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孤立無援のブログ

常識ある一市民としての奥崎謙三

 電子書籍『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか・根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」』の中から、「常識ある一市民としての奥崎謙三」を公開します。
 興味を持たれた方は、是非一読してみてください。

■ 常識ある一市民としての奥崎謙三

 仮に実在の人物をモデルとしていようと、『天然』のようにモデルが誰と特定されない形でフィクションとして昇華されているのなら、どれだけ反道徳的な描写をしても、表現の自由として許される余地がある。

 しかしながら、人物ルポ等の文章を集めた『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ・1993年)が出版され、これが好評を博したことから、根本敬はこれ以降、マンガではなくノンフィクションが仕事の主軸となっていく。実在の人物を扱う以上、対象人物の人権に配慮するのは当然であり、プライバシー侵害や名誉毀損など法律に抵触するリスクも当然大きくなる。
 そのことに照らすと、「内田研究とビッグバン」はもとより、『因果鉄道の旅』に収録されている人物ルポは、相手から訴えられても文句が言えないような内容である。
 この本と『人生解毒波止場』(洋泉社・1995)がその後の社会に与えた影響を考えると、これを出版したKKベストセラーズと洋泉社の責任は重いと言える。

『因果鉄道の旅』の中で、「内田研究とビッグバン」と並んで話題となったのが、「しおさいの里」である。これは捨て犬の保護施設「しおさいの里」を訪ねた時のレポートで、運営者の本多忠祇は、数百匹の捨て犬を引き取り、自腹で世話をするその姿がマスコミで美談として報じられ、「動物の楽園」「愛犬家の神」と一時はムツゴロウさんをしのぐ有名人となっていた。
 しかし、あるボランティアの告発により、犬たちの杜撰な飼育環境が暴露され、一転して猛烈なバッシングにさらされてすべてを失う。
 根本敬が現場を訪ねたのは、その告発報道がされる直前である。
「しおさいの里」では何百匹も犬を飼っていながら、その世話をするボランティアは3~4人しかいない。しかも、みんな親爺たちである。早朝から深夜まで、飲まず食わずで働いている。
 ある親爺は、犬のエサ用のタライや桶を、一日に二回、犬がエサを食べ終わるたびに毎日洗剤で洗ってピカピカにしている。
 その姿をながめている根本敬に向かって、親爺は次のように語りかける。

「でもわざわざこんなの洗剤使ってゴシゴシ擦る必要ないんだよ。水でちゃっちゃっちゃとやりゃあ、それでいいんだよ。な、こんな事無駄なことだと思うだろう」
「え、いやまあ」
「そうだよ、無駄なことなんだよ」
 で、次にドスの効いた大きな声で
「でもやるんだよ!」
(「しおさいの里」『因果鉄道の旅』所収・337~338頁)

 流行語にもなった「でもやるんだよ!」という言葉は決してポジティブな意味ではなく、無駄なことをやっている親爺の姿を嘲笑するものであることを、どれだけの人が知っているだろうか。
 根本敬は「しおさいの里」で見たこととして、捨て犬が全国から宅配便で送られてくることや、寄付金の現金封筒が届くこと、ボランティアの段取りが悪くて、犬の扱いが雑なこと、一日に五頭ずつくらい去勢手術に連れて行っても、犬が五百頭もいて、盛りのついた雄雌を一緒に放し飼いにしているから、そこらじゅうで交尾している、といったことを書いている。
 しかし、他のマスコミのように、これを告発するのでもなく、また美談にするのでもなく、ただ見たまんまを書いている。
 それが社会派のルポライターとの違いだ。
 内田がきよみさんを虐待し、福祉の金にまで手を付けて浪費しているのを知っても、これを警察に通報するようなことはしない。
 あくまで傍観者なのだ。
 いや、こうしてルポルタージュにして出版している以上、たんなる傍観者ではない。悪く言えば、社会的な責任から逃げ、対象を見世物として揶揄し、それで商売をしている。

 根本敬の言い分としては、「白と黒、善と悪の2元論」(前掲書・348頁)ではない形で、人間の実像を描こうとしているのであろう。
 しかし、それでも釈然としないのは、決して反撃してこないことがわかっている相手ばかり選んでその言動を揶揄している点だ。したがってこれは、たんなる弱い者いじめではないのか。
 根本敬が描く人間の姿というものも、それは根本敬にはそう見えたということに過ぎない。
 見方を変えれば、また別の姿が現れる。

 この「しおさいの里」には後日談がある。
 マスコミによる猛烈なバッシングのあと、支持者は去り、運営者の本多忠祇は自宅を放火されて住む家まで失った。
 それでも本多忠祇はひとりで「しおさいの里」を続けていた。
 不法投棄のゴミだらけの場所で、多くの犬を飼い、人知れず世話を続けていた。
 そして亡くなるまでの姿を、クーロン黒沢が『幻の動物王国 悪い奴ほど裏切らない』というドキュメンタリーに撮っている。これを見ると、また違った人物像が見えてくるのである。

 根本敬が手掛けた『神様の愛い奴』という奥崎謙三を撮ったドキュメンタリーも物議をかもした。
 奥崎謙三は、昭和天皇パチンコ狙撃事件や皇室ポルノビラ事件を起こしたアナーキストだが、なにより今村昌平企画、原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(1987年公開)によって知られている。
 奥崎謙三は戦争犯罪の真相を追い求める中で、殺人未遂を起こして服役するのだが、懲役十二年の刑期を終えて出所した時は、『ゆきゆきて、神軍』のイメージから反体制の英雄のように崇められていた。しかし、『神様の愛い奴』はそんな奥崎謙三に女装をさせて、パリ人肉事件の佐川一政とからませ、若いAV女優とセックスをさせ、ペニスバンドをつけた女王様からアナルを責められる。
 この演出がどこまで根本敬の主導によるものかは定かでないものの、仮に奥崎謙三がこれを望んだとしても、制止するのもまた演出家の役目ではないか。
 対象者にカメラを向ける以上、もはや傍観者ではありえない。マンガから人物ルポへ、そして映像ドキュメンタリーへと進んでいくうちに、根本敬はこの『神様の愛い奴』で一線を越えてしまったのではないか。

 ロマン優光は『90年代サブカルの呪い」(コア新書・138頁)の中で、「撮られるという行為が人間に及ぼす影響というのは、文章とは比べものにならないくらい大きい」と指摘し、「観察者であった根本氏が加害者でもあるという側面が浮き彫りに」なったと述べる。
 その点で言えば、『ゆきゆきて、神軍』を撮った原一男も同じであり、ロマン優光によれば、「原監督は奥崎謙三氏の異常性に裏打ちされた大義名分の部分を切り取っただけであり、根本氏たちは根本氏たちが追求したかった奥崎氏の異常性を純粋に切り取ってしまっただけです」と述べる(同書・137頁)。

『ユリイカ』の編集長だった須川善行は、むしろ次のように、根本敬よりも原一男の撮影手法こそ問題だとしている。

 奥崎謙三という人物が非常に興味深い存在であることは認めるにやぶさかでないが、『ゆきゆきて神軍』という映画はどうにも好きになれない。作り手側が観客に、たしかに映画を作ってはいますけど、私たちをこの人と一緒にしないでくださいよ、とエクスキューズすることばかりに懸命になっているように見えて、潔くないという感じがしてしまうのだ。対象からある距離を置くことは、 普通であれば美点とされるはずだが、ここでは作品の勢いを殺ぐ結果になっている。では、どうすればよかったのか。おおまかにいって、二つの方法が考えられる。一つは、意見の対立があった場合、奥崎との対峙を真正面から捉えること、もう一つは、奥崎と意見と行動をともにすることである。そんなことができるか、と反論されそうではあるが、しかし、それをしなければ、この映画はもともと成立しえないのではないか。それができなければ、この映画を撮るべきではなかったのではないか。ちなみにこの点、「笑い」というもう一つの武器をもった根本敬は、原一男を超えている。
(「解題 畸人たちとどうつきあうのか」畸人研究学会『畸人さんといっしょ』所収・青弓社227頁)

 最後の一文には賛同しないが、『ゆきゆきて、神軍』を撮ることによって、数々の映画賞を受けて名声を獲得し、一方、奥崎謙三を殺人未遂へと向かわせた原一男と比べれば、『神様の愛い奴』による奥崎謙三の搾取など小さいものだ。たしかに『ゆきゆきて、神軍』は、奥崎謙三の過激で異常な言動を強調することによって、それを撮影している原一男の理性や良識を観客に印象付ける作りになっている。
 実際は共犯関係にあったはずであろうに、奥崎謙三は殺人未遂で投獄される一方、原一男は文化人となり、大阪電気通信大学教授、大阪芸術大学映像学科教授にまで成り上がる。
 なにより、根本敬自身が『ゆきゆきて、神軍』に衝撃を受け、その手法を真似たのであるから、ドキュメンタリーが内包する暴力性は、原一男にこそあったのだ。
 さらに言えば、今村昌平もリアリズムを追求するあまり、かなりきわどいことをやってきた監督である。『人間蒸発』では隠しカメラ及び、隠しマイクを使って主役の女性を盗み撮りし、実際の連続殺人事件をモデルとした映画『復讐するは我にあり』では、実際に被害者が殺された現場で、犯人がやったのと同じ殺害方法を再現して、撮影している。

 今村昌平は小津安二郎と野田高梧から、「汝等何を好んでウジ虫ばかり描く?」と言われて憤慨し、「俺は死ぬまでウジ虫ばかりを描いてやる!」と決めた。
 また、サイン色紙には「すべてはチンポがかたいいうちだぞ」と好んで書いた。
 東北の農村に生まれた女性のセックスを赤裸々に描いた『にっぽん昆虫記』は、根本敬の『天然』に影響を与えているだろう。今村昌平の自伝のタイトルは『映画は狂気の旅である』というものだが、映画界で一線を超えてきた者たちの狂気が、後の者たちへも影響を及ぼしているのだ。

 奥崎謙三はバッテリー商という生業を持っており、これは根本敬も言っているが、仕事は早くて安くて、商売をきちんとやっていて評判もいい。
 1972年に奥崎謙三を取材した『週刊文春』は、「『あんなヘンなことするほかは商売上手で熱心な人』という近所の人の評判がいいのも何やら不思議な感じ。」と書いている。
(『週刊文春』1972年10月30日号「皇居パチンコ事件のあの男の/実説『ヤマザキ、天皇を撃て!』」)
 沢木耕太郎も「不敬列伝」(『人の砂漠』所収。新潮文庫)の取材で会った奥崎謙三に、同じことを書いている。『天路の旅人』(新潮社)では、「昭和天皇パチンコ狙撃事件」を起こしたあとの奥崎謙三を以下のとおり書いている。

 私は、その奥崎に、逮捕され、懲役刑を受け、出所したあとで、バッテリーを商う神戸駅の近くの彼の店で会うようになった。店のガラス戸に「権力に対する服従は神に対する反抗である」と大書するなど、近隣の人から奇矯なふるまいをする人として眉を顰められるような行動を取りつづけている奥崎は、しかし商売人として極めて真っ当な感覚を持っていた。
 あるとき、彼の「ヤマザキ、天皇を撃て!」という危険な本を、ほとんど独力で苦労の末に出してくれた出版社の編集者が、独立して小さな出版社を興すことになった。すると奥崎は、その編集者に、自分の本の版権を与えただけでなく、軍資金にと百万円をポンと渡し、こう言ったという。
「あんたは、商売というものがよくわかっていないのではないかと思うが、頭を下げるときにはしっかり下げなくては駄目ですよ」
(沢木耕太郎『天路の旅人』新潮社)

 もちろんこれも、沢木耕太郎が切り取った奥崎謙三の姿だと言われたら、そうである。しかし、他人をウジ虫として描くなら、自分もまたウジ虫となる覚悟がいるだろう。

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