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桂林&南寧&・・・発 なんのこっちゃ

「だってワタシは悪くない」が高市さんの本性?

高市早苗首相は先般の衆院予算委員会で、台湾有事は日本の「存立危機事態になりうる」と、従来の政府答弁を踏み越えた発言をして、中国を怒らせてしまった。中国共産党・政府の「日本に旅行するな」「留学するな」といった子供じみた反応は別として、首相は台湾有事については、これまで通りにあいまいなことを言っておけばよかった。なのに、虎の尾をわざわざ踏んでしまった感じある。不注意である。

そして、11月26日の国会での初めての党首討論で、立憲民主党野田佳彦代表からこの発言は「国益を損なう独断専行ではなかったか」と指摘された。すると、首相は「政府のこれまでの答弁をただ繰り返すだけでは、予算委員会を止められてしまう可能性もある」「具体的な事例を挙げて聞かれたので、その範囲で誠実に答えた」と述べた。実にあっけらかんとしている。全ては自分の責任ではないのよ。質問したほうが悪いのよ。そう言っているようにも思える。まるで責任転嫁するかのような発言に、議場もどよめいたとか。

僕は首相のこの発言を聞いて、マンガ『だってワタシは悪くない』(原作:とらふぐ 漫画:高村しづ 出版社:集英社)が思い浮かんだ。この1~2年に出たマンガで、その内容を少し紹介すると、主人公はフランス系の「ハイブランドショップ ○○銀座店」に勤める32歳の女性。彼女は何ごとも自分に責任はなく、全て他人のせい、環境のせい、と自分以外のもののせいにしてしまう。いわゆる「他責思考」の持ち主である。

ある朝、通勤ラッシュの電車の中で、彼女がコーヒーを飲んでいたところ、電車に急ブレーキが掛かったこともあって、カップの蓋が外れる。このため、コーヒーがこぼれ、近くにいた若い男性の服などを汚してしまう。そもそも通勤ラッシュの車内で飲食するなんて、非常識きわまりないのだが、彼女はいっこうに動じない。

「私のパーソナルスペースに入ってきたのはそっちでしょ!?」「コーヒーがこぼれたのは私のせいじゃないっ。文句ならちゃんと蓋閉めなかった○○の店員に言ってよね!」「それにひっかけられる可能性を感じたなら離れなさいよ! 危機管理がなってないんじゃない?」「いい? ワタシは悪くない!」。まあ、言いたい放題である。

さすがに、被害者の男性も「他人のせいにするなよ! ちゃんと自分の非を認めて謝ったらどうなんだ!!」と怒り出すが、これがまた彼女の他責思考に火をつける。「うわ~っ 恫喝して恐喝するんですねっ。怖~い」「きゃあ~! 殴られるっ! 暴行罪よ!」と騒ぎ出す。揚げ句は、怒る男性を動画に撮ってSNSに投稿する……「天誅」とのことである。

高市首相をこの女性の同類だと決めつけるつもりはない。だが、残念なことに、先の国会答弁に同様の匂いを僕は嗅いでしまう。何ごとも他人のせいにする――これは去る9月の自民党総裁選での冒頭の発言にも表れているのではないか。

つまり、彼女は自分を奈良の女、大和の国で育った、と述べた後、「奈良公園に住んでいるシカを足で蹴り上げる人がいる。外国から観光に来て、痛めつけようとする人がいるとすれば、何かが行き過ぎている。外国人と思いやりを持って生きるにはどうすればいいか、ゼロベースで考えるつもりだ」とぶち上げた。日本人はシカに優しく接しているが、外国人はそうではない、と受け取れる発言である。果たしてそうなのか?

11月の衆院予算委員会では立憲民主党西村智奈美氏がこのシカ発言を取り上げ、2010年以降にシカへの加害行為で有罪となった2件は、日本人によるものだったと指摘した。そして、首相の発言は「不確かな情報が外国人への誹謗中傷になっている」として撤回を求めた。しかし、首相は「私自身、英語圏の人に注意したことがある」と説明し、観光業者の目撃情報や奈良県警が外国語で注意喚起していることも根拠として「撤回するわけにはいかない」と答えた。(以上は東京新聞の記事による)

首相の「私自身、英語圏の人に注意した」との答弁に、僕は「おやっ」と思った。僕が知る限り、首相がこんなことを言ったのは初めてである。9月の自民党総裁選での発言の根拠を日本記者クラブでの会見で問われた際も「自分なりに確認した」とあいまいに答えただけだった。英語圏の人に注意したのが「それ以前」だったのなら、総裁選でも記者会見でもそうはっきりと言えばよかったのではないか。じゃあ「それ以後」だったのか? 多忙な首相が奈良公園をぶらぶら歩いて、外国人観光客の生態を調べる時間があったなんて、とても思えない。なんとも不思議な発言である。


奈良県警かどうかは不明だが、どこかが看板で、外国語で注意喚起していることは事実である。だが、「たたいたり、追いかけたりしない」とまず日本語で書いた後、英語、中国語、韓国語も併せて記している。しかも、これは発情期の雄のシカに対する注意喚起がまず最初である(写真上)。日本語だけの注意喚起もある(写真下)。だけど、首相のような言い方をすると、日本人はいいのだけど、外国人は要注意だ、というふうに受け取られてしまうし、邪推すれば、彼女はそれを狙っているのではないだろうか。

だってワタシは悪くない――この記事の前半はこの表現がピッタリではないか。後半は「ワタシ」を「ワタシたち」「日本人」と読み替えれば、またピッタリではないだろうか。いずれも自分の責任を回避し、他人を責める表現である。今や一国の首相である高市早苗さんがこんな思考の持ち主であってほしくはないのである。

人それぞれの物価高・生活苦対策

このところの物価上昇は歯止めが掛からないみたいである。さすがに政府も物価高対策に力を入れているらしいけど、ちょっと前、朝日新聞で「物価高による生活苦の改善」を訴えた以下の投書を読んだ折には、気の毒で、不覚にも涙ぐんでしまった。投書の主は大阪府在住の48歳の会社員である。

「私はいわゆるサラリーマン。給与所得はまさに平均的な額だ。大学生と高校生の息子が3人。国、大阪府の教育無償化には大変助けられ、素直に感謝したい。が、米をはじめとする食料品や電気代が昨年以降、軒並み上がり、生活を圧迫する。(1か月の)自分の小遣いを1万円減らし、1万5千円にした。昼食は残り物を詰めた弁当、水筒には自作の麦茶。買いたい本は我慢し、図書館で半年待ちの予約。貴重な止まり木である駅前の立ち飲み屋も週2回から月2回に減らし、生ビールからすぐに酔える焼酎ソーダ割りに替えた。給与が少し上がっても住民税と社会保障費に消えてゆき、学費も予想以上だ」

「ぜいたくがしたいのでは決してありません。生活費、学費がまかなえ、1回2千円の立ち飲み屋に週1で通え、老後や病気などにいくばくかの備えができる給与、物価水準に早く戻してほしい。『失われた30年』の前も様々な社会的矛盾はあった。でも普通に働いていれば、少なくともそんな生活はできていたはずだ」

僕の1か月の小遣いも多くはないけれど、1万円ぐらいなら差し上げられる。そんな気にもなった。年金生活者の僕も、彼ほどのことはないが、それなりの倹約は迫られている。例えば、月に1回の散髪代。以前にも少し書いたが、僕はわが家の近くにある「1000円カット」をもっぱら利用している。安いうえに店主の腕前も悪くないせいか、いつも混んでいる。5人、6人が待っていることも多いが、1人10分かそこらで済むので、待ち時間もそれほど苦痛ではない。散髪代に4千円、5千円を払う気にはとてもなれない。

ただ、この店の欠点は、店主が職業学校で講師もしているとかで、授業があればそれを優先して、早仕舞いしたり、休んだりしてしまうことだ。先日も午後2時に行くと、若い手伝いの男の子が入り口を閉めようとしている。エッ、今日はえらく早いね、と話しかけていると、自転車に乗った年配の男性が2人、やってきた。続いて、バイクに乗ったやはり年配の女性が1人。結局、4人とも無駄足を踏んでしまった。だが、僕はこの日、どうしても散髪しておきたかったので、すぐ近くにある「1300円カット」の店に行った。先客は誰もいなかった。さっきの男女3人も追いかけてこなかった。この方たちにとって「300円」の差は馬鹿にならないのだろう。

僕が家で飲むウイスキーも「トリス」か「ブラックニッカ」で、それも「トリス クラシック」「ブラックニッカ クリア」といった一番安い銘柄だし、加えて、割安になる大きなボトルを買っている。スーパーマーケットなどを何軒か回って、値比べもしている。

話は変わって大阪で先月、出身高校の同期会があったので埼玉から行ってきた。カネは掛かるが、新幹線は老人割引のある「ひかり」に乗り、宿は1泊7千円ほどの安ホテルを使った。そして、ちょっと驚いたのは会費の安さだった。去年は1万3千円だったが、今年は「2千円」ポッキリである。これなら、冒頭に紹介した会社員氏も参加できる。さて、どこを節約したのか。前回も今回も大きなホテルなのだが、前回は貸切の宴会場での、今回はホテル内のレストランでの集まりだった。貸切じゃないから場所代はいらないのだろうが、店内には我々以外の客もいる。従って、全員での乾杯や校歌斉唱は「なし」だった。幹事からの各種の案内もテーブルごとにひそひそ話で伝えられた。

さて、2千円の会費をどのように使ったのか、幹事に聞いてみると、料理代が1400円、ビール代が600円とのこと。ただし、ビールは中瓶1本が750円なので、1人1本ではない。昔のクラスごとにテーブルについている出席者は合わせて58人だが、ビールは全体で46本しかない。それをまとめて置いておくので、各自、自分たちのテーブルに運んでほしい。ただし、5人のテーブルだからと言って、5本持っていかれては困る。まあ、そんな話だった。なるほど、ケチで合理的な大阪人だねえ。

何しろ同期生はみんな84歳、85歳である。1万数千円もの会費を取っていては、参加したくても、できなくなる人が増えていくだろう。何とか会費を抑えて……という幹事団の方針なのだろうか。ご苦労なことである。

ところで、僕のいたクラスのテーブルは男がわずか3人なので、ビールを2本持ってきたが、すぐになくなってしまう。ちょっと、わびしいなあ。そう思いながら、周りを眺めていたら、女中心のテーブルでは並んでいるビール瓶が少ない。つまりは、飲まない人の分を飲みたい人が代わりに飲んでも、全体としてはつじつまが合うのではないか。そう考え、泥棒猫よろしく、あと何本かを我らがテーブルに運んできた。揉め事は起きなかった。

物価高・生活苦をいかにして乗り越えるか、冒頭の会社員氏には言いづらいけど、それを考えていると、脳細胞が活性化してくるみたいでもある。一方で先般、G20首脳会議で南アフリカ共和国へ向かうわが高市早苗首相はX(旧ツイッター)への投稿で「外交交渉でマウント取れる服、無理をしてでも買わなくてはいかんかもなぁ」とつぶやき、「安物に見えない服」「なめられない服」を選ぶのに数時間をかけたとか。金持ちのなんとも能天気な話で、脳細胞もあまり活性化しないようである。

高市さんについての心配ごと

高市早苗さんが首相になって、保守系論壇誌は大喜びのようだ。例えば、そのひとつ、月刊誌の『WiLL(ウイル)』は表紙にでかでかと「祝 高市総理 早苗の敵は日本の敵!」とうたっている。まるで、高市総理の下での独裁国家を願っているようでもある。怖いねえ。表紙には「救国政権の誕生だ!」ともある。

別の月刊誌『Hanada』は同じく表紙に「高市早苗は天下を取った!」とうたう。戦国時代みたいだ。「全自民党議員は高市早苗を守れ」とも、檄を飛ばしている。その月刊誌に高市首相は「わが国家観 日本に生まれてよかった」と題して寄稿しているが、彼女は決して「皇室」なぞとは言わない。すべて「御皇室」である。

いわく「私たち日本人は、御皇室の方々のお喜びもお悲しみもわが事のように受け止め、敬慕の心を持ち続けています」「畏れ多いことですが、私たちは自分の家族を愛するように御皇室の方々を愛しています」

いやはや、「私たち」の中には、僕なんかも入っているのだろう。高市さんが一個人としてどう思おうと勝手だし、僕が皇室に何か反感を持っているわけではないけれど、自分の家族を愛するように、皇室を愛しているわけでもない。やはり、申し訳ないけど、自分の家族のほうが大切である。そんな僕までを「私たち」の中に含めないでほしい。

高市さんはこれまで数々の要職を務めてきたので、天皇陛下を国会の開会式に迎える場にも何度も出てきた。その際の描写にも彼女の皇室への傾倒ぶりが表れている。いわく「開会式の15分前には国会正門前で天皇陛下の御車をお迎えし、終了後にはお見送りをするのですが、低頭しているため、未だに御車のタイヤと後ろ姿しか記憶できないでいます」

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ

そして、僕が一番心配しているのは、高市さんがふとしたら「教育勅語」(上の写真。正しくは「教育二関スル勅語」)の「復権」を狙っているのではないかということである。教育勅語とは1890年(明治23年)に明治天皇が教育の基本方針と国民道徳の基準として出したものだ。この教育勅語が掲げる「忠君愛国」の精神のもとに、明治、大正、そして昭和の教育が行われてきた。それは日中戦争、太平洋戦争といった15年戦争(1931~1945年)の要因ともなった。僕はそう思っている。そして、戦後の1948年、教育勅語日本国憲法に矛盾するとして、国会で「失効」となった。

ところが、高市さんは先の寄稿で、この教育勅語を「現代においても尊重するべき正しい価値観ですし、子供も大人も覚えて繰り返し唱和することで、日本人全体が心を合わせて道徳を実践する空気を醸成したものだと思います」と述べたうえ、「この見事な教育勅語は、敗戦後のGHQ占領下で廃止されてしまいました」と残念がっている。ただ、教育勅語の失効にはGHQ連合国軍総司令部)の意向も働いたかもしれないが、失効させたのはあくまで日本の国会である。高市さんはそのことには全く触れていない。

彼女が「現代においても尊重するべき正しい価値観」と言っているのは、今の言葉で言えば次のような部分だろう。(岩波書店岩波ブックレット教育勅語と学校教育」から借用しました)

「お前たち臣民(児童・生徒)は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、みずからは身をつつしみ、人びとには博愛の心で親切にし、学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能をみがき、人格を高め、すすんで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、法律を守り」

天皇からわざわざそんなことは言われたくない、といちゃもんをつけたくはなるが、中身そのものにはまあ異論はないと言いたくなる。保守系の政治家が「教育勅語にもいいところがある」などと時々、発言するのも、これらの言葉を指しているのだろう。だけど、教育勅語が幅を利かせていた時代を考えると、話はまた違ってくる。

例えば、男尊女卑で長幼の序を重んじた時代だったから、「父母に孝行し」と言っても、家父長制のもと、男親が優先される。「兄弟は仲良く」も長男を優先してのことだ。「夫婦も仲睦まじく」だって、妻が夫に仕え、一緒の外出の際は夫より一歩下がって歩いてこそ、もたらされる。

そして、教育勅語は次のように続く。「ひとたび国家の一大事(戦争)になれば、勇気をふるいたて身も心もお国(天皇陛下)のために捧げることで、天にも地にも尽きるはずのない天皇陛下の御運勢が栄えるようにお助けしなければならない」。恐ろしい言葉ではないか。自分の命を顧みることなく、天皇陛下のために戦わなければならない。命を差し出さなければならない。「天皇陛下 万歳」と言って死ぬのである。高市さんはこの部分については、先の寄稿でも全く触れていない。

高市さんは勉強家であると聞いている。これまで僕が批判したようなことはとっくにご存じだろう。だが、それを無視している。そう言えば、過去にも田中角栄福田赳夫中曽根康弘といった総理大臣が教育勅語を褒めていた。高市さんはこれを知っていて、そうだ、総理総裁になるには教育勅語を礼賛しておくのがいい、と考えたのではないだろうか。そういう意味で、彼女はかねてから「総理の器」であったのかもしれない。

「すり足歩行」の恐ろしさ

夜半、トイレに行きたくなり、起き上がって、隣の部屋に入った。すると、段差はほとんどないはずなのに、何かにつまずいた感じ。その後、体がいわゆるダッチロール状態になり、どこかに右のわき腹をしこたまぶつけて止まった。寝ぼけたのかもしれない。けど、自分なりに反省すると、どうやら直接の原因は「すり足歩行」にあるらしい。

すり足歩行とは、足をきちんと高く持ち上げずに、地面をすっていくように歩くことだ。こんな歩き方だと、ちょっとした段差でもつまずきやすくなって、転倒してしまう。原因は下肢や体幹の筋力が落ちたり、猫背などで姿勢が悪くなったりすることとか。その結果、足を高く持ち上げる力が弱まってしまうそうである。

そして、僕ぐらいの老人には、このすり足歩行が多いようだ。僕は月に1回、学生時代の仲間とマージャンをしているが、うちひとりは以前、ほとんど段差のない所で転んで、足ではなく手の指を骨折したとか。別のひとりは、麻雀を終えて僕と一緒に二次会の居酒屋に向かう途中、車道から歩道に上がる際に段差にもろにつまずき、歩道にあったバーの看板を壊してしまった。幸い、本人に怪我はなかったが、早速そのバーに謝りに行った。

僕の右わき腹の打撲も、それほどのことはなかったが、夜に右半身を横にして休もうとすると、痛くて仕方がない。近くの整形外科医院に行ってレントゲン撮影をしてみたら、少しだけだが、骨にひびが入っていた。結局、完全に痛みがなくなるまでに3週間ほど掛かった。医者に行ったのはこの日1回だけだったが、まあ一応は重症の類だろう。

そう言えば、この正月、中国は上海に行った折、教え子のひとりから「先生、すり足になっていますよ」と注意された。じゃあ、どう歩けばいいの? と尋ねたら、「足を地面に下ろす時、かかとをまずつけてください。その後、足の後ろから前に弧を描くような感じで移動して、指先で地面を蹴ってください。しっかりと大地を踏みつけるような感じです。先生は足のかかとじゃなくて、前の方をまず地面につけています」とのこと。「できるだけ大股で歩いてください。かかとから着地しやすくなります」とも教えてくれた。

なるほど、教えられた通りに歩いてみると、なんか快適な感じがする。僕はこれまでこのブログで「正しい歩き方に苦慮している」とか、歩き方について何度か書いてきたが、すり足について考えたことはなかった。上海ではいい体験をした。新しい発見だった。ところが、寄る年波のせいか、それを忘れて、肋骨にひびまで入れてしまった。

もっとも、調べてみると、すり足がすべて悪いとも言えない。ここが難しいところである。

例えば、1984年のロサンゼルス五輪の柔道男子無差別級で金メダルを獲得した山下泰裕さん(68)という人物がいる。最近の朝日新聞によると、2年ほど前、家族で温泉に行った折にヒートショック――つまり、暖かい所から寒い所に移動したりした時に、急激な温度変化によって血圧が大きく変動し、心筋梗塞などを引き起こす状態――になって露天風呂のへりで転倒した。頭部を打って頸髄(けいずい)を損傷し、この9月にやっと退院した。メディアの取材に応じたが、首から下は左手を少し動かせるだけだそうだ。

ところで、以下は僕の想像なのだが、山下さんが露天風呂で転倒したのはヒートショック状態が第一の原因だとしても、その際、山下さんはすり足になっていたのではないか。もし、そうでなかったら、転倒はそれほど衝撃的なものではなく、被害も軽くて済んだのではないだろうか。山下さんにとっては、すり足はごく自然な歩き方だったはずだ。

というのは、山下さんがやってきた柔道の基本的な歩き方は、両足とも畳をするようにして歩く「すり足」である。そうすると、いつも自分のバランスを保ちながら移動でき、相手に崩されにくくなる。柔道の世界で百戦錬磨の山下さんにはこの歩き方が身にしみついていたはずだ。その結果、露天風呂の濡れたタイルか石の上をつい、すり足で歩いてしまったのではないだろうか。失礼ながら、僕は勝手にそう推理している。

ひと口に「正しい歩き方」と言っても、以上のように、何が正しいとか、断言ができない。忍者の歩き方の「抜き足、差し足、忍び足」というのもある。抜き足は音をたてないように地面から静かに足を抜く動作、差し足は小指の方から静かに足を下ろす動作、忍び足は……と言われる。一連の動作は音を立てないためで、すり足とも似ている。つまり、TPO(時間、場所、場合)によって、歩き方を選ぶことになるのだろうか。

――と、ここまで書いてきて、嫌なことを思いだした。今年1月の夜中、わが家は泥棒に入られた。僕は寝入っていて全く気づかなかった。あの時、連中は僕が上海で習った「正しい歩き方」ではなくて「すり足」で、あるいはすり足に似た「抜き足、差し足、忍び足」でわが家を徘徊していたのだろう。すり足はやはり恐ろしい。

高市さん 「女トランプ」にならないでね

高市早苗氏が自民党の新しい総裁になった。臨時国会で首相に選ばれるかどうかは、公明党自民党との連立を解消したため、いささか混とんともしてきたが、もし初めての女性の首相になれば、老人の男たちが権勢を振るってきたこの国を、もう少しましな国に導いてくれるのではないか、と期待している。

だが、心配なことがある。それは高市氏が米国のトランプ大統領の真似をする「女トランプ」ないしは「日本のトランプ」になりはしないか、ということだ。その第一が「シカ発言」である。同氏は9月22日の自民党総裁選告示日の論戦で、「奈良の女だ。大和の国で育った。奈良公園に住んでいるシカを足で蹴り上げる人がいる。外国から観光に来て、痛めつけようとする人がいるとすれば、何かが行き過ぎている。外国人と思いやりを持って生きるにはどうすればいいか、ゼロベースで考えるつもりだ」とぶち上げた。これだけを聞くと、外国人の観光客って、ひどいよね、もう来てほしくはない、と思ってしまう。

これに対し、朝日新聞によると、奈良県の担当者は「県や関係機関が把握している限り、殴る蹴るといった暴行は確認されていない」と、高市氏のシカ発言を真っ向から否定している。一方、同氏の地元事務所の秘書は「(シカの)角を持って振り回したり、頭をたたいたりという行為は頻繁にある」と言い、旅館関係者からの話だと説明した。高市氏の言う「シカを足で蹴り上げる」とは、程度がちょっと違うが、その同氏自身は後の日本記者クラブでの会見で、発言の根拠を聞かれて「自分なりに確認した」としか答えていない。

本来なら、高市氏がいついつ、自分で見たとか、誰から聞いたとか、はっきり根拠を示すべきなのに、「自分なりに確認した」というあいまいな表現で済ませている。それを許した記者諸君も随分といい加減である。もし、シカを実際に足で蹴り上げれば、シカも全治何週間かの打撲傷を負い、現場ではちょっとした騒ぎになっていたのではないか。

根拠の不確かな、あるいは根拠のないことを話して、それをもとに誰かを攻撃する。それはトランプ氏がよく使う手法だ。高市氏のシカ発言もこれと似ている。しかも、結構ズルイ。攻撃された「外国人観光客」なるものが名誉毀損だとして抗議してくる心配はない。奈良県庁が否定しても、「自分なりに確認」で押し通せばいい。自分は国会議員だ、エライ人である。高市氏はそのように高をくくっているのだろうか。

同様の根拠なき発言はまだある。高市氏は先の論戦で、外国人が増えたことで日本人との間で不公平が生じているとの話の中で、次のようにも述べた。「警察でも、通訳の手配が間に合わないから、逮捕はしても勾留期限が来て不起訴にせざるを得ないとか、よく聞きます」。それが本当なら、由々しき事態である。我々の回りには、勾留期限が過ぎて裁判を免れた外国人の犯罪者がウロウロしているのか。

ところが、昨年の国会でも似た質問が出たが、警察庁の担当者が「通訳人が確保できずに取り調べに支障をきたした事実はない」とはっきりと否定している。高市氏がこうしたいきさつを知っていて、さっきのような発言をしたとしたら、同氏の罪は軽くはない。「…とか、よく聞きます」という発言もズルイ。いつ、どこで、誰から聞いたか、自分で調べた結果はどうだったか、なんてことは何も言わない。発言に責任を負っていない。

さらに、朝日新聞高市氏の事務所に発言の根拠を尋ねると、以下の回答が文書であった。いわく「実際に不起訴になる事例が頻発しており問題だということを言いたかったのではなく、そういう話が『人口に膾炙(かいしゃ)する』くらい、国民の間に不安が広がっている、ということを言いたかった」とのことだ。あれれ、「不起訴うんぬん」は事実ではなかったことを、自らが白状しているのではないか。それにしても、こんな話が本当に人口に膾炙しているのだろうか? 案外、高市氏が言いふらしているだけではないのか?

トランプ氏に似ているところはまだある。政権を批判するメディアを排除しようとする姿勢がうかがわれることだ。彼女が総務相だった2016年当時の国会で、放送局が政治的な公平性を欠く番組を繰り返したと判断した場合には、電波停止を命じる可能性について触れたことがある。砕いて言えば、政権批判をしたら、放送免許を取り消すということだろうか。トランプ氏が自分に批判的なテレビ局や新聞社に対して名誉棄損で賠償金を求めたりして、圧力を欠けているのは、よく知られたところである。

高市氏は自民党総裁に選ばれた直後のあいさつで「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」と述べた。過労死防止の観点からこの発言は批判を浴びたが、それはそれとして、私たちはこれから彼女の発言を「疑って、疑って、疑って、疑って、疑っていく」必要がある。そうでなければ、とんでもない「日本」に連れていかれるかもしれない。

わが団地から「緑」が減っていく

僕は埼玉県川越市の中心部からやや離れたところに住んでいる。1960年代にできた戸建て中心の団地で、1500戸ほどの大きさだ。各家の敷地は広くはない。東京の都心に通勤するにはやや不便である。でも、どの家からも大なり小なりの樹木が覗いていた。そこかしこに草花が植えてあった。緑が豊かで、それがこの団地に住む魅力のひとつでもあった。ところが、最近はその「緑」が減りつつある。

これまでそれなりの樹木があった家でも、建て替えられると、それらが消えてしまうのだ。例えば、僕が電車の駅に行く途中には、かつて比較的広い敷地に平屋の戸建てがあった。もちろん、庭には木々がかなり茂っていた。風情のある家だった。想像するところ、老夫婦だけの住まいだろう。だが、ふたりとも亡くなったのか、住人がいなくなり、そのうちに不動産業者が住宅を買い取ったようだ。やがて、敷地は更地になり、2階建ての建売住宅が2軒もできた。双方の家にはそれぞれ車が2台は止められる駐車場がついている。当然のように、木は1本もなくなった。寒々とした感じになった。

こんな家が最近、目立ってきた。僕が見るところ、古い家を不動産業者が買い取って、建売住宅として売り出す場合には、こういう例が圧倒的に多い。上の写真もその一例である。建て替える前の家には覚えがないが、少なくとも、大小の樹木が4本や5本はあったと思う。今は樹木は一切ない。隅の方に写っている木はお隣のものである。

ちょっと自慢させていただくと、そんな団地の中のわが家には樹木が結構ある。庭先を歩きながら数えてみたら、モッコク、ツゲ、ヒバ、サルスベリ、キャラ、キンモクセイナンテン、バラ、ツツジアジサイサザンカ、サンショ、そして松の木、柿の木……草花だと、スズラン、スイセン、ミズヒキ……盆栽の類だと、金のなる木が5つかそこらにカンノンチク、あと……いやはや、数えきれないほどの樹木や草花がいらっしゃる。

もっとも、これらを維持するにはそれなりのおカネも要る。わが家の場合だと、年2回、庭師に来てもらっている。庭師は2人で来て、2日がかりで木々を剪定する。当然、お茶、おやつを出し、最後の日には手土産の缶ビールも渡す。しかも、最近は庭師のような仕事をする人が減ってきた。庭師の確保もそうたやすいことではない。だから、人々が庭に樹木を植えたくないのも分からないではない。問題はカネだけではない。日々の手間だって馬鹿にならない。秋になると、木の葉が散り、庭の中ばかりか道路にまで散らかる。とりわけ、柿の葉っぱなんていうのは、散り方が盛大である。それこそ毎日、掃除に追われる。

上の写真は、わが家の右隣の家の庭から、わが家に向かって撮ったのだが、木々が沢山茂っている。茂り具合は団地の中でも優秀な方だろう。右隣のご亭主は僕なんかと違って庭いじりが大好きなようだ。庭師なんか入れないで、自分でせっせと手入れをしている。左隣の家もそれほどではないけど、かなりの庭木がある。わが家に庭師が来ていると、ご亭主がやって来て「うちも、そのうちに……」と頼んでいる。

話は変わるけど「光合成」ということがある。植物が太陽の光と水、二酸化炭素を使って、自分たちのための養分、そして酸素を作り出すことだ。酸素は空気中に放出され、我々にとって必要不可欠なものになる。つまり、わが家や両隣の家はそれなりの酸素を団地内に供給しているが、木が1本もない家からの酸素はゼロである。なのに、一人前に酸素は吸う。何ごとにもせこい僕は、人の褌(ふんどし)で相撲を……と思ってしまう。少しは酸素代を請求したいくらいだ。

まあ、そんな話はひとまず措くとして、「防災の日」の9月1日の毎日新聞に「命を守る緑のついたて」という記事が出ていた。それによると、102年前の関東大震災では、火災によって多くの死者が出たが、樹木の多い庭園に避難した人たちは助かり、それがなかった陸軍被服廠跡(東京都墨田区)に逃げた人たちは犠牲になった。つまり、木々が命を守るついたてになったからで、それは民家についても言える。さらには、庭の樹木を「高木と低木を組み合わせた配置にすると、ついたてとしての効果が高まる」とのこと。なるほど、これはわが家の庭にも当てはまる。木々のおかげで、わが家は比較的、火災に強いのだ。一方で、木のない家はそれなりの代償を払わせられるかもしれない。

そうであるなら、人の褌なぞとは言わないで、樹木のないお宅にも酸素くらいは無料で提供させていただこうか。ケチな僕も今は、そんな寛大な気持ちになっている。

「音痴」の我が人生

わが家からそう遠くないところに住む高校生と中学生の孫娘から、オーケストラの定期演奏会への招待が舞い込んだ。ふたりはかねてから地元のジュニアオーケストラに参加していて、姉はクラリネット、妹はチェロとのこと。そんな難しそうな楽器をみんなと調子を合わせて演奏できるなんて、たいしたものだ。二つ返事でOKし、当日は2時間ほど、大ホールであった演奏会にお付き合いした(下の写真)。

ただ、この演奏会の出来が素晴らしかったのか、それほどではなかったのか、僕には全く判断できない。情けないことには、僕は自他共に許す「音痴」なのである。孫娘たちが音痴でなくてよかった。演奏を聞きながら、そんな感慨も湧いてきた。

僕の音痴ぶりについてまず思い出すのは、中学校での音楽の「歌う」試験のことだ。一人ひとりが順番に歌う。優しい女の先生だった。歌の名前はすっかり忘れたが、ピアノ伴奏で僕が歌い出すと、先生はすぐに伴奏をやめて言った。笑顔だった。「岩城君、もういいですよ」。僕の音痴ぶりに驚き、これ以上歌わせるのは酷だ、と思われたのだろう。屈辱と言えば屈辱だが、僕はほっとした。級友たちの前で恥をかかなくて済んだ。

そして、学期末の通信簿――音楽の点数はどの項目も5段階で最高の評価だった。もちろん「歌う」もそうである。ああ、これが依怙贔屓(えこひいき)というものか。ちゃんと歌っている級友たちに申し訳ない。そうは思ったけど、先生に抗議したりはしなかった。今でも、歌わないで済んだあの場面をはっきりと思い出す。

時は過ぎ、大学に入った際、僕がまず目指したのは「社交ダンス」を踊れるようになることだった。なんとも次元の低い大学生ではあるが、少ない小遣いを工面して、ダンスの教習所にひそかに通い始めた。

だが、2回、3回と通ううちに分かってきたことがある。例えば、一、二、三と号令を掛けられ、左足、右足、左足というふうに順番に足を動かすことなら、僕にもできる。ところが、音楽に合わせて滑らかに足を動かす――これが僕には至難の業なのだ。教習所の女の先生はちょっと呆れた感じで僕の顔を眺めていた。というわけで、ダンスの練習は早々にやめてしまった。

そして、大学を出て新聞社に就職したが、そのうちに「カラオケ」なるものが流行り出した。仲間や取材先と飲みに行き、少し盛り上がってくると、時にはカラオケ合戦となる。でも、僕は歌わない。無理すれば歌えないこともないだろうが、やはり恥はかきたくない。最初の頃、断るのはいくらか大変だった。でも、そのうちに「あいつは歌わないんだ」という評価が定着した。僕の歌を要求する者はいなくなった。

さっき、孫娘が音痴でなくてよかった、と書いたが、僕の両親もそうではなかったようだ。カラオケがない時代だから、歌うのは聞いたことがないが、戦争が終わってまだ間もない、僕が5~6歳の頃、自宅の客間に社交ダンスの先生を呼んできて、練習していた。なんでそんなことをするのか、理由を尋ねたことはないが、まさに食うや食わずの頃だったから、はっきり記憶に残っている。

――以上が、僕の「音痴」の人生である。でも、ちょっとこむずかしいオーケストラなんかは別として、他人が歌うのを聞くのは決して嫌ではない。仲間とのカラオケ合戦にも、僕は歌わないながら、楽しく付き合ってきた。とりわけ、昭和の歌謡曲は好きだ。美空ひばりさんのライブに駆け付けたこともある。テレビでその特集なんかをやっていると、ついチャンネルを合わせてしまう。最近、亡くなった橋幸夫さんなんかも好きだ。誰もいないところで、………と口ずさむこともある

結論として、僕は完全な音痴ではなくて「半音痴」なのだろう。そんな人生も悪くはない。このまま、あと10年、20年…と生きていこう。でも、「今世」はそれでいいとして、もし幼い時からちゃんと指導してもらえれば、孫娘たちのように、クラリネットもチェロもこなせるようになるかもしれない。先般の演奏会の後、感想文を求められたので、「もし生まれ変わったら、このジュニアオーケストラに入れて頂きたい」と書いてきた。僕の「来世」が楽しみである。オーケストラの指揮者になっているかもしれない。

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