神奈川県内(※一か月未満の一時閉鎖は除外)
地元の改廃案件。移転・新築後の訪問がおろそかなのでまとめておこう。
個人的に、移転後の訪問もしておきたい。
横須賀本浦 一時閉鎖 2025/11/1~
横浜中尾 移転 2025/7/7
横浜豊岡 移転 2025/6/23
横浜霞ヶ丘 廃止 2025/3/23
テクノウェイブ100ビル内 改称 2025/2/17 ※再訪済
逗子久木 一時閉鎖 2025/2/1~
春日台簡易 一時閉鎖 2024/12/31~
津久井青根簡易 一時閉鎖 2022/12/1~2024/12/26
横須賀岩戸 一時閉鎖 2023/5/11~2024/10/10
西鎌倉 一時閉鎖 2024/10/9~
川崎千年 一時閉鎖/移転/改称 2021/4/28~2024/5/15※ 訪問済
伊勢原大竹 移転 2024/3/25
相模原駅前 移転/改称 2024/3/4 ※訪問済
川崎下作延 一時閉鎖 2022/12/9~2024/2/20 ※訪問済
下曾我 移転 2023/10/10
横須賀長浦 一時閉鎖 2023/6/12~2023/6/26・2023/7/24~
川崎大島 移転 2023/5/22 ※訪問済
川崎宮前平 移転 2023/5/15 ※訪問済
湘南モールフィル 開局 2023/4/26 ※訪問済
ジアウトレット湘南平塚内 開局 2023/4/25 ※訪問済
横浜日限山 移転 2023/4/10
相模原北里 一時閉鎖・移転 2021/12/1~2023/4/10 ※訪問済
厚木宮の里簡易 一時閉鎖 2023/4/1~
藤沢西富 廃止 2023/3/21
芦ノ湯 廃止 2023/3/18
伊勢原高森 移転 2023/2/20
横浜中浜 移転 2023/2/20
横浜豊岡 移転 2023/2/6
横浜片倉 移転 2023/1/16
三浦城山 移転 2022/11/21 ※訪問済
吉浜 移転/改称 2022/11/14 ※訪問済
上溝 移転 2022/7/25 ※訪問済
横浜久保町 移転 2022/7/19
厚木愛甲 一時閉鎖/移転 2021/9/1~2022/6/17 ※訪問済
川崎上小田中 移転/改称 2022/5/16 ※訪問済
川崎駅西口 一時閉鎖 2021/6/5~2022/4/21
鎌倉浄明寺 移転 2022/2/21 ※訪問済
能見台駅前 再移転 2022/1/24
横浜日之出町 移転 2022/1/17
横浜篠原 移転 2021/7/19
登戸駅前 移転 2021/7/12 ※訪問済
横浜二俣川 移転 2021/4/19 ※訪問済
新大津駅前 移転/改称 2021/3/21 ※訪問済
茅ヶ崎高田 移転 2021/3/8 ※訪問済
横浜妙蓮寺 移転 2021/2/22
開成駅前 開局 2021/2/18 ※訪問済
能見台駅前 移転 2020/12/7
岩 廃止 2020/12/1
北下浦 移転 2020/10/18 ※訪問済
横浜上星川 移転 2020/10/12 ※訪問済
川崎梶ヶ谷 一時閉鎖 2019/8/9~2020/9/1 ※訪問済
横浜市役所内 移転 2020/5/18 ※訪問済
国府津駅前 移転/改称 2020/3/18 ※訪問済
川崎木月大町 一時閉鎖 2019/3/8~2020/1/15 ※訪問済
川越・南大塚駅。西武新宿線の終点・本川越の1駅手前の駅で下車。


このあたりは川越市・大東地区と呼ばれます。1943~55年まで存在した大東村に由来するようです。関越道の川越インター近辺です。




▲(埼玉・79局/全国・3368局)川越南大塚駅前郵便局
局番:03461 1976(昭和51)年8月16日開設
南大塚駅近くにある郵便局。おそらく周辺に工業団地がつくられた時に設置された郵便局。




▲(埼玉・80局/全国・3369局)川越大東郵便局
局番:03118 1933(昭和8)年7月26日開設
※1972.4,17 改称 大東→川越大東
大東村の名を冠する郵便局。大東は合成地名らしく、日東村と大田村が合併して1943年に成立。郵便局はその10年前に開設されているので、局名が村名の由来になったのでしょうか。2025年3月14日付で廃止。

山陰本線の上夜久野駅。先日、ある列車への乗り継ぎの関係での立寄り。
京都の奥の方の、福知山~和田山間にある駅。城崎温泉のちょっと南側のあたり。「夜」が付く駅名は珍しいので昔から気になってました。


夜の21時頃。すでにあたりは静まり返ってます。北海道もそうだが、雪国はおしなべて夜は早い。表日本とは別世界。
それにしてもホームが随分が長いし、信号設備が重厚。よい。

駅を遠巻きに眺めていると、寝台特急出雲の事を思い出す。東京~出雲市を結ぶ夜行列車。今も同区間にはサンライズ号がありますが、こっちは岡山~伯備線を経由しここは通りません。当時の出雲は京都からずっと山陰本線を進み、ここを通り鳥取経由。私は一度だけ、それの上り列車に乗ったことがありました。

出雲市を18時前に出て、この辺は21時半頃に通過。ひたすら夜の底を走り続ける列車でした。長年憧れていた列車でしたので、本当に幸せな時間でした。1999年か2000年頃の11月か12月の事だったと思います。
こういう駅をいくつも通りすぎて、気付いたら眠りについてました。


列車の時間が近づくと、信号が青に変わりホームの白色の電灯(レピーター)が点灯。何だか今にもあのカーブの向こうから、DD51が青い客車を引いて現われそうな気がするのでした。
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