1995年の「あの日」から 明日で29年が経ちます。
俺に限ったことではなく
神戸の人達に限った事でもなく
被災した多くの人達は
「その日」のことを忘れようと 懸命に生きて来たと思います。
それが・・・
2024年の「まさかの1.1能登」の あの惨状を見て以来
その「忘れたい」という気持ちが・・・
「忘れたら あかんかも?」という気持ちに
変わって来たような気がします。
※
「あの日」神戸に震度7以上(計測不能)の 超巨大地震を引き起こした
北淡・野島断層(赤線)
その断層の「黄色い☆」が我が家の位置です。
今見ても ぞっとします。
※
「いつもの窓から」見える「右端の赤い☆」が
上の地図の「赤い☆近辺」です。
「あの日」幸いにも我が家は 何とか倒壊だけは免れましたが
我が家から東へ車で10分ほど走った須磨の友人は
自宅の倒壊で亡くなりました。
何故か 断層の西側より
東側の方が そうとう激しい揺れだったようで
その被害の様子は みなさん すでに ご存じのとおりです。
※
近い将来 必ず来るであろう巨大地震に対して
記憶より記録
そこから 何を学ぶか?
俺の経験から言うと
自助 自助 共助 自助 自助 共助
で 公助でっか?
はなはだ 疑問です。
ってことで
怖がってばかりいても こればっかりは 逃げれませんから
ある意味 ケセラセラ精神も必要かと?
とは 言いつつ
明日の朝の5時46分がちょっと怖いね・汗
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