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孤立無援のブログ

北尾修一の言い逃れと責任転嫁

 電子書籍『小山田圭吾 冤罪の「嘘」 中原一歩先生、経歴詐称をしていませんか?』の中から、「北尾修一の言い逃れと責任転嫁」を公開します。
 興味を持たれた方は、是非一読してみてください。

■北尾修一の言い逃れと責任転嫁

 私は東京オリンピックにまったく興味がなかった。というか、スポーツ全般に興味を失っていた。けれど子供の頃はちがっていて、水島新司の『ドカベン』を読んで野球に熱中し、将来の夢はプロ野球選手になることで、阪神ファンで、球場にも足しげく通っていた。しかし、そんなことも遠い記憶の彼方である。
 私はある時期を境に、ふられた女を忘れるように、自分の意志でスポーツ嫌いになった。
 そういうわけなので、オリンピックが近づくとその話題ばかりになるテレビもいやで、見ていなかった。

 それでもひょんなことから、自分が巻き込まれることになった。小山田圭吾が炎上し、そして辞任するまでの間、私はさめた目でながめつつも、心の内では確かに気持ちが高揚していた。
 7月19日に、加藤勝信官房長官が記者会見をして小山田圭吾の騒動に言及し、「いじめや虐待はあってはならない行為であり、全く許されない」と述べた。そして、大会組織委員会に適切に対応するよう求めた。この時点ではまだ小山田が留任する予定だったが、その夜になって急展開し、小山田圭吾は公式サイトとTwitterで、音楽担当の辞任を発表した。
 このため、多くのメディアは、首相官邸が動いて、小山田圭吾を辞任させたのだと報道した。
 私のブログ記事が首相官邸を動かしたのだ。
 これが高揚せずにいられようか。

「小山田圭吾における人間の研究」を拡散したのは、「はるみ」というツイッターアカウントだった。私の書いた文章が、何の面識もない誰かの共感を呼び、そのツイートが大勢の人たちにリツイートされ、「いいね」を押されて、支持されたとするなら、これほど批評家冥利に尽きることはない。
 人はなぜ、文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を演奏したり、ダンスをしたり、するのだろうか。金になるわけでもなく、有名になれるわけでもないのに、誰もが何かを表現している。
 それはきっと、誰もが自分の思いを誰かに伝えたいと思っているからだ。あるいは、社会に影響を与えたいと思っているからだろう。人の心を動かしたい、社会を変えたいと思っているからだろう。
 私の書いたものが見ず知らずの人の心を動かし、首相官邸にまで届き、世界中のマスコミで報道され、社会を変えたとするなら、私はそれを光栄に思うだけである。
 しかしその高揚感も、すぐに打ち消される。

 7月23日に、太田出版の元編集者で百万年書房代表である北尾修一が、『いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?』というブログ記事を公表した。北尾修一は、小山田圭吾のインタビューを掲載した雑誌『クイック・ジャパン』の担当編集者だった。まさに責任者の一人である。
 当該記事は、「※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。」と冒頭に掲げられているものの、明らかに「いじめ暴力行為を擁護するもの」であると共に、責任逃れの言い訳を並べたものである。
 何度読み返しても胸クソの悪くなる記事だが、この記事には北尾修一という編集者の認知の歪みがよく表れている。北尾修一の『いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?』という記事の概要は、私が小山田のインタビュー記事をカットアップして、小山田がすべてのいじめをやったように見せたせいで炎上した、しかし本当は、小山田と障害者の沢田君の間には友情があった、というものである。そのことは、「村上清のいじめ紀行」の現物記事を読めばわかるのだという。
 これについて私は、「北尾修一氏に問う 著作権法をご存じですか」「北尾修一氏のブログを再読して考えたこと」「北尾修一氏への公開質問状」といった一連のブログ記事で、徹底的に反論した。特に最後の記事は、北尾修一を名指ししての文字通り公開質問状である。

 しかし、北尾修一はこれらを一切無視した。吉田豪と、太田出版で部下だった九龍ジョーと一緒にネットで期間限定の有用配信を行い、これで禊がすんだとばかりに、それ以後もこの問題に触れることは一切なく、沈黙を守った。
 もの書きとしての倫理として、自分が一方的に批判した相手から反論があれば、それに応答する義務があるはずだ。私は北尾修一の間違いを具体的に指摘している。訂正を求めている。それに一切応えないばかりか、いまだに記事を配信し続け、しかも有料販売しているのであるから、これだけでも北尾修一にはものを書く資格がない、出版にたずさわる資格がない。
 北尾修一の『いじめ紀行を再読して考えたこと』は、徹頭徹尾、他人事で、小山田が炎上したのは「孤立無援のブログ」のせいだという責任転嫁に終始している。まさにこの責任を引き受けない卑怯さと、他責思考こそ、北尾修一の本質である。
 雑誌「文藝」(河出書房新社、1999年秋号・第38巻第3号・301頁)で、北尾修一は、「一番影響を受けたというバクシーシ山下氏譲りの身体を張ったドキュメンタリスト」と紹介されているが、そんなことはない。体を張っている表現者の上澄みをかすめ取って商売にしてきたずるい業界人、というのが私の北尾修一に対する評価である。
 その北尾修一が昨年、癌になったと聞き、私はシャトー・カロン・セギュールの赤ワインを買った。
 北尾修一が死んだら、乾杯しようと思ったのだ。人をなめたら、こういう報いを受ける。
 まだ死んでないようだが、どうせ長くはあるまい。
 せめて自分が犯した間違いを認め、罪を償ってから死んでもらいたいものだ。

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