2025年10月5日(日・晴)
前回において、『魚服記』といふ書物に収録されてゐる作品「魚服記」の本文とねこ助による、解釈としての挿絵を、「二」の前半まで取り上げた。それらの挿絵が完全に本文に相互的に合致してゐるとふわけではないが、それにしても、挿絵と本文を併読することによつて、新しい解釈としての視覚的資料を考へ直すことができるやうになつてゐる。特に、「スワ」の姿が重要なのではないかと論考した。作中において「スワ」の年齢は13と15になつてゐることが明記されてゐるが、挿絵にはその差を示すために、髪の長さが調整されてゐるのではないかと考へられる。13歳のときの「スワ」の髪が本文にもあるやうに短い。そして、少し成長したといふことを示すために、髪が長く描かれるやうになつてゐるといふ特徴がうかがへる。
ここで、「二」後半の挿絵と本文との関係を検討してみたい。まづは、22-23ページにある本文と挿絵についてだが、22ページは本文となり、背景が白く、文字が赤オレンジ色になつてゐる。挿絵が23ページにあり、本文と併せて読むと、「スワ」が「思案ぶかくなつた」ことが描かれてゐるといふやうに捉へられる。おそらく、この挿絵は単独に見ても、その「スワ」の表情などの意味が通じなく、本文と切り離すことができないほど、相互的に重要な関係があるのではないかと考へられる。この挿絵に描かれてゐる「スワ」の表情は、前回に取り上げた21ページの最後から始まり、22ページに続く本文の内容から読み取れる。つまり、「スワ」はよく滝の落ちる水を眺めることがあり、なぜ水が切れないのかといふやうな幼い疑問を抱へてゐるのに、それを乗り越える瞬間がある。その展開は、次の本文から読み取れる。
それがこのごろになつて、すこし思案ぶかくなつたのである。(p. 20)
滝の形はけつして同じではないといふことを見つけた。しぶきのはねる模様でも、眼まぐるしく変つてゐるのがわかつた。果ては、滝は水ではない、雲なのだ、といふことを知つた。滝口から落ちる落ちると白くもくもくふくれ上る案配からでもそれと察しられた。だいいち水がこんなにまでしろくなる訳はない、と思つたのである。
スワはその日もぼんやり滝壺のかたはらに佇んでゐた。曇つた日で秋風が可成りいたくスワの赤い頬を吹きさらしてゐるのだ。
この箇所が挿絵の内容に反映されてゐるが、先述のとほり、本文なしに挿絵だから「スワ」の表情の意味が通じないだらう。髪の長さが明らかに異なつてゐるのは、この23ページの挿絵にあり、「このごろ」といふことが「スワ」は15歳になつたことを示唆してゐるだらう。背景は紅葉の風景で、「スワ」は緑色の着物姿で、チェック柄の毛布のやうなものを腹回りに巻いてゐる。顔は、本文にあるやうに、「ぼんやり」した形になつてゐる。視線はやや上に向いてをり、あたかも滝を見上げてゐるかのやうになつてゐる。また、この挿絵には「スワの赤い頬」も描かれてゐるといふ、本文に合ふタッチが読み取れる。
この挿絵は、また24ページにある挿絵と何かしらの関係があるかのやうになつてゐる。24ページの挿絵は、24-25ページの見開き2枚分のものになつてゐる。内容は、25ページにある本文に合致してゐることである。本文は黒い背景になつてをり、文字は白くなつてゐるものである。本文の内容は作中に出てくる「三郎」「八郎」の物語のことになり、挿絵は大蛇に変身した「八郎」の姿である。この挿絵は、「魚服記」の「四」の内容と深い関係があり、更に⑲「変身後のスワ」といふ、50-51ページに挿し込まれてゐる挿絵と直接関連づけられる。その挿絵を取り上げる際に、改めてこの⑩「大蛇の八郎」を併せて考へてみたい。
次は、26-27ページをみると、26ページに⑪「スワと父親」といふ挿絵があり、27ページは本文である。挿絵は、父親がはじめて登場するもので、後ろ姿しか描かれてゐないが、着物姿になり、長めの髪を縛つてゐることも細かいタッチになつてゐる。左手にラムネの瓶が入つてゐる籠がある。「スワ」は少し前に進んでゐるやうに描かれ、⑨「考へるスワ」と同じ着物になつてゐることが見えるが、上着を着てゐることもはつきり描かれるやうになつてゐる。2人は下駄を履いてをり、足元が水になつてゐるかのやうに小波の模様が見える。この挿絵は本文の流れに合致してゐることも確認できる。本文はオレンジ色の背景で、文字は黒い。この色合ひについてだが、季節が秋になつたことを示唆してゐると考へることができる。また、挿絵と本文を併読してみたいので、本文は次のやうになつてゐる。
父親が絶壁の紅い蔦の葉を掻きわけながら出て来た。
「スワ、なんぼ売れた。」
スワは答へなかつた。しぶきにぬれてきらきら光つてゐる鼻先を強くこすつた。父はだまつて店を片づけた。
炭小屋までの三町程の山道を、スワと父親は熊笹を踏みわけつつ歩いた。
「もう店しまふべえ。」
父親は手籠を右手から左手へ持ちかへた。ラムネの瓶がからから鳴つた。
この本文から挿絵の内容が成り立つてゐることが明確である。「スワ」と父親が小屋へ帰らうと歩いてゐるが描かれてゐるだけではなく、父親が持つてゐる手籠も本文と同じやうに左手になつてゐることは、「魚服記」に何かしらのリアリティを与へてゐることになる。父親が持つてゐる手籠を右手から左手へと持ち替へるときに「もう店しまふべえ。」といふ発言も伝はつてくるのであらう。それに、挿絵にはオレンジ色がところどころに使用されてゐるのは、本文の背景と結びつけられてゐるかのやうにも捉へられる。
「二」の最後の挿絵を取り上げると、28-29ページにあるのは、28ページが本文で、28ページが挿絵になつてゐる。本文は黒い背景で、文字は白である。本文の内容は「スワ」が父親に「おめえ、なにしに生きでるば。」と問ひかける場面である。父親は手を上げ、殴るかどうか、少し迷ひ、「スワ」がもはや「一人前のをんな」になつてゐると考へ直してから手を下ろす。このやりとりは2人の関係を読み取るのに重要な箇所である。また、「スワ」は15歳になり、物事を新たに考へるやうになつてゐることが父親に存在理由を尋ねてゐることから分かる。挿絵は完全に本文に合致してゐるといふわけではないが、「スワ」の怒りが描かれてゐることが重要な点である。挿絵には「スワ」がささきの中に座り込んでゐるやうな姿になり、すすきと髪が風に吹かれ、顔が厳しい表情になつてゐる。そして、何かの赤い壁にもたれてゐるやうに描かれてゐる。これは、本文にないシーンであるが、先述のやうに、「スワ」の表情や赤い壁、また髪の毛が吹かれてゐることから、その怒りが読み取れる。つまり、本文と併読してみると、その意味がより明確になる。
「お父」
スワは父親のうしろから声をかけた。
「おめえ、なにしに生きでるば。」
父は大き肩をぎくつとすぼめた。スワのきびしい顔をしげしげ見てから呟いた。
「判らねぢや。」
スワは手にしてゐたすすきの葉を嚙みさきながら言つた。
「くたばつた方あ、いいんだに。」
父親は平手をあげた。ぶちのめさうと思つたのである。しかし、もじもじと手をおろした。スワの気が立つて来たのをとうから見抜いてゐたが、それもスワがそろそろ一人前のをんなになつたからだな、と考へてそのときは堪忍してやつたのであつた。
「そだべな、そだべな。」
スワは、さういふ父親のかかりくさのない返事が馬鹿くさいくて馬鹿くさくて、すすきの葉をべつべつと吐き出しつつ、
「阿呆、阿呆。」
と怒鳴つた。
本文から読み取れるやうに、「スワ」は明らかに苛立つてゐることになつてゐる。座り込む様子が描かれてゐないが、この場面を挿絵と併読してみると、「スワ」の「きびしい顔」や父親に怒つてゐる姿が読み取れるやうになる。また、後ろにある赤い壁は、「スワ」の怒りそのものが立体化されてゐるかのやうにも捉へられる。
ここまで、「魚服記」の「二」の本文と挿絵の後半を読んできた。いづの挿絵が本文に新しい意味を附与してゐることが併読することによつて明らかになつた。また、必ずしも本文にないものの、「スワ」の姿が怒つてゐることが最後の挿絵にあることは、非常に重要な、且つ新鮮な解釈になつてゐるとも言へる。
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