立ち食いそばをはじめとして、「早めに食べて出る」という前提のそばが苦手である。ぼくの食事信条に反するからである。
したがって「味わう」という見方が全くできなかった食事の一つだ。
時間がなくてやむを得ないなら入るけど、そうでもなければまず避けたい食事のスタイルと言って差し支えない。
しかしこのマンガである。
ぼくにとって完全に不透明だった領域の食事が急に「見える」ようになる。
たぶん世の中では動画やテレビ番組をはじめ、いろんなところでこの領域は紹介されているのかもしれないが、なにぶん先ほど言ったような事情なので、初めて知ることばかりだった。
立ち食いそばで並んだおっさんサラリーマン(あだ名が「アミーゴ」)が、たまたまそこで並んだギャル(じゅりな)と意気投合して以後、早食い系のそばを食い歩くようになるという設定だ。
「おいしい」という以外に描きようがないのでは、こんなのが果たしてマンガになるのかよ、という不信感があったのだが、読んでみると想像以上にコマやセリフが、そばの食レポ——評論として成立している。
第3話のコロッケそば。
そもそもそば屋に入っても絶対にぼくはコロッケそばなど頼まないだろう。
話の展開として、まず「富士そば」というありきたりのチェーンに入り、しかも特定の支店に特別に何かがあるというわけではなく、単に個人的な思い出があるというだけの理由でそこに入る。そして、ありがちな「コロッケそば」を頼む。ここまでに一切の「特別なグルメ」の要素はない。
アミーゴは
正直かき揚げのような掛け算のうまさがないというか…
そのまんますぎてマリアージュに欠けるというか…
と心の中でつぶやく。低い期待値でコロッケそばを注文する。
「つゆをたっぷり浸み込ませたコロッケ」をそのまま食べようとするアミーゴに対してじゅりなは制止する。ツユの底に沈めて一定程度そばを食べてから、コロッケをグジャグジャにするのである。アミーゴはこれを「ポタージュメソッド」と呼ぶ。
うん。
アミーゴが気持ち悪がって絶対にやろうとしないのもわかる。
だって、気持ち悪いじゃん。
やらねーよ。こんなの。自分からは。
しかし、じゅりなに強制的に混ぜられて、本当にグジャグジャにされるのである。
アミーゴが不安なままツユをすすると、
ジャガイモの甘味とツユの旨味が渾然一体!
で、めちゃくちゃうまいのだと…。
そしてそこからさらに加工されるのだが、もはやそれはそばかどうかなどということは「問題ではない」という境地にまで達する。
食において思い込みが否定されて革新されるという爽快感が、身近な「コロッケそば」という料理で、しかもどこのそば屋でも味わえる可能性として示される。
あー。食ってみてえ。
もともと「青年マンガ」としてギャルに性的な要素を配置したかったのかもしれないが、本作については個人的なことを言えばその要素はゼロ。おっさんの固定観念を破壊する他者としてよく機能している。
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