実は先週金曜日(12/12)にブログ開設からの更新日が6000日を数えたのだった。
すると先ほど宮武嶺さんのブログを見たら、記事の件数が6000件を超えたとのこと。
このブログは記事の件数は19年間で11,300件を少し超えたくらいだから、宮武さんの倍近く書いていたのだった。もっとも弊ブログの記事の中には周辺ブログの更新の告知などの簡単な記事も多く、それらの水増し分も含んでいる。
ところで注目したのがコメント欄だった。以下引用する。
お二人ともありがとうございます!
PCで見ていただくと、ブログの右部分の最後に月別記事数というのがあるんですが、2018年が81本、2019年なんて37本しか書いていなくて、飽きっぽい私のピンチが訪れていたようです(笑)。
そこから、おかげさまで何とか盛り返せました。
これからもよろしくお願いいたします!
2018年といえばその頃弊ブログの更新意欲も著しく減退した時期だ。
その前の2017年が510件だったのに、2018年には209件にまで減った。
2018年にブログを更新する意欲を失わせた最大の原因は、安倍政権の公文書の扱い、あの隠蔽やら捏造やた廃棄やらで後世の歴史家を悩ませるであろう悪行が報じられて、「これでは政権が持たない」と思われたにもかかわらず、政権支持率が高止まりしたことだった。
これでは何を書いてもしかたがないな、と思った。
それに加えて、2019年1月末までにはブログの引っ越し、といっても「はてな」内で「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移転するだけだったのだが、それをやららなければいけないのか、面倒だなあと思っていたという理由もある。
そのような気力減退の時期から一転してブログ更新の意欲を取り戻さざるを得なかったのが2019年だった。というのは、ブログを移転したあと、前身のブログは繁盛していたのが急に寂れてしまった例をいくつか見てきたからだ。
その最大の原因は、ヒット数の多かったブログに代わって新しいブログを立ち上げた時、すぐには検索エンジンにヒットしにくくなるからだと思う。
実際、アクセス解析を見ていると、Google検索経由のアクセス数は、「はてなブログ」に移行後も古い「はてなダイアリー」時代の記事へのものが多い状態がしばらく続いた。
だから、少なくとも移行直後からしばらくは気力を奮い起こして更新頻度を増やさないとブログがさびれてしまうに違いないと思って、2019年から2021年まではブログ運営に力を入れた。その後はその惰性力で更新を続けている。
宮武さんの場合は同じ時期時の更新頻度の落ち込みがさらに極端で、2018年が81本、2019年が37本だったというから驚きだ。もっとも「はてなブログ」への移転がなかったら弊ブログも2019年は前年に引き続いて低調だったに違いない。いやこの年には改元があって現元号を批判する強い動機があったから、2018年よりは増えたかもしれないが。
でもブログの切り替え時期が正念場という意味では、ブログ切り替えの年に更新頻度が高い宮武さんのブログは成功例といえると思う。
以上は前振り。忘れないうちに山本新選組の記事を書く。
同党は今月代表選をやって山本太郎が再選された。3年前の代表選も合わせると「3選」といえるかもしれない。結党時に代表選はなかったけれども、前回が「再選」にあたるだろうからだ。
党勢は今年3月頃までは伸びたがその後反転して党勢は低下に転じた。それを時事通信が記事にしている。
「山本1強」曲がり角 れいわ伸び悩み、党内に不満
時事通信 政治部
2025年12月10日07時07分配信
8日投開票されたれいわ新選組の代表選で、創業者の山本太郎参院議員が続投を決めた。「一枚看板」の勝利は順当だが、衆参両院議員の支持は約半数にとどまった。国民民主党と参政党に押されて党勢が伸び悩んでいることに加え、閉鎖的な党運営への不満も強い。躍進の原動力だった「山本1強」は曲がり角を迎えている。
「腐った国会に徹底的にあらがうにはまだまだ力が弱い」。山本氏は9日、国会内で記者会見し、党勢拡大に意欲を示した。
山本氏は2019年にれいわを1人で旗揚げした。徹底的な政権批判と財政規律にこだわらない弱者重視の政策、立場が異なる野党への攻撃も辞さない姿勢で存在感を発揮。24年衆院選では公示前勢力の3倍となる9議席を獲得し、現在は組織力を誇る共産党と同じ衆参15人の勢力となった。
ただ、今年の参院選では「手取りを増やす」と掲げた国民民主と、「日本人ファースト」など際立つ政策を打ち出した参政が注目を集め、れいわは1議席増の3議席に終わった。11月の東京都葛飾区議選は定数40ながら議席ゼロ。トップ当選は参政で、国民民主は2議席を得た。関係者は「うちから参政に行ったボランティアがかなりいる。脅威に感じている」と語った。
こうした状況で行われた結党後2度目の代表選で、山本氏の国会議員票は15票のうち8票だった。要因について、衆院選の元候補は「山本氏以外の意見を認めない体質にある」と指摘。ボランティアからは「代表の物言いがきつすぎて、自分たちも悪く言われる」との声が出ているという。
(時事通信より)
以下ブコメより。
「山本1強」曲がり角 れいわ伸び悩み、党内に不満:時事ドットコム12/10「関係者は『うちから参政に行ったボランティアがかなりいる。脅威に感じている』と語った」本来支持層が重ならないはずなところに疑問を持とうよ。
2025/12/10 22:00
そうだろうか。新選組の経済理論のブレーンとみられる松尾匡は7月に下記のように書いた。
以下引用する。
反緊縮左派は極右とマーケットを取り合うのが法則である
先進国どこでも見られる当たり前の現象
そうした上で、参政党さんに奪われた票をどうすれば守れたのかを真剣に考えないといけないと思います。
ネット上では、れいわ新選組の支持者から40万票が流れたという言説が出回っています。古谷経衡さんの推測によれば、「れいわ新選組が本来獲得すべきだった100万票強が参政に流れた」とされています。私もそれは決して驚かない。ひょっとするともっと多かったかもしれないと思います。
何度も言いますが、これは先進国どこでも見られる「法則」です。フランスの「黄色のベスト」に参加してマクロン中道政権と闘った人たちは、左派ポピュリストのメランションさんにも入れるけど右派ポピュリストのルペンさんにも入れるのです。アメリカの民主党の大統領候補選びでサンダースさんを支持して惜しかった思いをしたたくさんの人たちが、本選挙では決してヒラリーさんやハリスさんに入れず、トランプさんに入れたのです。
新自由主義でひどい目にあった人たちは、その苦しさや怒りにフィットした言葉を求めているのです。怒りを「上」のごく少数の搾取者に向ける言葉が届かなければ、本来経済的立場が同じで手を組んで「上」と闘うはずの人々に怒りの矛先を向ける言葉に飛びつくのは当然なのです。
だから、これまでも何度も書いたと思いますが、れいわ新選組は極右勢力と同じマーケットを取り合っているのです。
そもそも安倍政権を支持していた人たちは、本来左派が支持者として獲得するはずだった人たちなのだということは、私が当時くどいほど言い続けていたことです。
しかし私は、この言説にも「そうだろうか」と言いたくなってしまう。
ヒントは上記記事に多数ついたブコメのうちの人気ブコメである下記かもしれない。
先進国どこでも共通する三極図式——参議院選挙総括のために|松尾 匡(1)対立軸は再分配復活と自己責任論で、積極財政かどうかではない。(生活保護削減と軍備への支出激増など。)(2)感情をつかめるかどうかがカギなのはその通り。しかし「正しい」政策でそれをやるのは難しい。
2025/08/15 02:56
「対立軸は再分配復活と自己責任論で、積極財政かどうかではない。」
本当にその通りだ。
実際問題、「再分配」を共用のブログの名前に関しているのにすっかり閑古鳥にしてしまっている私はかねてから山本太郎に対して「業腹」(すごく腹に立つこと。しゃくにさわること)なのだが、その最大の理由は山本が「減税」ばかり言って富の再分配についてあまり言わなくなったことだ。その結果「リベラル・左派」の多くまでもが「減税」になびいてしまった。
そんな流れの中、新選組代表選の前日(12/7)に佐藤周一さんが共用ブログ『混沌の時代の自由討論会』に投稿されたのが下記記事だった。リンクを再掲しておく。
free-discussion-in-time-of-chaos.hatenadiary.com
佐藤さんは下記のように書いた。
現在の物価高は、れいわ新選組にも軌道修正を求めています。これまでマニフェストには掲げていたものの、あまり強調してこなかった「超大金持ちや超大手企業がお金を貯めこむことによる過剰流動性蓄積を是正するための再分配政策」が、今こそ必要になっています。
最近の山本太郎は「減税」と「再分配」ばかり言って「富裕層や大企業からの増税」はほとんど言わなくなった。もっとも、たまに言っても松尾匡に「それでは共産党と同じになる」とばかりにブレーキをかけられたりしているのが実情だ。あの「ブレーン」はいったい何者なのだろうか。
私は最近、銃から持っていた「(日本版)MMT」に対する疑念をますます強めている。そんな時期に、何かといえば高橋洋一に助言を求めたがる高市早苗が総理大臣になって国政を混乱させている。
今日は時間になったので以上。
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