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『2025年12月18日は何の日?』

明後日の、 #12月18日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

源内忌(12月18日 記念日)

12月18日は、江戸時代中期の本草学者であり戯作者としても知られる平賀源内の忌日です。本草学とは、中国および東アジアで発達した医薬に関する学問で、薬用とする植物・動物・鉱物などの自然物を研究する学問分野です。平賀源内は江戸時代のレオナルド・ダ・ヴィンチとも称される多彩な才能を持つ人物として、後世に大きな影響を残しました。科学者、発明家、戯作者、画家など、まさに多方面での活躍が光る人物でした。

平賀源内は1728年、讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)の白石家の三男として生まれました。白石家は讃岐高松藩足軽身分の家で、後に戦国時代の先祖にちなんで平賀に改姓しています。名は国倫(くにとも)、字は子彝(しい)、号は鳩渓(きゅうけい)・風来山人(ふうらいさんじん)・福内鬼外(ふくうち きがい)など、数多くの名を持っていました。

1752年には1年間長崎へ遊学し、本草学やオランダ語、医学、油絵などを学びました。当時の長崎は日本で唯一西洋文化に触れることができる窓口であり、源内は貪欲に新しい知識を吸収しました。その後大坂や京都でも学問を深め、1756年には江戸に出て、本草学者・田村藍水に弟子入りし、本草学をさらに学びました。

江戸では蘭学医の杉田玄白中川淳庵らと親交を持ち、多方面で活躍しました。物産博覧会をたびたび開催し、全国から集めた珍しい品々を展示することで、人々に自然科学への興味を喚起しました。また、静電気発生機のエレキテルや石綿耐火布の火浣布、寒暖計などを発明し、当時の人々を驚かせました。エレキテルは医療用としても使用され、神経痛などの治療に効果があるとされました。

戯作や浄瑠璃にも才能を発揮し、多くの作品を残しています。談義本という新しい文学ジャンルを開拓し、風刺とユーモアに富んだ作品で人々を楽しませました。源内焼などの焼物の制作や鉱山の採掘など、実に多彩な分野で活躍しました。鉱山技術においても専門的な知識を持ち、各地の鉱山開発に携わりました。

しかし、多才であるがゆえに、一つの分野で大成することができず、幕府への仕官も叶いませんでした。晩年は生活が荒れていきました。1780年、酒に酔い、口論から人を殺傷してしまい、これにより投獄されました。獄中で1780年12月18日(旧暦)、破傷風により獄死しました。享年52歳でした。

著書として、本草学の『物類品隲』(1763年)や談義本の『根南志具佐』『風流志道軒伝』(1763年)、浄瑠璃の『神霊矢口渡』(1770年)などがあります。2009年には故郷のさぬき市志度に平賀源内記念館が開館し、発明品や著作物、杉田玄白と源内の書簡などが展示されており、多才な源内の業績を今に伝えています。

国際移民デー(12月18日 記念日)

12月18日は国際移民デーです。この記念日は2000年の国連総会で制定された国際デーの一つで、「国際移住者デー」とも呼ばれています。英語表記は「International Migrants Day」です。1990年のこの日、国連総会で「すべての移民労働者とその家族に人権保護に関する国際条約」が採択されたことに由来しています。この条約は、移民労働者とその家族の基本的人権を保護し、尊厳ある生活を保障することを目的としています。

グローバリゼーションが進展した現代において、移民は世界中で見られる現象となっています。経済的な理由、政治的な理由、戦争や紛争からの避難、気候変動による環境難民など、人々が移住する理由は多岐にわたります。しかし、移住先で搾取や差別、暴力を受けているという現実があります。言語の壁、文化の違い、法的保護の不足などにより、移民労働者は弱い立場に置かれることが少なくありません。

この記念日は、そうした現実を多くの人に知ってもらうとともに、持続可能な開発を進め、移民を含むすべての人間が尊厳を確保できるようにすることを目的としています。移民は移住先の社会に大きく貢献していることも事実であり、経済発展、文化的多様性の促進、労働力の供給など、様々な面で重要な役割を果たしています。この日にはシンポジウムなどのイベントが開催され、移民問題への理解を深める機会が設けられています。

近年、移住は世界中でますます注目を集めており、国際移住に関する問題や課題には、国や地域間の協力と集団行動の強化が必要とされています。国連は、この分野で積極的に活動を行い、より多くの対話や情報・経験の交換が行われる機会を推進しています。移民の権利保護と社会統合の促進は、21世紀における重要な課題の一つとなっています。

国連加盟記念日(12月18日 記念日)

1956年12月18日、日本の国際連合加盟案が全会一致で可決され、国連加盟が承認されました。この日は日本が真の意味で国際社会に復帰した歴史的な日として記憶されています。日本は1933年2月の国際連盟総会で「満州国」の不承認などを不服として松岡洋右主席全権が議場から退席し、国際連盟から脱退していました。国連加盟により、23年ぶりに国際社会への復帰を果たしたのです。

日本は、サンフランシスコ講和条約が発効して主権が回復した1952年に国際連合に加盟申請をしていました。しかし、当時は冷戦の最中であり、世界は東西両陣営に分かれて対立していました。ソ連など社会主義諸国は、日本が西側陣営に属していることを理由に加盟に反対し、安全保障理事会で拒否権を行使したため、なかなか実現しませんでした。日本の国連加盟は、冷戦という国際政治の現実の前に阻まれていたのです。

転機となったのは1956年10月の日ソ共同宣言でした。この宣言により日本とソ連の国交が回復し、ソ連は日本の国連加盟に対する反対を撤回しました。これによって障害がなくなり、同年12月18日の国連総会で日本の加盟が承認されました。日本は80番目の加盟国となりました。この加盟承認は、戦後日本の外交にとって大きな転換点となり、国際社会における日本の地位を確立する重要な一歩となりました。

2019年3月時点で、日本を含む国連加盟国は193ヵ国となっています。日本が承認している国の数は195ヵ国であり、これに日本を加えた196ヵ国が日本における世界の国の数となります。日本が承認している国のうち、バチカンコソボ、クック、ニウエは国連未加盟です。他方、日本が承認していない北朝鮮は国連に加盟しています。国連加盟以来、日本は国際平和と安全の維持、経済社会の発展、人権の尊重などの分野で積極的に貢献を続けています。

東京駅完成記念日(12月18日 記念日)

1914年12月18日、東京駅の完成式が行われました。この日は「東京駅の日」ともされています。東京駅は日本の鉄道交通の中心として、また首都東京の玄関口として、100年以上にわたって重要な役割を果たしてきました。

東京駅建設の計画は1889年に決定されました。新橋駅と上野駅高架鉄道で結び、その中央に中央停車場を建設するという壮大な計画でした。しかし、資金不足や1904年から1905年にかけての日露戦争などで計画は中断を余儀なくされました。1908年に工事が開始され、6年半の歳月と当時の金額で280万円という莫大な費用をかけて完成しました。駅名は「東京駅」と名付けられ、首都の名を冠する日本を代表する駅となりました。

東京駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原であった丸の内側に建設されました。この場所は皇居の正面にあたり、丸の内口の中央には皇室専用の貴賓出入口が設けられました。この配置は、天皇を中心とした国家体制を象徴するものでもありました。完成式が行われた2日後の1914年12月20日に開業し、東海道本線の起点が新橋駅から移されました。これにより東京駅は、日本の鉄道網の中心的な役割を担うこととなりました。

赤レンガ造りの丸の内口駅舎は建築家・辰野金吾らが設計したもので、明治期の西洋建築の傑作として知られています。辰野金吾東京帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)の教授で、日本銀行本店や日本橋、武道館なども手がけた日本近代建築の第一人者です。東京駅の赤レンガ駅舎は、ドーム屋根を持つルネサンス様式を基調とした壮麗な建築で、創建当時は地上3階・地下1階建てでした。2003年には国の重要文化財に指定され、東京駅は「関東の駅百選」認定駅でもあります。

近年、赤レンガの丸の内駅舎を創建当初の本来の姿に近い形態に復原する工事が行われました。駅舎は1945年の東京大空襲で屋根と内装の大部分を焼失し、戦後の復興時には3階建てから2階建てに変更されていました。2007年5月30日に復原工事が開始され、約500億円という費用をかけて、2012年10月1日に完成しました。この工事により、南北のドーム屋根が創建時の姿に復原され、3階建ての外観も取り戻しました。

2014年12月20日に東京駅は開業100周年を迎えました。これを記念してJR東日本から記念Suicaが発売されました。当初、限定1万5000枚の予定でしたが、希望者が殺到して大混乱となり、結局は希望者全員に販売されることになりました。その販売総数は約427万枚に上り、記念Suicaへの関心の高さが示されました。2024年7月3日に刷新された新一万円札の裏面には、丸の内駅舎が描かれています。鉄道駅が紙幣にデザインされたのは初めてのことであり、東京駅の歴史的・文化的価値の高さを物語っています。

ナボナの日(12月18日 記念日)

東京都目黒区自由が丘に本社を置く株式会社亀屋万年堂が制定した記念日です。日付は同社が1938年12月18日に創業したことにちなみます。元巨人軍の王貞治選手が出演した「ナボナはお菓子のホームラン王です」のテレビCMで知られる「ナボナ」は、ロングセラーとなる同社の看板商品です。このキャッチフレーズは多くの人々の記憶に残る名CMとなり、「ナボナ」の知名度を大きく高めました。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

1963年に発売された「ナボナ」は、2013年で発売50周年を迎えました。これを記念して「ナボナの日」が制定されました。また、亀屋万年堂は2018年で創業80周年を迎え、長い歴史を持つ老舗菓子店として、地域に愛され続けています。

ナボナ」が誕生したきっかけは、亀屋万年堂の創業者でもある引地末治がイタリア・ローマで見たお菓子祭りでした。大勢の市民が参加し、子どもたちが思い思いにお菓子を楽しんでいる光景に心をうたれました。その楽しげな雰囲気と、お菓子を通じて人々が幸せな時間を共有している様子に深い感銘を受けたのです。和菓子の感性を活かしながら、洋菓子の楽しさにあふれたお菓子を創れないものかと考え、試行錯誤の末にどら焼きの形をした洋菓子「ナボナ」が誕生しました。

お菓子の名前は感動の原点となったナヴォーナ広場にちなんでいます。ナヴォーナ広場はローマの中心部にある美しい広場で、バロック様式の噴水や建築物で知られる観光名所です。「ナボナ」は、ふんわりとしたカステラ生地でクリームを挟んだお菓子で、バニラ、チョコレート、ストロベリーなどの味があり、幅広い年齢層に愛されています。和と洋の良さを融合させた独特の味わいが、多くの人々に支持される理由となっています。

CACHATTOの日(12月18日 記念日)

東京都千代田区一番町に本社を置くe-Janネットワークス株式会社が制定した記念日です。日付は同社の提供するテレワークソリューション「CACHATTO(カチャット)」の発売日である12月18日からです。記念日は2022年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。2022年で発売20年となることから記念日登録をしたもので、「CACHATTO」がこれからも愛され続けられるようにとの願いが込められています。

「CACHATTO」は、様々な端末から、様々な業務システムへ安全にアクセスできるサービスで、「いつでも、どこでも、そこがオフィス」を実現します。パソコン、タブレットスマートフォンなど、あらゆるデバイスから社内のシステムに安全にアクセスでき、場所を選ばない柔軟な働き方を可能にします。これまでに会社や官公庁、自治体など1500社78万ユーザーを超えるお客様のテレワーク環境を支えてきました。

セキュリティに悩まない、安心で快適なテレワークプラットフォームを提供することで、ペーパーレス化やスマートデバイスの活用、ワークスタイルの変革などを推し進めてきました。特に2020年以降の新型コロナウイルス感染症の拡大により、テレワークの需要が急速に高まる中、「CACHATTO」は多くの企業や組織のリモートワーク環境の構築を支援してきました。高度なセキュリティ機能により、企業の重要なデータを守りながら、従業員が効率的に業務を行える環境を提供しています。

「食べたい」を支える訪問歯科診療の日(12月18日 記念日)

千葉県千葉市美浜区に本社を置くデンタルサポート株式会社が制定した記念日です。日付は12と18で「い(1)つ(2)までも、いい(1)歯(8)」と読む語呂合わせからです。この言葉には、生涯にわたって健康な歯を保ち続けてほしいという願いが込められています。

歯科医院に通院できない人に、歯科医師・歯科衛生士が自宅や施設などに訪問する「訪問歯科診療」は、歯科治療だけでなく口腔ケア・口腔リハビリなどを行うことで口から好きなものを食べたいという気持ちを支える役割を担っています。高齢化社会が進む日本において、訪問歯科診療の重要性はますます高まっています。

「訪問歯科診療」をより多くの人に知ってもらい、いつまでもいい歯を保ち、健康寿命の延伸と生活の質の向上を啓発することが目的です。口腔の健康は全身の健康と密接に関係しており、適切な口腔ケアは誤嚥性肺炎の予防や栄養状態の改善にもつながります。記念日は2023年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。記念日の使い方として、同社のWebサイトでは簡単に「訪問歯科診療の日」という表記も見られます。

同社は1989年5月に設立された会社です。社是として「日本再生」「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す」を掲げています。これは古代中国の医学思想に基づく言葉で、優れた医療者は単に病気を治すだけでなく、人々を、そして社会全体を健康にするという理念を表しています。企業理念として「医療の倫理と企業の論理の融合」を掲げ、質の高い医療サービスの提供と健全な企業経営の両立を目指しています。

訪問歯科診療では、高齢で身体が不自由な人、障害がある人、歯科が無い病院に入院中などの理由で、自身で歯科医院に通院が困難な人の自宅・施設・病院へ、歯科診療と口腔ケアに来てくれます。歯を削る機械からレントゲンまで、持ち運び可能な専用器材一式を揃えて訪問するため、通常の歯科医院に通院するのとほぼ同等の診療を受けることができます。虫歯治療、歯周病治療、入れ歯の作製・調整、抜歯など、幅広い治療が可能です。

美味しく食べること、家族や友人と会話を楽しむこと、笑顔で気持ちを伝え合うことにはすべて口が関わっています。口の健康を保つことは、単に歯の問題だけでなく、人生の質を左右する重要な要素なのです。また、自分の歯をいつまでも健康に保ち、食べるための口を維持することは、生きるためにとても重要なことです。訪問歯科診療では、自分の口から好きなものをいつまでも美味しく食べていくためのサポート、食べることにより必要な栄養を摂取して、からだを維持するためのサポートをしています。「最期まで口から食べる」という人間の尊厳を守ることが、訪問歯科診療の大きな使命となっています。

米食の日(毎月18日 記念日)

三重県が1978年10月に制定した記念日です。日付は「米」の漢字を分解すると「十」と「八」になることからです。若者の米離れを防ぎ、米の消費拡大を図ることが目的です。1970年代後半は、食生活の西洋化が進み、パンや麺類の消費が増える一方で、お米の消費量が減少し始めた時期でした。この流れに危機感を抱いた三重県が、毎月18日を「米食の日」と定め、お米を食べることの大切さを啓発する活動を始めました。

「米」の漢字を分解すると「八十八」にもなることから8月18日は「米の日」または「お米の日」となっています。「米の日」を制定した団体や目的などの詳細は定かではありませんが、毎月8日・毎月18日・毎月28日を「米の日」とする場合も見られます。例えば、滋賀県東近江市では毎月8日を「お米の日」としており、ご飯食の良さや健康的な食生活を推奨し、近江米を食べる機会を増やしてもらうと「お米の日」プロジェクトを実施しています。学校給食でも地元産のお米を使用し、子どもたちに米食の良さを伝える取り組みが行われています。

米食(べいしょく)は、米を食べること、また、米を主食とすることを意味します。日本ではお米が主食として食べられていますが、これは日本の気候がお米作りに適しており、多く収穫できること、また、日本人の味覚に合っていることなどが理由として挙げられます。日本は四季がはっきりしており、稲作に必要な豊富な水と適度な気温があることから、古くから稲作が盛んに行われてきました。お米は日本の食文化の中心であり、日本人の生活に深く根付いています。

お米には炭水化物が多く含まれており、体内で消化されてブドウ糖になり、脳や体のエネルギー源として利用されます。お米の栄養成分の7割以上が炭水化物です。特に脳は主にブドウ糖をエネルギー源としているため、朝食にご飯を食べることで、午前中の集中力や学習能力が向上するといわれています。健康に暮らし、仕事や勉強に集中できる充実した日々を送るためにお米は大切な役割を果たします。また、お米にはタンパク質、ビタミンB群、食物繊維なども含まれており、バランスの良い栄養源となっています。

日本におけるお米の1人当たりの消費量は1962年度をピークに減少傾向にあります。ピーク時は年間118.3kgのお米を消費していましたが、2022年度は年間50.9kgまで減少しました。60年の間にお米の消費量は半分以下になっており、お米の代わりにパンや麺類を食べる人が増えています。この背景には、食生活の多様化、単身世帯の増加、外食やコンビニエンスストアの普及などがあります。また、炊飯に時間がかかることや、余ったご飯の保存の手間なども、お米離れの一因となっています。

関連する記念日として、1月17日は「おむすびの日」、6月18日は「おにぎりの日」となっています。「おむすび」と「おにぎり」の違いについては、明確なものはありませんが、一般的に「おむすび」は三角形、「おにぎり」は丸型や俵型を指すことが多いとされています。1月17日の「おむすびの日」は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、被災地に「おむすび」が届けられた温かい心の象徴として記念日としたものです。震災時に多くのボランティアが握ったおむすびが、被災者の命と心を支えたことから制定されました。6月18日の「おにぎりの日」は、日本最古の「おにぎりの化石」が発見された石川県鹿西町の「ろく(6)」と毎月18日の「米食の日」からです。この化石は約2000年前の弥生時代のものとされ、日本人が古くからお米を携行食として利用していたことを示しています。

防犯の日(毎月18日 記念日)

東京都渋谷区神宮前に本社を置くセコム株式会社が制定した記念日です。日付は「18」の「1」を棒に見立てて「防」、「8」を「犯」と読む語呂合わせから毎月18日としました。この創意工夫に富んだ語呂合わせは、防犯意識を高めるというメッセージを効果的に伝えています。

セキュリティのトップカンパニーとして社会の安全化に努めてきた同社の、企業や家庭、個人の防犯対策を毎月この日に見直して「安全・安心」に暮らしてもらいたいとの願いが込められています。現代社会では、空き巣、強盗、詐欺、ストーカー、サイバー犯罪など、様々な犯罪の脅威が存在します。毎月18日を「防犯の日」として防犯意識を高めることで、犯罪被害を未然に防ぎ、安全で安心な社会の実現を目指しています。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

セコム株式会社は、警備サービス業国内首位の会社です。1962年に日本で初めての警備保障会社として創業しました。創業時は、まだ「警備保障」という概念が一般的でなかった時代で、同社は日本における民間警備業の草分け的存在として、業界をリードしてきました。「安全・安心」を提供するという企業理念のもと、革新的なセキュリティサービスを次々と開発し、社会インフラとしての役割を果たしてきました。

セコムグループは、日本国内の他、海外21の国と地域に事業展開しています。アジア、ヨーロッパ、北米など、世界各地でセキュリティサービスを提供し、グローバル企業としての地位を確立しています。同社の社名「セコム」は機械警備の代名詞として広く浸透しており、警備システムを操作あるいは導入することを「セコムする」と表現する場合もあります。これは「セコム」というブランドが、いかに人々の生活に深く根付いているかを示しています。

セコムの主なサービスには、オンライン・セキュリティシステム、ホームセキュリティ、マンション・オフィスセキュリティなどがあります。センサーやカメラなどの機器を設置し、24時間365日、異常が発生した際には緊急対処員が駆けつけるサービスを提供しています。また、個人や携行品、車やバイク等の安全を確認する「ココセコム」も被認知度が高いサービスです。「ココセコム」はGPS機能を利用して位置情報を確認できるサービスで、子どもや高齢者の見守り、貴重品の管理などに活用されています。緊急時にはボタン一つで通報でき、セコムの緊急対処員が現場に急行する仕組みになっており、多くの人々の安全を守っています。

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『2025年12月17日は何の日?』

明日の、 #12月17日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

飛行機の日(12月17日 記念日)

1903年12月17日、航空史に残る偉大な瞬間が訪れました。アメリカ・ノースカロライナ州のキルデビルヒルズにおいて、ライト兄弟が動力飛行機による初飛行に成功したのです。この日は人類が長年夢見てきた「空を飛ぶ」という願いが現実となった記念すべき日として、世界中で認識されています。

ライト兄弟は、兄のウィルバー・ライト(1867~1912年)と弟のオーヴィル・ライト(1871~1948年)で構成される発明家チームです。彼らはライト家の三男と四男で、他に3人の兄妹がいました。自転車屋を営みながら飛行機の研究を続けた結果、人類の夢であった空を飛ぶという偉業を成し遂げました。

初飛行に成功した場所は、現在の同州キティホークの南にある海に面したキルデビルヒルズという町です。この日は合計4回の飛行が試みられました。1回目の飛行時間は12秒で飛行距離は約36.5メートル、4回目の飛行時間は59秒で飛行距離は約259.6メートルという記録を残しました。操縦者は弟のオーヴィルで、横には兄のウィルバーが離陸滑走の間、地面に触れないように支えていた翼端を離している姿が写真に残されています。この歴史的瞬間を見ていた観客はわずか5人だったといいます。飛行記録からすると、弟のオーヴィルの方が操縦に長けていたようです。

現在、キルデビルヒルズには国立のライト兄弟メモリアルが建設されており、これに隣接してファーストフライト空港が一般航空用に設置されています。2003年には動力飛行100周年を迎え、同空港にはパイロット用の建屋が建設され、大々的なイベントが実施されました。

日本における動力初飛行は、ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年12月19日に陸軍軍人・徳川好敏により行われ、12月19日は「日本人初飛行の日」となっています。その他、関連する記念日として10月25日の「民間航空記念日」や3月6日の「世界一周記念日」などがあり、航空の歴史を振り返る機会となっています。

明治ブルガリアヨーグルトの日(12月17日 記念日)

東京都中央区京橋に本社を置く株式会社明治が制定したこの記念日は、1973年12月17日に「明治ブルガリアヨーグルト」が発売されたことに由来します。ヨーグルトの本場であるブルガリアから認められたヨーグルトとして、ブルガリア政府との長い交渉の結果、国名を商品名に使用することができるようになりました。これは大変画期的なことで、国名を商品名に冠することができた背景には、品質と味への徹底したこだわりがありました。

この商品の始まりは1970年の大阪万博にさかのぼります。万博のブルガリア館で本場ブルガリアのヨーグルトが展示され、当時の明治乳業幹部が試食して感銘を受けたことが開発のきっかけとなりました。本場の味を再現するために、何度もヨーロッパへ足を運び、持ち帰ったサンプルを研究し、試作を重ねた結果、1971年に日本最初のプレーンヨーグルトとして「明治プレーンヨーグルト」が誕生しました。

現在の商品ラインナップには、「LB81 プレーン」「LB81 そのままおいしい脂肪0 プレーン」「LB81 カルシウムと鉄分」「しゃきしゃきアロエ」「ブルーベリー&4種のあじわいベリー」「のむヨーグルト」などがあります。特に「LB81 プレーン」は、本場ブルガリアのLB81乳酸菌と良質な乳原料のみでつくられ、整腸作用により特定保健用食品に許可されている日本で最も伝統のある正統で健康的なヨーグルトです。

2012年12月17日には誕生40年目を迎え、『明治ブルガリアヨーグルトレシピBOOK』も発売されました。長年、多くの人々に愛され続けてきた「明治ブルガリアヨーグルト」の魅力を伝えることを目的として、この記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。なお、5月15日はヨーグルトを研究し、ヨーグルトが健康に良いと世界中に紹介したロシアの微生物学イリヤ・メチニコフ博士の誕生日に由来して「ヨーグルトの日」となっています。

わちふぃーるどの日(12月17日 記念日)

埼玉県富士見市に事業所を置く、わちふぃーるドライセンシング株式会社が制定したこの記念日は、二つの重要な意味を持っています。一つは物語「わちふぃーるど」の中で物語の要となる「ヨールカの扉」が開き、猫のダヤンが不思議な国「わちふぃーるど」へと渡った日であること。もう一つは、革製品メーカー「わちふぃーるど」の直営店第一号となる東京の自由が丘店が開店をした1983年12月17日という日付です。ものがたりとものづくりの「わちふぃーるど」の二つの扉が開いた日に由来しています。

「わちふぃーるド」は作家の池田あきこ氏が創作した架空の国で、猫のダヤンを中心とした仲間たちによる様々な冒険や不思議な謎を解いていく魅力的な物語です。ダヤンは雪の魔法で地球(アルス)から「わちふぃーるど」にやって来た猫で、魔法や妖精のいたずら、様々な冒険に満ちた世界を体験します。そんな「わちふぃーるど」でダヤンは、ネズミは食べ物でなく友達だということも分かり、今では街一番の人気者となっています。

ウサギのマーシィやワニのイワンなど愉快な仲間たちと、小さな冒険の旅に出たり、のんびり昼寝をしたり、季節の祭りを準備したりと、自由気ままに過ごす物語は、多くの人々に愛されています。架空の国「わちふぃーるど」で繰り広げられる様々な冒険や不思議な謎を解いていく魅力的な物語と、そのキャラクターグッズなどの製造を行う革製品メーカーの「わちふぃーるど」、その両方の認知度を高めることが目的です。

この記念日は2022年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。関連する記念日として、7月7日は「ダヤンの誕生日」、2月10日は「ベベダヤンの誕生日」となっています。

国産なす消費拡大の日(毎月17日 記念日)

冬春なすの主産6県(高知園芸連・全農ふくれん(福岡)・熊本経済連・全農岡山・佐賀経済連・全農徳島)で構成する「冬春なす主産県協議会」が2004年に制定したこの記念日は、4月17日の「なすび記念日」とともに、毎月17日をなすの消費を増やす日にすることを目的としています。

記念日の4月17日は「よ(4)い(1)な(7)す」と読む語呂合わせと、なすびが好物であった徳川家康の命日にちなんだものです。「なすび記念日」「国産なす消費拡大の日」はそれぞれ一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。

ナスはナス科ナス属の植物で、原産地はインドの東部が有力とされています。日本でも奈良時代から親しまれ、1200年以上に渡り栽培されてきた歴史ある野菜です。品種は日本で概ね180種類を超え、長ナス・小ナス・丸ナス・水ナス・賀茂ナスなど、形状や産地で分類されます。興味深いことに、皮の色は紫外線を浴びる事で発色するため、紫外線を通さないシールを貼り付ける事で実に模様を描くことができます。

ナスの成分の90パーセント以上は水分ですが、コリンという機能性成分も含まれています。このコリンは無色の強アルカリ性物質で、血圧やコレステロールを下げる、動脈硬化を防ぐ、胃液の分泌を促す、肝臓の働きを良くするなどの作用が認められており、夏バテ防止の働きもあります。栄養価が高く、健康維持に役立つ野菜として、日本の食卓に欠かせない存在となっています。

いなりの日(毎月17日 記念日)

長野県長野市に本社を置き、「いなり寿司」の材料を製造・販売している株式会社みすずコーポレーションが制定したこの記念日は、「17」を「い~な」と読む語呂合わせに由来しています。日本の食文化の中で多くの人に親しまれているいなり寿司を食べる機会を増やすことが目的です。この記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

いなり寿司は、甘辛く煮た油揚げの中に酢飯を詰めた寿司の一種で、「お稲荷さん」「お稲荷」「いなり」などとも呼ばれます。江戸時代末期に書かれた百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』に記載があり、稲荷神の神の使いである狐の好物が油揚げであるという言い伝えから、「稲荷寿司」の名が付いたともいわれています。

地方によっては「きつね寿司」「こんこん寿司」などとも呼ばれ、地域性豊かな食文化を形成しています。シンプルながらも奥深い味わいを持ついなり寿司は、お弁当やピクニック、お祭りなど様々な場面で楽しまれており、日本人の生活に深く根付いた料理の一つです。手軽に作れることから、家庭料理としても親しまれています。

減塩の日(毎月17日 記念日)

東京都文京区本郷に事務局を置き、高血圧並びにこれに関する諸分野の学術進歩向上と国民の健康増進を目指す特定非営利活動法人・日本高血圧学会が制定したこの記念日は、世界高血圧連盟が制定した「世界高血圧デー」、日本高血圧学会が制定した「高血圧の日」の5月17日から、一年を通じて減塩を進めることを目指して毎月17日に設定されました。高血圧の予防や治療において大切な減塩をより多くの人に実践してもらうことが目的です。記念日は2017年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

減塩啓発キャラクターの良塩(よしお)くんは、料理大好き、健康にとっても気を使う6歳児です。アタマのキャップはお塩の計量スプーン、腕にはいつも血圧計をつけています。友達のうすあ人と一緒に、いつも健康について情報をチェックしています。うすあ人は、良塩くんを応援するために、地球にやってきた宇宙人で、生まれた星は光輝くシリウスの隣で薄く控えめに光るシオウスです。シッポは塩分チェッカーになっており、お塩の取りすぎには特にうるさい性格です。地球の住まいは、良塩くんのおなかのポケットという設定になっています。

高血圧の治療においては食塩制限が重要で、日本高血圧学会は1日6グラム未満を推奨しています。食塩と高血圧の関係はよく知られており、食塩摂取量が非常に少ない地域では高血圧の人はみられず、加齢に伴う血圧上昇もほとんどないことが示されています。食塩制限は、正常血圧の人にとっても、高血圧の予防のために意義が大きいと考えられています。

日本では塩分の摂取がまだ多く、一般の人の食塩摂取量について、男性は1日8グラム未満、女性は7グラム未満とされていますが、欧米のいくつかの国では、一般の人にも6グラム未満を推奨しています。また、世界保健機関(WHO)も、すべての成人の減塩目標を5グラムとしており、減塩の重要性が国際的にも認識されています。健康的な生活を送るためには、日々の食事における塩分摂取量を意識することが大切です。

 

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「ロイヤルガーディアン」を「917CL/WEST」へ

「ロイヤルガーディアン」を「917CL/WEST」へ

「ロイヤルガーディアン」を「917CL/WEST」へ

【ご依頼内容:封がされた鍵に交換してほしくそれも自分で開封したい】

以前、依頼した鍵屋は断りなく開封して動作確認し、鍵もぞんざいに渡され、凄く不審感を覚えたので自分で開封したい。

【施工内容:「ロイヤルガーディアン」を「917CL/WEST」へ】

廃盤品の「ロイヤルガーディアン/トーショウサービス」から、現行品の「917CL/WEST」へ交換させて頂きました。

そもそも「封のされている物」を、お客様ご自身で開封していただくという事は、常日頃からしていたので特に違和感は覚えませんでした。

お客様が仰るには、「買った商品だからこちらで開けたい」という意識があるようで、特に「鍵」というセンシティブな物なので、強くそう思われるようです。

なお、今回、既存で付いていた「ロイヤルガーディアン」は、2022年の12月に廃盤になっております。

こちらは、世界初のデッドロック機構など、複数の高度な防犯技術を採用した、ピッキングやバンピングに強いハイセキュリティシリンダーです。

余程の自信があったのか、当時は業界最長である2年間の「鍵保証」が付属し、もしピッキング等による損害があった場合は、MAX50万円(シリンダー破損3万、家財盗難47万円)までの被害額の保証がありました。

【お客様の声】

今回の方は、きちんと封のされた状態で鍵を渡してくださり、私自身の手で開封させてくださったので、とても信用出来る鍵屋さんだと思いました。

 

 

#東浦和駅 #東浦和
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『2025年12月16日は何の日?』

明日の、 #12月16日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

電話創業の日(12月16日 記念日)

1890年12月16日は、日本の通信史において記念すべき日となりました。この日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始され、千代田区に設置された電話交換局が営業を始めたのです。この出来事は、日本の近代化と情報通信革命の重要な一歩として、今日まで語り継がれています。

当時の加入電話は東京で155台、横浜で44台という規模でスタートしました。現代の感覚からすると非常に少ない台数ですが、これが日本における電話通信網の始まりでした。電話交換手は女性7人と夜間専門の男性2人が対応にあたり、24時間体制でサービスを提供していました。電話料金は定額制で、東京が40円、横浜が35円でした。当時1円で米が15kg購入できたことを考えると、40円は現在の価値で約24万円に相当します。この金額から、電話は一般庶民には手の届かない、非常に高価で贅沢なサービスだったことがわかります。利用者は主に政府機関や大企業、富裕層に限られていました。

電話事業開始の21年前となる1869年10月23日には、横浜裁判所構内に電信機役所が設置され、東京~横浜間で公衆電信線の架設工事が始まりました。この歴史的な出来事に由来して、10月23日は「電信電話記念日」、10月20日から26日は「電信電話週間」として定められています。電信サービスの開始はその翌年の1870年のことで、電話よりも20年早く実用化されていました。

1876年にアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明すると、明治政府は新技術の導入に積極的でした。翌1877年には工部省が電話機を早速輸入して実験を行い、電話機の国産化に着手しました。日本の技術者たちは、欧米の技術を吸収しながら独自の改良を重ね、国産電話機の開発に成功しました。そして1890年、逓信省により東京~横浜間の電話交換サービスが開始され、電信・電話は同省の下で運営管理されることになったのです。

当時の電話には電話交換手という重要な役割がありました。電話局内の交換台において、一組の電話プラグを適切なジャックに差し込むことで回線を接続する仕組みでした。電話をかける際は、まず電話局の交換手を呼び出し、相手の電話番号を伝えて接続してもらう必要がありました。交換手は迅速かつ正確な対応が求められ、高度な専門技術と集中力を必要とする職業でした。特に女性の交換手は丁寧な応対で知られ、日本の電話サービスの質の高さを支えていました。

紙の記念日(12月16日 記念日)

1875年12月16日、東京・王子の「抄紙会社」の工場で営業運転が開始されました。この日は、日本の製紙産業の歴史において重要な転換点となった日であり、日本の近代産業発展の象徴的な出来事の一つです。それまで日本は洋紙を輸入に頼っていましたが、この日を境に国産化への道が開かれました。

抄紙会社は、「日本資本主義の父」と称される実業家・渋沢栄一が、大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、明治時代に入ってから間もない1873年に設立されました。渋沢栄一は、明治政府の官僚から実業家に転身し、日本の近代化に多大な貢献をした人物です。この会社は、それまで輸入に頼っていた洋紙の国産化を企図して設立され、後の王子製紙の前身となりました。当時の日本では、西洋式の製紙技術はまだ確立されておらず、抄紙会社の設立は画期的な試みでした。

王子製紙という社名は、創業地である東京・王子の地名に由来しています。王子という地名は、古くから紙の産地として知られており、江戸時代には和紙の生産が盛んでした。その伝統ある地で洋紙の生産を始めたことには、深い意味がありました。その後、同社は積極的な合併と事業拡大を繰り返しながら発展を続け、国内市場の8割以上を握る巨大製紙会社へと成長しました。その圧倒的な規模の大きさから「大王子製紙」と称されるほどになり、日本の製紙業界を牽引する存在となりました。

しかし、戦後の財閥解体政策により、王子製紙過度経済力集中排除法の対象となりました。これは、戦時中に巨大化した企業グループを解体し、経済の民主化を図るための政策でした。1949年に王子製紙は解体され、後継会社として苫小牧製紙、本州製紙十條製紙の3社が誕生しました。これらの3社はその後の産業再編を経て、現在の王子ホールディングス(旧苫小牧製紙・本州製紙)と日本製紙(旧十條製紙)となっています。両社は現在も日本の製紙業界を代表する企業として、国内外で事業を展開しています。

私たちの身近な商品として、王子ネピアが製造・販売するティッシュやトイレットロールのブランド「ネピア」があります。ネピアの商品ラインナップには、キッチンタオル、ウエットティッシュ、マスク、紙おむつなど、日常生活に欠かせない製品が豊富に揃っています。柔らかく高品質な紙製品は、多くの家庭で愛用されています。

渋沢栄一の功績は抄紙会社の設立だけにとどまりません。彼は生涯で約500もの企業の設立・経営に関わったとされています。第一国立銀行(後の第一銀行・第一勧業銀行、現みずほ銀行)、東京瓦斯東京ガス)、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)、田園都市(現東急)、帝国ホテル、東京証券取引所麒麟麦酒(現キリンホールディングス)、サッポロビール(現サッポロホールディングス)、東洋紡績(現東洋紡)など、現在も日本経済を支える多種多様な企業の設立・経営に関わりました。また、理化学研究所の創設者でもあり、科学技術の発展にも貢献しました。渋沢栄一は、経済活動を通じて社会に貢献するという「道徳経済合一説」を唱え、実践した人物として、今日でも高く評価されています。

念仏の口止め(12月16日 年中行事)

12月16日は「念仏の口止め」として知られる伝統的な年中行事の日です。この日から念仏を唱えない風習が始まります。この風習は、日本独特の神仏習合の歴史と、庶民の信仰生活を反映した興味深い民間信仰の一つです。

この風習の背景には、正月の神様である年神様が念仏を嫌うという言い伝えがあります。年神様は新年に各家庭を訪れて、その年の豊作や家族の健康、幸福をもたらすとされる神道の神様です。一方、念仏は仏教の信仰行為であり、阿弥陀如来の名号を唱えることで極楽浄土への往生を願うものです。この神仏の違いから、12月16日から翌年1月16日の「念仏の口開け」までの約1ヶ月間は念仏を唱えないとされてきました。

この風習は、日本における神仏習合の歴史を物語っています。古来より日本では、神道と仏教が融合し、独自の信仰形態を築いてきました。しかし、正月という特別な時期においては、神道の神様である年神様を尊重し、仏教的な行為を控えるという考え方が生まれたのです。これは、年の始まりを神聖な期間として捉え、神様を迎える準備として身を清めるという意識の表れでもありました。

ただし、この風習の日付や期間は地方によって多少異なります。地域によっては12月13日から始まるところもあれば、12月20日から始まるところもあります。また、念仏の口開けの日も、1月16日ではなく1月20日とする地域もあります。これは、各地域の伝統や習慣、信仰の形態によって異なるためです。

現代では、この「念仏の口止め」の風習はあまり行われなくなっています。都市化や生活様式の変化により、伝統的な年中行事を実践する人が減少しているためです。また、宗教に対する意識の変化や、多様な価値観の広がりも、こうした風習が廃れていく要因となっています。しかし、地方の農村部や寺院の多い地域では、今でもこの風習を守り続けているところもあります。日本の宗教観における神仏習合神仏分離の歴史を反映した、文化的に貴重な民間信仰の一つといえるでしょう。

フリーランスの日(12月16日 記念日)

東京都渋谷区に本社を置くランサーズ株式会社が、12月16日を「フリーランスの日」として制定しました。この日付は、同社が日本初のフリーランス支援プラットフォーム、クラウドソーシングサービス「ランサーズ」をスタートさせた2008年12月16日に由来しています。現代の働き方改革において、フリーランスという働き方は注目を集めており、この記念日はその重要性を認識する機会となっています。

この記念日は、フリーランスの仕事のマッチングだけでなく、フリーランススキルアップのためのプログラムの提供など、次世代のワークスタイルであるフリーランスの方々に個々の力を高めてもらうことを目的としています。ランサーズは、企業と個人をつなぐプラットフォームとして、多様な働き方を実現するための環境を整備してきました。記念日は2017年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

フリーランスとは、特定の企業や団体、組織に専従しておらず、自らの技能を提供することにより社会的に独立した個人事業主もしくは個人企業法人のことです。日本では「自由業」「自由職業」「フリーランス」と呼ばれ、実際に業務を遂行する本人は「フリーランサー」「フリーエージェント」と呼ばれます。この働き方の最大の特徴は、時間や場所に縛られず、自分のスキルや専門性を活かして働ける点にあります。

フリーランスの働き方は、単発の仕事として様々な業務を引き受け、その都度契約を結ぶという形態をとる請負です。小説家や芸能人など個人の能力によって成果が決まる職種に多く見られますが、大工やプログラマなどの技術者、漁師のような古典的な職業にもフリーランスの形態は存在します。近年では、デザイナー、ライター、コンサルタント、エンジニア、翻訳家など、専門的なスキルを持つ人々がフリーランスとして活躍しています。インターネットの普及により、在宅での仕事や遠隔地とのやり取りが容易になったことも、フリーランスの増加を後押ししています。

「freelance」という英語の語源は中世に遡り、非常に興味深い歴史を持っています。中世ヨーロッパでは、王や貴族が主力となる騎士を中心とした封建軍の補強として、戦争の度に傭兵団(フリーカンパニー)と契約していました。この中には、正式に叙勲されていない騎士(黒騎士)や傭兵団を離れて戦場に臨む兵士がいました。当時は槍騎兵(lancer)が自分の従卒として歩兵や弓兵を連れている形態が多かったため、契約の際には槍の本数が1戦闘単位としてカウントされました。まだ敵勢力と契約を交わしていない(free)戦闘単位(lance)を指す言葉として「freelance」が用いられるようになったのです。

当初は兵士を指していた「free lancer」が、近世以降、組織を離れて働く状態を指す言葉に変化しました。戦争という文脈から、労働という文脈へと意味が転換されたのです。フリーランスの「フリー(free)」は「拘束されない」という意味であり、決して無償の労働者という意味ではありません。日本では略して「フリー」と呼ばれることもありますが、これは誤解を招く可能性があるため注意が必要です。フリーランスは独立した事業主として、適正な報酬を得て働く専門家なのです。

カビ取るデー(6月16日・12月16日 記念日)

東京都渋谷区桜丘町に本社を置く株式会社リベルタが、6月16日と12月16日を「カビ取るデー」として制定しました。同社は、汚れもニオイもスッキリきれいにできる洗濯槽クリーナー「カビトルネード」を販売しています。この記念日は、家庭内の衛生管理の重要性を啓発し、快適な生活環境を保つことを目的としています。

この記念日は、カビや汚れが気になる6月の梅雨の時期と、12月の大掃除の時期に年2回設定されています。洗濯槽のカビをクリーナーを使ってきれいにすることはもとより、浴室やキッチン、エアコンなど、家庭内の他のカビも取る意識を高めてもらうことが目的です。日付は、カビを「と(10)る(6)」(取る)と読む語呂合わせで16日としたもので、2024年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。年2回という設定は、季節ごとの掃除の習慣づけにも役立ちます。

株式会社リベルタは1997年2月12日に設立された会社です。当初は通信販売商材の卸売り会社としてスタートしましたが、現在では自社ブランド商品の企画・開発にも力を入れています。資本金は2億778万9000円(2024年4月時点)、従業員数は106名(2024年7月時点)で、東証スタンダード市場の上場企業として証券コード4935を持っています。一般消費者向けの商品開発から販売まで、一貫した事業展開を行っています。

同社は美容・日用雑貨・機能衣料商品の企画・販売などを手がけており、経営理念として「喜びを企画して世の中を面白くする」を掲げています。この理念は、単に商品を販売するだけでなく、人々の生活に喜びと驚きをもたらす製品やサービスを提供することを目指しています。社名の「リベルタ(Liberta)」はイタリア語やスペイン語で「自由」を意味する言葉で、既成概念や常識にとらわれず、自由な発想と創造により無限の可能性を持った企業へと成長するよう名付けられました。

同社の洗濯槽クリーナーには「カビトルネードNeo 洗濯槽クリーナー」があり、洗濯機のタイプに合わせて「縦型用」と「ドラム式用」を選択できます。竜巻洗浄と発泡パワーで、目に見えて効果が実感できる洗濯槽クリーナーです。使用すると、洗濯槽に潜んでいた黒カビや汚れが浮き上がってくる様子を実際に見ることができ、その洗浄力の高さを体感できます。日本洗濯機クリーニング協会が推奨する商品であり、カビ・洗剤カス・汚れ・ニオイをごっそり落としてくれます。浸け置き不要の酸素系クリーナーで、環境にやさしいのも特徴です。忙しい現代人でも手軽に使用できる利便性が評価されています。

「カビトルネード」シリーズには、洗濯槽クリーナーの他にも多様な商品があります。洗濯槽のカビ・ニオイの再発を防ぐ「再発防止クリーナー」、洗濯機周りの清掃用クロス「防カビ・ウェットクロス」、排水ホースを洗浄する「ダイナマイトバブル 排水ホースクリーナー」などが揃っています。これらの商品を組み合わせて使用することで、洗濯機全体を清潔に保つことができます。特に排水ホースは見落とされがちですが、ニオイやカビの発生源となることも多く、定期的な清掃が推奨されています。

トロの日(毎月16日 記念日)

神奈川県横浜市西区に本社を置き、全国で回転寿司チェーン「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイト株式会社が、毎月16日を「トロの日」として制定しました。日付は「ト(10)ロ(6)」と読む語呂合わせから毎月16日に設定されています。この覚えやすい語呂合わせは、多くの人に親しまれる記念日となっています。

この記念日は、同社の人気食材である美味しい「トロ」のネタでお客様に喜んでもらい、各店舗ならびに回転寿司業界全体を活気づけることを目的としています。かっぱ寿司では、トロの日に合わせて特別なキャンペーンや割引サービスを実施することもあり、多くの寿司ファンに楽しみにされています。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

「トロ」とは、寿司のネタなどとして使われるマグロの特定の部位の呼称です。脂質の含量が高い腹部の身を指します。特に、よく脂の乗った部分を「大トロ」、やや劣るものを「中トロ」と称します。大トロは口の中でとろけるような食感が特徴で、寿司ネタの中でも最高級品として扱われています。大トロ・中トロ以外の部分は「赤身」または単に「マグロ」と称して、「トロ」とは別物とされています。赤身はさっぱりとした味わいで、トロとは異なる美味しさがあります。

「トロ」の語源は、肉質がトロリとしていることからきています。吉野鮨本店の客が「口に入れるとトロッとするから」と命名したという説があります。この命名のエピソードは、トロの特徴的な食感を見事に表現しています。この語が定着する以前は、脂身であることから「アブ」と呼ばれていました。「アブ」という呼び名は、脂が浮く様子から来ているとされています。

かつての日本、特に江戸時代以前では、マグロといえば赤身を指していました。当時の江戸前寿司では、赤身のマグロを醤油に漬け込んだ「ヅケ」が主流でした。赤身に比べて品質が劣化しやすいトロの部分は、上等な部位とは考えられておらず、捨てられることさえありました。冷蔵技術が発達していなかった時代には、脂の多いトロは傷みやすく、また江戸時代の日本人の食文化において、魚の脂身はあまり好まれていなかったのです。しかし、冷蔵・冷凍技術の発達と食文化の変化により、トロの評価は劇的に変わりました。現在では、トロは赤身の2倍以上の値段がつき、高級品としてのイメージを持つようになっています。特に大トロは、マグロの中でも最も高価な部位として珍重され、寿司屋や料理店での人気メニューとなっています。

関連する記念日として、同社は「イ(1)ク(9)ラ」と読む語呂合わせから、毎月19日を「イクラの日」に制定しています。イクラもトロと同様に、回転寿司で人気の高いネタです。これらの記念日を通じて、かっぱ寿司は顧客に旬の味わいや特別な体験を提供し続けています。

十六茶の日(毎月16日 記念日)

東京都墨田区吾妻橋に本社を置くアサヒ飲料株式会社が、毎月16日を「十六茶の日」として制定しました。同社は「十六茶」「三ツ矢サイダー」「WONDA」「カルピス」など数多くの人気ブランド飲料を製造・販売する大手飲料メーカーです。これらのブランドは、日本の飲料文化を代表する存在として、長年にわたり多くの人々に愛されてきました。

日付は、1年を通じて飲んでもらいたいとの思いと「十六茶」の名前から毎月16日に設定されました。同社が手がける健康16素材をブレンドして作られた「十六茶」を飲んで、自分の身体や大切な人を思いやる日にとの願いが込められています。家族の健康を気遣う心を育む記念日として、多くの家庭で意識されています。記念日は2018年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

十六茶」が発売を開始したのは1993年のことで、当時は空前の健康ブームでした。バブル経済崩壊後、人々の関心が物質的な豊かさから心身の健康へとシフトしていた時代です。数多くの健康食品が世に登場する中で、十六茶は缶飲料として発売されました。16種類の健康素材を含んでいるという新規性と健康感から、多くの人に親しまれるようになり、「アサヒ十六茶」は「ブレンド茶」のパイオニアとなりました。それまでの日本茶飲料市場に新しい風を吹き込み、健康志向のお茶という新しいジャンルを確立したのです。

十六茶は「東洋健康思想」の考え方に基づき、身体の内外にバランスよく刺激を与えることを目的として、16種類もの健康素材をブレンドしています。東洋健康思想とは、身体の状態を「健康」「未病」「病気」の3つに大別し、身体全体のバランスを重視する考え方です。「未病」とは、病気ではないけれど健康でもない状態を指し、この状態を改善することで病気を予防するという予防医学的な考え方が根底にあります。この東洋の伝統的な健康観を現代の飲料に取り入れたことが、十六茶の大きな特徴となっています。

十六茶の「16」にも深い意味があります。それは東洋健康思想の「六蔵六腑四味覚」に由来しています。「肝・心・脾・肺・腎」という五臓と、それぞれの臓を助ける「胆・小腸・胃・大腸・膀胱」という五腑、これに「心包」という臓と「三焦」という腑を足して六臓六腑となります。四味覚は「甘い・苦い・しょっぱい・酸っぱい」の4つの味覚を意味しています。「6+6+4=16」、これが十六茶の16の由来です。「十六茶」という名前には、単なる数字以上の、健康と美味しさへの深い願いが込められているのです。

十六茶にブレンドされた「健康16素材」とは、東洋健康思想に基づいて厳選された健康素材です。たんぽぽの根、エゴマの葉、発芽大麦、ナツメ、玄米、大麦、昆布、ハブ茶桑の葉、びわの葉、きび、カワラケツメイ、ハトムギ、とうもろこし、あわ、黒豆(大豆)の16種類が含まれています。これらの素材は、それぞれに健康効果が期待される伝統的な食材であり、長い歴史の中で日本人の健康を支えてきました。家庭でも馴染みの深い五穀(あわ・米・麦・豆・きび)が全て揃った健康ブレンドで、身体に優しく、家族みんなの健康を応援してくれます。

十六茶は、より多くの人に飲んでもらいたいという思いから、2005年より「カフェインゼロ」となりました。これにより、小さい子どもから高齢者の方、そして妊婦さんも安心して飲むことができるようになりました。体調やシーンを気にすることなく、いつでも水分補給ができるのは、特に健康を気遣う人々にとって大きなメリットです。就寝前や運動後など、どんな時でも安心して飲める飲料として、幅広い層から支持されています。

十六茶の商品には「十六茶」のほかに「十六茶W(ダブル)」があります。十六茶Wは難消化性デキストリンの働きで、食後の血中中性脂肪の上昇をおだやかにする、食後の糖の吸収をおだやかにする、W(ダブル)の働きを持つトクホ(特定保健用食品)の十六茶です。生活習慣病が気になる現代人にとって、毎日の食事と共に取り入れやすい健康サポート飲料として注目されています。

 

 

GOALの「V18 GCY-214」を新品へシリンダー交換

GOALの「V18 GCY-214」を新品へシリンダー交換

GOALの「V18 GCY-214」を新品へシリンダー交換

【ご依頼内容:前の持ち主の古い鍵のままなので鍵穴を交換したい】

新しく住宅を購入したが、前の持ち主の古い鍵のままなので新しい鍵穴に交換してほしい。

【施工内容:GOALの「V18 GCY-214」を新品へシリンダー交換】

到着して確認させていただきましたところ、GOALのディンプルキーである、「V18」シリンダーが取り付けられておりました。

また、室内側の面付錠には「MX」の記載があり、ご成約となった同じタイプの「GCY-214」へ交換していきます。

なお、こちらは、鍵がないと取り外しが難しいのですが、今回は鍵があるので容易に交換する事ができます。

バーハンドルのネジを緩めるとハンドル部分が外れ、また、室内側の4ヶ所のネジを外すと錠前を取り外すことができ、さらにシリンダーを留めている小さなネジを外すとカバーが外れます。

シリンダー部分を交換したら、逆の手順で部品を戻していき、作業は完了となりました。

【お客様の声】

すぐに鍵穴を交換していただき助かりました。ありがとうございます。

 

 

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『2025年12月15日は何の日?』

明日の、 #12月15日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

どんざ忌(12月15日 記念日)

12月15日は、大正から昭和時代にかけて活躍した洋画家・木田金次郎の忌日です。「どんざ忌」という独特な名称は、北海道の漁夫が着用する衣服「どんざ」に由来しています。木田金次郎は若い頃に漁業に従事しており、このどんざを身に着けて海で働いていたことから、この名が付けられました。木田金次郎は、小説家・有島武郎の小説『生れ出づる悩み』(1918年)のモデルとなった画家として広く知られており、北海道岩内町雄大な自然を自由奔放な作風で数多く描き続けました。1962年12月15日に脳出血により69歳で亡くなりましたが、その画業は没後大きく評価され、遺作展も多く開かれました。1994年には岩内町に木田金次郎美術館が創設され、木田の作品・書簡などが収蔵・展示されています。

木田金次郎は1893年明治26年)7月16日、北海道岩内町に生まれました。岩内尋常高等小学校高等科を卒業後、上京して開成中学、京北中学に通い、この頃から絵を描き始め、また上野の展覧会に通うようになりました。1910年(明治43年)に学校を中退し、札幌市郊外で絵を描き続ける日々を送りました。札幌で開催されていた展覧会で有島武郎の絵と出会い感銘を受け、スケッチを携えて訪問したことが人生の転機となります。以後、有島との交友が生まれましたが、その後、木田は岩内に帰郷し漁業に従事することになります。有島武郎との深い交流は木田の人生に大きな影響を与え、1923年(大正12年)に有島が死去して以降、木田は漁業を離れ画業に専念する決意を固めました。戦後になってようやく画家として認められるようになり、1953年(昭和28年)に札幌市で初個展を開催しました。しかし、1954年(昭和29年)に洞爺丸台風により「岩内大火」が発生し、それまで描き溜めていたデッサンや油絵など約1500点もの作品が焼失するという大きな悲劇に見舞われました。それでも木田は挫けることなく再び創作に着手し、岩内町文化賞(1950年)、北海道文化賞(1954年)、北海道新聞文化賞(1957年)などを受賞しています。代表作には『残雪風景』(1927年)や『白い馬』(1962年)などがあり、自由奔放な作風により岩内町の自然を独自の視点で描き続けました。

青邨忌(12月15日 記念日)

12月15日は、大正から昭和時代の俳人であり鉱山学者でもあった山口青邨の忌日でもあります。冬の季語として使われるこの日は、二つの顔を持つ知識人の生涯を偲ぶ日となっています。山口青邨は1892年(明治25年)5月10日に岩手県盛岡市に生まれ、本名を吉郎といいました。父は士族の家柄で、青邨は恵まれた環境で育ちました。1916年(大正5年)に東京帝国大学(現:東京大学)工科大学採鉱科を卒業後、古河鉱業(現:古河機械金属)に入社しましたが、退職して農商務省技師として鉱山省に勤務しました。1921年(大正10年)には母校・東京大学工学部の助教授となり、後に教授として鉱山学を講じました。1922年(大正11年)には結婚し、家庭を持ちました。一方、同じ1922年より俳人高浜虚子に師事し、水原秋桜子らと東大俳句会を結成するなど、俳句の世界でも本格的な活動を開始しました。写生に根差した清純・高雅な作風により俳句雑誌『ホトトギス』の代表的俳人として活躍し、1930年(昭和5年)には盛岡市で俳句雑誌『夏草』を創刊し、選者の後に主宰を務めました。翌1931年(昭和6年)には東京・杉並区和田本町に転居し、多くの植物を愛でる生活を送りました。1953年(昭和28年)に東京大学教授を定年退職し、同大学の名誉教授となり、1988年(昭和63年)12月15日に96歳で死去しました。

山口青邨の自宅には多くの植物が植えられており、自ら「雑草園」と称していました。青邨は植物を心から愛し、後にこの雑草園は句集の題にも取られています。第一句集『雑草園』(1934年)をはじめ、句集『雪国』(1942年)、『露団々』(1946年)、随筆『花のある随筆』(1934年)、『草庵春秋』(1943年)などの多くの著書を残しました。没後、蔵書は岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館に収蔵されました。また、長く住んだ「雑草園」も同館の別館として移築・保存されており、青邨の生活と創作の場を今に伝えています。鉱山学者として学問の道を歩みながら、同時に俳人として芸術の世界でも優れた業績を残した山口青邨の生涯は、学問と芸術の両立という点で非常に興味深く、多くの人々に影響を与え続けています。青邨の俳句は、専門的な科学者の視点と、繊細な詩人の感性が融合した独特の世界観を持ち、今なお多くの俳句愛好家に読み継がれています。

年賀郵便特別扱い開始日(12月15日 記念日)

12月15日は年賀郵便の特別扱いが始まる重要な日です。この日から12月25日までの間に年賀状を投函すると、翌年の元日・1月1日に配達されます。年賀状の特別扱いが指定局で開始されたのは1899年(明治32年)のことで、当時は一部の郵便局のみでの取り扱いでした。その後、1905年(明治38年)に全局で特別取扱いが開始され、翌1906年明治39年)に正式に制度化されました。この制度により、年賀状が確実に元日に届くようになり、日本の新年の風物詩として定着していきました。日本では、古く奈良時代から新年の年始回りという年始の挨拶をする行事があり、これは地域社会における重要な慣習でした。平安時代には貴族や公家にもその風習が広まり、挨拶が行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして書状による年始挨拶が行われるようになりました。時代とともに新年の挨拶は一般庶民にも広まり、江戸時代になると飛脚が書状を運ぶようになり、年賀状の原型が形作られていきました。近年では、若い人を中心として携帯電話やスマートフォンによるメールやSNSなどで新年の挨拶を行う人も増えており、年賀状の枚数は減少傾向にありますが、年賀状は日本の伝統的な年始の挨拶方法として今なお多くの人に親しまれています。また、年賀状を作成する方法も時代とともに変化しており、以前の手書きから、プリントゴッコなどの簡易印刷機による作成の時期を経て、現在ではパソコンやスマートフォンを使って作成する方法が一般的になるなど時代の流れを感じさせます。ちなみに、年賀ハガキを元日に届ける特別扱いにしたくない場合は、ハガキ表面の料額印面の下部にある「年賀」の文字を二重線などで消すことで通常のハガキとして扱われます。

観光バス記念日(12月15日 記念日)

12月15日は観光バス記念日です。1925年(大正14年)のこの日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始されました。日本初の定期観光バスでしたが、路線バス扱いであり、途中の下車観光地から乗車した場合の運賃も定められていたという興味深い特徴がありました。当初のコースは「皇居前~銀座~上野」で、東京の主要な名所を巡るものでした。この観光バスの登場は、当時の人々にとって画期的な出来事であり、手軽に東京観光を楽しめる手段として注目を集めました。その後、経営不振により東京乗合自動車の遊覧自動車事業は一旦休止に追い込まれましたが、新日本観光株式会社、現在の株式会社はとバスに譲渡され、同社の手によって再開されました。現在、はとバスは東京を代表する観光バス会社として、国内外の観光客に親しまれています。日本のバス事業の始まりには諸説ありますが、1903年明治36年)9月20日に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業であるとされています。その最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り、風雨や砂ぼこりなどを防ぐための幌もなかったといいます。この日を記念して、日本バス協会が9月20日を「バスの日」に制定しており、バス事業の発展と安全運行への取り組みを広く周知しています。

ザメンホフの日(Zamenhofa Tago)(12月15日 記念日)

12月15日は国際語「エスペラント」を考案したルドヴィコ・ザメンホフの1859年の誕生日です。ザメンホフ(1859~1917年)はユダヤポーランド人の眼科医・言語学者で、当時帝政ロシア領であったポーランドのビャウィストクに生まれました。ビャウィストクは多民族が共存する都市で、ザメンホフは幼い頃から言語の壁による人々の対立を目の当たりにし、共通の言語があれば争いを減らせるのではないかという思いを抱くようになりました。27歳の1887年に国際語としてエスペラントを発表し、生涯この言葉の普及に当たりました。エスペラントは、現在のところ最も広く使われている計画的に作られた人工言語で、文法が規則的で例外が少なく、学習しやすいという特徴があります。母語の異なる人々の間での意思伝達を目的としており、国際補助語として広く認知されています。この日には世界各地でエスペラント使用者により「ザメンホフ祭」(Zamenhofa Festo)などの催しが開かれ、エスペラントを通じた国際交流が行われています。また、エスペラントの本を買おうということで、「本の日」(Librotago)とも言われています。日本では6月12日が一般財団法人・日本エスペラント協会が設立された日に由来して「エスペラントの日」となっており、同協会では日本エスペラント大会における研究発表会やエスペラント学力検定試験などを実施し、エスペラントの普及と発展に努めています。

コナカ・フタタの日(12月15日 記念日)

12月15日はコナカ・フタタの日です。神奈川県横浜市戸塚区に本社を置き、メンズ・レディスのビジネスウェア専門チェーン店を全国展開する株式会社コナカが制定しました。日付は株式会社コナカと、同じくメンズ・レディスのビジネスウェア専門チェーン店を展開していた株式会社フタタが経営統合した2006年(平成18年)12月15日に由来しています。スーツの伝統を守り続けるとともに求められる時代のニーズにも即応し、選ぶ楽しみと着る喜びを提供する「コナカ・フタタ」ブランドのさらなる認知向上が目的とされています。記念日は2024年(令和6年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。株式会社コナカが創業したのは1952年(昭和27年)9月で、兵庫県神戸市生田区(現:中央区)で洋服店を開設したことに始まります。その後、1973年(昭和48年)11月28日に設立した会社で、紳士服業界では第4位の規模を誇ります。資本金は53億500万円、売上高(単独)は374億9800万円(2023年9月期)、従業員数(単独)は1035人(2023年9月30日時点)、店舗数は428店舗(コナカ・フタタ:179店舗、FUTATA THE FLAG:1店舗、SUIT SELECT:184店舗、DIFFERENCE:64店舗、2023年9月30日時点)となっています。同社の社是は「知識 行動 責任」で、経営理念として「信用を重んじ、常に奉仕の精神をもって地域社会に貢献し、輝く未来を開拓すべく資本の蓄積と人材の育成に努め、社員の幸福と企業繁栄に努力する」を掲げています。コナカは東北から関東エリアを中心に店舗を展開しており、2024年9月時点で国内15都県に店舗を構えています。一方、フタタは九州7県で店舗を展開しており、地域に密着したサービスを提供しています。同社はビジネスウェア専門店として、こだわりを持ってモノづくりに挑んでおり、イタリアンクラシックを日本人向けにアレンジしたブランド「Donato Vinci」(ドナート・ヴィンチ)をはじめ、ニュージーランド産リミテッドウールを使用した「REAL COLLECTION」(リアルコレクション)スーツ、次世代スーツの新定番「ULTRA WORK」(ウルトラワーク)スーツなどを創り出してきました。2022年(令和4年)9月には創業から70周年を迎え、「着飾れ!ニッポン! ~ENJOY! DRESS UP~」という年間スローガンを掲げ、1年間を通して創業70周年を記念した商品の企画やキャンペーンを展開しました。同社のイメージキャラクターはタレント・スポーツ解説者の松岡修造が務めており、熱いメッセージで顧客にスーツの魅力を伝えています。

いちごの日(1月15日・毎月15日 記念日)

1月15日と毎月15日はいちごの日です。1月15日の「いちごの日」は全国いちご消費拡大協議会が制定したとされ、日付は「いい(1)いち(1)ご(5)」(いい苺)と読む語呂合わせからきています。ハウス栽培や品種改良により一年中手に入るようになりましたが、1月中旬はいちごの収穫・出荷が本格化する時期にあたり、最も美味しい旬の時期といえます。書籍にも記されている記念日ではありますが、制定した目的については定かではありません。また、記念日を制定したとされる「全国いちご消費拡大協議会」についても詳細は不明で、すでに解散しているとの情報も見られます。毎月15日も「いちごの日」とされ、「いち(1)ご(5)」(苺)と読む語呂合わせに由来していますが、こちらも制定した団体や目的についての詳細は定かではありません。また、1月5日も「いちごの日」となっていますが、こちらは果物の苺ではなく、15歳という世代を表した「いちご」で、高校受験を間近に控えた15歳の学生にエールを送る日とされています。「いちごの日」については制定した団体など不明な点も多い記念日ではありますが、1月15日の「いちごの日」を中心として、苺スイーツの新商品の発表や、苺に関連したキャンペーンを実施する店などが見られ、いちご好きにとっては楽しみな日となっています。関連する記念日として、毎月22日は「ショートケーキの日」となっており、カレンダーにおいて22日の真上には15日があり、ショートケーキの上には苺がのっていることに由来する、ユニークな語呂合わせの記念日です。

いちごについて

イチゴ(苺)は、バラ科多年草で、英語ではストロベリー(strawberry)と呼ばれます。甘みがあるため果物として位置づけられることが多いですが、草本性の植物であるので野菜として扱われることもあり、分類上は興味深い存在です。通常、可食部の表面は赤色アントシアンという色素により鮮やかな赤色になりますが、近年では白色の品種も開発され、見た目も味わいも多様化しています。狭義にはオランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴを意味し、現在イチゴとして流通しているものはほぼ全てオランダイチゴ系です。イチゴの可食部の果実と思われている赤い部分は、実は花托という花の土台部分が発達したものであり、花托の周りにある小さなつぶつぶが痩果と呼ばれる本当の果実です。このような形態をとるものをイチゴ状果(偽果)といいます。つまり、私たちが普段食べている甘くて美味しい赤い部分は果実ではなく、種だと思っているつぶつぶの方が本当の果実であるという、非常に興味深い構造を持っています。この独特な構造は、植物学的にも大変面白い特徴であり、イチゴの魅力をさらに深めています。

中華の日(毎月15日 記念日)

毎月15日は中華の日です。東京都中華料理環境衛生同業組合、現在の全国中華料理生活衛生同業組合連合会(全中連)が制定しました。日付は「その月の中間=ちゅうかん=ちゅうか=中華」という巧みな語呂合わせからきています。全国規模で中華料理を普及させること、全国の組合員の結束を強めることを目的としており、この日にはキャンペーンを実施している中華料理店なども確認できます。全国中華料理生活衛生同業組合連合会(全中連)は1966年(昭和41年)に全国中華料理環境衛生同業組合連合会として設立した団体で、東京都台東区根岸に事務局を置いています。全中連は活動内容として、組合員各位に対し消費者への広報活動に必要な機材・ポスターの制作、原産地表示の推進、地産地消の推進などを行っています。また、中華料理のプロ集団として、衛生面に優れた快適な環境と、安心・安全な食材をもとに、美味しい料理を提供することをモットーとして、日々努力を重ねています。

中華料理は、現在の中華人民共和国(中国)や中華民国(台湾)に相当する地域で古くから食べられてきた料理の総称で、中国料理とも呼ばれます。世界的にも広く親しまれ、フランス料理・トルコ料理と並び「世界三大料理」の1つに数えられており、その影響力と多様性は計り知れません。日本ではかつて支那料理とも呼ばれていましたが、現在ではこの呼称は使われなくなっています。中国移民や華人の移動とともに世界各地へ広まり、各国で独自の発展を遂げました。中華料理は本場の中国では「八大菜系」と呼ばれる8つの系統に分類されます。一方、日本では四川料理広東料理上海料理北京料理の4つに分類され、より簡略化された形が一般的です。

四川料理は、香辛料を使った辛い料理が多く、麻婆豆腐・エビチリ・酸辣湯(サンラータン)などが代表的です。広東料理は、薄い味で材料本来の味を生かす調理法が特徴で、ふかひれスープ・焼売(しゅうまい)・酢豚などがあります。上海料理は、甘味が強く黒酢を多用し、八宝菜・上海ガニの姿蒸し・小籠包(しょうろんぽう)などがあります。北京料理は、味が濃く塩辛いのが特徴で、北京ダック・ジャージャー麺・水餃子などがあります。

その他にも日本で普及した中華料理として、炒飯(チャーハン)・中華丼・天津飯・担担麺(タンタンメン)・米粉ビーフン)・焼きそば・焼き餃子・中華まん・ワンタン・春巻き・青椒肉絲(チンジャオロース)・回鍋肉(ホイコーロー)・中華ちまき・チャーシュー・杏仁豆腐(あんにんどうふ)など、数え切れないほどの料理があり、日本の食文化に深く根付いています。関連する記念日として、1月25日の「中華まんの日」、3月8日の「ギョーザの日」、4月20日の「四川料理の日」、7月7日の「冷やし中華の日」、7月11日の「ラーメンの日」、8月8日の「チャーハンの日」、10月18日の「天津飯の日」などがあり、中華料理の人気の高さを物語っています。

 

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ディスクシリンダーを「PR」シリンダーへ交換

ディスクシリンダーを「PR」シリンダーへ交換

ディスクシリンダーを「PR」シリンダーへ交換

【ご依頼内容:鍵をどこで落としたのかわからなくて不安】

近所へ外出した際に、玄関のドアの鍵を紛失して、どこで落としたのか全くわからない。どこを探しても出てこないし、もう見つかったとしても不安なのですぐに新しくしたい。

【施工内容:ディスクシリンダーを「PR」シリンダーへ交換】

確認すると、玄関ドアは、25年以上同じ鍵を使用されていたそうで、廃盤となったMIWAのディスクシリンダーがついています。

後継品である「U9」シリンダー及び、ディンプル形状の「PR」シリンダーを提案したところ、「これを機に防犯性も高めたい」とのことで、「PR」シリンダーをお選びいただきました。

また、鍵を回した時やサムターンの動きも悪いらしく、今回は錠ケースのメンテナンス洗浄も行わせていただくことになりました。

まずは、既存のシリンダーやサムターン、ハンドル等を全て外します。

続いて、錠ケースはケース内を分解し、パーツの確認と汚れ落としやグリースを塗布させていただきました。

錠ケースの動きがかなり生き生きとし、シリンダーも新しくなったのでとても操作性が上がりました。

【お客様の声】

鍵を失くして不安だったので、すぐに交換してもらえてよかったです。

 
 
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『2025年12月14日は何の日?』

明日の、 #12月14日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

四十七士討ち入りの日(忠臣蔵の日)(12月14日 記念日)

1702年(元禄15年)のこの日、旧暦において赤穂浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げました。この歴史的な出来事は、日本人の心に深く刻まれ、忠義と武士道精神を象徴する物語として現代まで語り継がれています。

この歴史的な出来事を偲んで、東京都港区高輪の泉岳寺兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などで義士供養の「義士祭」が行われています。義士祭は12月14日前後に開催されることが多く、多くの参拝者が訪れます。泉岳寺には四十七士の墓所があり、今でも多くの人々が訪れて線香を手向け、義士たちの忠義を偲んでいます。

また、吉良邸の一部は現在、本所松坂町公園として整備されており、毎年「元禄市」が開催されて賑わいを見せています。元禄市は12月第2週の土日の二日間にわたって行われ、当時の雰囲気を再現したイベントとして親しまれています。江戸時代の装束を身にまとった人々や、当時の食べ物や雑貨などが並び、歴史ファンだけでなく地域の人々にも親しまれる恒例行事となっています。

赤穂事件について

この事件は1701年(元禄14年)3月14日、江戸城・松之大廊下で、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が高家吉良上野介義央に斬りかかったことに端を発します。事件当時、江戸城では幕府が朝廷の使者を接待している最中であり、場所柄もわきまえずに刃傷に及んだ浅野に対し、江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉は激怒しました。江戸城内、しかも朝廷の使者を迎えている最中という最悪のタイミングでの刃傷沙汰は、幕府の権威を傷つける重大事件として受け止められたのです。

幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、播州赤穂浅野家は改易となり、赤穂城も幕府に明け渡すよう命じました。それに対して、吉良には一切の咎めはありませんでした。この一方的とも言える処分に、浅野家家臣たちは強い不満と憤りを抱きました。「喧嘩両成敗」という武家社会の原則からすれば、吉良にも何らかの処分があるべきだと考えたからです。

浅野のみが刑に処せられたことに浅野家家臣たちは反発し、筆頭家老である大石内蔵助を中心に対応を協議しました。当初は浅野家の再興を目指す動きもありましたが、その道が閉ざされると、家臣たちの間で主君の仇討ちを求める声が高まっていきました。しかし、吉良邸は厳重な警備が敷かれており、討ち入りは容易ではありませんでした。大石内蔵助は、吉良側の警戒を解くために、京都で放蕩三昧の生活を送っているかのように装い、周囲を欺く策略を練りました。

1702年12月14日、大石以下47人は綿密な計画のもと、吉良邸に侵入し、激しい戦いの末に吉良上野介を討ちとりました。四十七士は吉良邸から引き揚げて、主君浅野内匠頭が眠る泉岳寺へと向かい、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えました。その後、幕府に自首して討ち入りの経緯を報告し、幕府の指示に従って全員が切腹しました。この「赤穂事件」を基にして、人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』など数多くの創作作品が作られ、現在まで語り継がれています。なお、浅野が吉良に斬りかかった理由は、史実としては不明のままです。また、「忠臣蔵」は脚色された創作であるため、史実としての「赤穂事件」とは異なる部分もあることに注意が必要です。

南極の日(12月14日 記念日)

1911年(明治44年)のこの日、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンと4人の隊員が世界で初めて南極点に到達しました。これは人類史における偉大な功績の一つであり、極地探検の歴史において記念すべき日となりました。アムンセンは1911年10月20日に4人の選抜隊とともに南極大陸のフラムハイム基地を出発し、4台の犬ぞりを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始しました。極寒の地での探検は命がけの挑戦であり、綿密な準備と計画が必要とされました。

途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たしました。アムンセン隊は南極点にノルウェー国旗を掲げ、この歴史的瞬間を記録しました。イギリス海軍大佐のロバート・スコットと南極点到達を競争していましたが、当初スコット隊に比べて不利と思われていたアムンセン隊が約1ヵ月先に到着したのです。アムンセンの成功の要因は、犬ぞりの効率的な使用、イヌイットから学んだ極地での生活技術、そして入念な準備と計画性にありました。

アムンセン隊は帰路も順調で、1912年1月25日に1人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還しました。完璧な成功を収めたアムンセンの探検は、後の極地探検の模範となりました。一方、スコット隊は1912年1月17日に南極点に到達したものの、アムンセンに先を越されていたことを知り落胆しました。さらに悲劇的なことに、スコット隊は帰途に猛吹雪に見舞われ、食料不足と極寒の中で力尽き、パーティー全員が死亡するという悲劇的な結果となりました。

その後、南極点の初到達を争ったアムンセンとスコットの2人に敬意を表して、アメリカが1956年に南極点付近に建設した観測基地は「アムンセン・スコット基地」と名付けられました。この基地は現在も南極での科学研究の重要な拠点として機能しています。また、南極点到達時に遠征隊によって設営されたテントは現在、南極点付近の雪と氷の下に埋没していますが、南極条約協議国会議へのノルウェーからの提案により、南極史跡記念物に指定されています。関連する記念日として、1月29日は「昭和基地開設記念日」、1月14日は「タロとジロの日」、4月6日は「北極の日」となっています。

マダムシンコの日(12月14日 記念日)

大阪府大阪市福島区に本社を置く株式会社カウカウフードシステムが制定しました。日付は同社の代表取締役会長のマダム信子氏の誕生日にちなんでいます。マダム信子氏の個性的なキャラクターとスイーツへの情熱が、ブランドの魅力を形作っています。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

マダムシンコ」は、オリジナリティーあふれる発想と、深いおもてなしの心で作る、ひと味ちがう新感覚のスイーツで人気の洋菓子店です。伝統的な製法を大切にしながらも、独自のアイデアを加えることで、他にはない個性的なスイーツを生み出しています。「バウムクーヘン」「マダムブリュレ」「キングコーン」などの人気商品があり、その他にも「棒ブリュレ」「塩キャラメルバウム」「二重のご縁バウム」など、ユニークなネーミングと味わいの商品が揃っています。

期間限定商品として「とろチョコバウム」「ホワイトスノーバウム」「抹茶ブリュレ」などもあり、季節ごとに異なる味わいを楽しめるのも魅力です。これらの限定商品は、お客様に何度も足を運んでいただくための工夫であり、常に新しい驚きと喜びを提供しています。

店舗としては、箕面本店や大丸梅田店があり、その他に新大阪駅関西国際空港の構内などでも商品を販売しており、「マダムブリュレ」は大阪のお土産として親しまれています。大阪を訪れた人々が、その独特の味わいと個性的なパッケージに惹かれて購入していく姿は、今や大阪の風物詩となっています。マダムシンコのスイーツは、大阪の新しい食文化の一つとして定着しつつあります。

透明資産の日(12月14日 記念日)

大阪府大阪市北区に本社を置く株式会社ホスピタソンが制定しました。日付は同社の創業日である2011年12月14日であり、また、この日は同社が独自のコンセプトである「透明資産」という言葉に行き着いた記念すべき日であることから選ばれました。企業の創業とともに生まれた「透明資産」という考え方は、同社のビジネスの核心となっています。

同社が定義する「透明資産」とは、「目には見えないけれども、人・商品・サービス・想い・空間・空気などに心地よさを感じて、その人にもう一度会いたい、そのお店にもう一度行きたい、その商品をもう一度買いたいと思ってもらえる資産のこと」です。この概念は、数字で測れる有形資産だけでなく、人々の心に残る無形の価値の重要性を説いています。仕事でも私生活でも人が生きていく限り、この「透明資産」に気付き、磨いて、伝えていくことが大切との考えを広めることが目的とされています。記念日は2020年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。なお、「透明資産」は同社の商標登録となっています。

同社の社名「ホスピタソン」は、「心のこもったもてなし」を意味する「ホスピタリティー」と「人」を意味する「パーソン」からの造語です。おもてなし力ある人、すなわち相手の気持ちを分かり喜ばせる行動ができる人を育てたいという強い想いが込められています。同社はどんな店や企業でも必ず持っている独自の強み「透明資産」を見つけ出し、それを経営改善に生かす唯一無二のコンサルティング企業として活動しています。

また、この日12月14日を「いーね(12)いーよ(14)」と読む語呂合わせから、世界中の人たちがお互いの「透明資産」を「いーね!」「いーよ!」と認め合い、一年で一番「幸福感」を感じられる日とされています。お互いの良さを認め合うことで、より豊かな社会を作っていこうというメッセージが込められています。

麺の日(12月14日 記念日)

1702年(元禄15年)のこの日、旧暦において47人の赤穂浪士が江戸・本所松坂町の吉良邸に向かう前にそばを食べたことに由来します。討ち入りという命がけの戦いを前に、浪士たちが力をつけるために食べたとされるそばは、彼らの覚悟と決意を象徴する食事となりました。この日12月14日は「四十七士討ち入りの日・忠臣蔵の日」でもあり、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日です。

赤穂事件は、江戸城・松之大廊下で播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が高家吉良上野介義央に斬りかかったことに端を発します。幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、赤穂藩は改易となり、領地や屋敷を没収されました。浅野のみが刑に処せられたことに家臣たちは強く反発し、筆頭家老である大石内蔵助を中心に主君の仇討ちを決行することになりました。そして、そばを食べて討ち入りをしたとされるのが元禄15年12月14日です。四十七士は吉良上野介を討ちとり、見事に仇討ちを成功させました。

麺類は日本の食文化において重要な位置を占めており、そば・うどん・ラーメン・そうめん・冷や麦・スパゲッティ・マカロニ・沖縄そばきしめんほうとうビーフンなど、実に多様な種類があります。それぞれの麺には地域性や歴史的背景があり、日本人の食生活に深く根付いています。

関連する記念日として、毎月11日・11月11日は全国製麺協同組合連合会が制定した「めんの日」となっており、日付は「11」が細く長いめんをイメージさせることに由来します。また、その他に麺に関連する記念日として、うどんの日(7月2日)、生パスタの日(7月8日)、ラーメンの日(7月11日)、沖縄そばの日(10月17日)、きしめんの日(10月26日)、ちゃんぽん麺の日(11月3日)など、さまざまな麺の種類ごとに記念日が設けられています。これらの記念日は、それぞれの麺の魅力を伝え、食文化を次世代に継承していく役割を担っています。

丸大燻製屋・ジューシーの日(毎月14日 記念日)

大阪府高槻市に本社を置く丸大食品株式会社が制定しました。日付は同社の人気商品「燻製屋熟成あらびきポークウインナー」の美味しさ、ジューシーさを感じてもらうために「ジュー(10)シー(4)」と読む語呂合わせから毎月14日としたものです。一年を通じてそのウインナーのジューシーな味わいをより多くの人に楽しんでもらうことが目的です。毎月記念日を設けることで、消費者に定期的にこの商品の魅力を再認識してもらおうという狙いがあります。記念日は2021年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

「燻製屋熟成あらびきポークウインナー」は、ドイツアルプス産岩塩を使い、72時間以上じっくり熟成させることでお肉の旨みを引き出し、ジューシーで深い味わいに仕上げたものです。熟成という伝統的な製法にこだわることで、他のウインナーとは一線を画す味わいを実現しています。パリッとジューシーなそのウインナーは、モンドセレクション2022年金賞、DLG(ドイツ農業協会)2020年金賞、ITI(International Taste Institute)2021年一つ星、ジャパンフードセレクション2021年10月金賞の四冠を受賞した、特色JAS(熟成)のポークウインナーです。

特色JASは、食肉製品のつくり方や原材料に特色があるJASで、日本産品・サービスの更なる差別化・ブランド化に向け、消費者に高付加価値性やこだわり、優れた品質や技術などを分かりやすくアピールすることができます。このような特色JASが適用された高品質なウインナーとして、多くの人に愛されています。朝食やお弁当、おつまみなど、さまざまなシーンで楽しめるこのウインナーは、家庭の食卓に欠かせない存在となっています。

 

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GOALのピンシリンダー「S-TX」を「V-TX」へ

GOALのピンシリンダー「S-TX」を「V-TX」へ

GOALのピンシリンダー「S-TX」を「V-TX」へ

【ご依頼内容:勝手口の防犯強化のためシリンダーを交換したい】

近頃、強盗が流行っているのでとても不安になり、玄関の鍵を防犯性の高いものへ変更しましたが、勝手口の鍵を変えるのをすっかり忘れていた。

【施工内容:GOALのピンシリンダー「S-TX」を「V-TX」へ】

勝手口ドアについている既設の鍵は、GOALのピンシリンダー「S-TX」です。

お客様のご要望により、こちらを同メーカーの「V-TX」というディンプルキーへお取り返させていただくことになりました。

また、ドアがキッチン付近である為、錠に油がついてしまい固まって動きが悪く、こちらも改善してほしいとのことで、併せて錠ケースの分解洗浄も行う事になりました。

まずは、室内側からサムターンとシリンダー、レバーハンドルと錠ケースを取り外し、この時点で錠ケースの汚れを取り除くクリーニングを行います。

綺麗になったらグリースアップをして扉に戻し、シリンダーを交換の上、他のパーツを元通りにして、施工は完了です。

【お客様の声】

強盗はどこから入ってくるか分からず不安なので、対策できてよかったです。

 

 

#小田原駅
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『2025年12月13日は何の日?』

明日の、 #12月13日 は、 #日本 では何の日かをまとめてみました。

瓠堂忌(12月13日 記念日)

12月13日は、大正から昭和時代にかけて活躍した陽明学者・思想家の安岡正篤氏の忌日です。1983年12月13日に85歳で亡くなられた安岡氏を偲ぶこの日は、氏の雅号である「瓠堂(こどう)」にちなんで「瓠堂忌」と呼ばれています。

安岡氏は1898年2月13日、大阪府大阪市中央区旧順慶町に四男として生まれました。父・堀田喜一は財産家で、後に高知県貫属士族で東京在住の安岡盛治の養子となります。1922年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、文部省に入省しますが、わずか半年で辞職しました。当時の大正デモクラシーに対して伝統的日本主義を主張する立場を貫いたのです。

1927年には、伯爵・酒井忠正の援助により私塾・金鶏学院を設立し、日本精神を鼓舞して軍部や官界・財界に支持者を広げていきました。1932年には日本主義に基づいた国政改革を目指し、政治団体・国維会を設立します。新官僚の本山となり、斎藤・岡田両内閣に閣僚を送り込むなど注目を集めましたが、一方で政界の黒幕的な見方も強まり、2年後には解散しています。

戦時中は大東亜省顧問として外交政策などに関わり、1945年8月15日の玉音放送と呼ばれる終戦詔勅の原案を添削したことでも知られています。戦後の1949年には全国師友協会を設立し、次代の指導者の育成や各地を巡っての講演、ラジオによる講話などを行い、陽明学を基礎とした東洋思想の普及に努めました。葬儀は東京都港区南青山にある青山葬儀所で執り行われ、政界からは当時の首相・中曽根康弘を始め、田中・福田・鈴木の各歴代首相が並び、会葬者は2千有余に達しました。主な著書として『王陽明研究』や『日本精神の研究』『東洋倫理概論』などがあります。

正月事始め・煤払い・松迎え(12月13日 年中行事)

12月13日は、新年を迎えるための準備を始める「正月事始め」の日です。この日には煤払いなどの大掃除を行い、年神様をお迎えする準備を整えます。昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣がありました。

江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、旧暦12月13日の二十七宿は必ず「鬼」となっており、鬼の日は婚礼以外のすべてのことに吉とされていたため、正月の年神様を迎えるのに最適な日として選ばれました。その後の改暦により日付と二十七宿の関係は変わりましたが、正月事始めの日付は12月13日のまま定着しています。

京都祇園では、この日に芸妓や舞妓が芸事の師匠宅やお茶屋を訪れて挨拶をする習わしが今も続いています。また、地域によっては12月8日の「御事始め」として正月の準備を始める場合もあります。正月事始めは、単なる掃除の日というだけでなく、一年を振り返り、新しい年を清々しい気持ちで迎えるための大切な節目の日となっています。

聖ルチア祭(12月13日 年中行事)

12月13日は、眼や視覚障害者の守護聖女である「聖ルチア」の聖名祝日です。「聖ルチアの日」または「Sancta Lucia」ともされます。カトリック教会や聖公会ルーテル教会などの西方教会では伝統的に重要な祝日とされ、特にスウェーデンデンマークノルウェーフィンランドなどのスカンディナヴィア諸国と、イタリア、クロアチアなどの南欧で盛大に祝われています。

聖ルチアは3世紀のイタリア・シチリアの貴族の娘でしたが、母の病が聖アガタの墓前での祈りにより全快した奇跡により、終生貞潔を守り神に仕えることを決意しました。ルチアには異教徒の婚約者がいましたが、彼女がキリスト教徒となったことに失意し、国に密告しました。

改宗を拒んだことから売春婦となる刑が言い渡されましたが、奇跡が起きて彼女の体はその場から動かなくなりました。最後の拷問としてルチアの両目がえぐり出されましたが、奇跡が起きて目がなくても見ることができたという伝説があります。絵画や像では、彼女はしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれます。

スカンディナヴィア諸国ではこの日に、一家の子供の中で年長の少女が祝祭に参加します。少女は聖ルチアに扮して白いドレスを着て、ロウソクの冠を被ります。そして、ロウソクを手に持ち、同じ扮装をした少女たちと一緒に行進します。ロウソクは、生命を奪うことを拒む火の象徴です。行進はクリスマス・キャロルやルチアの歌を歌って行われ、冬の暗い時期に光をもたらす象徴的な意味を持っています。

ビタミンの日(12月13日 記念日)

12月13日は「ビタミンの日」です。「ビタミンの日」制定委員会が2000年9月に制定しました。1910年のこの日、農芸化学者・鈴木梅太郎博士が、米糠から抽出した脚気を予防する成分に「オリザニン」と命名したことを東京化学会で発表しました。このオリザニンは後に、この1年後に発見されたビタミンB1(チアミン)と同じ物質であることが判明し、「ビタミン」と呼ばれるようになりました。

脚気とは、ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患です。心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれます。日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれました。また、大正時代には結核と並ぶ二大国民亡国病と言われ、難病でした。

鈴木博士の研究などによりビタミンの不足が原因と判明し、脚気は治療可能となりました。しかし、当時の医界において脚気の原因は伝染病説と中毒説が支配的であり、鈴木博士が医学界の外の人間だったこともあり、栄養欠乏説はなかなか受け入れられませんでした。また、ビタミンB1製造を天然物質からの抽出に頼っていたために値段が高かったこともあり、脚気による死者が1000人を下回ったのは1950年代のことです。鈴木博士の功績は、日本の医学史において極めて重要な位置を占めています。

美容室の日(12月13日 記念日)

12月13日は「美容室の日」です。美容師の正宗卓氏が2003年に制定したこの記念日は、12月が美容室に多くの客が訪れる月であること、そして「13」をくっつけると「Beauty」の頭文字「B」になることから選ばれました。美容界全体で社会貢献をしようと、盲導犬育成のための募金を呼び掛けています。

美容室は、一般的には美容院やヘアサロンとも呼ばれ、法規上は美容所と呼ばれます。パーマやカット、化粧などを行い、容姿を美しくする店です。和装に合わせた結い上げを行っている店もあります。それに加えてシャンプーやリンス、ヘアコンディショナーなどの店販を行っている店もあります。

厚生労働省統計「令和3年度 衛生行政報告例」によると、全国の美容室の軒数は26万4223軒となっています。美容室で働く美容師の数は全国で56万1475人です。1軒あたりの従業美容師数の平均を計算すると、2021年は平均2.13人でした。関西では月曜日、関東では火曜日を休業日とする店が多いですが、現在では他の曜日に休業日を設定する店も増えてきました。

歴史的には、1897年に美容師の芝山兼太郎氏が神奈川県横浜市中区山下町に外国婦人専門サロンを開業したことが、美容室の始まりだと言われています。以来、美容室は日本の文化として定着し、人々の美と健康に貢献し続けています。

双子の日(12月13日 記念日)

12月13日は「双子の日」です。1874年のこの日、「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」という太政官指令が出されました。それまでは、後に産まれた子を兄・姉、先に産まれた子を弟・妹とする地方や慣習がありました。

これは「兄(姉)ならば先に母の中に入ったので奥にいるはずであり、後から出てくるはず」「弟(妹)が兄(姉)を守るため、先に露払いとして出てくる」などの考え方が、江戸時代から明治時代初期にあったためです。現在は戸籍法により、出生届出・出生証明書に産まれた順で記載することが定められています。

双子(双生児)は、受胎時の受精卵の数により、一卵性双生児と二卵性双生児に大別されます。一卵性双生児は、一つの受精卵(卵子)が分裂(多胚化)して生まれます。二卵性双生児は、何らかの原因によって二つの卵子が排出(多排卵)され、それぞれ別の精子と受精して生まれます。

古来より人種に関わりなく、1000組(1000分娩)に4組の割合で一卵性双生児が誕生します。一方、二卵性双生児の出生頻度は人種間・地域間・民族間の違いが大きいです。双生児の出生頻度から見ると、一卵性双生児が誕生する際の多胚化の発生機序に、何らかの遺伝的要素が関係する可能性も近年では指摘されています。関連する記念日として、「ふ(2)たご(5)」(双子)と読む語呂合わせから2月5日は「ふたごの日」となっています。

大掃除の日(12月13日 記念日)

12月13日は「大掃除の日」です。大阪府大阪市西区に本社を置き、ビルの運営と管理、ハウスクリーニングなどを手がける株式会社東和総合サービスが制定しました。日付はこの日が古くから年神様を迎える準備を始める「正月事始め・煤払いの日」とされていることからです。一年の積もり積もった汚れを落としてきれいに新年を迎えてもらうことが目的で、記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

「おそうじ大使」は、同社のハウスクリーニングのブランド名です。同社は1959年に創業して以来、年間に約1000件、合計で50,000件以上の実績があり、安心して任せられます。大阪府警察本部や東京・大阪の国税局、各税務署、地方裁判所などの取引実績があります。また、定期的に技術研修を行い、ハウスクリーニング技士やビルクリーニング技能士などの資格取得も積極的に行っており、高い技術力を有します。追加料金のかからない安心で分かりやすい料金システムとなっています。

大掃除(おおそうじ)は徹底的に行う掃除を指し、現代日本では特に年末に行うものを言います。一年分の汚れを除去し、新たな年に年神様を迎える準備をし、新年を新たな心持ちで始められるようにする意味があります。学校行事で学期末などに一斉に行う掃除も大掃除と呼ばれます。また、煤払い(すすはらい)とは古くから続く日本の年中行事のことを指し、いわゆる大掃除のことです。近年では、掃除用具の多機能化や高機能化により、日頃から多くの場所を掃除できるようになったため、大晦日前の住宅街などでも家族総出の大掃除は少なくなり、大掃除をしない家庭も増えてきました。

「胃に胃散」の日(12月13日 記念日)

12月13日は「胃に胃散」の日です。東京都文京区千石に本社を置き、医薬品・医薬部外品・健康食品などの製造・販売を手がける株式会社太田胃散が制定しました。日付は「胃に(12)胃散(13)」と読む語呂合わせからです。「ありがとう いい薬です」のCMでお馴染みの胃腸薬「太田胃散」を通じて、胃を酷使する忘年会シーズンの12月に、身体と特に胃腸を大切にしてもらうことが目的です。記念日は2014年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

同社は、1879年に創業した会社で、140年もの歴史を持ちます。この長い間に多くの皆様の胃腸と健康に寄り添ってきました。「太田胃散」は、自然(生薬)の良さを生かした、長年愛用されている総合胃腸薬です。効果的に配合された7種の健胃生薬が弱った胃を元気にし、飲みすぎ・食べすぎ・胃のもたれなどの不快な症状を改善します。また、作用時間の異なる4種の制酸剤が、胸やけ・胃痛・胃部不快感にすぐれた効果をあらわします。独自の製法でつくられた散剤(粉末)で、生薬の芳香感とメントールの清涼感により、スッキリとした爽やかな服用感が得られます。年末年始は飲食の機会が増える時期ですので、胃腸の健康管理を心がけることが大切です。

くにのりたけるが絵に目覚めた日(12月13日 記念日)

12月13日は「くにのりたけるが絵に目覚めた日」です。兵庫県神戸市出身のくにのりたける(國乘 豪)氏が制定しました。日付はくにのり氏がまさに絵に目覚めた日の12月13日です。

幼いころから絵を描くことに苦手意識を持っていたくにのり氏ですが、2019年12月13日にとある集まりでホワイトボードにクマの絵を描いたところ、その絵を見た小学4年生の女の子が笑ってくれました。そのことをきっかけに、自身の下手くそな絵でも人を笑顔にできる、心を動かせることに気づいたといいます。

記念日を通して「絵は上手でなくてはならない」という固定観念を無くし、誰もが気軽に自由に絵を表現し、発信できる世界にとの思いが込められています。記念日は2021年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。描いたクマの絵のタイトルは「逆上がりをするクマ」です。くにのり氏は2022年に世界的アーティストを目指し、地元神戸にて活動を開始しました。この記念日は、芸術表現における多様性と自由さを象徴するものとなっています。

師走に遺産(相続)を考える日(12月13日 記念日)

12月13日は「師走に遺産(相続)を考える日」です。大阪府大阪市北区に事務局を置き、相続税に関しての専門サイト「税理士のチカラ」を運営するスタックインベストメント株式会社が制定しました。日付は「師走」ということから12月、1と3で「遺(1)産(3)」と読む語呂合わせから12月13日としたものです。

毎年この日に相続にまつわる川柳を募集し、難しくとっつきにくいイメージの相続について、より身近なものとして捉えてもらうことが目的です。年末年始に家族で話し合うきっかけにしたり、自分たちの相続について考える機会にして欲しいという願いが込められています。記念日は2022年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

同社では、相続に関する不安や悩み、相続税の心配、遺産分割、生前贈与など分からないことや迷っていること、困っていることについて相談を受け付けています。医師にも外科や内科などの専門医がいるように、税理士にもその分野のエキスパートがいます。同社には相続に優れた税理士の全国ネットワークがあり、大切な財産を少しでも多く家族の手元に残すため、最適な税理士を紹介してくれます。年末という家族が集まる機会を利用して、相続について話し合うことは、将来のトラブルを避けるためにも重要です。

宍道湖中海の生態系を守る日(12月13日 記念日)

12月13日は「宍道湖中海の生態系を守る日」です。島根県松江市で自然環境の調査・研究、シジミの漁業振興を目的とした調査・研究などを行っている日本シジミ研究所が制定しました。淡水と海水が混じる汽水域は水産資源の宝庫ですが、環境変動の激しい水域でもあります。昭和30年代から始まった経済成長期に治水・利水のために傷つき乱れてしまった島根県宍道湖中海の汽水生態系を守ることが目的です。

日付は、反対する多くの市民の努力によって、1963年からおよそ40年間に渡って行われた国家的巨大公共事業「中海・宍道湖干拓・淡水化事業」の正式な中止表明が2002年12月13日に当時の農林水産大臣よりなされたことから、12月13日を記念日としたものです。記念日は2023年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

有限会社日本シジミ研究所は、同社の代表者・中村幹雄氏が島根県水産試験場を早期退転し、2002年5月8日に独りで設立した会社です。日本で唯一のシジミの調査・研究を目的とした研究所で、一人で始めた研究所も全国から若い志のある研究者が集まり、2017年8月時点で14名が研究所の業務に従事しています。シジミ展示館の開設やシジミの直売、コンサルタント業務なども行ってきました。

宍道湖は、島根県松江市出雲市にまたがる湖で、一級水系斐伊川の一部です。日本を代表する景勝地として「日本百景」に選定されています。主に大橋川・中海・境水道を介して日本海と接続し、淡水湖ではなく汽水湖となっています。平均塩分濃度は海水の約10分の1です。シジミ漁が有名で湖内の漁獲量の約9割を占めます。シジミの種類はヤマトシジミで、食品として優れ、水質浄化にも役立ちます。この他、汽水湖のために魚種も豊富で、スズキ、モロゲエビ(ヨシエビ)、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、シジミ、コイ、シラウオ宍道湖七珍(しんじこしっちん)と呼ばれています。それぞれの頭一文字をとって「スモウアシコシ」として覚えます。

伊達のあんぽ柿の日(12月13日・1月13日・2月13日)

12月13日、1月13日、2月13日は「伊達のあんぽ柿の日」です。福島県北地域と相馬地域の12市町村を管轄するふくしま未来農業協同組合(通称:JAふくしま未来)が制定しました。「あんぽ柿」は、燻蒸(くんじょう)した後に乾燥させて作られる干し柿で、燻蒸により守られる鮮やかなオレンジ色とゼリーのようなトロッとした食感、豊かな甘さとジューシーさが特徴です。福島県の冬を代表する特産品で同組合は生産量日本一を誇ります。

日付は最盛期である冬の期間で、燻蒸製法の確立・普及に携わった人が13人であったこと、発祥地の福島県伊達市梁川町五十沢(いさざわ)のいさ(13)から12月13日、1月13日、2月13日の3日間を記念日としたものです。福島県伊達市で「あんぽ柿」の出荷が始まってから2023年で100年となることを記念し、さらに多くの人にその美味しさを味わってもらうことが目的です。記念日は2023年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

「あんぽ柿」は、渋柿を硫黄で燻蒸した干し柿で、ドライフルーツの一種です。その独特の製法は大正時代に開発されました。福島独特の風土、昼夜の激しい寒暖差が柿の甘みを凝縮させ美しい橙色に仕上げます。旬の時期は11月から2月となっており、あんぽ柿を生産する農家では降雪する冬期であっても農閑期とはなりません。長期保存が可能で値崩れしにくく、農家としては貴重な安定収入となっています。

あんぽ柿誕生の背景には、日本の生糸市場の衰退があります。幕末から明治期の福島盆地一帯は全国有数の養蚕地帯でした。五十沢の農家も養蚕で潤い、小規模ながら製糸工場などの施設もありました。しかし、生糸相場は変動の幅が大きいという問題がありました。さらに、大正期に入って生糸市場の斜陽化の兆しが見え始めました。そこで、五十沢の有力者たちは養蚕に代わる新しい農産物の模索を始め、その結果、あんぽ柿が誕生しました。

あんぽ柿には、ビタミンA1の量が生柿に比べて3倍以上多く含まれていて、美容・健康効果が抜群です。ビタミンA1はしわ取りなどの美容効果があり、その他、かっけ予防のビタミンB2や二日酔い防止に効くビタミンB6も含まれています。

一汁三菜の日(毎月13日 記念日)

毎月13日は「一汁三菜の日」です。和食の素材メーカー(フジッコ株式会社・ニコニコのり株式会社・キング醸造株式会社・株式会社はくばく・株式会社ますやみそ・マルトモ株式会社)で構成する「一汁三菜 ぷらす・みらいご飯」の6社が制定しました。日付は「13」が「一汁三菜」の読み方に似ていることから毎月13日にしました。いろいろな料理を組み合わせて、さまざまな栄養素がバランスよくとれる「一汁三菜」(主食・汁物・主菜・副菜・副々菜)という和食のスタイルを子ども達につなげていくことが目的です。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

和食文化は2013年12月に「和食:日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録され、世界的にも注目されています。「みらいご飯」は「一汁三菜」にみらいに向けてプラスし、見た目もきれいな「カラフルご飯」や「スマートご飯」「イベントご飯」を提案しています。一汁三菜は日本の伝統的な食事の形式であり、栄養バランスが優れているだけでなく、四季折々の食材を楽しむことができる日本の食文化の基本となっています。

お父さんの日(毎月13日 記念日)

毎月13日は「お父さんの日」です。東京都港区東新橋に本社を置き、乳酸菌飲料「ヤクルト」や飲むヨーグルトジョア」などを製造・販売する株式会社ヤクルト本社が制定しました。日付は「おとう(10)さん(3)」(お父さん)と読む語呂合わせから毎月13日としました。毎日働いて一家の大黒柱として頑張っているお父さんに、月に1回、感謝の気持ちを表す日です。また、「人も地球も健康に」をコーポレートスローガン掲げる同社の、お父さんが健康にとの願いが込められています。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

人が健康であるためには、人だけではなく周りのもの全てが健康でなければなりません。水・土壌・空気・動物・植物・そして人々が織り成す会社、これら全てが健康であって初めて、人は健康的に生活でき、健全な社会が築かれます。ヤクルトのコーポレートスローガンには、このような想いが込められています。

日本において一般的な「父の日」は6月の第3日曜日です。「父の日」はアメリカの風習が日本に伝わったもので、日本では父に日頃の感謝の気持ちを込めて、黄色いバラやシャツ、ネクタイ、ビールなどの贈り物をすることが多いです。毎月13日の「お父さんの日」は、年に一度の父の日とは別に、毎月お父さんに感謝する機会として設けられています。

虚空蔵の縁日(毎月13日 年中行事)

毎月13日は「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の縁日」です。また、1月13日は一年で最初の縁日であり、「初虚空蔵(はつこくうぞう)」と呼ばれます。

虚空蔵菩薩は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、「知恵の菩薩」とも評され、人々に知恵を授けてくれるとも言われます。三昧耶形(さんまやぎょう:仏を表す象徴物)は、宝剣(ほうけん)と如意宝珠(にょいほうじゅ)です。

「虚空蔵」は「虚空の母胎」という意味のサンスクリット語アーカーシャガルバ」の漢訳で、「虚空蔵菩薩」とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味です。そのため、智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されます。真理や悟りの境地を視覚的に表現した胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視されます。虚空蔵菩薩の形像としては、右手に智恵の宝剣、左手に福徳を表す如意宝珠を持つものなどがあります。虚空蔵菩薩は学業成就や記憶力向上を願う人々に特に信仰されており、受験生などが参拝することも多いです。

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