた。

洋美さんが認知症を発症したのは、数年前のことだ。その後にがんが見つかり、人工肛門をつけることに。夫婦での生活が困難になったため、洋美さんは町内の老人ホーム「杉の子」に入居した。

ひとり暮らしになった栄生さんは、その寂しさから飲酒の量が増えた。見かねた息子の維敏(これとし)さんたち親族が話し合い、杉の子の洋美さんの部屋に付き添いという形で同居することになった。

老人ホームでの夫婦同居は、しばらくはうまくいった。「杉の子」の西村基志さんは「洋美さんはおひとりのときは、慣れない施設での生活のためか、壁を叩いたり大声を上げたりする様子も見られた。でも栄生さんと過ごされるようになって、徐々に落ち着きを取り戻した」と振り返る。

ところが、3年ほど経ったある日、栄生さんがスタッフとトラブルを起こしてしまう。西村さんは「スタッフとの個人間でのトラブルとなるとどうしても難しくて。たいへん申し訳ないが、栄生さんにもご理解いただいて退去ということになった」と説明する。

自宅でのひとり暮らしに戻った栄生さんは、再び酒の量が増えてしまう。維敏さんたちも何とか支えようとしたが、やがて夜中に「死にたい」などと訴える電話が頻繁にかかってくるようになった。「夜中に電話がかかってきて急いで行ったら寝ていることもあった。僕の子供である孫にまで電話がかかってくるようになった。施設を出されてしまって親族もあきれていたし、正直、僕も限界に近かった」と維敏さん。

●新しい施設で再びの同居生活

「いいひ」の共有部に座る西村さん夫婦
「いいひ」の共有部に座る西村さん夫婦

大紀町の介護施設「いいひ」は、サービス付き高齢者住宅やデイサービス、訪問介護など幅広くサービスを展開している。総責任者の大西信二さん(56)はその頃、施設を退去した栄生さんのケアマネジャーだった。栄生さんが自宅でのひとり暮らしを続けられるよう、近くの介護施設などと協力しながら訪問介護を続けていた。それでも酒量はどうしても減らず、栄生さんは心身ともにやつれる一方。そんなさなかの今年3月、「いいひ」のサービス付き高齢者住宅に空き部屋が出た。大西さんが「入居しませんか」と尋ねると、栄生さんからこんな言葉が返ってきた。「俺はもうどうしようもない。助けてくれ」。

こうして、栄生さんの「いいひ」での生活が始まった。ただ、はじめは落ち着かない日々が続いた。当時から介護にあたっているスタッフの湯川幸美さんは「本来なら歩けるはずなのに何を言っても動こうとしない。ちょっとしたことで怒られたりした。こちらも何でそんなこと言われなきゃいけないのかと悩む日々だった」と話す。

そこで大西さんが考えたのが、洋美さんに「いいひ」に転居してもらい、夫婦一緒に生活することだった。洋美さんが入居していた「杉の子」側も、このアイデアを快く受け入れてくれた。すると、栄生さんの行動に目に見える変化が表れた。湯川さんは「洋美さんが来ると決まってから、怒られることも減った。こちらが何かお願いしたら積極的に動くようになった。きっとご本人の中で考えを改めてくれたんだと思う」。

栄生さんは「酒をやめる生活が続いて体調も良くなった。リハビリのおかげもあって歩行器なしで歩けるようにもなった。入居当初の自分は夢の中にいるようだった」と当時を振り返る。

栄生さんが入居してから3カ月後、夫婦そろって同じ部屋で寝起きする生活が再び始まった。2人での生活は、大西さんにとっても「最後の手段」だった。「夫婦で同じ部屋で生活できるような施設は町内では他にない。また栄生さんだけ出ていくことになってしまったら、行くあてがない。ウチが最後の砦だ」。

特別養護老人ホーム(特養)、介護老人保健施設(老健)、介護医療院、グループホームなどには2人部屋は基本的にはない。また、民間の介護施設にも要介護度の違いから夫婦そろっての入居は断られることも。数が限られるため、そうした施設があったとしても満室の場合が多い。「2010年に『いいひ』を立ち上げたのですが当時はデイサービスだけだった。その頃の利用者さんが体の状態がひどくなって施設に入居となったとき、最後に『あんたのところに泊まることができたら』と言われてショックだった。そうした方のためにも2013年にサービス付き高齢者住宅も始めた」と大西さん。西村さん夫婦が同じ部屋で過ごせるのは「いいひ」がこうしてサービスを広げた結果でもある。

●妻に表れた思わぬ変調

無表情で佇む洋美さん
無表情で佇む洋美さん

再び始まった西村さん夫婦の共同生活。ところが再び思わぬことが起きた。今度は洋美さんにストレスがたまり始めたのだ。栄生さんが洋美さんにつきっきりでかいがいしく面倒を見ているのに、洋美さんは玄関のドアを蹴ったり、玄関でうずくまって動かなかったりするようになった。表情が乏しくなり、言葉もほとんど出さなくなってしまった。

維敏さんによると、この頃栄生さんには、自分だけ前の施設を出されてしまった後悔があったという。「父は、『俺はこれまで洋美に何もしてやれてこなかった』と言っていた。母のために恩返ししようとしている中、自分だけ杉の子を出されてしまった。その反省もあってか、以前よりも一層いろいろと取り返そうとしているのかもしれない」。そうした栄生さんの思いが、裏目に出てしまったようだ。

洋美さんの変化には、大西さんも頭を悩ませた。「洋美さんに話しかけても、表情がない。少しでもコミュニケーションがとれれば、洋美さんがここでどう生活したいのかも見えてくるとは思うんだけど……」

そこで大西さんが考えたのが、2人が離れる時間を作ることだった。栄生さんはリハビリを兼ねて週に1回、別の介護施設に通っていた。洋美さんは、その間は落ち着きを取り戻していた。大西さんは栄生さんに「夫婦でべったりというのもお互いストレスがたまる」と、洋美さんにも「いいひ」の施設内にあるデイサービスを利用してもらってはと持ちかけた。栄生さんも快諾し、週に1回ずつ夫婦それぞれで過ごす時間を確保した。

●夫婦で見つけたより良い距離感

「いいひ」共有部に貼られた錦港での西村さん夫婦の写真
「いいひ」共有部に貼られた錦港での西村さん夫婦の写真

その数日後。大西さんは、デイサービスで過ごす洋美さんの様子を見に行った。そこにはほかの利用者と笑顔で風船バレーをしている洋美さんの姿があった。大西さんが「あんなに笑っている洋美さんの姿を初めて見た」と栄生さんに伝えると、栄生さんも満足そうだった。

「前の日に『明日はデイサービスに行くんや』と楽しみに話すこともある。俺も自分の時間ができたことでストレスなく生活できている」と栄生さん。栄生さん自身、ほかの入居者らと話をすることが増えた。スタッフに声を荒げることもなくなり、西村さん夫妻は「いいひ」での生活に馴染んでいった。

9月のある日、大西さんは西村さん夫婦を連れて、2人が長い時を過ごした錦漁港を訪れた。洋美さんは病気が見つかってから、5年以上も錦の景色を目にしていなかった。「それをぜひ見せてあげたい」という大西さんの提案に、洋美さんは「行きたい」と答えていた。「初めて僕の問いかけにはっきりと返事をして、ご本人の意思を伝えてもらったんです」。

港に着いた洋美さんは、満面の笑みを見せた。「2人の写真を撮ってほしい」と栄生さんに頼まれた大西さんがスマホのカメラを向けると、栄生さんは洋美さんの肩にそっと手を回し、ピースサインをつくった。すると洋美さんも右手をあげ、ぎこちなく2本の指を伸ばした。

「あんなに喜んでもらえるとは思わなかった。また機会があれば訪れたい。いつかは息子さんも一緒に来られたらいいな」と大西さんも喜ぶ。錦の海を背に2人で撮った写真は、「いいひ」の共有部と2人の居室と飾られた。

施設で新たに始めた夫婦2人の生活。息子の維敏さんは、「ここに入った当初と2人とも表情が全然違う。父親も普通に歩いていて驚いた」と両親の変わりように目を見張る。そして栄生さんも、こう話す。

「俺は洋美と結婚してから苦労ばかりかけた。帰りが遅くなって深夜になっていても、必ず起きて待ってくれていた。その恩返しをしたい。でも、やりすぎも良くないんだと知った。ここを出たらまたいろんな人に迷惑をかけてしまう。今は夫婦どちらも、ここで死ぬまで過ごしたい」。

錦漁港から帰った西村さん夫婦は、隣り合わせのベッドで満足そうに昼寝についた。

映画監督・映像ディレクター

1992年生まれ。岩手県宮古市出身。大阪芸術大学卒業。AOI biotope所属。大学時に映画監督の原一男に師事。撮影・編集・監督をした卒業制作のドキュメンタリー映画「ヘイトスピーチ」(2015年)が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティションで入賞。その後、劇場公開される。その他、撮影・編集・監督をしたドキュメンタリー映画「僕とケアニンとおばあちゃんたちと。」(2019年)「僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。」(2022年)を劇場公開している。

佐々木航弥の最近の記事

トピックス(主要)

オーサーアクセスランキング

  1. 1

    SS義塾が音信不通で授業は中止~受験生・保護者の今後の対策は #エキスパートトピ

    石渡嶺司
  2. 2

    OpenAI『GPT-5.2』緊急発表『Code Red』後の逆襲、知的労働タスクの7割で人間超え #エキスパートトピ

    いしたにまさき
  3. 3

    43都道府県目のJリーグチームが誕生。JFLのレイラック滋賀がJ3昇格を決め、「J空白県」から卒業へ #エキスパートトピ

    下薗昌記
  4. 4

    「コメもろくに買えない」金正恩の"給料10倍引き上げ"で露呈した救われない現実

    高英起
  5. 5

    「しまむら」や「ユニクロ」でもない選択肢 新品服が数百円で買える“衣料スーパー” いま注目される理由 #エキスパートトピ

    砂押貴久

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp