Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

M-TEC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"M-TEC" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2017年8月)
曖昧さ回避この項目では、自動車関連企業について説明しています。建設会社については「エム・テック」をご覧ください。
株式会社M-TEC
M-TEC Co.,Ltd.
M-TEC本社
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地日本の旗日本
351-8586
埼玉県朝霞市膝折町2-15-11
設立2003年10月1日
業種輸送用機器
法人番号6030001047742ウィキデータを編集
事業内容二輪・四輪の競技用車両およびパーツの製作・販売 他
代表者代表取締役 橋本朋幸
資本金3,000万円
売上高74億円(2019年12月現在)
従業員数200名(2019年12月現在)
主要子会社MUGEN America,Inc.
MUGEN EURO.,Limited
関係する人物本田博俊(『無限』創業者)
外部リンクhttp://www.mugen-power.com/
テンプレートを表示

株式会社M-TEC(エムテック、M-TEC Co., Ltd.)は、ホンダ車用アフターパーツの製造販売やレース用エンジンの開発製造を行う日本の企業。2003年平成15年)設立。

概要

[編集]

前身は株式会社無限(むげん)。2003年に株式会社M-TECが設立され、2004年(平成16年)に無限のほぼ全ての業務がM-TECに譲渡された。

現在も株式会社無限はM-TECと同住所で存続しており[1]、『無限』の商標は同社が保持している[2]。そのため、M-TECは株式会社無限と『無限』ブランド独占使用契約を締結して『無限』ブランドによる事業を展開し、株式会社無限はM-TECからライセンス料を得るという関係性にある。

ここでは株式会社無限に関する記述も行う。

創業者の本田博俊本田宗一郎の息子という事情もあり、本田技研工業(ホンダ)とは直接の資本関係こそないが、後述するように関係が深い。無限(M-TEC)の本社社屋の近隣に本田技術研究所(和光・朝霞研究所)があることや、ホンダの労務管理上深夜残業が原則禁止されている関係から、ホンダのエンジニアが研究所を退勤後に無限(M-TEC)のオフィスに移動して開発作業を継続するといったことも多く行われていたという[3]

沿革

[編集]

無限

[編集]

M-TEC

[編集]
  • 2003年(平成15年)10月1日 - 株式会社M-TECを設立。代表は永長眞(ながおさ しん)。
  • 2004年(平成16年)4月1日 株式会社無限から『無限』の商標保持および管理以外の業務の譲渡を受け、同時に株式会社無限と『無限』ブランドの独占使用契約を締結する。

主な業務

[編集]

(2003年以前は株式会社無限、2004年以降は株式会社M-TECによるもの)

レース用エンジンの開発・製造及び供給
ホンダ車用アフターマーケットパーツの開発及び製造販売およびレース部品の供給とレースサポート
  • 現在は二輪・四輪共に行なっている。
VFR800X MUGEN
自社パーツによるセッティングを施した輸入車両の販売
  • 2011年(平成23年)、日本国内未発売のホンダ製オートバイを輸入し、自社製パーツを装着して無限ブランドで販売した。車両はVFR800X MUGENVFR1200X/XD MUGENで、その後両車のベースモデルがホンダから正規に国内販売された(800Xは2014年〈平成26年〉12月、1200Xは2014年〈平成26年〉3月発売)。
ホンダ車によるワンメイクレースにおいて、エントラントへのテクニカル及びホスピタリティのサーキットサービス
  • H.O.A.(ホンダ ワンメイク レースアソシエーション)メンバー

レース活動

[編集]
TEAM MUGEN
国籍日本の旗日本
活動期間1985年 - 現在
カテゴリFN/SF
JGTC/SUPER GT
JTC/JTCC
チームズ
タイトル
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年、2002年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2022年、2023年)
ドライバーズ
タイトル
JTC クラス3(1987年、1988年、1991年、1992年)
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2013年、2018年、2021年、2022年、2025年)
公式サイトhttp://www.mugen-power.com/motorsports
2025年のスーパーフォーミュラ
エントリー名TEAM MUGEN
レーサー15.日本の旗岩佐歩夢
16.日本の旗野尻智紀
マシンAUTOBACS MUGENSF23ホンダ
タイヤ横浜ゴム
2025年のSUPER GT (GT500)
エントリー名ARTA[4]
レーサー8.
日本の旗野尻智紀
日本の旗松下信治
16.
日本の旗大津弘樹
日本の旗佐藤蓮
マシン8. ARTA MUGENCIVIC TYPE R-GT #8
16. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #16
タイヤブリヂストン
テンプレートを表示

F1に関する活動については、#F1への挑戦 に別記している。

無限

[編集]

1985年(昭和60年)から1993年(平成5年)まで全日本ツーリングカー選手権 (JTC) にシビックで参戦し、1987年(昭和62年)、1988年(昭和63年)、および1991年(平成3年)から1992年(平成4年)にかけてディビジョン1/クラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。

1994年(平成6年)、1995年(平成7年)の全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にシビックフェリオ1996年(平成8年)、1997年(平成9年)にアコードで参戦し、1997年(平成9年)にはシリーズチャンピオンを獲得した。

1998年(平成10年)から2003年(平成15年)まで全日本GT選手権 (SUPER GT) のGT500クラスにNSXで参戦し、2000年(平成12年)にはドライバー/チーム、2002年(平成14年)にはチーム/チューナー部門でシリーズチャンピオンを獲得した。

2輪では、1976年(昭和51年)から1992年(平成4年)までの16年間、全日本モトクロス選手権に無限オリジナルモトクロッサー・ME(無限・エルシノアの略)シリーズで参戦。他のワークス・チームに先駆けて、フロントサスペンションのロングストローク化やエンジンの水冷化、アルミフレームの採用など、数々の新機軸を盛り込んだ先鋭的なマシンを送り出した。また無現・MEは1980年(昭和55年)のモトクロス世界選手権アメリカGPの125ccクラスにおいて、ジョニー・オマラのライディングで優勝を飾っている。ロードレースにおいては、1984年と1985年に生沢徹率いるTeam Ikuzawaと由良拓也率いるムーンクラフトと手を組んで、鈴鹿8時間耐久ロードレースCBX750Fのエンジンをオリジナルフレームに搭載したオリジナルマシンの無限・ホワイトブルで参戦している。

M-TEC

[編集]

2004年(平成16年)は、前年のGT500クラスで使用していたNSXに若干の変更(エアリストリクター径の縮小、タイヤをブリヂストンからダンロップに変更など)を加え、GT300クラスに参戦した。開幕戦から常に上位争いに加わり、シリーズチャンピオンを獲得した(優勝は最終戦の1回)。シーズン当初は「ちょんまげ」(ルーフの上に設置されるエアインテークの通称。メーカーオプション)を封印していたが、同年最終戦以降に使用を再開。

2005年(平成17年)も常に上位の成績を上げ、シーズンランキング2位となる。同年からは、メンテナンスガレージ及び実質レース運営としてGT500クラスに参戦しているチーム国光の100号車を請け負った。

2006年(平成18年)より独自チームでの参戦は一旦なくなったが、2012年(平成24年)に第4戦(菅生)よりCR-ZでGT300クラスに参戦することが決まり、7月4日にツインリンクもてぎでのシェイクダウンと合わせて正式な体制が発表された。この年はシーズンランキング15位に終わったが、2013年(平成25年)はS-GTのシリーズポイントが付与される1戦となった、アジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)第2戦(富士)で優勝したほか全戦で入賞した結果、ドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。翌2014年(平成26年)まで参戦した。

2017年(平成29年)より「TEAM MUGEN」としてGT500クラスに復帰し、第6戦(鈴鹿1000km)では第3ドライバーとしてジェンソン・バトンをスポット起用した。

2010年(平成22年)よりフォーミュラ・ニッポンへ独自チームでの参戦を開始し、シリーズ名称がスーパーフォーミュラに変わった2013年(平成25年)と2018年(平成30年)、2021年(令和3年)にはドライバーズチャンピオンを獲得。2022年はドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。

2006年(平成18年)より始まった全日本スポーツカー耐久選手権 (JLMC) へ第2戦より参戦した。マシンはクラージュ・C70で、エンジンはMF458S (V8 4,500 ccNA)、タイヤはミシュランを使用。しかし、2007年(平成19年)シーズンをもってJLMCが消滅したため参戦を終了した。

エンジン・マニュファクチャラーとしては、SUPER GT(GT500のNSX及びGT300のVemac・RD408R)やフォーミュラ・ニッポンF3等でエンジン供給を行っている。2008年(平成10年)からは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に参戦するホンダ・アコードユーロRにもエンジン供給を開始した。2014年(平成26年)から、HRD Sakura からの受託業務としてGT500 NSX のパーツサポート業務を行っている。これは、同年よりこれまで同業務を受託した童夢が業務縮小に伴い撤退した為と言われている。

2012年(平成24年)には競技用の電動オートバイ『神電』(shinden) を開発し、マン島TTレースのTT-Zeroクラスに出走。2012年・2013年はクラス2位に終わるが、2014年から2019年まで6連覇を達成している[5]

  • 無限 シビック(1987年、JTC)
    無限 シビック(1987年、JTC)
  • 無限 CR-Z GT(2014年、GT300)
    無限 CR-Z GT(2014年、GT300)
  • 神電 参(2014年、TT Zero)
    神電 参(2014年、TT Zero)
  • TEAM MUGEN ダラーラ・SF14(2016年、スーパーフォーミュラ)
    TEAM MUGEN ダラーラ・SF14(2016年、スーパーフォーミュラ)
  • 神電 伍(2016年、TT Zero)
    神電 伍(2016年、TT Zero)
  • TEAM MUGEN ダラーラ・SF14(2018年、スーパーフォーミュラ)
    TEAM MUGEN ダラーラ・SF14(2018年、スーパーフォーミュラ)
  • MOTUL MUGEN NSX-GT(2019年、GT500)
    MOTUL MUGEN NSX-GT(2019年、GT500)
  • Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT(2020年、GT500)
    Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT(2020年、GT500)
  • Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT(2022年、GT500)
    Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT(2022年、GT500)

F1への挑戦

[編集]
無限ホンダ
(エンジンサプライヤーとしての記録)
参戦年度1992 - 2000
F1デビュー戦1992年南アフリカGP
初勝利1996年モナコGP
最後の勝利1999年イタリアGP
最後のレース2000年マレーシアGP
出走回数147
搭載チームフットワークロータスリジェプロストジョーダン
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数4
表彰台(3位以内)回数16
通算獲得ポイント182
ポールポジション1
ファステストラップ0
テンプレートを表示

1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて、無限単独でF1用V8エンジンの製作に入り、ティレル・018全日本F3000で使用されたレイナード89D改を使用してのテスト走行を行った[6]。しかし、これと前後して後述する無限ホンダV10エンジン計画が動き出したため、結局このときに製作されたV8エンジンは実戦デビューすることはなかった。

1992年から1993年まで、ホンダが前年にティレルへ供給したV10エンジン「RA101E」の開発を無限が引継ぎ、「MF351H」と改称したエンジンをフットワークへ供給することを発表した。エンジンのブランド名は「無限-ホンダ("MUGEN-HONDA")」。ホンダは1992年限りでF1から撤退したが、その後も完全ではないものの、技術供与やエンジニアの派遣を行なっていた。

1994年ロータスへ供給を行った。新設計V10エンジンの「MF351HD」を投入した第12戦イタリアGPジョニー・ハーバートが、予選4位を得る速さを発揮するが、決勝ではスタート直後にジョーダンエディ・アーバインに追突されてスピン。赤旗再スタートとなったが、新エンジンがレースカーに搭載された1基しかなく、旧型エンジン (MF351HC) を積んだTカー(スペアカー)でのピットスタートとなってしまった。結局、この年1度も入賞することはできず、資金難に苦しんだチームはこの年をもって撤退した。

排気量が3,000 ccに縮小された1995年には、リジェに新エンジン「MF301H」を供給。1996年モナコGPでは、荒れたウェットレースをオリビエ・パニスが制し、無限-ホンダに初勝利をもたらした。しかし、翌1997年にリジェを買収したプロストはオールフレンチチームを目指していたため、当時プジョーエンジンを使用していたジョーダンと交渉の末、エンジンをスワップする形となった。

1998年からジョーダンにエンジンを供給することになり、同年のベルギーGPで、元ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルが勝利し、このシーズンでチームはコンストラクターズランキングで4位となった。翌1999年ハインツ=ハラルド・フレンツェンが2勝を挙げ、終盤までドライバーズチャンピオン争いに絡む活躍を見せ、コンストラクターズランキングで3位にまで躍進した。

ジョーダンへのエンジン供給は2000年まで続いたが、その年よりホンダがエンジンコンストラクターとして復帰したこと、チーム代表のエディ・ジョーダンが、B・A・Rと同等のワークスエンジンをホンダに要求、2001年からの供給が決まったことで、無限のF1活動は2000年限りで終了した。

なお、F1公式サイトでは"MUGEN HONDA"表記[7]となっており、テレビ中継時表記は"HONDA"と記載していた。

これらの一連のF1参戦は、当初「(ホンダF1の)第2期で得た経験を、いつかF1に復帰した際にそのプロジェクトに引き継ぐ」ことを目的としてスタートしたが、実際には第3期の活動は無限とは全く関係のないところでスタートし、無限ホンダに関わっていた人間には(ホンダの人間ですら)全く声がかからなかったという[8]。背景にはホンダ社内の派閥争いがあったと目されており、実際には2002年頃から無限ホンダの関係者も第3期活動に参加するようになるものの、結果として苦戦を強いられることになった[8]

変遷および成績

[編集]

(key) (太字ポールポジション

エンジンチームシャーシタイヤNo.ドライバー1234567891011121314151617ポイント順位
1992年MF-351H
V10, 3.5
フットワーク
グランプリ
インターナショナル
FA13GRSA
南アフリカ連邦の旗
MEX
メキシコの旗
BRA
ブラジルの旗
ESP
スペインの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
67位
9イタリアの旗ミケーレ・アルボレート1013655777797Ret7615Ret
10日本の旗鈴木亜久里8DNQRet71011DNQRet12RetRet9Ret1088
1993年MF-351HB
V10, 3.5
フットワーク
無限ホンダ
FA13B
FA14
GRSA
南アフリカ連邦の旗
BRA
ブラジルの旗
EUR
欧州連合の旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
49位
9イギリスの旗デレック・ワーウィック79RetRet13Ret16136174RetRet151410
10日本の旗鈴木亜久里RetRetRet910Ret1312RetRetRetRetRetRetRet7
1994年MF-351HC
MF-351HD
V10, 3.5
チーム・ロータス107C
109
GBRA
ブラジルの旗
PAC
太平洋共同体の旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
ESP
スペインの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
欧州連合の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0-
11ポルトガルの旗ペドロ・ラミー
イタリアの旗アレッサンドロ・ザナルディ
ベルギーの旗フィリップ・アダムス
フランスの旗エリック・ベルナール
フィンランドの旗ミカ・サロ
108Ret11915RetRetRet13RetRet161810Ret
12イギリスの旗ジョニー・ハーバート
イタリアの旗アレッサンドロ・ザナルディ
7710RetRet8711RetRet12Ret131613Ret
1995年MF-301H
V10, 3.0
リジェ
ジタン ブロンド
JS41GBRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
欧州連合の旗
PAC
太平洋共同体の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
245位
25日本の旗鈴木亜久里
イギリスの旗マーティン・ブランドル
8Ret119Ret10*4Ret6Ret3Ret87RetDNSRet
26フランスの旗オリビエ・パニスRet796Ret484Ret69RetRetRet852
1996年MF-301HA
V10, 3.0
リジェ
ゴロワーズ ブロンド
JS43GAUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
EUR
欧州連合の旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
ESP
スペインの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
JPN
日本の旗
156位
9フランスの旗オリビエ・パニス768RetRet1RetRet7Ret75RetRet107
10ブラジルの旗ペドロ・ディニス108Ret107Ret6RetRetRetRetRetRet6RetRet
1997年MF-301HA
MF-301HB
V10, 3.0
プロスト
ゴロワーズ ブロンド
JS45BAUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
ESP
スペインの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
AUT
オーストリアの旗
LUX
ルクセンブルクの旗
JPN
日本の旗
EUR
欧州連合の旗
216位
14フランスの旗オリビエ・パニス
イタリアの旗ヤルノ・トゥルーリ
53Ret84211108471510Ret6Ret7
15日本の旗中野信治714RetRetRetRet6Ret1176Ret11RetRetRet10
1998年MF-301HC
V10, 3.0
ベンソン&ヘッジス
ジョーダン
無限ホンダ
198GAUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
AUT
オーストリアの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
LUX
ルクセンブルクの旗
JPN
日本の旗
344位
9イギリスの旗デイモン・ヒル8DSQ810Ret8RetRetRet7441694
10ドイツの旗ラルフ・シューマッハRetRetRet711RetRet16656923RetRet
1999年MF-301HD
V10, 3.0
199BAUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
ESP
スペインの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
AUT
オーストリアの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
EUR
欧州連合の旗
MAL
マラヤ連邦の旗
JPN
日本の旗
613位
7イギリスの旗デイモン・ヒルRetRet4Ret7RetRet58Ret6610RetRetRet
8ドイツの旗ハインツ=ハラルド・フレンツェン23Ret4Ret111443431Ret64
2000年MF-301HE
V10, 3.0
EJ10BAUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
GBR
イギリスの旗
EUR
欧州連合の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
AUT
オーストリアの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
JPN
日本の旗
MAL
マラヤ連邦の旗
176位
5ドイツの旗ハインツ=ハラルド・フレンツェンRet3Ret176Ret10Ret7RetRet66Ret3RetRet
6イタリアの旗ヤルノ・トゥルーリRet415612RetRet66Ret97RetRetRet1312

ギャラリー

[編集]
  • サプライヤー 1992年 - 2000年

コンプリートカー

[編集]

シビックMUGEN RR

[編集]
MUGEN RR
→詳細は「ホンダ・シビックタイプR § シビック MUGEN RR」を参照

3代目(FD2型)シビックタイプRをベースに開発された[9]無限初のコンプリートカー[10]。300台限定で販売されたが、発売から10分で完売した[11]

CR-Z MUGEN RZ

[編集]

2012年にマイナーチェンジを行ったCR-Zをベースに、「誰もが熱い走りを楽しめる車」というコンセプトで発表された無限のコンプリートカー第2弾。過給機装備によるネガティブな要素を抑えるために選択された遠心式スーパーチャージャーにより、エンジンパワーは30%引き上げられ、足回りなども強化されている[9]

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]


出典

[編集]
  1. ^法人番号4030001045120
  2. ^商標登録日本第1519266号「無限 mugen」ほか
  3. ^『GP Car Story Special Edition MUGEN-HONDA』(三栄、2021年10月)pp.6 - 7
  4. ^2023年 M-TECモータースポーツ活動概要”. 無限 MUGEN. 2023年4月7日閲覧。
  5. ^神電は、年度毎に漢数字でモデル名が名づけられている。例えば2017年モデルは神電六、2018年モデルは神電七といった具合である。
  6. ^『Racing On 2009年4月号』三栄書房、2009年、40-45頁。JANコード 4910096810499。 
  7. ^(2000年コンストラクターズランキング)
  8. ^ab『GP Car Story Vol.31 Jordan 199』三栄、2020年4月、34 - 39頁。 
  9. ^ab「無限」のかっこよすぎるチューニングカー5選”. car-me.jp. 2022年2月12日閲覧。
  10. ^無限 | MUGEN RR | MUGEN RR プレスリリース”. www.mugen-power.com. 2022年2月12日閲覧。
  11. ^“10分で完売! シビックMUGEN RR”. https://response.jp/article/2007/09/14/99192.html 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
創設者
主な関係者
SUPER GTドライバー
スーパーフォーミュラドライバー
主要ドライバー
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
関連組織
ジョイント
メンテナンス
関連項目
  • 主要タイトル一覧
JGTC/SUPER GT
ドライバーズ
GT500クラス
GT300クラス
チーム
GT500クラス
GT300クラス
スーパーフォーミュラ
ドライバーズ
チーム
JTC/JTCC
ドライバーズ
チーム
2025年のスーパーフォーミュラ 参戦チームと出走ドライバー
VANTELINTEAM TOM'SKONDO RACINGDOCOMO
TEAM DANDELION RACING
Kids comTeam KCMGHAZAMA ANDO
Triplr Tree Racing
ThreeBond Racingdocomo business
ROOKIE
1日本の旗坪井翔3日本の旗山下健太5日本の旗牧野任祐7日本の旗小林可夢偉(Rd.1-2,5-12)
日本の旗野中誠太(Rd.3-4)
10日本の旗Juju12日本の旗三宅淳詞14日本の旗大嶋和也
37フランスの旗サッシャ・フェネストラズ4イギリスの旗ザック・オサリバン6日本の旗太田格之進8日本の旗福住仁嶺
TEAM MUGENITOCHU ENEXWECARSTEAM IMPULKDDITGMGPTGR-DCSANKI VERTEX PARTNERS
CERUMOINGING
San-Ei Gen withB-MaxPONOS
NAKAJIMA RACING
15日本の旗岩佐歩夢19日本の旗野中誠太(Rd.1-2)
日本の旗小林利徠斗(Rd.3-4)
デンマークの旗オリバー・ラスムッセン(Rd.5-12)
28日本の旗小高一斗38日本の旗阪口晴南50日本の旗小出峻64日本の旗佐藤蓮
16日本の旗野尻智紀20日本の旗高星明誠29日本の旗平良響(Rd.1-5)
日本の旗野中誠太(Rd.6-10)
39日本の旗大湯都史樹65ブラジルの旗イゴール・フラガ
2022年度HONDASUPER GT 参戦リスト
GT500
GT300
F1エンジンメーカー
2025年シーズン
今後参戦する予定の
メーカー
かつて参戦していた
メーカー
決勝レース不出走の
メーカー
  • 太字コンストラクターズタイトルを獲得したメーカー。
    斜体はコンストラクターズタイトル獲得経験はないが、優勝経験があるメーカー。
    1952年1953年の世界選手権はフォーミュラ2のレギュレーションで実施されたが、この期間に参戦したメーカーは本表に含まれる。
    1950年から1960年に行われたインディ500はF1世界選手権の1戦として開催されたが、インディのみに参戦したメーカーは含まれない。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=M-TEC&oldid=107347801」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp