ところで、僕は上の写真の案内看板に釘付けになってしまった。
この天守閣は、明治4年、廃城が決まって取り壊される寸前だったという。
ちょうどその年、廃藩置県がおこなわれ、世間は近代化にむけて大変革の最中であった。時代遅れの城など要らない、取り壊せとなった。
松江城の天守閣も、鉄のみを再利用し、木材を燃やし、石垣を潰す前提で、入札が行われることになったという。
それを阻止したのは、ひとりの元松江藩藩士と豪農だったという。その入札価格、180円を納めることで、天守閣を残して欲しいと政府に懇願し、聞き入れられたという。
当時、米一俵が3円弱と言われたそうだ
*1。
これを現在の一俵(60kg)2万円で計算すると、わずか120万円である。
この素晴らしい天守閣が、当時、わずか120万円だったのかと思うと不思議な感じがするが、たしかに、建物だけの値段、鉄だけをスクラップとして取る、しかも、解体費用も負担しなければならない、となれば、妥当な金額だったのかもしれない。
その価格は、当時の人たちが、天守閣にまったくの価値を見出していなかったことの、はっきりした証拠でもあるのだ。
それにしても、と僕は思う。
新しいもの、新しい考え、新しい生活に向けて、人のこころが大きく動き出していた時に、この天守閣を残そうという運動をした人たちの先見の明は、とてつもなく凄いなと。
その担い手のひとりは武士ではなく、豪農であった。
世の中には、変わりたくないという人たちも多くいたが、彼らは「変わりたくない」からそうしたはずがない。
それに残す価値があると信じたからそうしたに違いない。
彼らはそのお金を出しただけで、一銭の得にもならなかっただろう。
だが、きっと、彼らは知っていたのだ。
彼らが生きているその時代には価値がないと思われているとしても、それが百年、二百年、三百年と経つうちに、かけがえのない大きな価値を持つものになることを。
いま、松江城がなければ、松江の町の魅力は、その中心を失っていたことだろう。
いま、松江城がなければ、観光客がこんなにも訪れることはなかったかもしれない。
何十年かのち、松江城がなければ、さらに日本に訪れる海外からの観光客が増えたとき、彼らの多くが松江を訪れることはないかもしれない。
もうすぐ、はじめることになる、Kimono Archive(古い着物の画像を残す活動・ウェッブサイト)が、そんな仕事になりますよう。
祈念。