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Megurecaのブログ

『「失われた30年」に誰がした 日本経済の分岐点』 by  リチャード・カッツ

「失われた30年」に誰がした ―日本経済の分岐点―
リチャード・カッツ  Richard Katz
田中恵理香 訳
早川書房
2025年3月20日 初版印刷
2020年3月25日 初版発行
THE CONTENTS FOR JAPAN’S ECONOMIC FUTURE
 Entrepreneurs vs. Corporate Giants (2025) 

 

日経新聞、2025年5月10日の書評で紹介された本。私は、「失われた30年」って、なにが失われたの?とおもっていて、あまり好んで使う言葉ではない。けど、日本経済の分岐点という言葉が気になった。

 

記事には、
”長年にわたり日本経済を取材・研究してきた米国人ジャーナリストが、日本経済低迷の構造的原因と再生に必要な処方箋を論じた力作である。経済の現状、歴史的背景、諸外国との比較などを、実際の取材を交えてさまざまな角度から描き出し、中立的・客観的な立場から今までの政策や企業経営の姿勢に忌憚のない批判を加え、実現可能な政策提言を行っている。企業の類型を動物に例えるなど、ジャーナリストならではの話法と秀逸な翻訳で、複雑な論点も分かり易く説明している。

著者によると、経済システムは環境の変化に適応することが必要だが、日本は1970年代に高度成長が終焉して以降、変化への適応が遅れた。「失われた30年」の根本原因はそうした構造的問題にあり、バブル崩壊は蓄積した矛盾が一気に顕在化したにすぎない。経済の再生に最も重要なのは、産業の新陳代謝つまり非効率な企業の淘汰と成長性ある分野での起業の活性化だと著者は指摘する。そのためには、スタートアップ企業への資金的・人的資源のシフトと同時に、そうした構造変化、つまり「創造的破壊」を社会が許容できるような公的セーフティーネットの整備が必要だ。

にもかかわらず、この30年間の政策は、ショックを和らげ経済的に非効率なセクターを温存しようとするマクロ経済刺激策に重点が置かれてきた。一定の改革は行われたものの、ペースが遅く規模も小さいため、経済の悪化に追いつかなかった。労働市場規制緩和による非正規労働者の増加など、国民の所得と長期的経済成長にとってマイナスに作用したものもある。

日本人は決して終身雇用や年功序列に象徴される「保守的で同調を好む」だけの民族ではない。明治維新や戦後の起業ブームによる奇跡的な経済発展の歴史が示すとおり、本来は起業家精神を発揮して繁栄する力を持ち合わせているはずだ。共同体平等主義という日本の政治的倫理観を尊重しながら成長する可能性が日本には充分ある。

人口構成の変化、テクノロジーの進化など、改革は待ったなしの状況だ。日本経済復活の最後のチャンスかもしれない。そのためには、政治と社会を変えるために国民一人ひとりが問題を理解し、政策への関心を持つ必要がある。本書は、そのためのヒントを与えてくれる。”
とあった。

 

気になったので、図書館で予約した。予約が回ってきたのが10月末なので、5か月くらい待ったことになる。

 

表紙の裏には、
”日本は企業の「廃業率」「創業率」ともに先進国で最低レベル。その真因は?

健全な経済的淘汰が阻まれることで、日本は衰退の道をたどった。終身雇用制度、正規労働者と非正規労働者の圧倒的な賃金格差、ジェンダー不平等、資金調達の制度的障壁……。あらゆる角度から問題点を検証するとともに、新世代の起業家たちへの取材を通じて地殻変動を描き出す。日本経済を知悉した米国人ジャーナリスト渾身の書。”
とある。

 

著者のリチャードカッツは、日本経済及び日米関係を専門とするジャーナリスト。『週刊東洋経済』特約記者(在ニューヨーク)。ニューヨーク大学で経済学の修士号を取得。日本に関する月刊ニュースレター「The Oriental economist Report 」を20年にわたり発行。現在はブログ「Japan EconomyWatch」を運営。

 

訳者の田中さんは、東京外国語大学英米語学科卒。ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士課程修了。

 

目次
序章 一世一代一度のチャンス

第一部日本における起業家精神の興隆と衰退
 第1章 起業家精神 高揚から硬直へ
 第2章 デジタル世界のアナログなマインドセット

第二部 日本の回復にはガゼルがもっと必要
 第3章 生産性革命の必要性
 第4章 大企業病  ゴリラが目に入らない
 第5章 ガゼル生産性のキーストーン衆
 第6章 アベノミクス  失われた機会の物語

第三部 起業家になるのは誰か?
 第7章 リスク回避の文化か、それともリスク対リターンか?
 第8章 起業家にならない人たち
 第9章 企業内起業が起業家(アントレプレナー)を育てる
 第10章 起業家コミュニティとしての大学

第四部 ガゼルの成長を阻む障壁を克服する
 第11章 人材採用の障壁の克服
 第12章 デジタル・ディバイドと研究開発不足の克服
 第13章 新しい企業への融資
 第14章 顧客を見つけることのバタフライ効果
 第15章 グローバルであることの重要性

第五部 改革の政治学
 第16章 日本の戦後政治経済の価値観
 第17章 フレクシキュリティ  第三の道
 第18章 改革の成功に向けた政治シナリオ
 第19章 日本はやれる、でもやる気があるか?

 

感想。 
う~ん、、、、確かに、日本経済のことをよく知っている人なのだろうし、ジャーナリストとしてデータをしめして、話を展開している。よく書かれているというのだろうけれど、私には何かしっくりこなかった。

日本経済が、衰退しているというのはその通り。そして、将来においては、大企業の成長よりも、ガゼル(小さく始めて飛躍成長する企業)の活躍が重要というのも、感覚的にわかる。著者が指摘する多くの課題には共感する。大企業病といわれる流動性の無さや、50代になると事なかれ主義に陥る管理職たちの存在。保護主義に走って、市場で淘汰されるべき経営悪化企業がゾンビ企業と化したこと。まったく、その通り、と思う。

 

でも、読んでいて、なにか違和感を感じた。第15章に入って、気が付いた。第15章で、コーポレートガバナンス改革や、スチュワードシップ・コードの重要性を説いているのだ。私がもっとも違和感を感じている取り組みだ。つまり、「日本文化」「日本のこころ」を無視して、「数字の経済」をめざす取り組みだ。

 

経済という点では、正しいのかもしれない。でも、私は、それによって「徳」のある人材が育たなくなった、と感じている。おそらく、コーポレートガバナンスそのものが問題というより、それだけを推し進めたことが問題なのだろう。そもそも企業というのは、というか、個人であっても、仕事というのは「誰かの役に立つ」からお金をいただけるものであり、「財を増やす」ということが究極の目標ではないはずだ。もちろん、利益をあげなければ働いた報酬が得られないのだから、利益を生むのは重要なこと。でも、利益をえる、投資家から資金を調達するというのは、結果と手段であって、企業の存在理由、目的ではない。その視点が、本書は薄いな、、、と感じたのだ。つまり、そういう本なのだ。だから、経済・金、という視点で見れはばよく書かれた本だと思う。原題通り、「日本経済の未来」というタイトルなら、違和感がなかったかもしれない。どこから、”「失われた30年」に誰がした”ってなるのかなぁ。。。。早川書房のタイトルのつけ方としては、こんな俗っぽいタイトルにしてほしくなかった、という気がする。

 

本書で強く共感するし、これこそが日本の弱点とおもったのは、「今の雇用にしかセーフティネットがない」ということ。だからこそ、今は増えているとはいえ、転職組が少ない。入社数年で退職してしまう若者が社会問題になっているけれど、辞めた後起業したというのはごく一部だろう。多くは、通年採用で別の会社のサラリーマンになっている。私も、脱サラ後に一緒に仕事をしている多くの企業で、20代、30代の通年採用組にであう。それはそれで、いろいろな会社が経験できてよいとも思う。若い時にはまだ蓄えもないし、自宅から通勤している独身者ならともかく、一人暮らしの若者だったら、転職はかなりリスキーではある。失業保険だって、勤続数年じゃ、大した金額にならないだろうし。

 

と、政府は社会のセーフティネットを大企業に委ねてしまったから、こうなっているという指摘は正しいと思う。高度成長期、終身雇用が当たり前になった時代はそれでよかったけれど、時代はかわった。グローバル化という流れもある。ゆえに、やはり、日本政府の取り組みから変えなくてはいけない、といのが本書の主張。それは、ごもっとも。

 

書評にもあるが、かなり「忌憚なき」ご意見が並ぶ。アベノミクスなんて言葉ばかりで実行できていないと、けちょんけちょん。まぁ、、、正しいかもしれないけど。

 

前半部分は、ガゼルをどう生み出し、育てるか、という課題について。後半は、ガゼルにかぎらず、グローバル化、後継者探し、他国にも共通の課題にどう取り組むか、という話がメインになっている。

 

個人的には、教育、そして「セーフティーネット」の再構築が重要なのではないか、と思う。生活保護や年金ではなく、「ベーシックインカム」の保証というのを本気で考えていいのではないだろうか。漸進的移行が重要だと思うけれど、この先、若者が高齢者の社会保障費を背負うというのは、成立しないだろう。昭和生まれの私たち世代は、なんだかんだ、逃げ切り世代かもしれない。

 

50代になると、つくづく、後世に残せるものって何かなぁ、、、、って思う。
物ではなく、仕組みで残していかねば、と思う。

 

ちょっと、覚書。
・”創造的破壊を放棄したことが日本の経済が停滞を続ける理由である。”

 

制度の中で現状維持によって徳をする利益団体があると、制度はなかなか変わらない。過去の制度と慣行が、すでにそこから脱却するべき時期をはるかに過ぎても変えられなかったのが日本の悲劇。

 

・政府が社会混乱を避けるために取ってきた政策そのもの(補助金等)が経済の足かせになっている。日本では政府による安定した社会セーフティーネットがないため現在ある雇用こそが最大のセーフティーネットになっている。

 

・ソフトウェアなど無形資産に対する投資が、OECD他国に比べて日本は低い。成長する国では、無形資産(研究開発・コンピューターソフトウエア、従業員の教育)に投資の大半が流れる

 

IMFの指摘によると、日本の労働者の間では研修を受ける機会が少ない人の方が生産性が低い。日本の企業はほかのどんな国の企業よりも社員研修を行っているが、非正規労働者の研修の機会は低い。
 これは、私も本当にそう思っていて、だからこそ、若者には会社をすぐに辞めるのではなく研修などの機会を活用して、それを自分の血肉にしてからにしたら?ということにしている。

 

・政府による社会政策が貧弱なので、労働者にとっては現在の会社にとどまることが最高のセーフティネットになっている。

 

・”アベノミクスが失敗しても日本の運命が終わったわけではない。安倍が自分で作ったチャンスを潰しただけだ。”

 

・”シリコンバレーがなぜカリフォルニア州にあるのか考えたことがあるだろうか。例えば、Microsoftの本拠があるワシントン州ではなく。理由の一つはカリフォルニア州では、非競争契約が違法とされていることだ。非競争契約とは、労働者が競合他社に移ること、もしくは、前の雇用主と競合する会社を創業することを一定期間禁じる契約を言う。”
日本の正規労働者の終身雇用制度は、強力な非競争契約のような働きをしている。

 事実、私のいた会社は、入社の契約書及び、退職届でも、「退職後も競合他社では働きません」といったような誓約をさせていた。私も、そういうものだと、思っていた。

 

・日本の銀行は、企業の将来をみて融資をするのではなく「担保が十分ある企業」に融資をする。加えて、ベンチャー企業、若者、女性への融資は金利をあげることまでする。日本の銀行の慣習を批判。

 

スノーボール効果:同じ県にある同じ業種の企業が海外投資を受け入れると、別の企業も海外投資を受け入れやすくなる。

 

フレクシキュリティ(Flexicurity):1990年代にデンマークの首相がつくったFlexibility(柔軟性)とSecurity(安定)の造語。北欧のモデル。新自由主義経済モデルと雇用をもまうる保守的モデルの融合。市場資本主義にゆだねつつも、失業期間中に十分な手当てを支給し転職もしやすくする。
 昨今、この北欧モデルも崩壊しつつあるけど・・・。

 

日本人ではなく、海外の人から見た日本への忌憚なき意見。読みながら、不愉快に感じる文章もある。別に、私は安倍さん支持者ではなかったけれど、外国人にそんなこと言われたくない、、、という感じがした。日本に対する誤解がある文章も複数でてくるからだと思う。(訳者が注書きをいれている)

 

とはいえ、忌憚なき意見は、重要でもある。

日本をどうにかできるのは、私たち日本人しかいない。

行動しないと、ね。

 

変化を避け続ければ、待っているのは停滞どころか衰退。

それは、個人でも同じこと。

個人が変化・成長するには、環境を変えるのがよい。

日常に変化と移動を取り入れよう。

旅という変化も、有効らしい。

 

 

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