24年12月22日付「しんぶん赤旗」に共産党の田村智子委員長の共産主義についての講演が載っている。
この中で
田村氏は、“もうけ競争”の利潤第一主義から自由になるには、生産手段の社会化が必要だとし、その形は多様だとのべました。
田村氏は本紙連載(12日から全8回)の再生可能エネルギー事業「おひさま進歩エネルギー株式会社」(長野県飯田市)に注目しました。
住民が出資して太陽光パネルを設置し、利益は地域に還元しています。「利潤第一主義とはまったく違うもの。生産手段の社会化の一つのヒントになるのでは」と提起しました。
に注目した(正確には京都大学大学院教授の諸富徹へのインタビュー)。
この連載はぼくも同じように注目していた。
というのは、「おひさま進歩エネルギー」は「協同組合」や「NPO」ではなく、「株式会社」だとしたからである。諸富の話によれば、初めはNPOであったがそれを株式会社に変えてる。利潤追求を第一原理におく組織形態をわざわざ採用しており、諸富はそのことをこの事業の枠組みの重要なフレームとしてあげているのだ。
田村のまとめ方では、協同組合やNPOのようなものでもいいような気がしてくるのだが、諸富の話によれば、補助金や寄付ではなく、ビジネスとして成り立つ(自立する)という点を重視するために株式会社という形態が必要だったことがわかる。
つまり「儲け話」として他企業や人が自然と寄ってくる、という点が重要だと思う。この点について「それは資本主義下の制約だ」ととらえるのか、社会主義の下でも生かされる枠組みだと考えるのかで、このモデルへの評価は大きく変わる。
ぼくは、社会主義の下でも、市場経済の存在はもちろんことの、株式会社などの多くの私企業が存在し、そこでは競争による利潤追求が行われると考える。そして、個々の企業を見れば相変わらず株主への配当などの形で利潤第一が貫かれている場合も少なからずあるだろうと思う。
問題は、社会として、そうした私企業のあり方にどのようにして利潤第一主義を抑える仕組みを絡ませていくか、ということだ。
企業としては利潤第一主義で儲けてもらった上で、「あがり」、つまり利潤を税金の形で社会が一定取り上げて再分配することも、生産手段の社会化の一つの形態である。
あるいは、この「おひさま進歩エネルギー」のように、住民が参加したり、住民や地域に利益を還元する仕組みを、自主的運動として下から関与させることもあろうし、ある程度支援する制度を作ってそれを応援することもあるだろう。このような社会の仕組み全体が生産手段の社会化であり、利潤第一主義の制御のはずである。
逆に言えば、田村の答え方は、あいも変わらず、生産手段の社会化を、やれ国有化だ、協同組合だなどといった企業形態だけに執着して見てしまう見方を離れていないように思う。
別の言い方をしてみよう。
確かに自然エネルギーのような分野では、こうした住民参加や地域還元というのが、ビジネス段階から想定しやすいのだが、それ以外の分野でもこうした形ができるのかどうかはよくわからないはずなのだ。例えば豆腐を作るビジネスで、生産手段の社会化において、同じようなことができるだろうか?
ここは田村にも共産党にももっと議論を深めてほしい点である。

このこととは別に、飯田市の担当者が、市として一企業にゆだねるようなやり方をしてしまっていいのだろうかと諸富に相談するエピソードがこの連載では紹介されているのにも注目した。
一つの自治体が、あるエネルギーという分野の事業において、一つの株式会社をプラットフォームにして住民が参加し地域に利益を還元させる仕組みを構築するというのであるから、共産党の地方議員団の中には「けしからん!」と猛反対する向きもありそうだ。
しかし諸富は別にそれもアリだと答えているのである。これはぼくもびっくりした。
残念ながら、連載の紙面では「それはなぜなのか」という理屈があまり詳しく書かれていない。この点についてはぜひ続報を待ちたいところである。あるいは「前衛」や「議会と自治体」誌などで詳しく論じてほしい。
そして、共産党の地方議員はこうした取り組みこそ、自治体に持ち込むべきだし、また党員はこのような取り組みにこそ参加して新しい形での大衆運動を広げていくべきではないだろうか。
田村ほど普遍的な意味ではないが、こうした取り組みのひとつひとつが、社会主義のパーツを構成していくことは間違いないのだから。
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