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BAe 146
ブリュッセル航空のBAe146
BAe 146とは、ブリティッシュ・エアロスペース(現BAEシステムズ)が開発、製造していた乗客数82人から112人乗りの4発ジェット旅客機である。小型機にもかかわらず、ジェットエンジンを4発搭載しているという希少な機材でもある。
イギリス製の中短距離向けジェット旅客機であるBAC 1-11の後継として、中短距離の路線を運航するリージョナルジェットを目標に開発された。
小型機としては世界で唯一の4発機であるが、それは同規格の旅客機とは違い、低騒音と高離着陸性能 (STOL) を狙っているためである。
また、ジェット旅客機では珍しい高翼構造やテールコーンを左右に開くエアブレーキを採用している。
BAe 146はこれらの理由から、短い滑走路や騒音規制の厳しい空港を発着する近距離路線を中心に就航しており、都心に近いため騒音制限が厳しく、かつ滑走路が短いロンドンシティ空港ではこの機体を多く見ることが出来る。
1960年代初期、デ・ハビランド・エアクラフトはターボプロップエンジンを搭載する小型双発機の設計を始め、支線向け高翼旅客機DH.123と名づけられた[1]。その後、デ・ハビランドはホーカー・シドレーに吸収合併され、ターボファンエンジン搭載の双発低翼機HS.144へと受け継がれた。しかし、適当な出力を発揮できるエンジンが見当たらず、開発は停滞した。
1971年にホーカー・シドレーの開発陣は、アメリカ製のアブコ・ライカミング ALF 502を4基搭載した高翼配置の4発機設計を採用した。これをHS.146と指定され、1973年8月29日にイギリス政府の支援をとりつけ、開発計画が承認された[1]。直後に起きたオイルショックにともなう世界的景気の失速のため、計画の進行は後回しにされた。その間にホーカー・シドレーは、ブリティッシュ・エアロスペースの傘下に入り、1978年7月10日に政府の支援が回復され、HS.146の設計は、いくつかの近代化がなされ、BAe 146として開発は再開された。
試作機の初飛行は、BAe 146 シリーズ 100が1981年9月3日、シリーズ 100の胴体延長型のシリーズ 200が1982年8月1日である。1983年に欧州航空規則 (Joint Aviation Requirements) による型式証明を取得、イギリス-スイス間で初就航した。
BAe 146の基本的な特徴は、15度の後退角をもった高翼配置の主翼とT字尾翼である。シリーズ 100は、各々31 kN (3,162 kgf/6,970 lbf) の出力をもつ4基のアブコ・ライカミング ALF 502R-5ターボファンエンジンを搭載したが、初期生産型はALF 502R-3エンジンを搭載した[1]。降着装置は前輪式で、すべて引き込み式の2輪ボギーである。後方の主脚は胴体に引き込まれ、前輪は機首側へ引き込まれる。
イギリスのみならずヨーロッパ諸国の航空会社で多く導入された他、アジアやアメリカ、アフリカの航空会社にも多く導入され、2001年まで生産された。BAe 146の派生型としては、シリーズ 100、シリーズ 200、シリーズ 300がある。
後期にはグループ内の組織改編によりアブロライナーと呼んでいた。そのためアブロ 146と呼ばれたり、4発機であることからジャンボリノの愛称もある。現在もヨーロッパの航空会社を中心に運行されており、貨物機として運航されているケースもある。
日本の航空会社がBAe 146を運航したことはなかったが[注 1]、イギリス王室専用機として飛来した他、中華人民共和国の航空会社が日中間の定期航空路線に使用したことがあった。
1990年代前半に中国東方航空が上海―長崎間で使用していたほか、1996年に開設された中国西北航空(現在は中国東方航空に吸収合併)が開設した広島発上海経由西安の路線(現在では上海までしか運航されていない)では当初この航空機が使われていた。
1993年に、エンジンを換装した上に操縦系統を近代化し、名称を変更し、アブロ RJ (Avro RJ) となった。各型は、RJ70、RJ85、RJ100としているが、それぞれ定員を示したものであり、さらに定員を増加したRJ115もある。2001年には生産を終了した。
BAe 146/Avro RJシリーズでは14件の全損事故・事件が発生しており、計294人が死亡している[2][3]。
(過去のものも含む)
注釈
出典