最近、人のブログを読んだり、気になったことを検索するのに多くの時間を使っている。
人の書くブログ、特に日常生活を書いたブログを読むのが大好きで、そのブログに表示されている広告、例えば、青汁の広告をクリックし、「あっ、藤田朋子だ! 懐かしい。今何しているんだろう?」と、芸能人のことを検索し、ゴシップ記事を読んだりし、気付いたら1時間経ったりしている。
そもそもこのブログをはじめた理由は、学習した内容をある程度の緊張感を持ってメモしておく為なのに、メモをしようとブログを開くと、「今週のお題」などの面白そうな誘惑が目に飛び込んでくる。そこから、そのお題について書いた他人のブログを見て、芸能人のゴシップ記事へ、という流れに突入する。そして、肝心な文献を読んだ内容をメモする時間が減り、更に文献を読む時間まで減ってしまうのだ。これはいかん。
誘惑に途中から打ち勝つのは難しいので、最初のトリガーになっている「メモの為にブログを開く」頻度を減らしてみよう。でも、メモは取りたいので、紙に書くことにする。
紙で文献を読んで、紙にメモする。そして、一ヶ月に一回程度そのメモをまとめたものをこのブログに投稿する。ひとまずこんな感じでやってみよう。
このノートに書こう。綺麗に撮れなかったが、結構この表紙は気に入っているのだ。
前回の投稿まだ行ったことのない母校 - Feminist Philosophy で述べた通り3回オンライン留学したのだが、その結果、分かったことがある。
行き当たりばったりだったとは言え、なんだかんだ6年間勉強し続けたので、英語力は上昇、最後の大学院在学中に受けたTOEICでは955点取れた。それ以降も勉強を続けているので、もしかすると、今はもうちょっと良い点が取れるかも知れない。
また、卒業という目にみえる成果が出たので、上司にもアピールしやすく、人事考課にプラスになった。
計画性が全くなかったので、無駄にお金を使ってしまったが、当時の自分の能力ではやってみないと自分が何に向いているのか、何が好きなのか分からなかったと思う。そいういう意味では、まず始めてみた点は良かったと思う。
3回のどのオンライン留学でも自主学習が主だった。自分で主体的に勉強し、たまに誰かのフィードバックをもらうことで成り立っていた。したがって、必ずしも学校という空間が必要な訳ではない(もちろんあるに越した事はないが)。
哲学の先生も以下の様におっしゃている。私の言っていることとちょっと違うかも知れないが、都合が良い様に解釈し励みにしている言葉である。
研究は基本的にはひとりで行う作業です。しかし、早速前言を翻すようですが、研究活動はひとりで成り立たせることができないと思います。なぜなら自分の考えを聞いてくれたり、意見を述べてくれたりする研究仲間のおかげで研究活動ができているからです。
https://gssc.dld.nihon-u.ac.jp/interview/nakazawa-hitomi/
私は今年で50歳になり、会社員として引退が射程距離に入った。これからは支出をセーブしつつ学びたい。そこで、お金をかけずスモールスタートし、勉強を楽しむことにした。
お金をかけずにコツコツ自主的に勉強を続け、たまには、学習したことを書き留めておきたい。書き留める時に「人に読まれるかも知れない」という薄い緊張感があった方が良いのでは、と思いこのブログをはじめた。
ただし、最近、書き留めることに時間をかけ過ぎて、自主学習の時間が減っている。ブログを更新する回数を大幅に減らしてみようかなぁ? 一ヶ月に一回ぐらいで良いかも?
今週のお題「行きたい場所」
昨年、英語圏の大学院(修士課程)を卒業した。ただし、オンラインで卒業できるコースであった為、現地に行ったことがないのだ。いつか行ってみたい。
実は3回オンライン留学をしていて、1、2回目は卒業せずに途中でやめてしまった。せっかくの機会なので経緯をまとめてみる。
経営系ITの仕事をしており、且つ、上司や同僚が全て英語圏の人だったので、ITのスキルを英語で伸ばしたいと思い、当時(6年ほど前だったと思う)無試験で入学できたイギリスのオープン・ユニバーシティでシステムエンジニアリングのコースを受講した。
文献を読んで、意見を掲示板へ投稿、最後に飯田橋にあるブリティッシュカウンシルで試験を受けるというコースだった。試験では手書きで「システム導入における注意点を書きなさい」的な質問に回答せねばならず、英語での表現力、知識、手で英語を書く力どれも大幅に不足しており、惨敗。
仕事も忙しかったこともあり、そのままやめてしまった。
1回目のオンライン留学中退後、たまたま受験したTOEFLで70点ちょっと取れて調子にのる。なんだかんだ1回目の留学中に勉強した成果が出たのだろう。
勉強すると成果がでることが分かったので、今度は、経営系の大学院へオンライン留学。上述の通り経営系ITの仕事を生業としており、1回目でITの勉強を挫折したので、今度はITと経営の両方を学べる専門職大学院へオンライン留学。
入学前にTOEFLを受験したが、入学最低条件の80点に届かず。でも、とりあえずアプライしてみたら、事前学習など様々な条件を付けられつつも、無事入学できた。
3年で卒業する計画をたて、2年間ほど順調に学んだ。文献を読んで、意見を掲示板へ投稿、最後にレポートを出すという形式だった。たまに、グループワークがあり、アメリカにいるクラスメイトと一緒にレポートを書いたりし、時差があって大変ではあったが、楽しかった。ところが、どうしても実学的なもの(専門職大学院なので当たり前だが)に興味が持てず、そして、これ以上学費を払う気がおきず、卒業まで1年を残してやめてしまう。
実学ではなくアカデミックが勉強がしたい、そして、修士論文が書きたい、という明確な目標ができた。ただし、お金と時間をかけるので給与アップに貢献することを学びたい。
この両方の要望を満たすべく、当時興味のあった教育学を英語で学べて、且つ、修士論文が書ける大学院への入学を決意。
Duolingoという英語の試験を受け、ギリギリ入学基準を満たし(おそらく2回目の留学の成果だろう)無事入学。入学には指導教員からの推薦状が必要だったが、2回目の留学でお世話になった先生に図々しくも書いて頂いた。
ちなみに、Duolingoで入学した学生の英語力に問題があることが発覚したらしく、私が入学した翌年より英語力証明資格からDuolingoが外れたらしい。
文献を読んで、レポートを出すという形式のコースがほとんどで、1回だけグループワークがあった。中国にお住まいの韓国の方(中国に転勤している韓国の方)とペアになり、オンラインでレポートを作るという貴重な体験をした。
モチベーションを上げる為、大学のロゴをコンビニでステッカーとして印刷、ノートに貼ったりしていた。今思えば、ちょっと病んでいたのかもしれない。
修士論文では、講師の指導を受けつつ、「ジェンダーマイノリティーへの教育ポリシー」について書いた。英語で長文を書くという未知の体験に大苦戦したが、無事提出、及第点を頂き、無事卒業した。
こうやって振り返ってみると、ひどく行き当たりばったりであることが良く分かる。匿名でこのブログを書いているので素直に書けてよかった。実名で書くと、どうしても格好付けたくなり、ストーリーが曲がってしまう可能性がある。
正直あまり旅行が得意ではないのだが、3回目のところには機会があれば行ってみても良いかな?
売買春、性を売買することの是非を考える際、私がよく耳にする論点は、自分の身体を自由にする権利、売る側と買う側の権力の勾配、売る側の自由意志である。
また、この論点に加え、私個人的に気になっているのが、現実的に考えて、衛生的な売買春環境とはあるのだろうか、という点だ。避妊具をしていても感染症が100%防げる訳でない。売買春にてどのような行為を行うかによって異なるのだろうが、他の職種と比べ売春者の衛生リスクは著しく高いのではないだろうか? もちろん、医療行為でも感染リスクはあるのだが、科学的知見の含蓄による対策は取られているし、売春者のリスクとは比較にならないだろう。
上述の全論点を満たすとするのであれば、圧倒的に社会的権力があり、且つ、社会的プレッシャーにより性を売ることを強制されず完全に自分の意志で売春をする場合、例えば、圧倒的権力者であるイーロンマスクやトランプ大統領が自主的に「私は今、お金の権力もあるので、私の身体で皆さんの性欲を満たすことで社会貢献したい」と考えた場合だろうか。しかも、専属の衛生管理チームが考えたガイドラインに沿って売春がなされる状況であるならば、売買春は「是」ということになるのだろうか?
後ほど、じっくり考えたい。
大沢在昌「リペアラー」を読んだ。面白くて一気読みした。
北方謙三などのハードボイルド作家の文体はあまり得意ではないのだが、なぜか大沢在昌の本は好きで著書のほぼ全てを読んでいる。ハードボイルド系の文章にはなぜか季語が抜けていたりし、気候が気になり、読む際に詰まってしまったりするのだが、多くの本を読むうちに慣れてきて、楽しめる様になった。
おそらく、私は昭和後期、在日外国人という背景がある小説が好きな様で、このリペアラーもしっかりとそういう背景が散りばめられた小説だった。大沢在昌の小説にはその様なものが多い。
会社員として仕事をしながら、趣味で本を読んでいるので、できるだけ仕事の足しにしよう(英語でのコミュニケーションが必要な仕事をしている)と英語の本のみを読むようにしていたのだが、最近行き詰まっており、気分転換にこの本を読んだ。
日本語での読解能力の方が英語でのそれより圧倒的に高いので、日本語では快適に短い時間で多くの本を読める。ただし、数年後に、日本語のミステリー小説を100冊読んだ自分より、英語の本を50冊読み英語で本を楽しめるようになっている自分の方が、好きな気がするので、「小説は英語縛り」というルールを再開しよう。ただし、学術書は言語を問わず豊かな人生を営む糧になりそうなので日本語も可である。
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