Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


kenketsu224’s blog

理解と記憶

理解と記憶は違うものだ。
この違いは、本を読む時に、真っ先に意識すべきことだ。
本を読む目的は、理解することであり、記憶することではない。

著者は、本を書く時には、たくさんの資料を用意する。
それらを参考にして、文章をたくさん書いて、書き捨てて、最後に残ったものが本になる。
少しずつ書き足しつつ削りつつ、長い時間をかけて本を作っていく。
著者が、その本を書けるようになるだけの経験を積んだ期間やコストも考慮に入れるなら、質・量ともに、とんでもないコストがかかっているのが本というものだ。

だから、本に書かれていることを、読者である自分が全部丸ごと覚えられなかったとしても、それは当たり前だ。
どだい無理というものだ。
そもそも、やろうとしてはならない。
著者ですら、暗記はしていまいし、すべて記憶もしてはいまい。
もしかすると、すべてを覚えられない自分のために、アンチョコとして本を書く、というパターンもあるのかも。

しかし著者は、本の流れだけは、絶対に理解している。
流れとは、本の中で言わんとしていることの、伝えんとしていることの、前後関係であり、因果関係であり、結論に至るロジックだ。
そうでないと本は書けないし、一冊の本にまとめられない。

この流れこそが、本の真髄。
枝葉末節ではない、幹の部分。
その幹をこそ、読者は理解すべきだ。
本の中で幹がなにかを探すべきだ、探し続けるべきだ。
幹を読み、枝葉に注力しない。
自分が今どちらを読んでいるか、意識する。
幹の理解は、高い汎用性を持つ。
いろいろな分野に応用が効く。
それに気付けば、読書ははかどる。

逆に枝葉末節な部分は、記憶に属する部分だ。
幹に納得感や具体性を持たせるための、補強材だ。
そういう記憶部分は、汎用性を持たない。
記憶部分は、ファクトではあるのだろうから、話としては面白いし、印象が強いのは確かなんだけれどね。
だから、本の中での記憶部分は、自分が必要とする時にネタとして引っ張ってこられるようにしておけばいい。
例えば、自分が論拠を述べる時の補強材として使えればいい。
それに、本に書いてある事例ではなく、自分が経験した事例に置き換えられたなら、ネタとしてはより具体的になるし、覚えやすいし思い出しやすい。
そういう程度の読み方や覚え方でいい。
要は、メリハリをつけよう。

そして、幹が何かを、未来の自分に向けて、自分の言葉で別の媒体に書き残すべきだ。
これは、単に「いい本だった、まる」で終わらせないためにも、必要なことだ。
例えば、本のページに下線やハイライトを引いたり付箋紙をはさむ、では駄目だ、不十分だ。
それだけでは、今の自分がその箇所について何をどう理解したのか、何を大事に思ったのかが、未来の自分は思い出せない、絶対にだ。
それに、効率が悪すぎる。
大事なことを思い出すのに、本棚からいちいち本を取り出して、下線を引いたりや付箋紙をはさんだ箇所を見直す、というのは。
学びの方法としては下策だ、自分はそう思っている。
それに、自分は記憶力は良くないので、自分の記憶を信用していない。
たくさんある本のどこにどういう下線やハイライトを引いたか、付箋紙をはさんだかを、全部覚えてはいられない。

だから、考えた瞬間にメモを書き、その考えや疑問を残す。
覚えているうちにメモを書き、感じたことを残す。
自分が既に分かっていることは、細かく残さなくてもいい。
自分が分からなかったところへの、自分向けの説明があればいい。
そのメモを見れば、著者の言わんとしていることの流れが、自分の頭の中でいつでも再現・再構築できるようになっていればいい。
そういうメモが作れていれば、普段は忘れていてもいい。
いいんだよ、そのメモの内容が、他人には全然伝わらなくても。
自分用なのだから、自分だけが分かればいい。
メモの書き方は、それだけ守ればいい。
他人が分かるようにきれいに書いたり、まとめたりしなくていい。
そうして溜め込んだメモが、自分だけのアンチョコになり、一生ものの財産になる。

さて、これが自分が思っている本の読み方みたいなこと。
本ではない、ただの文章を読む時も同じ。
そして、人と人との会話でも同じだったりする。
だから、自分は仕事場でもノートを常に持ち歩いて、メモをしまくる。
考える時も、頭の中にあることを、ノートにひたすら書きなぐる。
あるいは、ホワイトボードへ書きまくる。
自分の場合は、手で書かないと駄目なのだ、多分。
これは昔から、それこそ新入社員の頃から、ずっと続けてきたやり方。
なので自分は、仕事場ではノートを大量に消費する人として知られている。
思えば、ずいぶんアナログだが、それに慣れているので仕方がない。
ちなみに、自分の会社の役員が、メモ書きを同じようにしているのを見た。
その時、自分は間違ってはいないのかも、と思ったことは覚えている。

なお、今の自分が個人用のメモを溜め込んでいる先は、Google Keepだ。
Keepを使っているのは、特に深い理由はない。
紙のメモをやめようと思った時に、Androidスマホを使っていた自分にとって、最も手軽なクラウド対応メモアプリだったから、というだけ。
それに、KeepはWEBブラウザ版もあって便利だった、ということもある。
この文章も、WEBブラウザ版のKeepで書いているし。

そうそう。
こういうのを書いているのは、大抵は深夜テンションの真っただ中だ。
あるいは、寝ようとした時とかに、脳裏にある程度の起承転結がある文章が突然浮かび、消えるのも勿体ないからそれを書き留めておく、という感じ。
なので、後から読み返すとなんだかなーになるけれど、それも自分だ。

まあ、それはどうでもいいが、今のところ、Keepはサービスが終わる気配はないし、当面はこのままで行けそう。
Kindle Scribeにも興味はあったりするのだけれど。

検索

引用をストックしました

引用するにはまずログインしてください

引用をストックできませんでした。再度お試しください

限定公開記事のため引用できません。

読者です読者をやめる読者になる読者になる

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp