『バンコクの好奇心』(1990年)を書いたときに、自動販売機設置条件について考察した。クアラルンプールで、そのことを思い出した。私が書いた設置条件とは、次のようなものだった。
日本の文化を取り上げて外国人と語り合う番組では、日本に自販機が多い理由は「治安の良さ」をあげる例がほとんどだが、ほかにも理由があることを書いた。クアラルンプールの駅の自動券売機の場合は、上にあげた4条件のうち、3条件は満たしているが、4番目の条件はどうだろう。「きちんとメンテナンスをする」という習慣がないので、いつも、何台かが故障している。機械のメンテナンスだけではなく、販売商品の補充といったメンテナンスも必要だ。
⑤のコイン問題は、マレーシアにはなかったように思う。現在新旧2種類のコインが発行されているが、両方のコインが使える・・・ような気がするが、コインが戻ってくる自販機もあるので、正確な話は難しい。札も使える自販機のポイントは高い。1リンギットの札はポリマー加工したプラスチックの紙幣だから、「くしゃくしゃになって自販機が吸い込まない」ということはない。
国立博物館の庭に、無人コンビニがあった。店内に自販機が並んでいて、支払いはカードだ。コインや紙幣を使わないければ問題はないのかどうか、私は知らない。
そういえあ、プラハの地下鉄を思い出した。券売機は正確な金額を投入するか、クレジットカードを使うという方式で、小銭がないことに気がついたある日、券売機にクレジットカードを入れたら、途中で止まった。半分舌を出したような感じで、カードを入れることも抜くこともできない。近くに駅員はいない。このままにして、誰かがカードを盗んでいくかもしれないから、券売機から離れるわけにいかない。投入した札が戻らない、お釣りが出ないという程度ならあきらめもつくが、クレジットカードが吸い込まれたままになったら、めんどうだ。だから、機械なんか信用できないんだ。格闘数分で、カードを取り戻した。
自販機設置台数はアメリカが1位で、日本は2位。確かな統計ではないが、ヨーロッパの総台数よりも、日本のほうが多い。人口当たりの台数では、日本が世界1位。そして、路上でむき出しの自販機が設置してある国は、日本が孤高の1位で、設置数はずっと減るが2位はもしかすると韓国かもしれない。もう十数年前になるが、台北の公園に設置している飲料の自販機は、まるで猛獣小屋に入れられているかのように、鉄筋のケースに入っていて、商品を取り出す部分だけ、少し大きめの穴があいていた。数年後に再訪したときは、その自販機は撤去されていたが、街にいくらか自販機があった。
誤解をする人はいないだろうが、「自販機の多くある国が偉い」と言っているのではない。自販機と社会・文化の話をしているだけだ。

クアラルンプールの都市交通に大いに苦情がある。以前より格段に鉄道路線数は増えたが、運営やメンテナンスに大いに問題がある。もう、それはひどいものですよ。
ある大きな駅で、まず電車の切符(トークン。プラスチックのコイン)を買うことにする。自動券売機に向かう。そこからトラブルが始まった。
1番左の機械・・・札を吸い込まないから、使用不能。
2番目の機械・・・完全に壊れている。“out of order”の張り紙。
3番目の機械・・・札は入った。 コインを入れると戻ってきてしまう。中止にすると札が戻らないのかと心配したが、戻って来た。よかった。
4番目めの機械・・・札は入ったが、コインの投入口がテープでふさがれている。「おい、どーすりゃいんだ!」と怒っていたら、隣にいた母子が、こうするんですとやり方を教えてくれた。1リンギット札をもう1枚入れて、おつりももらう。これでOK。まともに動かない販売機が、お釣りを出すという高等技術を習得しているとは思えなかったのだ。
これが、クアラルンプールの自動券売機の現実で、ある駅では、5台あるうち3台を同時に修理していた。
自動改札機も異常反応がある。クアラルンプールではキップではなく、トークンを使う。駅に入るときは、トークンを改札機に触れさせて、通過。駅を出るときは、改札機にトークンを差し入れる。ところが、トークンが入らない、トークンが戻ってしまうという改札機があって、前の人がトラブルにあっていて、隣に移動し、通過できた。ほかの客もそれに従う。私もそちらの改札機に向かう。異常反応をする改札機で引っかかっている人ほかにもあり。3台ある自動改札機のうち、1台が使用不能だ。
こういうトラブルが多いから、日本のSuicaやICOCAに相当するという「Touch ‘n Go」というカードを買おうと思った。今、インターネットで確認作業をしてみると、2024年にはRM10(10リンギット)という情報がある。2025年3月の情報ではRM20とある。そして、私が買おうとした2025年11月ではRM25になっている。化粧品店チェーンWatsonで買えるというので買いに行ったのだが、そのあとの店員の説明がわからない。英語はわかるが、その内容がまったく理解できないのだ。
3回聞き直して、店長の説明も加えてもらって、「このカードにはおカネは入っていません」という説明の意味が理解できた。25リンギットで買ったカードは、「カード本体価格」だ。カードはただのカードだから、そこに50リンギットでも80リンギットでも入金すると使用可能になるというのだ。仮にキップ代金を2リンギットとすると、カード代金は12.5倍ということになる。
Suicaは500円が基本だが、それはカード代金ではなく、デポジット(保証金)ということになってる。キップ代を200円とすると、2.5倍だ。500円払って作ったSuicaは、手数料220円で残金を払い戻しできるのだが、クアラルンプールのこのカードは、「払い戻し一切不可能」だというのだ。25リンギットは950円に相当し、残高がいくらあろうとそれを捨てろというのだ。こちらは数日滞在するだけなのだ。ただし、駅で確認すれば、また別の説明があるかもしれないが、買わないのだからその確認作業はしていない。ネット情報でも、やはり残金も含め返金できないようだ。
ちなみに、バンコクのラビットカードは、初回購入は200バーツ(約1000円。そう、100バーツ500円ですよ)で、100バーツは手数料、残り100バーツがディポジットとだ。払い戻しは、残金のみで、手数料は戻らない。払い戻し手数料は、日本は220円。タイは500円。マレーシアは950円払っているのに、戻らない。これが現在の日本の物価水準ですよ。日本は、安い!! ちなみに、シンガポールにももちろん各種交通カードがあるが、クレジットカードで「タッチ決済」ができるので、短期滞在者には便利だ。
クアラルンプールの交通カードが不便で高いということがよくわかったので、Watsonで買ったそのカードを使わないまま「キャンセルしたい」と言ったら「不可能です」という。その説明に納得せず、断固返金を要求し、何度も粘り、返金してもらった。使えないカードを手に入れてもしょうがない。
超高層ビルは次々に建っていくが、鉄道の自動券売機がいつも故障している国が、マレーシアだ。基本設計と設置技術とメンテナンスの問題だ。

あれは20年くらい前だったか。マレーシアの島ペナンの街を歩いていたら、変な感覚に襲われたことがある。道路に見覚えがない車が何台も走っている。歩道から眺める景色がタイの路上とまるで違うのだ。マレーシア製の車は知っているから、まったく見たことのない車は中国製だということは明らかだ。
13年前のクアラルンプールでは、なぜか中国車の記憶がない。開店したばかりの高級ショッピングセンターの1階を見回すと、ガラス張りのショーウインドーの向こうに高級自動車が並んでいるので、輸入車ディーラーのショールームだろうと思って眺めていたら、そこは駐車場の入口だとわかった。汚職で儲けた者たちの持ち物なのだろうと思うと、気分が悪くなったという記憶がある。
そこで、今年だ。地方都市では、想像通りマレーシアの国産車が多いとわかる。マレーシアの国産車とは、三菱自動車と組んで設立したプロトンと、ダイハツと合弁で設立したプロドゥアの2社があり、路上の車は圧倒的に国産車が多い。
クアラルンプールの歩道橋や駐車場でしばらく車を眺めた。ざっと見て、国産2社のシェアは6割だろうと想像した。つまり、1位2位が国産車ということになる。3位はトヨタだ。4位はもしかして斜体のH(ヒョンデ)で、韓国車が多くなったのかもしれないと想像していたのだが、直立のH(ホンダ)の方が多いような気がする。5位はヒョンデではなく、日産だろうというのが、私の予測だ。
運転免許も持っていないド素人の予測なんか何の情報にもならないので、帰国後資料で確認した。ジェトロ(日本貿易振興機構)の資料だ。
2024年のメーカー別自動車生産台数の表を見る。各社のシェアは、プロドゥアが43.8%、プロトンが18.1%で合計すると61.9%。おお、6割という予想は当たっている。素人の観察が当たっていた。3位トヨタは12.3%、4位はやはりホンダで10.0%。5位は日産ではなく、三菱で2.0%だ。農山村では、三菱のピックアップトラックやワンボックスカーが人気なのだろう。マレーシアは山だらけだ。
クアラルンプールの街を歩いていたら、確かに中国車は目につくが、メーカーが多いので、メーカー別ランキングには入らないのだろう。もしかして、BYDは別格で単独でも目立つかと思ったのだが、わずか2台見かけただけだ。たまたま出会った社長の話では、こうだ。
「マレーシアはガソリンが安いんだ。だから、わざわざ高いBYDを買うメリットはないというわけだ」
そう、マレーシアは産油国なのだ。現在レギュラー1リットルが1.99リンギット(約76円)。AIの解説は「2.66リンギット、日本円で63円」となっているが、その価格は外国人に対する価格で、マレーシア人は1.99リンギットだ。しかも、「日本円で63円」というのは計算間違いだ。1リンギットは38円(2025年12月10日現在)だから、76円になる。63円だと、1リンギット25円になるが、そのレートは「2025年11月13日時点」とAIは説明している。最初に検索したのは11月11日なのに、11月13日の為替レートで計算しているのはおかしい。AIをを信じちゃいけないよ。
BYDの価格は車種によっていろいろあるが、10万リンギット以上だから、400万円以上と考えたらいいだろう。なお、BYDの価格に関しても、AIのものは日本円での換算がでたらめだ。
BYDよりも多く見かけたのがポルシェだ。少なくとも6台は見ているが、そういえばフェラーリは見ていない。マセラティ―は1台見かけた。チャイナタウンの路地で、ベントレーを2台見かけた。1台は翡翠色だった。特注の色だろう。こういうのを、金持ちの趣味というのだろうが、美しい色だった。
以前は高級車といえばメルセデスと相場が決まっていたが(もう一つ、マレーシアでは長距離乗り合いタクシーも、メルセデスと決まっていた)、私が見かけたメルセデスはスポーティーなものが多かった。「さあ、どけどけ!!」と安い車を威嚇しているのは、アルファードとベルファイアーというのは、日本と同じだ。この2台よりも高い車はいくらでもあるが、黒い塊の威圧感は他車を引き離している。
*下書きをしてからだいぶ時間がたったので、最新情報を再確認した。12月10日時点では、AIもお勉強したらしく、ガソリン価格は「1L,RM1.99」という正しい数字を載せている。ただし、1.99リンギットを「60円台」としているが、それは2023年前半ごろのレートだ。




イポーでの遅い昼食をとりながら、若社長と雑多な話をした。点心のあと何か食べたいので、麺屋台のメニューを眺めた。この店は、屋台に場所を貸しているような形態で、点心店のほか麺料理などがある。便宜上「麺料理」と書いたが、麦+面で麺という漢字が表すように、小麦粉を原料にしたひも状のものが麺で、麦以外の原料で作ったものは麺ではない。この店には麺はないというから、米を原料にした粿條(クイティアオ、Kuey Teow)を汁そばで注文した。このくらいのことなら、私の中国語でもメニューを読んだり注文もできる。マレーシア語のメニューもある程度読めるので、言葉だけでいえば、英語の通じるマレーシアとシンガポールが私にとってもっとも旅行しやすい場所だ。だから、どうしても「言葉」をテーマに話をしたくなる。
ちょうどいい機会なので、きょうの午後、ホテルを探していた時の出来事を話した。駅からホテルがあるはずの地区を歩いていた時だ。そのホテルの場所がよくわからないから、商店に入って、ホテルの名と住所を口にして場所をたずねたのだが、連続して無視された。聞こえないふり、「あっちへ行け」という追い払うジェスチャー、「NO!!」と言って無視。それまでも、人はこんなに親切なのだろうかと思えるほど親切な人たちに出会っているのに、このイポーでの冷たい態度はなんだと思った。そして、ふと、マレーシアでは以前にも同じ体験をしたことを思い出した。今回が初めてじゃなかったのだ。路上であれほど親切な人が、店や事務所でのあまりの冷たさに驚いていた。
「ああ、それね。申し訳ない。ホントに申し訳ないんだけど、店をやっていると、いろんな人が訪ねてくるんです。『カネください』、『事業資金を貸してください』、『儲け話があります。いっしょに儲けませんか』、『うちの会にぜひ寄付を』、『我々の団体に入って、ともに幸せになりましょう』といった面倒な人が、毎日、いくらでも来るんです。ホントにもう、いやになるくらい。だから、『こいつ、怪しい』と思ったら、無視するが、追い払うというわけです。そういう嫌な訪問者が来るせいで、ついつい冷たい態度になってしまいます。どうか理解してください」
食事を終え、「さて、これからどこに行きますか?」と聞くので、「このあたりを散歩します」と言ったが、「ちょっと車に乗ってください。観光客が集まるところがあるので、そこにご案内します」
車は、土産物路地に着いた。「るるぶ」がもしイポーを取り上げたら、まっさきに紹介する雑貨屋小路だ。こういう場所が大嫌いだとはもちろん言わず、車を降りようとした。
「行きたいところがあれば、どこへでも案内しますよ」と言ってくれたが、そろそろひとりで歩きたくなった。「ありがとうございます。その辺を歩くことにします」。案内人がいる旅だと、すぐに「ひとり旅の虫」がうごめいてくる。
「もし、何か困ったことがあれば、いつでも電話ください。どこへでも行きますから」と名刺を差し出した。
名刺を受け取り、何度も礼をいい、街散歩を始めた。
馬(Mah)さん、ありがとうございます。
残念ながら、散歩をしておもしろい街ではなかったが、暗くなるまでの2時間ほど街を散歩して宿に戻った。親切な人に出会ってうれしかった。ツーリスト・インフォメーション・センターや宿のスタッフもやさしかった。
やさしさが、マレーシアの宝といってもいい。




食堂での会話は、私の趣味で言葉の話を聞いた。
「使える言葉を得意な順に並べると、どうなります?」
「なんといっても、マンダリンが1位ですね。中国語学校で教育を受けたから」
マンダリンをどう訳そうか。北京官話、標準中国語、中国で普通話、台湾では国語、マレーシアやシンガポールでは華語と呼んでいる言葉だ。表記では「中文」。
私立学校なら中等教育でも中国語で教育する学校はあるが、マレー語と英語は必須。
「マンダリンの次は、マレー語かな。学校で徹底的に教育されるからね。次は、英語。英語はあんまり得意じゃないんだ」
「その次は?」
「広東語かな。ペナンは福建語地域だけど、イポーやクアラルンプールは広東語地域です。我々がしゃべる広東語は、香港の広東語とはだいぶ違うんだけどね」
「母語は広東語?」
「いや、客家語。だから、親戚との会話でしか使えない。福建語も同じようなもんですね。この前、知り合い9人が集まって食事をしたんだけど、8人が福建語でしゃべるから、会話がまったくわからなかった」
マレーシアのこういう言語事情はすでに知っていたが、個人の教育史を聞くのは楽しい。福建語ができれば、台湾で少しはわかるし、タイでも南部なら一部で通じることがあるという話を、中国系マレーシア人から聞いたことがある。
「今、いくつですか?」。彼が聞いてきた。
「多分、あなたの父親くらいの年齢じゃないかと思うんだけど・・・」
「父は40代で突然死にました。心臓です」と胸に手を置いた。「だから、店は大変でしたよ。ぼくはまだ店を手伝い始めたばかりの子供で、商売のことはなにもわからず、父の友人たちにいろいろ助けてもらって・・・」。彼はスマホを取り出し、計算した。「父は1967年生まれだから、生きていれば・・・今年58歳ですね」
おお、私よりもよっぽど若いじゃないか。この人物を「若旦那」だと思っていたが、社長らしい。私は社長の祖父世代よりは若いが、父親世代からはだいぶ年を取っている。その老人が暑いなか、駅から荷物を持っててくてく歩いてきたということが、「あわれ」に思ったのかもしれない。敬老される旅。
私には子も孫もいないから、鏡で己の姿を偶然にも見てしまう悲劇でもなければ、自分の年齢を実感することはほとんどない。体の故障はいろいろあるけれど、毎日歩き回る旅のスタイルは20代の頃とほとんど変わらない。もともと体力に任せて旅をするタイプではない。大学探検部員の遠征のような旅には興味はないし、高山、秘境、大自然などにも興味がない。街をぶらぶら歩いているのが大好きで、いままでそういう旅をしてきた。その昔、ヨーロッパでヒッチハイクしていたのは、単純にカネがなかったからであり、アフリカでヒッチハイクをしたのは、それ以外交通手段がなかったからだ。
街歩きが好きな人でも、街を転々と移動したり、「朝ごはんは、ここ」、「午後のお茶は、ここ」と言った具合に、早朝から深夜まできっちり計画を立てて、まるでガイドブックの取材ライターのような旅をしている人もいるが、私はそんな疲れる旅はしたくない。体力まかせの旅をしないから、旅先で体力の低下を実感することはない。
とはいえ、気力の変化はある。10年前にハノイいた。市内地図を眺めれば、宿から民族学博物館まで直線距離で10キロくらいだから、「3時間くらいで、歩けるな」と思い、ためらうこともなく実際に歩き出したのだが、今だと、ちょっと考える。バスかタクシーを探そうかと考えるだろう。昨年ソウルの街を歩いていて感じたのは、「もうだいぶ歩いたな」という感覚と、実際に歩いた距離に開きがあるのだ。疲労感から推察して、「もう、3キロくらいは歩いたな」と思って地図を見ると、「ええ、まだこれだけ?」と思うことはしばしばあった。
それでも、まだ歩ける。歩けなくなったら、書斎の旅行者になるしかない。

イポーに着いたのは昼過ぎだったが、宿まで歩いて行ったからけっこう時間がかかった。2キロ弱の距離なら、荷物(ショルダーバッグ)を肩にかけたまま歩けるなと想定し、実際歩いて行った。こういう移動をしたいから、ゴロゴロ・キャスターのトランクは使わない。でこぼこ道を歩けば、すぐにキャスターが壊れてしまうからだ。汗で背中が濡れるのが嫌なので、1982年のアフリカ旅行以後リュックも使わない。

宿に着いたが、近所に飯屋が見当たらない。自動車修理工場とか部品販売店など「鉄」の匂いは強いが、食い物の気配は感じない。
宿で「この近所に飯屋はあるの?」と聞くと、ホテルの裏を指さし、「あっちに、いくらでもあります」といった。
その裏手に回ると、飯屋は2軒しかなく、1軒はすでに閉まっている。もう1軒は今まさしくシャッターを下ろしているところだ。時計を見る。3時前だ。昼の部、終了か。
さて、困った。腹が減った。あたりに、人がいない。眠くなるような地方都市の午後だ。商店の駐車場の脇の日陰で、スマホ遊びをしている若者がいた。中国系の顔つきだ。気の毒に、腹を減らせた旅行者に見つかってしまったのだ。
「すいません。この近所に飯屋はありますか?」
「あそこが・・・」と、右手方向を指さした。
「あそこは、今、シャッターを閉めたところです」
「え、そう? 今営業しているところだと・・・」と首をひねり、「向こうに・・・」と大通りの反対側を指さす。「車で?」
「いや、歩いて」
「ええ? 歩いて?」
「ええ、今、駅から歩いてきたから。歩けますよ」
そこに登場したのが、この店の社長の娘という感じの人で、愛嬌があっていかにも利発という感じがする。
「ねえ、なんの話?」
いままでのやりとりを説明した。「あそこはどう?」「いや、今はやってないだろ」といった会話が交わされた。私のために英語で会話している。スマホの地図で教えてあげるといってくれたが、我が1円スマホでは地図は使えない。楽天スマホでgoogle mapが姿を見せるまで待つと、日が暮れる。
そこに第3の人物登場。社長の息子か。3人で私にもっとも適当な店を選考し、そこへの道を説明しているうちに、息子が「えーい、めんどくさい。道の説明をしているより、車で案内した方が早い。さあ、乗った」
そういういきさつで、私は三菱ピックアップトラック・トライトンに、「よいしょ」と乗り込んだ。床が高いから、よじ登らないといけない。この車は、タイ製のはずだ。
「イポーは、郊外に新しい街ができていて、広がっているんです。だから、昔からの街の中心はさびれてきて、観光客が喜びそうな場所はなくて・・・、このあたりにちょっとインド料理店があるけど、インド人街は郊外にできているし・・・、さあ、ここです。評判の店です」。5分もかからないドライブだが、歩いたら30分はかかるだろう。
中国料理の食堂だ。客はほぼ満席状態に近い。
「ありがとうございます」と言って車を下りようとしたら「僕も、何かちょっとつまみたいので・・」と言って車を降りた。
テーブルを確保し、「適当に注文するね」といって、点心を何種類か注文した。当然、私には支払わせない。マレーシアの店が全部そうだというわけではないが、こういう食堂では料理や飲み物がテーブルに届いたときに支払うというシステムになっていることが多い。食べ終わった客がさっさと店を出ていくのをいぶかしく思っていたが、代金引換システムだったのだ。
マレーシア到着は深夜になり、翌日にはクアラルンプールを出てしまうので、宿泊先はKLセントラル駅(KLは、クアラルンプールのこと)近くにした。空港からのバスはここに着くし、地方に出るのもこの駅からだ。
深夜に宿探しをするのはいやなので、ホテルは日本で予約した。所在地はパソコンで確認し、付近の地図をプリントアウトして持っている。だから、すぐに見つかると思っていたのだが、見つからない。迷った末に、フードトラックの男にたずねる。
「ああ、そのホテルね。その名のホテルはふたつあって、あっちと、こっち」と指さした。
「あっち?」
「そう、白いビルがあるだろ。そこを右に折れると、すぐだ」
あとになってわかるのだが、その名のホテルは1軒しかなく、「こっち」に歩き出せばすぐに見つかったのに、私は「あっち」を選んでしまった。それで、ますますわからなくなった。
歩道で茫然としていると、若い男が近づいてきた。イスラム教徒の帽子ソンコックを頭に載せている。スマホを左手に、なにやら話しているようだ。
「お困りですか? お手伝いしますか?」
そう声をかけてくれたので、「このホテルを探していて・・・」と言いつつ、ホテル名とその住所を書いたメモを見せた。
男は電話相手にしゃべった。「いま、ホテルを探している人がいるんで手伝うから、またあとで電話するね」。
その言葉は、タイ語だった。
「コン・タイ・ルー?」(タイ人なの?)というと、
「Yes, and you?」と英語の返事だった。
「コン・ジップン・カップ」(日本人です)
「Japanese・・・、にほんじんですか」。今度は英語と日本語だ。
ふたりの間にタイの話も日本の話もなく、彼はスマホの地図でホテルを探し、「こっちでしょう、多分」と言って、歩き出した。
「マレーシアで働いているんですか?」
「はい、そこの店。インド人が経営してます」
すぐにホテルは見つかった。私がちゃんと手続きができるか確認し、「じゃあ、これで」と彼は去っていった。「コップ・クン・カップ」(ありがとうございます)。彼は私にタイ語はひとことも発しなかった。英語はできるが、日本語はちょっと単語を知っているという程度だった。
翌朝は、かねてからの願いだったインド朝飯、極薄のパイ、ロティ・チャナイをKLセントラル駅前のインド料理店の店頭で食べていると、「ケンさん!」という声が聞こえた。昨夜の若者が目の前に立っている。きのう、名前を聞かれたので「ケン」と答えたのだが、日本人の名前には「~さん」をつけるという習慣も知っている。黒ズボンにワイシャツ、左腕に黒の上着をかけている。誰にでも会うことができる正しい服装だ。
「実は、わたくし、こういう者です」といって、首からかける入構証を示した。大きな文字で
Ministry of Defense
Foreign Correspondent
マレーシア国防省詰めの特派員の入構証だ。彼の名はプラヤー。タイではよくある名だ。特派員がなぜ、インド料理店で働いているなどと言ったのか。知りたいことはいくらもあるが、通勤途中のあわただしい時だから、何も聞けない。なにか、怪しい雰囲気ではあるなと感じ、「タハーン・ルー?」(軍人なの)と聞いてみた。
「A kind of・・」と英語の答えが返って来た。「まあ、似たようなもので・・」ということだろうが、わからん。

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