IBM PC (IBM 5150) はマイクロソフトBASIC(IBMカセットベーシック)をROMに搭載し、モノクロディスプレイを利用できるMDAアダプタか、標準的なテレビを利用できるCGAビデオカードかを選択できた。標準記憶装置はカセットテープで、フロッピーディスクはオプションでハードディスクは利用できない。5つの拡張スロットを装備し、IBM純正の最大拡張メモリ容量は256KBで、メイン基板上の64KBと3本の64KBの拡張カードという構成であった。CPUは4.77 MHzの8088で(1978年 初期バージョン。インテル版は1978年、1982年、1982年のバージョンがあり、1983年以降はAMDのセカンドソース版も採用された)、日本電気 (NEC)V20と交換することで若干高速化できた。また8087コプロセッサを追加することで計算処理能力を強化できた。IBMは9、36、16 KBのDRAMチップのいずれかを使って16KBまたは64KBのRAMをプリインストールした構成で販売した。最終的にはより多くの拡張ボードスロットを搭載し、同時にハードディスクを搭載可能な拡張筐体 IBM 5161 をリリースした。IBM PCは家庭市場向けとしては高価すぎたが、意外にもビジネス市場で大きな成功を収めた。
シアーズ・ローバックとコンピュータランド(英語版)の経営者は当初よりIBMのチームと関与していた。IBMの社員、特にセールス&マーケティングの担当者である H・L・スパークス(英:H. L. Sparks)は、市場についての知識の多くを彼らに頼っていた。彼らは流れとしてはほぼ自動的に新商品の主要販売元となるはずだった。シアーズローバックはできる限りの総合施設を準備しており、そしてコンピュータランドがすでに190以上の店舗を所有していたことは特に重要だった。IBMとしてみれば発表と同時に全米中で十分販売できるということだった。結果的には、家庭市場よりも(元々からターゲットとされていた)オフィス市場に対して販売される結果となり、シアーズ・ローバックは失敗に終わった。
競合他社はまもなく機能的に等価なコピーを合法的に生産するためリバースエンジニアリングを行い、権利侵害を避けるためのBIOSのクリーンルーム設計に着手した。コロンビア・データ・プロダクツ(英:Columbia Data Products)は最初のIBM PC互換機を1982年に発表した。コンパックは最初のIBM PC互換のポータブルマシンを1982年11月に発表した(1983年3月まで出荷されなかった)。
IBM PCが商業的に成功すると、PCはIBMのいつものクローズドなライセンス形態に戻されたが、結果的には競合他社が市場をリードすることの邪魔にはならなかった。この点について、IBMが彼らのプロダクトラインを「合理化(高価格モデルとの「競合」を防ぐために低価格モデルのパフォーマンスを意図的に制限)」するという慣例は逆効果であった。
IBM PCの特徴として、市場で容易に入手可能なパーツのみで構成された事、拡張スロットによりビデオの拡張が容易であった事などが挙げられる。後継のIBM PC XTやIBM PC ATもそれらを継承し、後継のバス規格やビデオ規格も上位互換を保ち、互換性と拡張性の両立が図られた。オリジナルのPCで使われたバスは広く普及し、後にEISA陣営によってISAとして標準化された。
公式にはIBM PC (IBM 5150)の標準記憶媒体はカセットテープである。このテクノロジーは1981年の基準でも既に時代遅れであり、あまり利用されることは無く、フロッピーディスクドライブがインストールされないほとんどのIBM PCは在庫となった。1981年のPCは1~2台の160KBの5.25インチ片面倍密度(1D)フロッピーディスクドライブを搭載し、IBM PC XTは通常1台の両面360KBドライブを(ハードディスクの隣に)搭載した。
IBM PC XT - 1983年発表。ビジネス用に拡張された機種である。8つの拡張スロットと10MBのハードディスクを搭載していた。64 KBのDRAMが導入され、メインボード上に256KBのメモリを搭載でき、後発のモデルは640KBまで拡張可能(384KBのBIOS ROMとビデオRAM空間で8088 CPUの1MBある残りのアドレス空間が占有されていた)。通常はモノクロディスプレイアダプタ(MDA)ビデオカードとセットで販売された。このときはまだCPUが4.77MHzの8088であり、拡張バスはXTバス(後に8ビットISAとして標準化)であった。
IBM PC AT - 1984年発表。当初は6 MHzのIntel 80286をCPUに採用。16ビットのATバス(後に16ビットISAバスとして標準化)と20MBのハードディスクを搭載していた。1986年により高速な8 MHzで動作する機種が発表された。IBMはこれをマルチユーザーマシンとして市場に売り込もうと試みたが、主にパワーユーザーに対してより高速なPCとして売れた。初期のATは一部のソフトとハードの非互換性のために信頼性が低かったが、主に内蔵の20MBのハードディスクと関連していた。IBMのハードディスクコントローラーカードに問題があるという人もいれば、Computer Memories Inc. (CMI)の製造するハードディスクに問題があるという人もおり、CMIの33MBモデルを含むそれ以外のドライブではIBMコントローラーカードは問題なく動作した。この問題はコンピュータに対する疑念を招き、この間に286アーキテクチャも問題があるように世間で考えられたが、後にIBMは20MBのCMIのドライブをリプレースし、ATの信頼性が認められて今日に至るまで最も広く使われているパーソナルコンピュータの工業規格となった。