今回は冒頭に書くことが特に思いつかないので、早速本の紹介をしていく。
一応ネタバレ注意で。
↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp
↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み
書店や本をテーマにした作品は数多くあれど、今まで読んだどの作品よりも本好きに刺さる内容だと感じた。
本好きが高じて古書店を始めた主人公であるが、思ったよりも気楽な生業とはいかず、商売の現実に直面している。
そんな彼の元にとある買取依頼が来るところから話が始まる。
まず、一話のテーマが「本の処分」であるのが現実らしいとは言え、消費者目線では気づきにくい視点だった。
自分は本をゴミに出すということが生理的にできないので買取サービスを利用しているのだが、これだって自分の罪悪感は少ないだけでやっていることは"処分"だし、そもそも売った本がどうなっているのかまでは考えたことがない。
また誰かの手に渡って読まれてくれればいいなとは思うけど、買った誰かが捨てたり、売れないから店側が処分することだって当然ながらあるのだ。
主人公は古本屋を「本に興味ない人が本を捨てに来る場所でもある」と自嘲しているが、確かに誰かに行く末を任せている時点では「捨てている」と同義であるかもしれない。
「あの世まで持って行けやしないから、誰も読まなくなった本は誰かが終わらせないといけない」「心ない人に買われるくらいなら心ある人に捨てられたい」と店の常連が主人公に言うシーンがあり、なんかこう、収集癖持ちとしての使命感のようなものを垣間見た。
自分は本だけではなく古いものが好きで、何十年も前のものが時を経て自分の手元にあることに歴史とロマンを感じる。
仮にそれを手放すときがきても雑な放り方はしないと改めて思ったし、このセリフはそんな自分への戒めとして刻まれるだろう。
幕間で麻雀やほのぼの日常をやりだしたと思ったらまた話が動き始めた。
世界の謎が徐々に明かされるものの、やっぱり肝心のとこはまだまだ不明なので気になるし、キャラの匂わせセリフもいちいち気になる。
なんか主人公の出番少ないなあと思ったが、3巻ではメインを張っていたし、4巻の話でもキーパーソンになるのは明らかだからまあ今回は溜めということで。
単行本化を楽しみにしていた漫画。
死と実りを司る神であるソランジュは戦争を起こしてしまった責任で、世界の創造主から謹慎を命じられる。
謹慎中、ソランジュはレイニーと名乗り弁当屋をしつつ自分の目的を果たすために暮らしていくこととなった、というお話。
弁当屋さんは主題だがグルメ漫画ではない。
弁当の隙間を埋めるようにソランジュが自分自身や人間を憎みつつも、彼らとの交流の中で心の隙間を埋めていく話になっていくのかな、と予想しているけど多分そうはならないような気もしないでもない。
画風はシンプルで可愛らしいのだがストーリーには少々不穏な点もあり、絵柄と相まって不気味さが随所に感じられる。
絵的にも展開的にもいい意味で空白が多く情報を小出しにして想像の余地を残してくれるので、考察好きな人にもおススメできる内容だ。
一年に一回の刊行なので、読み返すまでみちかとまりの中身が入れ替わっていることを忘れていた。
今回はかなりホラー風味が強く、土着的というか因習的というか、そういう民間伝承的なホラーの要素がふんだんにあった。
田んぼを見て回っているおじいちゃんとか、馴染みのある光景が描き方次第でここまでホラーになるものかと感心する。
みちかが学校の人らの目玉を抜きまくったのは「学校のやなとこ」をまりのために無くしてあげようとしたんだけれども、あそこまで暴れまくったみちかが再びあっさりといなくなってしまったのもあっさりしすぎていて怖いし、今回はまりがみちかのことを忘れていないからどういう再会をするのかも楽しみだ。
巻き戻しの能力をついにプロテストで使ってしまう二階堂だが、5巻の感想でも触れた通り、能力の発動には条件があった。
手に入れた武器の性能を徹底的に調査していたルルーシュはやはり優秀だったと言わざるを得ない。
だけど、二階堂が巻き戻しの力を使った理由が、自分のミスショットでキャディーさんを怪我させてしまったからというのはどこまでも彼らしい。
自分を応援してくれる人のために挑戦を続けることを決意した二階堂にふさわしい選択だ。
懸念しているのは、「人のため」という動機は「人のせい」という言い訳に転ずる可能性もある。
もしも二階堂の挑戦が実を結ばなかったとき、「自分が時間を無駄にしたのはあいつらのせい」なんて闇落ちする姿は見たくない。
どんどん仲間が死んでいくレジスタンスに対し、サンダー3が戦闘中もヘラヘラしていたのでお前らもうちょい遮二無二になれよと思ってしまった。
なんかこう真剣さに欠けるというか、当事者意識が足りてない感じ。
自分は命を懸けてるのに、相手が「俺なにかやっちゃいました?」的な姿勢だったら腹立つわけじゃん。
ONE PIECEのアラバスタ編で豪水を飲んで命がけで戦場に赴いたツメゲリ部隊と戦うこともせず、彼らの自滅を待ったクロコダイルにチャカが怒ってたけど、読んでてああいう気持ち。
三島由紀夫の評論をまとめた一冊。
彼の生活ぶりも書いてあるが、エッセイというよりは評論と言ったほうが近い。
12月に太宰治の『もの思う葦』を読んだとき、そういえば三島由紀夫は太宰治のことが嫌いだったっけと思い出した。
で、三島由紀夫が太宰治に抱く嫌悪感について書いてあるのがこの本となる。
「第一に顔が嫌いだ」として、「女性と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない」とかなりの嫌悪を丸出しにしている。
太宰治の持っていた性格的な欠陥は器械体操や規則的な生活で矯正できたはずだとし、要は体を動かして規則正しく生活していれば酒や麻薬に溺れたり心中したりすることはなかったのだと言いたいのだろう。
別の箇所でも、「自分は今や肉体的に健康だから、些事について鈍感になる権利があると考え」と述べていることから、筋トレをするとポジティブになるよと主張したいのが分かる。
また、三島由紀夫は太宰治が自身のありのままの弱さを表へ出していたのが気に食わなかったらしい。
「作家にとっては、弱点だけが最大の強みとなることくらいは知っている」と、弱さを見せること自体は否定していないものの、「弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押し付けるにいたっては!」としている。
また別のくだりでは太宰治の文体の弱さを指摘し、「自分の弱さをひとつも是認せず、しかもその弱さを見張ることを止めない精神!」と糾弾している。
太宰治の『秋風記』という作品の中で、「あなたのまじめさを、あなたのまじめな苦しさを、そんなに皆に見せびらかしたいの?」という台詞があるが、三島由紀夫は彼のこういう姿勢が気に食わなかったのではないだろうか。
三島由紀夫は自分自身の弱さにコンプレックスがあり、それを身体を鍛えることで解消したから、自分の弱さを自覚しているんならどうにかする努力をしろという姿勢なのだろう。
弱さをあるがままにしている太宰治の生活は我慢ならなかったろうし、自分の境遇の恵まれなさや不甲斐なさをそのまま外へ持ってきて他人へアピールし、「自分ってかわいそうだよなあ」と周囲をチラチラ見ている様子にイラっとしていたかもしれない。
太宰治のような反面教師的な存在も三島由紀夫が筋トレを始めるに至った一因になっているのだろうか。
『小説家の休暇』にて、三島由紀夫が「音楽」というものについていろいろと語っているのが目立ったので、積んであったこちらを読むことにした。
精神科医の汐見の元に「音楽」が聞こえなくなったという女性患者・弓川麗子がやってくる。
原因を究明していくうちに、彼女の精神の深淵にあったものが見えてくるというお話。
患者が不感症に悩まされていることから、「音楽」というのはまあ性的絶頂の比喩であるということが分かる。
麗子は美女で気まぐれな性格でもあり、そんな彼女に翻弄される男たちを描きつつ精神分析も二転三転しつつ、音楽が聞こえない麗子の精神に迫っていく展開はミステリー小説を見ているようでもあった。
以前読んだことのある本にあったのだが、過去のツラい体験からPTSDに悩まされるようになると自分の思ってもいないところで突然フラッシュバックが起こるようになり、あまりにもそれが続くと日常化してしまい、不幸である自分がデフォルトであると思い込むようになるそうだ。
そうなると自暴自棄になったり自分を大切にしなくなったり、何もない日常や幸福であることを逆に不安に感じるようになるとのこと。
麗子に音楽が聞こえなくなった原因は過去の性体験にまつわるトラウマにあるのだが、彼女の周りには男性関連のトラブルが相次ぐため、彼女自身にも上記のような現象が当てはまるのかなと思った。
あえて自分から異性と一悶着起こすことで、過去に自分の身に起こったことなんて大したことないと思い込みたいのかなみたいな。
三島由紀夫は『小説家の休暇』の中でこのように述べていた。
音楽愛好家はマゾヒストなのではなかろうか。音楽を聞くたのしみは、包まれ、包容され、刺されることの純粋なたのしみではなかろうか。命令してくる感情にひたすら受動的であることの歓びではなかろうか。
こんな書き方をされると、確かに音楽と性行為には類似点があるのではと思ってしまう。
同書で触れられていた他の音楽論も見るに、三島由紀夫にとって音楽とはあっちから突然やって来るものらしい。
向こうからやってきて自分を包み込もうとする音楽に恐怖心さえあったそうだ。
生真面目で几帳面な三島由紀夫にとって、音楽の不規則性はお気に召さなかったのだろうか。
かなりざっくりした三島由紀夫の音楽論紹介になってしまったので、興味のある人は『小説家の休暇』と『音楽』を併せてどうぞ。
「文章力を身につけるには」というテーマの一冊。
自分はパンク侍からのくっすん大黒で町田さんの文章にやられてしまった人間だが、この本を読んだところで町田さんの域に到達できるわけではもちろんない。
ないが、町田さんがどんなことを考えて文章を綴っているか、また、読書体験のルーツはどういったところにあるのかを知ることができる。
本の内容とは全く関係ないのだが、読んでいて思い出したことがあるので書く。
文章力をつけるには本を読めということでどんな本を読めばよいのかというくだりの中で、優れた選書家の人が選んだ本だからと言って信頼できるとも限らないと述べている場面がある。
町田さん曰く「その人の選書家としての看板にとって都合のよいもの、読者や編集者の受けのよいもの、みたいなことに配慮して恣意的である可能性は少なくないから」だそうだ。
ここで話は過去へ飛ぶが、自分が中学生だか高校生だかの頃に読んでいたファッション誌は、当時サロン系スタッフのファッションをプッシュしており、紙面にはいわゆるところのカリスマ美容師という人らがちょくちょく登場していた。
その中でもカリスマ中のカリスマみたいな人がいて、名前は今でも覚えているのだが伏せるけど、雑誌の中でその人の特集が組まれ、ポップでアーバンなライフスタイルをなどを紹介されていて今で言うところのインフルエンサー的存在の人である。
あるとき、「自分の好きなジャンルの中でベスト3を挙げよう」的なコーナーがあった。
例えば、洋服というジャンルであれば自分にとってはこれとこれとこれがベストですねみたいな感じで、ジャンルは何でもいいのでとにかく3つ紹介しろという企画だったと記憶しているがどうにも昔のことなので記憶違いもあるかもしれない。
でも、そのコーナーにおいて例のカリスマ美容師が挙げていたベスト3だけは今でも記憶を違えることなく覚えている。
まず、彼が「自分の好きなアニメのベスト3」と題していたことが驚きだった。
今でこそオタク、特にアニメや漫画のオタクというやつは市民権を得ているかもしれないが、自分が中学・高校生当時はまだまだ日陰の趣味であり、恋愛シミュレーションゲームや可愛い女の子が出ているアニメに対してはまだまだ偏見が多かった。
そんな中でこんな男前のカリスマ美容師がアニメを見ているというだけでも驚きだったのに、それを雑誌で公言するなんて尋常じゃないことである。
こんなオシャレでスタイリッシュな人はどんなアニメを見るんだろうと期待してページをめくると、3位・海外アーティストの音楽MV、2位・海外アーティストの音楽MV、1位・攻殻機動隊というラインナップで、完全に肩透かしを喰らった。
1位はともかく、2位と3位はアニメというよりアニメーションだ。
当時は00年代であり、パキパキの萌えアニメが多く放送されていた時代である。
このカリスマもそんな萌えアニメを見ているのだろうかと抱いた淡い期待は、彼のオシャレなライフスタイル自慢の前に打ち砕かれ、さらにはこんなオシャレなのにアニメを見ている俺、というギャップ演出も垣間見えてがっかりした。
まあそんなことがあり、今では読書系インフルエンサーなる存在もいるが、彼らが紹介する本がどうにもいけ好かないのは当時の自分の感情が死なずにうごめいているからだと思っている。
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