
連載
平成の日本政・官界を取材してきた伊藤智永専門編集委員が担当するコラム。
<do-ki> 12月2日から健康保険証は原則マイナンバーカードに替わり、従来の保険証は新規発行・再発行されず、順次廃止される。 今のままでいいのに面倒だ。暮らしが万事スマホやカード頼みに変わっていくデジタル化の時代だから、これも仕方ないか。 技術は中立でも無色でもない。システムとして運用する側に
<do-ki> 政権発足1カ月。高市早苗首相がこぎ出した船は、出港と同時に吹いた思わぬ追い風に帆をふくらませながら、早くも外洋の荒波でもみくちゃになっている。 世論の高支持率にニンマリしたと思ったら、借金で大盤振る舞いの経済対策に市場からは株価・債券・為替のトリプル安で厳重な警告を突きつけられた。
<do-ki> いま「手話が少しできます」と言ったら、気づかいのできるスマートなたしなみの持ち主といった印象になっているだろうか。 昭和の半ばまで、手話はろう者同士が大げさな身ぶりと表情で交わす無言のやりとりとして、奇異の目で見られていた。ろう学校では手話を禁じ、ろう児が聴者の口を読んで発声するこ
<do-ki> 化けた。そう表現するのが一番ふさわしい気がする。就任から2週間あまり。高市早苗首相の型破りな外交デビューと自信にあふれる笑顔は、よく知るはずの自民党議員たちをも驚かせた。 どんな首脳会談も冒頭の表情やせりふは、もちろん練られている。河野太郎元外相は、当時の韓国外相が初めに笑顔で握手
<do-ki> 国勢調査の実態はどうなっているのか。新聞記者でも戸別訪問や聞き込みが至難の世相だ。なのに全国あまねく、外国人からも氏名、出生年月、職業、国籍、配偶者の有無まで聞き取るなんて。 調査員に同行した。東京都内JR駅近くの10階建てワンルームマンション。無記名の郵便受けが、ざっと60戸。対
<do-ki> 自分から首相になりたい、なろうと思ったことは一度もなかった村山富市元首相が亡くなった。 「何が何でもなってやる」と宣言してなった高市早苗首相は、初当選の頃(33歳。当時の所属は自由改革連合)、村山首相(70歳)に、1994年10月の衆院予算委員会で論戦を挑んだ。 昨日の朝刊連載でも
<do-ki> 野党時代の協力を含め、四半世紀も続いた自民党と公明党の連立が終わった。自民党は結党70年。その3分の1以上を占める。 両党が組むにあたり、忘れがたい名セリフがあった。時は小渕恵三政権。自民党は1998年の参院選で惨敗。参院での過半数割れは12年続くと言われていた。 野中広務官房長官
<do-ki> 石橋湛山元首相は敗戦の2カ月後、主宰する「東洋経済新報」1945年10月13日号の社論で、「靖国神社廃止の儀 難きを忍んで敢(あ)えて提言す」を執筆した。 湛山の次男は前年2月、中央太平洋のマーシャル諸島で戦死している。戦没者遺族でありながら、靖国廃止を説いたのである。 「大東亜戦

<do-ki> 1940年の帝国議会で、泥沼化する日中戦争について、立憲民政党の斎藤隆夫衆院議員(当時)は、政府と軍を1時間半の演説で批判し、議員を除名された。 この「反軍演説」は、後半3分の2が議事録から削除された。全文を復活できないか、近く与野党で話し合うそうだ。「議会や言論が本当のことを言わ
<do-ki> イスラエルは自ら「ナチ化」してしまった。国連人権理事会(本部スイス・ジュネーブ)の独立調査委員会(委員長・ピレイ元国連人権高等弁務官)が、パレスチナ自治区ガザ地区でのイスラエルの行為を、報告書で「ジェノサイド」(大量虐殺)と認定した。 ジェノサイドは、ポーランド系ユダヤ人の弁護士、
<do-ki> 「カミソリ」衰えず。各界長老に「戦後80年を問う」日本記者クラブの企画。先週12日に元国際司法裁判所所長、小和田恒氏(93)が登壇し、戦後80年報道のあり方に直球の疑問を投じた。 80年の節目を、メディアはどう考え、何を訴えたか。多くが1945年の沖縄戦、広島・長崎原爆、都市空襲を
<do-ki> 参院選の頃、東京・永田町周辺で、自民党公認のある比例代表候補をしばしば見かけた。テレビに出ているタレント有識者だ。 公示1カ月半前に立候補を表明。今から間に合うのと不思議がられていた。全国を飛び回っていると思いきや、ある日は国会議員会館のロビーで1人スマホをいじっていた。ずいぶん余
<do-ki> こんな光景は見たくなかった。中露朝3カ国の独裁的指導者たちが「抗日」を冠に頂く軍事パレードで談笑し閲兵する図。ヒトラー、ムソリーニ、東条英機の日独伊三国同盟首脳が一堂に会したら、こんな印象だったのか。 抗日戦争勝利80年? 政治プロパガンダのでたらめも甚だしい。 80年前、日本軍と
<do-ki> 人気評論家が、戦後80年に絡め「なぜ新聞は戦争を止められなかったのか」と問いかけていた。 ん、と引っかかる。問い方を変えてみよう。「新聞は戦争を止められるか」。ノーである。評論家は、1970年代にアメリカの新聞がベトナム戦争の内幕や大統領の陰謀を暴いた栄光から、いつの世の新聞にも同
<do-ki> 8月15日の新聞で、「次は戦後100年を目指そう」「永遠の戦後のために戦争報道を続けたい」という表現が目に付いた。 誰も反対できない正しい標語。その正しさに戦時中の戦意高揚ポスターと同じ「こころの型」を感じると言ったら、どれだけの人に分かってもらえるだろうか。 そこには、何だかんだ
<do-ki> 戦後80年は盛り上がらなかった。二つの理由を指摘したい。ジャーナリズムが戦争体験者の証言に安直に頼りすぎたこと。国の公式「戦後談話」が途絶えること。 3日に東京の九段会館(旧軍人会館)で、「記憶を伝えるということ」と題する戦後80年記念シンポジウムを聴いた。主催は、戦没者遺族をはじ
<do-ki> いろいろな人が夜な夜な石破茂首相に激励の電話をかけている。「負けるな。国政選挙はあと3年ない。自分から辞めると言わない限り、自民党総裁任期の2027年9月までできる」。石破氏の答えは省くが、「意気軒高」という受け取め方は共通している。 ライバルの前例を思い出す。安倍晋三氏が1回目の

<do-ki> 参院選で大敗した石破茂首相が、内心はできることなら潔く辞めようと思っているであろうに、なかなかそう認めないので、政界やメディアが騒々しい。 表向きは、日米関税交渉合意の説明と後始末をしないで辞めるのは無責任だとか、選挙敗北の総括が必要だとか述べているが、石破氏は胸の内に、いま辞める
<do-ki> 芥川賞・直木賞ともに該当作がなかった16日、発表に先立つこと数時間前、かつて芥川賞選考委員を16年務めた池澤夏樹さんが、日本記者クラブでこんな話をした。テーマは「戦後80年を問う」。池澤さんは1945年生まれ。 「作家に直接の社会的関心が薄れている。社会の問題は個人の中に入ってしま
<do-ki> 参院選東京選挙区にママチャリ党候補が出ていたら、ひょっとして当選するかもしれない。来春から始まる自転車の交通違反に対する反則金制度には、それくらい関心が高いと感じている。 都内のJR駅前で警官が怒鳴っていた。「速すぎるよ」。歩道を走る自転車は確かに危ない。でも、広場の車道はバスが何