「YOUNG MAN (Y.M.C.A.) 」(ヤングマン ワイ・エム・シー・エー、Young Man Can do Anything)は、西城秀樹 の28枚目のシングル。1979年2月21日にRCA から発売された。
ディスコ音楽 として、当時アメリカでヒット中のヴィレッジ・ピープル の「Y.M.C.A. 」を、西城のマネージャーであった天下井隆二(クレジットでは『あまがいりゅうじ』名義)が青春讃歌および応援歌として訳詞し、大谷和夫 が青春歌謡ポップス風にアレンジした作品である[ 8] 。西城が1978年に渡米した際に原曲を知り、これは絶対に売れると確信を持ち、自身でカバーを提案したところ[ 9] 、周りのスタッフからはカバー曲になることや同性愛イメージを売りにした曲であることなどから猛反対を受けたといわれる[ 10] 。翌1979年1月4日から3日間、大阪・厚生年金会館での新春コンサートで初披露。リクエストが殺到し、急遽2月21日発売の新曲としてレコーディングすることになった[ 11] 。曲中の手拍子は西城のファンクラブの会員をスタジオに招いてレコーディングされた[ 12] 。業界のスケジュールを無視した緊急発売だったため[ 9] 、日本ビクター (当時)の大和工場に西城自ら出向き、「(僕のレコードのために)残業させてしまいますが、お願い申し上げます」と呼びかけてミカン箱の上に登り、本曲を歌唱して工場従業員たちを激励したという[ 13] [ 14] 。 ジャケット写真はロサンゼルスのセンチュリーシティで撮影された。 曲の最後では、ライブ感を出すために、ファン50人のかけ声・歌声を入れている[ 15] 。 過去のヒット曲をディスコビートに乗せたメドレー形式の楽曲となっており、終盤には表題曲のイントロ部分が挿入されている[ 8] 。 「Y」「M」「C」「A」を全身で表した図 「Y」「M」「C」「A」 の4文字を全身で表現し、全世界に向けて共通のメッセージを発信、「みんなで歌い、心身を躍動させて一緒に踊る」という、観客参加型のパフォーマンスがブームとなった。振付は西城の振付を長年にわたり手がけた一の宮はじめ による[ 16] 。これは原曲のヴィレッジ・ピープル版にも逆輸入された。翌1980年の春には第52回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。 西城がかつて川崎市に在住していた縁で、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の川崎フロンターレが等々力陸上競技場で行う試合(ホームゲーム)のハーフタイムショーに出演し、この曲を歌うことがあった。初登場は2000年7月26日のヴェルディ川崎戦で、2004年から西城が死去する前年の2017年まで毎年市制記念試合の度に行われ、恒例行事となっていた[ 注釈 1] 。2012年からは脳梗塞の後遺症のためオープンカーでトラックを1周しながら歌う形式となり、没後の2018年は西城が座っていた後部席に西城の等身大パネルが置かれ、競技場内に生前のハーフタイムショーでの姿と歌声が流れる中での大合唱となった。2019年からは西城と親交のあったコロッケ が後任を務めている。 タモリ は「『YOUNG MAN』は内容的にはなんにもない曲だけど、それがいいんだよ。日本中の女の子が踊り狂ったんだからね」と評した[ 22] 。
輪島裕介 は「日本に於いて、主にテレビを通じて子どもたちを中心に広まっていったディスコ 調及び、踊り 、という観点でいえば、西城秀樹の『ヤングマン』を避けて通るわけにはいかない。興味深いのはアメリカではゲイ ・マッチョ の諸ステレオタイプ を演じるユニット、ヴィレッジ・ピープルのいわば『ハッテン場 』を歌ったこの楽曲がなぜ、ストレートな(性的な意味でのストレート も含め)若者讃歌、臆面もない星条旗 イメージに示されるようなアメリカ賛歌に翻訳されてしまったのかということだ。単なる流行現象及び流行曲として、セクシュアリティ の含意抜きでディスコがお茶の間 に輸入された、ということなのだろうか。ピンク・レディー もおそらくヒデキの成功を承けてヴィレッジ・ピープルの『イン・ザ・ネイビー 』(いい男がいる海軍 に入ろう)を『ピンク・タイフーン (In The Navy) 』として歌っている」などと論じている[ 2] 。
「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」のカバー[ 編集 ] 林子祥 - 広東語アルバム『抉擇』収録、香港、1979年谷行雲 - 中国語アルバム『蝸牛與鸝鳥』収録、シンガポール、1981年吴永法&何耀伟 - 中国語アルバム『阿里巴巴』収録、中国、1985年杨坤 - 中国語アルバム『DISCO(的士高)』収録、中国、2010年林芳 - 中国語アルバム『现代小姐』収録、中国、1984年サビの「♪Y・M・C・A~」以降の部分が、替え歌としてコマーシャル・ソングに使用された。NTTコミュニケーションズ 0033(選択中継サービス)、2004年 ワイモバイル「素晴らしいワイモバイル」編、2016年 LINEヤフー「Yahoo!検索」、2025年 2000年代前半に西城が出演していたアサヒフードアンドヘルスケア(現・アサヒグループ食品)「シーズケース」のCMでは、サビの手前の間奏部分で「C!C!C!C!」と歌ったあと、Cのポーズを取りながら「素晴らシー!」と叫んでいた。
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シングル チャート第1位(1979年3月12日 - 4月9日付:5週連続)
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