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Megurecaのブログ

『源氏物語 1』  角田光代 訳

源氏物語
角田光代 訳
河出文庫 古典新訳コレクション
2023年10月20日 初版発行 
2024年9月30日 8刷発行 
*本書は2017年9月に小社から刊行された『源氏物語 上』(池澤夏樹=個人編集、日本文学全集04) より「桐壺」から「末摘花」を収録しました。

 

小林秀雄の『本居宣長のなかで、折口信夫宣長の話をしたら、「宣長はね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」といって去っていった、という一文がある。やはり源氏?読まないとダメかな。『あさきゆめみし』も通読できていない私だが、やはり、西洋の古典もいいけど、日本の古典を本当の意味で読んでみたい、と思っている。
いつか、時間ができたら、、、(という時は永遠に来ないのだが)、瀬戸内寂聴の訳を読んでみようかと思っていた。と、そこに、とある勉強会でご一緒しているかたに、「角田光代の源氏が読みやすくていい」といっておられて、その時に持っていた文庫本を見せてもらった。

 

パラパラとめくってみると、おぉ、なるほど、、、、短文で、現代語で、これは確かにわかりやすそう。ということで、まずは、図書館で第1巻を借りて読んでみることにした。

 

本の後ろの説明には、
” 約千年前に紫式部によって書かれた『源氏物語』は54帖からなる世界最古の長編物語。 この日本文学 最大の傑作を、小説としての魅力を余すことなく現代に蘇らせた、読売文学賞 (研究・翻訳賞)受賞の角田源氏。「1」は若き光源氏の姫君たちとの恋と許されぬ藤壺への思慕を描く。「桐壺」から「末摘花」までを収録。”
とある。

 

著者、訳者の角田光代は、  1967年 神奈川 生まれ。90年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(直木賞)、『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)など著書がたくさん・・・。

 

目次
桐壺(きりつぼ)   光をまとって生まれた皇子
帚木(ははきぎ)   雨の夜、男たちは女を語る
空蝉(うつせみ)   拒む女、拒まぬ女
夕顔(ゆうがお)   人の思いが人を殺める
若紫(わかむらさき) 運命の出会い、運命の密会
末摘花(すえつむはな)さがしあてたのは、見るも珍奇な紅い花
文庫版あとがき
解題 藤原克己

 

感想。
たしかに、読みやすい。だから、サクサク読み進む。

 

光源氏と頭中将、その周辺の若者たちの会話は、まるで今の若者たちが、男友達だけで恋愛話をしているみたい。女について、言いたい放題。ただ、手紙にかかれる歌は、現代仮名ではあるけれど、古文のままで、その意味が括弧で補足されている。

 

また、各話ごとに、登場人物の関係図が一枚はさまれている。

 

故に、源氏物語、とういか藤原氏による摂関政治の時代は、親子なんだか夫婦なんだか兄弟なんだかとにかくわかりにくいところが、すこしは図解によってわかりやすくなっている。とはいえ、それも、物語を読み解いてつくった家系図なんだろう。ということは、研究者によっては多少ことなることもあるのかもしれない。

そして、第一巻くらいまでは、でてくる女たちについて、あぁ、知ってる知ってる、って感じだった。

 

桐壺(きりつぼ)の「桐壺の更衣」は、光源氏(光君)の産みの母。だが、たいした身分でもないのに桐壺帝に愛され過ぎたことで、周りの女たちの嫉妬、嫌がらせで早世してしまう。そして、帝が迎えたのが「藤壺の女御」。のちに光君は、藤壺の女御に恋焦がれ、とうとう夜這いして子供までつくってしまう。

 

帚木(ははきぎ)は、「空蝉」がでてくる前段。

 

空蝉(うつせみ)は、光君の傍にいる小君(小僧)の年の離れた姉。光君はなんとか自分の物にしたいが、なかなかなびいてくれない美しく、奥ゆかしい人。

 

夕顔(ゆうがお)は、粗末な家に住むはかなげな女性。どうやら、頭中将の昔の女らしいのだが、光君が手をだす。そして、添い寝している最中に、六条御息所の激しい嫉妬で呪い殺されてしまう。光君は、亡骸にすら縋り付きたいほど、悲しく思う。
源氏物語の中で、最初にでてくるお化けの話が、この夕顔。


若紫(わかむらさき)は、「紫の上」のことで、藤壺の兄、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)の娘。まだまだ子供。母はすでに亡くなっている。光君は、あまりのかわいらしさに、今から引き取って自分で育て上げたい、と願い出る。世話をしている尼君は、とても輿入れできるとしではないのでと、取り付く島もない。が、人さらいをするかのように、光君は紫の上を自分の傍へ連れ帰る。


末摘花(すえつむはな)は、光君がなんとなく手をだしてみたけれど、顔をみたら、その不細工さに興ざめした話。

 

まったくもって、やっぱり、とんでもない男の話だ。
父である帝の妃・藤壺に手を出し子をなす、幼子の紫の上をさらう、女ならだれでもいいのかという位、手あたり次第ではないか。。。。。

 

そして、その女がどんなだったかを頭中将らと自慢しあう。。。やっぱり、あほな男でしかない。と、くだらないとおもって、いつもこのあたりで読むのをやめてしまうのだ・・・。

 

でも、今度は、一度は全8巻を読んでみようかな・・・・・という気がしなくもない。が、いいのか?角田訳で?とおもって、瀬戸内寂聴さんの第一巻も借りてちょっと読み比べてみた。やはり、瀬戸内寂聴さんの方がより古典っぽい。ゆえに、美しい文章に思える。が、難しいような気もする。。。

 

ちなみに有名な書き出しは、

角田訳: 
いつの帝の御時(おんとき)だったでしょうか。
その昔、帝に深く愛されている女がいた。 宮廷では身分の高いものから そうでないものまで、 幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。
帝の深い寵愛を受けたこの女は、 高い家柄の出身ではなく、 自身の位も、女御より劣る更衣であった。

 

瀬戸内訳:
いつの御代(みよ)のことでしたか、 女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄のご出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、華々しく優遇されていらっしゃる更衣がありました。

だいぶ違う。

 

原文:
いづれの御時にか、女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

 

つまりは、角田訳のほうが意訳なんだろう。そして、ですます調ではないので、文が短く、リズムが速い。

 

若者たちの女談義のなかでは、
角田訳
「・・・・・私ごときつまらぬものの忠告ですが、 色っぽくて なよなよした女にはご用心なさいませ。そういう女が間違いを犯すと、男がまぬけだったからだ、なんて評判になりかねませんからね」

 

瀬戸内訳
「 ・・・・数ならぬ私の忠告をお聞きくださって、色っぽく男に靡きやすい女には、せいぜいご用心遊ばせ。 そういう女はきっと不貞な過ちをしでかして、夫にとってもみっともない評判を立てられるに違いないのです。」

 

これは、やっぱり、角田訳が分かりやすい。

 

やっぱり、角田訳で通読してみようかな、、、と思う。
買ってもいいかな。いや、まずは、図書館で読んでみてからにしよう・・・。

 

ま、先に『失われた時を求めて』を読み終わってから手をだそう・・・・。

読みたい本がたまっていく・・・・。

 

 

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