2025/12/14

時は 元禄十五年
所は 江戸 本所松坂町 吉良邸
赤穂の浪士 四十七士が 門前に集結
タンタン
雪が降りしきる 十二月十四日 未明 寅の上刻
タンタンタン
大石内蔵助の采配の合図と共に 陣太鼓が打ち鳴らされる~
タタンタ タンタン
上様 浅野内匠頭が仇 憎き 吉良上之介を討ち取り
見事 本壊を遂げたのでありました~
タタンタンタン スッタンタン
3万円 5万円 10万円 運命の別れ道
いとこい?

毎年 12月14日 というと TVでは 「忠臣蔵」 やってたのですが
最近は さっぱり
12月14日
さてと この日時 もちろん 旧暦なんですが
なんで 新暦の 日付に 当てはめてしまうのでしょう
新暦だと 1月30日 になるようだ
となると 雪が積もってるのも納得できる
が…だ
太陰暦のややこしさがある
元禄十五年 西暦で 1702年
1702年は 八月と 閏八月 13か月あった
月の周期で 1月30日 1年354日としたが 誤差が生じるため
つまり 閏年の十二月十四日は 年が改まっている
ってことで 1703年 1月30日
なんだ…が
この頃の 一日の始まりは 夜明け
「明け六つ」
ってやつですね
そうなると 十四日 寅の上刻 ということは
とらのこく 午前4時
よく聞く 「丑三つ時」午前2時~2時半でしたね
夜明け前なので 十四日 なんですが
ただ 現代だと 日付けは 15日ってことに なっちまいます
これって クリスマスイブと 同じですね
イブ = evening つまり 夜
24日の夜 日没で日付けが 25日ということでした

これは 隠れ身の術?
東京は 土地勘ありませんが
本所 ほんじょ
と言やあ~ 本所の銕
若き日の 長谷川平蔵
あの辺りですか!
って どこですか…サッパリ

用事があって 出かけたら 通ったので ちょっと撮りました
去年も来てました
その時 現存櫓人質櫓の壁が 豪雨で 剥がれ落ちてしまい
白いシートで カバーされていました
足場が組まれて 補修が始まってます
現存 外曲輪の石垣

こちら側は 大分川 海につながっていました
この橋は 公園整備で 架けられましたが
ジュピターです
地球の何倍でしたっけ?とんでもなく大きいですが
地面が無いって…?
小さい時は 理解できませんでしたが…
外曲輪から

けっこう 大きな 濠ですよ
正面に 天守台 その右手に 人質櫓

今の 白漆喰は 昭和に補修したものでしょうか…
こっちからだと 折れ折れの 石垣が 見事なんですが
写り良くないです…

角櫓は 復元 非公開
犬走は 通行 不可

ちょっと 遊んで みました
2025/11/23

矢穴
蔦の絡まる西門の石垣
津和野城の石垣…割石
全般 矢穴が大きい
大きい 鑿 鏨
使っています
他の城では 気にならなくて だいたい同じ大きさ
津和野城の 矢穴は デカイ
これは スケールさんも気が付いてました
なのに 肝心な時に スケールが 無い…
大手門の上まで 戻ってきました

ここの工事が終ったら また 来れるだろうか

元の通路? 大手道 腰郭 二の丸 太鼓丸
⇩ ⇩ ⇩ ⇩ 
津和野城の 門の配置 門名 さっぱり わからん
資料はどこぞにないものか…

上から 見るしか できない 東門 大手門

ちらっと 情報検索してたら
12月から工事で リフトが全休のようです

仮設通路 下ります
たぶんこの石垣は 三段櫓の 三段目…いちばん上 だと思う
東屋まで下りてきたら 出丸と反対の 西側にある トイレに寄った
坂道を下りた所に きれいなトイレがあり お湯が出た

東屋の所から下りる 登城道
もちろん リフトで下ります

ここ 堀切
朝は 登らなかったので 登った

上から見る リフトからの道
規模は 大きくない が この 尾根伝いでないと
南からは 攻めれない
もちろん 狭い尾根の両側は 崖

堀切から見た 東~ 青野山~

お~~ 本日 初の ガイジンサ~ン
下りてきました

10:44
ちょーど 3時間でした
海鼠ブロック?
工事で通行できなかったのは残念でしたが
念願の 人質櫓台は 見れました
何と言っても 紅葉がきれいでした
朝霧は 仕方ないですからね…
これで 津和野城跡 終了です
おなか空いたので 城下で腹ごしらえ といきましょう
2025/11/23

天守台から見上げた 三十間台
天守台の謎は そのまま

天守台と 三十間台との 通路
下りてきて 左急折れ の下であります
上がるとき 右急折れ の下であります

木の根が みごとであります

なんか ボケ ました

あっ 人が 消えた…
三十間台入口 ⇩ 下り口

⇧ 注意喚起のボードの左側が上り口
西門前

光の具合が 絶妙でした

西側通路

天守台 上り坂 下りてきました
もう一度 人質櫓台 行ってみましょ

いい角ですねー

山の上の石積み

草の無い上部の石積み

高石垣

ぼちぼち 下りる方へ

人質櫓台 西側法面
天守台 西側

見上げると

紅葉の撮影ワンポイント
※ カメラ任せに撮ると 葉っぱの反射で 白くなることがある
順光の場合は マイナス補正で
近頃のスマホは カメラより簡単に補正できる
※ 下から見上げて撮ると 葉っぱの影で 黒くなることがある
逆光の場合は プラス補正で
どちらにしても 光 の射し具合なんですけどね

上を見上げると なぜ 口が 開くのでしょう…アングリ

日陰だと 色温度が低く 青味がかかる
紫紅葉
朝日だと 黄色みがかってしまい
黄紅葉
直射日光だと 飛んでしまい
白紅葉
紅葉も いろいろ
人生も いろいろ
2025/11/23

太鼓丸から 三十間台への 門
門内 石段を上がると 三十間台

太鼓丸に延びた 虎口の石垣で
二の丸から上がって来る土岐には 全く見えません
この門の 正式名称が わかりません
ナニモン?

櫓台の大きさから 門櫓の大きさを考えると
石段は 櫓の中では なさそうです
石段が露天部分になるし…
埋門であるような?
埋門には ならないような?

なかなか 幅がある石段で 規模が大きい
この位置に この造り
もしかしたら 使者を 本丸・三十間台の屋敷に通してた?
防御用だけではなさそうです
と、すると 三十間台は 増築されて
先にできた 天守があの位置なのかも
と、根拠なしに 勝手に 思うのです

石段上がると 三十間台…
あれ
写真が無い…
天守台と通じてる通路行ってみよう

ここだ
下が 天守台
降り口
すぐに ⇨
ん
この石の積み方からして もしや 渡り廊下があった?
右の 通路の上から 見下ろす

お お お~

こういうことか?

ここすごいな
木が無かったら わかりやすいが

落ち葉もあって 石段が隠れてし

角を 廻り込んで 下りていく

降りてみよう

最上部の石段を 通路まで下りた
ここから 右に 廻りこむ

おっと

先客 太鼓丸の方 狙ってるようなので
足元 撮って 待ちましょ

上から 見下ろした所の いちばん上の通路から
先客が 狙っていたの こんなんだろうか…?

虎口の 延び延びた 石垣
下りの 左折れから 上

狭くて 足元引きもなく 先客も居座り
撮れず

上りは 右折れ から上
所々に 咲いている 白い花

ここの 折れ折れ うまく撮れなかった
超広角レンズ 欲しくなる
2025/11/23

三十間台 北側 太鼓丸に伸びる 虎口の石垣
すぐ下に 門
門までが 二の丸
こっちが 太鼓丸
行ってみたいですが 工事中のため規制

👈 この虎口を まわり込むと

⇧
枡形 通って
埋門 上がると 三十間台 本丸
⇩ ⇩ ここ行った

ここの 延び延びた 石垣が すばらしい

崖側の櫓台も規制されてます

太鼓丸 もうちょっと 見ましょ
西側の横矢掛け
ここは 行きました
⇩

謎の男の影
ハハハハハ

太鼓丸北端 西側の角
下には 腰郭

腰郭
東門を入り 大手門の前を 左に折れ 二の丸の下を進むと
太鼓丸の下に来る
太鼓丸北端 東側の角

この角の下の 腰郭の角に 門
門櫓台がある
ここが 隠門 だろう
ここから 道があったようだ

脱出用だろうか
ここからの 遠景
青野山

⇧ 稲荷神社 ⇧ 津和野高校
藩庁跡が 津和野高校グラウンド
そして

出丸

ここ 木が無かったのだと思う
糸電話 使えそうな 距離だが
源内は まだまだか? あれ糸電話 源内だっけ?

太鼓丸 北端から 三十間台

戻るとしよう
おやおや

まだ 女子トーク 続いてるようです

風も無く ポカポカですし
しゃべってる先には
誰も 居ませんし…
2025/11/23

本丸 三十間台 南側
人質櫓台
三の丸 南門

津和野城 と言ったら このショットですよね
ここに 三重櫓があったのかな…天守じゃないけど
天守と思ったに ちがいないでしよう
そんなことは ないでしょうが

三十間台 南の角
ビビッて 先まで行けなかった
のではないです 規制線がありました
ここから先 絶対 コカンムズムズ やろね
三十間台 北側

おっ 埋門 ですねっ
おもしろ造りになってますよ

⇧ 石段 サラバ ⇧ 排水溝 ですかね?
ここには 当然 門櫓 あった
櫓台の先 延びてますよ

門前が 枡形になってますね
延びた石垣上から 一斉射撃

完全に 門は 櫓内

こんな大きな 埋門 ここに持ってきましたか…
ここに 来るには 天守を スル~する ことになりますよ

いいですねー! こういう石垣門造り
石段の位置と勾配が絶妙だと思います
延びた石垣の 先端から

三十間台より 一段下 北側
太鼓丸
北端に 太鼓櫓があった
ここの 左下

⇦ 天守 ここにも 門があります 太鼓丸 ⇨
門前までが 二の丸です

東門入り 大手門通り 虎口を 左に折れて
途中 天守台に上がる通路を まっすぐ来る
と、ここに 来るようになってるみたいです

ここ 残念ながら 通ることは できませんでした
規制線 ぎりぎりまで 行ってみましょ
下りてきましたした
門櫓台

天守台側
通行禁止の通路、石段

測量機の三脚 置いたままですね
最近では レーザー3D測距 使って
石垣の石 全部に ナンバリングしてるようですね
楽しそうです

三十間台 埋門櫓台から 延びた石垣

二の丸から 太鼓丸への 門前の石垣

虎口
この向こうは 枡形 埋門

ここの 二の丸からの 門
この向こう側の 埋門
門の名前も 櫓の名前も わかりません
2025/11/23

天守台より高い三十間台
本丸石垣

崩壊防止 スチールネット

朝日に輝く オータムリーブス
西門前の西側の角

⇧
この辺りに 門があったのかと
西側通路からの 天守台への石段

石段から 南側の 法面 ここは 石垣ではない

ちょっと 切り撮ってみた

三十間台に上がるのも 仮設通路が設置されてます

三十間台越 東~ 青野山~
おお~ 広い

なんか 気持ちよさそ―

11月23日 もう 晩秋から 初冬の 朝 9:25
ぽかぽか
天守台の ひんやりした空気とは 一変
おや

だれですか 落とし穴 掘ったのは?
穴掘り名人は…綾部先輩でしたかね?

本丸 三十間台 南側

三の丸 南門
人質櫓台

本丸 三十間台 より 一段下の 人質櫓台
ここには 下りる石段が ありませんから
三十間台 三重櫓内の 階段が 唯一の通路だったのでしょう
西側

西側の 折れ折れ石垣の 真上
ちょうど 人が通っています

⇦ 南門 西門 ⇨
ここ 西門と 南門の間の 通路の 最も狭い所
横矢掛けの 出角だが
南門を突破され 天守台に向かう前に ここを通らなければならない
ここで詰まってるところ 上から 一斉に狙える

人質櫓台の 斜めの石
これ 何でしょう
他の城で 見た記憶がありませんが…
経年で 斜めになったのでは なさそうな感じです

三十間台 人質櫓台側にも あります
土台幅よりも大きいのが普通ですから
櫓の固定 控え柱の 礎石でしょうか
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