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アジア雑語林

2136話 マレー紀行 2025 5 旅番組のような話 2

 食堂での会話は、私の趣味で言葉の話を聞いた。

 「使える言葉を得意な順に並べると、どうなります?」

 「なんといっても、マンダリンが1位ですね。中国語学校で教育を受けたから」

 マンダリンをどう訳そうか。北京官話、標準中国語、中国で普通話、台湾では国語、マレーシアやシンガポールでは華語と呼んでいる言葉だ。表記では「中文」。

 私立学校なら中等教育でも中国語で教育する学校はあるが、マレー語と英語は必須。

 「マンダリンの次は、マレー語かな。学校で徹底的に教育されるからね。次は、英語。英語はあんまり得意じゃないんだ」

 「その次は?」

 「広東語かな。ペナンは福建語地域だけど、イポーやクアラルンプールは広東語地域です。我々がしゃべる広東語は、香港の広東語とはだいぶ違うんだけどね」

 「母語は広東語?」

 「いや、客家語。だから、親戚との会話でしか使えない。福建語も同じようなもんですね。この前、知り合い9人が集まって食事をしたんだけど、8人が福建語でしゃべるから、会話がまったくわからなかった」

 マレーシアのこういう言語事情はすでに知っていたが、個人の教育史を聞くのは楽しい。福建語ができれば、台湾で少しはわかるし、タイでも南部なら一部で通じることがあるという話を、中国系マレーシア人から聞いたことがある。

 「今、いくつですか?」。彼が聞いてきた。

 「多分、あなたの父親くらいの年齢じゃないかと思うんだけど・・・」

 「父は40代で突然死にました。心臓です」と胸に手を置いた。「だから、店は大変でしたよ。ぼくはまだ店を手伝い始めたばかりの子供で、商売のことはなにもわからず、父の友人たちにいろいろ助けてもらって・・・」。彼はスマホを取り出し、計算した。「父は1967年生まれだから、生きていれば・・・今年58歳ですね」

 おお、私よりもよっぽど若いじゃないか。この人物を「若旦那」だと思っていたが、社長らしい。私は社長の祖父世代よりは若いが、父親世代からはだいぶ年を取っている。その老人が暑いなか、駅から荷物を持っててくてく歩いてきたということが、「あわれ」に思ったのかもしれない。敬老される旅。

 私には子も孫もいないから、鏡で己の姿を偶然にも見てしまう悲劇でもなければ、自分の年齢を実感することはほとんどない。体の故障はいろいろあるけれど、毎日歩き回る旅のスタイルは20代の頃とほとんど変わらない。もともと体力に任せて旅をするタイプではない。大学探検部員の遠征のような旅には興味はないし、高山、秘境、大自然などにも興味がない。街をぶらぶら歩いているのが大好きで、いままでそういう旅をしてきた。その昔、ヨーロッパでヒッチハイクしていたのは、単純にカネがなかったからであり、アフリカでヒッチハイクをしたのは、それ以外交通手段がなかったからだ。

 街歩きが好きな人でも、街を転々と移動したり、「朝ごはんは、ここ」、「午後のお茶は、ここ」と言った具合に、早朝から深夜まできっちり計画を立てて、まるでガイドブックの取材ライターのような旅をしている人もいるが、私はそんな疲れる旅はしたくない。体力まかせの旅をしないから、旅先で体力の低下を実感することはない。

 とはいえ、気力の変化はある。10年前にハノイいた。市内地図を眺めれば、宿から民族学博物館まで直線距離で10キロくらいだから、「3時間くらいで、歩けるな」と思い、ためらうこともなく実際に歩き出したのだが、今だと、ちょっと考える。バスかタクシーを探そうかと考えるだろう。昨年ソウルの街を歩いていて感じたのは、「もうだいぶ歩いたな」という感覚と、実際に歩いた距離に開きがあるのだ。疲労感から推察して、「もう、3キロくらいは歩いたな」と思って地図を見ると、「ええ、まだこれだけ?」と思うことはしばしばあった。

 それでも、まだ歩ける。歩けなくなったら、書斎の旅行者になるしかない。

イポーの旧市街

 

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