2025年12月11日(木・晴)
挿絵は本文の解釈であり、本文を解釈することを補助する役割も担つてゐる。その果たされてゐる役割を考へるには、挿絵の画風のみならず、本文での挿し込まれてゐる位置も意識しなければならない。出版社が組版をする際に、挿絵の位置が視野に入つてゐるだらう。特に挿絵と本文との関係が発生するため、無計画に挿絵を本文に挿し込むと、その意味が無効になるのではないだらうか。あるひは、全く異なつた意味が通じてしまふことも考へられる。しかし、これまで確認したことがあるやうに、挿絵は必ずしも合ふ本文の中に挿し込まれてゐるといふわけではない。後々に出版されることになると、挿絵は初出媒体等と同じ位置ではなくなることがしばしばあるだけではなく、場合によつては挿絵は口になつたりすることもある。更に、多くの挿絵は初出媒体にしかないことも散見される。つまり、挿絵は固定した、スタティックなものではなく、版が重なつていくにつれて移つたりすることのある、ダイナミックな存在である。
しかし、挿絵研究の中では、事後的に挿絵が追加されたことが、確認できる範囲では、まだないやうである。本研究では、太宰治の初期作品「思ひ出」(1933・4、6、7)を実例として取り上げたことがあり、論文として発表する予定であるが、この程度の研究があるやうである。ちなみに、「思ひ出」は、よく知られてゐるやうに、初出媒体なる『海豹』にも、第一回の作品集での収録先『晩年』にも挿絵がない。もちろん、『晩年』には太宰の写真が口絵の位置にあるが、それ以外に挿絵のやうな視覚的資料が書物にない。おそらく、はじめて「思ひ出」に挿絵が挿入されたのは1956年に刊行されたあかね書房版『少年少女 日本文学選集』第18巻「井伏鱒二・太宰治名作集」である。本選集には「思ひ出」の2章だけが抜粋され、2枚の写真と1枚のカット絵が追加された。その挿絵の担当は生沢朗であつた。そして、1963年に刊行された偕成社版『少年少女 現代日本文学全集』第19巻「太宰治名作集」にも同じく「思ひ出」の2章が抜粋され、2枚の挿絵と1枚のカット絵が本文と共に提示されるやうになつた。この選集の挿絵を担当したのは西村保史郎である。なほ、これらの少年少女向けの選集は先行研究において取り上げられたことがあるが(佐藤宗子2017・2018)、挿絵のことは論考されてゐない。
この2冊の選集には「思ひ出」の一部のみならず、偕成社版に『津軽』の一部も収録されてゐる。これを「津軽(抄)」と称され、「五 西海岸」が抜粋されてゐる。本文のことについては、まだ調査中ではあるが、原作と同じやうなものである。つまり、省略されたりすることないものの、多くの修正が行はれてゐるといふわけである。例へば、漢字表記が平仮名表記になつたり、段落が途中に開業したり、読点が加へたりといふやうな修正が顕著な異同である。この選集は中学生に読まれるといふ前提でこのやうな修正が施されただらうと考へられるが、同時に多くの修正があるからこそ、もはや『津軽』(「五 西海岸」)ではなくなつてしまふおそれがあるとも言へよう。更に、抜粋されてゐるのは「五 西海岸」であることは本選集に明記されてゐるが、それは「解説」の中である。作品名(201ページ)の隣に「(全文の梗概は二八〇頁にあります)」とあるやうに、奥野健男の解説「太宰治の人と文学」の中に作品の全体が紹介されてゐる。ここで、全文を引用しないが、注目すべき箇所を取り上げる。
この作品は全部で五章からなりたつてゐます。
奥野が『津軽』を「傑作」として位置付けることがこの選集を読む人には印象深いことであらう。特に、中学生がこの内容を読むといふことを考慮すると、早期に『津軽』が「傑作」といふイメージ形成が補助されてゐるだらう。これもまた、本選集に入つてゐる「五 西海岸」に関する位置付けが特別に提示されてゐることにつながつてくるのであらう。奥野によると長篇である『津軽』の中では、その一章分は特別なものであり、「出色」なものであるといふ主張があり、「たけ」との再会の特別な位置付けも書かれてある。つまり、その中には「たけ」との再会が作品全体を飾る、「美しく感動的な場面」であるといふ解釈になつてゐる。このやうに、奥野の解説は『津軽』のみならず、「五 西海岸」を特別扱ひにしてゐることが注目すべき点である。それから、『津軽』は「五章からなりたつてゐ」る作品であるといふ言葉も問題なのである。この書き方からすると、あたかも「序編」がないかのやうに扱はれてゐるし、『津軽』の作品梗概・紹介を見ると、「序編」は省略されてゐることが明らかになる。一般読者なる中学生がこの解説を読むと、奥野が紹介してゐる『津軽』と実際に手にする『津軽』は別のものになるのである。
この解説にはもう一つの注目すべき点が、挿絵に関する内容である。初版本において「五 西海岸」に、もともと「小泊 たけの顔」といふ1枚の挿絵がある。しかし、本選集にはその挿絵が省略され、初版本からは太宰の手によつて描かれた「津軽図」が入つてゐる。それに、西村の挿絵とカット絵もある。ここで、奥野の解説の中にも挿絵と写真があることについて考へる。まづは写真についてだが、280ページに1枚の写真が右上にあり、キャプションには「太宰の子守りであつたたけ」とあり、越野タケがその写真の主体になつてゐる。つまり、作品に登場する「たけ」のモデルとなつてゐた、実在人物のことである。この写真は、省略された「たけの顔」の代はりに挿入されてゐるのであらうか。それから、281ページの左下に「二 蟹田」に挿入されてゐた「あすなろう小枝 リンゴ花」といふ一枚の挿絵がある。キャプション付きで、「太宰が描いた『津軽』のさしゑ」と書いてある。すなはち、「津軽(抄)」には「津軽図」1枚と解説には「あすなろう小枝」1枚があるのに対し、「たけの顔」の代はりに写真1枚が解説にあり、他の3枚は単純に省略されたままである。
これまでは事後的に追加された挿絵のことを論考する前提としての事柄を取り上げてきた。従来の研究において、挿絵それ自体は注目されてきたものの、主に初出媒体にあつた挿絵が注目されてきた。事後的に挿絵が追加されたこと、特に作家の没後にそのやうな追加があることに関する研究は、本研究以外に、確認できる範囲では、ないやうである。このやうな背景を意識しつつ、偕成社版の選集と『津軽』・「津軽(抄)」の挿絵について論考を続ける。
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