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きりのいいもの

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「天然だね」と言われて喜ぶ人はいない説

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ただいま私、絶賛生理中です。

 

デリカシー要素皆無の一文で始まるにはそれなりの訳がありまして。いわゆるPMSの精神的な症状がかなりキツめに出てしまいました。

生理前後の私は頭が回らないことが多くて。例えば電話の要件を聞くときも断片的な情報をまとめられず、自分で理解できないまま内容を共有してしまい、挙句の果てには同僚が別の同僚に「なんか、なんかって……何回それ言えば気が済むんだよ」と耳打ちしていました。そういうのが視界に映ると仕事のフォローもしたくなくなりますよね。

 

今週は、自分自身の知らないことを二つ知りました。

一つは口癖が「なんか」であること。もう一つは「性格が天然」だということです。

前者はこの際どうでもいいです。問題は後者について。30過ぎてこれだと痛いというか、少なくとも喜んじゃいけないと思うんですよね。薄々ですが、自分でも分かっていたんですよ。といっても「自分は人として大事なネジが何本も欠落している」くらいでしか考えていませんでした。

自覚している性格は真面目なこと。母によると、私は「真面目な天然さん」らしく……なんとだいぶ前から私のことを天然だと察していたそうなのです!

まぁ母親ですから我が子の性格なんて手に取るように分かるものですからね。ただ私は心にささくれができていて……「天然である自分は恥ずべき存在」「天然だからこそ細心の注意を払って常人でいるようにしよう」としていました。それで失敗してしまっているので余計にささくれる悪循環。おまけにスイッチが入ると心を許している人相手にボヤキ始めるのである意味面倒くさい人間になります。

 

天然ボケは本当に諸刃の剣で、下手すると自分自身を苦しめる呪いにもなりかねません。それは自分自身が天然であることを受け入れられないからだと思います。受け入れたら最後、私は永遠におバカさんを演じなきゃならない――真面目故に葛藤が生まれるんです。

本当はデキる大人、デキる若手として認められたい。普通の人間として見てもらいたい。わがままかもしれませんが「天然」をコンプレックスにしている者にとっては、そう見られるだけでも涙を出して喜びます。ようやく普通ができるようになったというか、普通でいられることの喜びはとてつもなく大きいのです。

 

天然って本当に良いことなんでしょうか?可愛いかもしれませんが、真面目が過ぎると悩みの種ですね。

 

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