事故物件の日本史【第6回】「野中の一軒家」の本当の被害者を考える|大塚ひかり
「事故物件」と聞いて、まずイメージする時代は、“現代”という方がほとんどではないでしょうか。
しかし、古典文学や歴史書のなかにも「事故物件」は、数多く存在するのです。
本連載では、主として平安以降のワケあり住宅や土地を取り上げ、その裏に見え隠れする当時の人たちの思いや願いに迫っていきます。
第六章 野中の一軒家で恐怖するのは誰か
ポツンと一軒家の恐怖
「ポツンと一軒家」という人気番組がある。が、最近、こうした立地の家が事件の現場になっていることが報道されている。
実はこの手のいわゆる「野中の一軒家」は、昔話や古典の世界でも、事件の舞台になりがちだった。
ただし、現代と違うのは、そこに住んでいる人が凶行の「被害者」ではなく、「加害者」として描かれているという点だ。
住人が老婆や老僧の一人暮らしというのは、最近の事件の被害者に似ているが、古典の世界では彼らは被害者ではなく加害者であり、しかも鬼という設定なのである。
<安達ヶ原の黒塚>
その代表例が陸奥<みちのく>の安達ヶ原(安達原)もしくは黒塚と伝えられる場所の一軒家の話である。
安達原の「一つ家<や>」(山野などに他の家と離れて一軒だけある家)に鬼婆がいて、宿を求めた旅人の生き肝を取っていたというのだ。
なぜそんな浅ましい姿になったかというと、昔、仕えていた姫が病気になり、胎児の生き肝を飲ませれば治ると医者に言われ、安達原の「石のほらあな」でターゲットを探しているうちに、そうと知らずに生き別れの娘の生き肝を取ってしまった。実の娘を殺したことを、娘のお守り袋から知ったため、鬼婆となって、泊まった人全員を殺すようになった……。
これが『福島の民話』(片平幸三編)に伝えられる話だが、『大和物語』(10世紀後半)や『拾遺和歌集』(996~997ころ)巻第九の歌では、“みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか”(『大和物語』五十八)
とあって、単に鬼が棲んでいるという伝承があっただけのようにも見える。この歌は、平兼盛(赤染衛門の実父である)が、源重之の娘たち(『拾遺和歌集』では妹たち)に寄せたもので、女を鬼にたとえているのだ。もしこの鬼が人の生き肝を取って殺すような鬼であるなら、そんなものにたとえるのは、かなり失礼という気がするのだが……。
新日本古典文学大系の『拾遺和歌集』の注によると、
「黒塚の真弓山観世寺の縁起に、神亀三年(七二六)、阿闍梨祐慶東光坊という有徳の僧が鬼女と出会ったという伝説がある。そのような伝承があったとすれば、この歌は鬼女伝説を踏まえて詠んだ、ということになる」
とあって、かなり昔から黒塚には鬼女伝説があったことが分かる。
これが謡曲の「黒塚」(15世紀)になると、
“人の死骸は数知らず、軒と等しく積み置きたり”
鬼婆の閨には、彼女が殺した無数の死骸が積み重なって、膿血<のうけつ>や死臭に満ちている、という惨状が展開し、事故物件そのものになっている。
問題は、安達原の黒塚とは一体なんぞやということだが、「塚」とは墓のことで、黒塚とは鬼婆の墓を指すようだ。いわば事故物件となった場所に建った慰霊碑のようなものであろう。
加害者とされた鬼婆は実は被害者だった?
このように野中や山中の一軒家的な場所に鬼婆が住み、人を襲うという説話は、古典文学にはしばしば見られる。
現代と違うのは、そこに住んでいるのは被害者ではなく加害者ということだ。だが、現実に旅人が山中の一軒家で金品を盗まれるということはあったにしても、家族総出で旅人を襲っていたならともかく、一人暮らしの老女に健康な旅人を襲う体力があったか疑問だし、『今昔物語集』の次の話になると、加害者として描かれている婆は、実は被害者だったのでは? という気がしてならない。
曰く……今は昔、ある所に宮仕えをする若い女がいて、父母や親類もなく、「もし病気にでもなったらどうしよう」と心細い思いで暮らしていたところ、特定の夫もないまま妊娠してしまった。ますます我が身の拙い宿運が思いやられて嘆いていたが、主人にも恥ずかしくて言い出せない。そのうち産気づいたため、召し使う童女を一人だけ連れて、京の粟田山に向かって歩き続け、山深く分け入って北山科という所に到着。見ると、山の斜面に山荘風の廃屋があったので、女はそこでお産をすることに決める。ところが誰もいないと思っていたら、奥から白髪頭の老婆が一人出てきた。
「きっと冷たく出て行くよう言われるだろう」
と女が思っていると、予想に反して老婆は愛想良く、わけを聞くと招き入れ、お産を手伝ってくれる。
女は宮仕えをしていたので、子を生んだらそのまま捨てるつもりでいたものの、婆が、
「私は年老いてこんな片田舎に住まう身の上なので、お産の穢れも厭いませぬ。七日ほどここにおいでなさい」
と親切に言ってくれる。また捨てようと思っていた子も可愛い男の子だったので、捨てかねて乳を含ませなどしていた。
ところが2、3日経ったある日、女が昼寝をしていると、横に寝かせてある赤子を、婆はちらりと見て、
「ああうまそう。ただ一口じゃ」(“穴甘気<あなむ まげ>、只一口<ただひとくち>”)
と言ったような気がした。それで目を覚まし、婆を見ると、
“極<いみじ>く気怖<けおそろ>しく”(物凄く不気味に)
見える。
「これは“鬼”に違いない。私はきっと食われてしまう」
そう思った女は、召し使う童女に赤子を背負わせ、自分は身軽になって、
“仏助け給へ”
と祈りながら、もと来た道を戻り、人の小家で着替えをしてから主人の家に行き、生まれた赤子は人に預けて養子に出した。
その後の婆の消息は不明で、女も人にこの話を語ることはなかった。これは、この女が年老いてから、「こんなことがあった」と語った話なのだった(巻第二十七第十五)。
この話が私は昔から気になっている。実際には女も赤子も被害を受けたわけではなく、逆に親切にしてもらったにもかかわらず、婆の“只一口”ということばで“鬼”を連想し、婆を鬼婆扱いして逃げてしまった……これって被害妄想なのではないか、と。
同時に思い出すのはグリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」である。母親の提案により父親に森に捨てられて、道に迷った兄妹は、お菓子でできた森の一軒家の魔女に太らされて食われそうになった。そこで、魔女をだましてパン焼きかまどに入れて焼き殺し、魔女の家にあった宝石や真珠を奪って帰還、父親は喜んだものの、母親はすでに死んでいた(吉原高志・吉原素子訳『初版 グリム童話集』。同書によると二人を捨てるよう提案したのは初版から第三版までは母親だったが、第四版以降は継母に変えられた)。
しかしお菓子でできた家など普通に考えてあるはずもなく、虚心坦懐にこの話を読めば、森の一軒家に住む親切なお婆さんを殺し、財宝を奪った、毒親育ちの極悪兄妹の話にしか思えない。
つまり森の一軒家に住む魔女は被害者だったわけだ。
『今昔物語集』の親切な婆も、飲食や親切を提供してやった女に裏切られた被害者だったのではないか。婆を殺しはしなくても、ひょっとして女が金品を奪った可能性もあろう。
犯行が人に気づかれにくい孤立民家で起きがちというのは今も昔も変わらないわけだが、鬼や魔女とされた「一つ家」の住民も、現代の一軒家のお年寄り同様、実は被害者だったのではないか。
魔女にしても鬼婆にしても、非力なはずの「お年寄り」であり、被害者とされる女や子どもたちのほうが体力がありそうなのも気になるところだ。何より「被害者」たる彼らは、「加害者」のはずの鬼や魔女から財宝や飲食を奪っているのだから……。
事故物件が地名に
もう一つ、「安達ケ原」の鬼婆の場合、舞台が陸奥というのも気になるところだ。
ざっくり言うと今の東北に当たる陸奥は、都人からすれば辺境の地で、そこには太古、蝦夷<えみし>が住み、大和朝廷の征討の対象とされていた。都の貴族や人々にとって、そこに住む原住民は、退治されるべき「鬼」に等しい存在だったのだ。
古代、大和朝廷は、朝廷に従わぬ原住民を「まつろわぬ民」として武力で制圧していた。平安時代の桓武天皇が田村麻呂を「征夷大将軍」として陸奥に派遣したのは有名な話だが、それ以外の地域でも、『古事記』『日本書紀』『風土記』では、朝廷に従わぬ原住民は、“土蜘蛛”(土雲)や、朝廷の命令に抵抗し遮る“佐伯”と呼ばれ、人間扱いされていなかった。
原住民を征討した記憶は地名にも残されている。
神武天皇の兄のイツセノ命が奈良の原住民のトップとの戦いの末、手についた血を洗った場所は“血沼海<ちぬのうみ>”と名づけられ、神武天皇が宇陀の原住民のトップを斬り刻んだ場所は“宇陀の血原”と名づけられる(『古事記』中巻)。
また、“狼の性<さが>、梟<ふくろふ>の情<こころ>ありて、鼠のごと窺ひ狗<いぬ>のごと盗む”と貶められた茨城の原住民は土の穴倉に住んでいたが、朝廷軍のクロサカノ命率いる騎馬軍にいきなり追われ、穴倉に逃げ帰ったところ、そこには朝廷軍によって“茨蕀<うばら>”(イバラ)が敷き詰められていたため、ことごとくそのイバラに突き刺さり、傷つき病んで死んだり離散したりした。そこでその“県<あがた>”は“茨城”と名づけられた(『常陸国風土記』)。
原住民にとっては事故物件が、地名となっているのである。実際にその通りであったかはともかく、そうした地名由来譚が伝えられているわけだ。
陸奥の「安達ケ原」、しかも「ほらあな」に鬼婆がいるという伝説も、ひょっとしたら、こうした太古の昔の征討の記憶が影響しているのではないか。
鬼婆の墓という「黒塚」は、殺された原住民の墓なのでは……鬼婆は実は被害者だったのではないか……そんな気がしてならない。
鬼爺となった老僧
ところで……拙著『くそじじいとくそばばあの日本史』で、鬼婆はいても鬼爺はいない、と書いたのだが、鬼婆や鬼女に相当する鬼爺や鬼男ということばこそなけれど、『地獄草紙』の鬼はふんどしをつけていて基本的に男だし、古典文学には鬼爺的存在も出てくる。
それが江戸時代は上田秋成の『雨月物語』巻之五「青頭巾」に出てくる老僧だ。
昔、快庵禅師という高徳の聖<ひじり>が奥羽を目指して、下野国の富田で、裕福そうな農家に宿を求めた時のこと。禅師は青頭巾をかぶり、ぼろぼろの僧衣を着ていたのだが、それを見た人々が、
「山の鬼が来た」
と叫んで大騒ぎになった。禅師が誤解を解いたあと、農家の主人が言うには、山にはもともと小山<おやま>氏の菩提寺があり、代々、高徳の僧が住んでいて、今の住職も優れた人と評判だった。それが、寵愛していた稚児が死ぬと錯乱し、その死体が腐りただれていくのを惜しむあまり、肉を吸い骨を嘗めて、ついには食べ尽くしてしまった。寺に住む人々も驚いて、
「院主が鬼になられた」
と逃げてしまったので、残された僧は夜ごと村に降りて来ては、人を襲って驚かしたり、新墓を暴いて新鮮な死体を食ったりするようになった。その様は本当に“鬼”そのもの。そんな僧のいでたちが快庵禅師に似ていたというのだ。
話を聞いた禅師が言うには、
「昔から女が鬼や蛇と化した話は聞いているが、男がそんなふうになったというのは聞いたことがない。女はねじ曲がった性根ゆえ、そのような浅ましい鬼にも化けるものだ。男子でもの隋の煬帝<ようだい>の臣下の麻叔謀<ましゅくぼう>は小児の肉を好み、ひそかに民の小児を盗んで蒸して食ったというが、これは浅ましい異国人の話で、ご主人の語られたこととは違うようだ。その僧が鬼になったというのは前世からの宿縁なのだろう」
さらに、
「その僧が鬼と化したのは、一途にどこまでもまっすぐでたくましい性格(“ひとへに直くたくましき性<さが>”)のなすところであろう」
と言って、老僧の住む山中の寺へ赴くと、そこには痩せ衰えた老僧がいる。そこで一夜を過ごした禅師は、自分のかぶっていた紺染めの頭巾を脱いで僧にかぶせ、漢詩の二句を授けて、
「この句の意味をじっくり考えなさい」
と言った。翌年、禅師が寺に行くと、影のような人がぼそぼそと二句をつぶやいていた。禅師が一喝すると、声は消え、そこには朽ちた青頭巾と白骨が残っていたという。
事故物件の再生
老僧の愛執を、“ひとへに直くたくましき性”ゆえと解釈した禅師が、その一途な性格を利用して、禅の詩を授けることで、意識をそちらに向けさせて、老僧の魂を救ったのだった。
その後、村の人々は、この快庵禅師を開祖としてその寺に住まわせたため、禅師はもとの真言密教を改宗し、曹洞宗の禅寺となして、今もなおその寺は尊く栄えている……というところで話は締めくくられる。
この寺は、太平山大中寺といって今も実在する寺で、衰退していたのを快庵禅師が延徳元(1489)年、曹洞宗の寺として再興したという。
いわば事故物件を生まれ変わらせたわけで、第四章で紹介した三善清行のように、物の怪や鬼となった人間の立場になって彼らを説得し、またその魂を救ったと周囲の人たち(村の人々)を納得させ信じさせることで、家(寺)を再生させたのである。
注意したいのは、ここでもポイントとなったのは村の人々の納得感ということ。そして彼らが「鬼になった」と恐れていた老僧は、禅師の前では弱々しい「痩せ衰えた老僧」であったという点だ。
古典や昔話では、野中の一軒家に住まう老人は「加害者」として描かれることが多い。しかし禅師は、救済すべき被害者と見なしていたのである。女性蔑視に満ちた物語ではあるし、この老僧の場合、稚児に対して性虐待する加害者であったと見ることもできようが……。
古典文学や昔話に描かれる一軒家の鬼は、その実、被害者であったかもしれないという発想に、この物語では一歩近づいている感がある。
野中の一軒家で恐怖しているのは、外からの来訪者ではなく、そこに住まう爺婆であったかもしれないのだ。
大塚ひかり(おおつか・ひかり)
1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『傷だらけの光源氏』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。4月1日に『悪意の日本史』(祥伝社新書)が刊行予定。
連載一覧
- 第1回 『源氏物語』の舞台は王朝心霊スポット~河原院と二条院
- 第2回 『源氏物語』の舞台は王朝心霊スポット~河原院と二条院Pt.2
- 第3回 中国から日本に伝わった”凶宅”ということば
- 第4回 凶宅における“怪異”との正しい付き合い方
- 第5回 都市伝説「池袋の女」に隠された想い
- 第6回 「野中の一軒家」の本当の被害者を考える
- 第7回 凶宅が「福」に転じる場合とは?
- 第8回 なぜ平賀源内は人を殺めてしまったのか?
- 第9回 数多くの人骨が発見された場所に存在した、鎌倉時代からの因縁
- 第10回 橋という場所にさまざまな怪異が存在するわけ
- 第11回 凶宅のあとには何ができる?
- 第12回 日本各地に存在する皿屋敷伝説
- 第13回 「凶宅」の被害を受ける者、受けない者の違いとは
- 第14回 「ヒロシマへ行く」ということばを知っていますか?
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