この項目では、現代のステルス爆撃機について説明しています。1930年代の爆撃機については「B-2 (航空機・初代) 」をご覧ください。
ノースロップ・グラマン B-2 (英語 :Northrop Grumman B-2 Spirit )は、アメリカ空軍 のステルス 戦略爆撃機 である。開発・製造はノースロップ・グラマン 社が担当した。水平尾翼 および垂直尾翼 が無い、全翼機 である。愛称はスピリット (Spirit、魂、精神の意)。
同質量 の金 と同価値[ 注 1] と言われるほど非常に高価な機体であり、高額な維持費や冷戦終結といった諸事情が重なった結果、当初132機の製造が予定されていたが実際に製造されたのは試作機を含めて21機に留まった。製造されたB-2は1機ごとに「Spirit of ~(大半は米国の州の名)」のパーソナルネームが与えられており、本機の着陸装置 の主脚のドア外部にそれが記載されている。
ノースロップのステルス技術の原型となったタシット・ブルー B-2の開発は、ステルス性 や長い航続距離などの要求の下に1978年 から開始された。その当初は、ソビエト連邦 の防空網をかいくぐり、ICBM 発射基地や移動式ICBM発射台に短距離攻撃ミサイル により核攻撃を加えることを主目的としていた。開発初期は極秘プロジェクト(Project Senior C. J.、後にATBと改名)として当初米空軍 上層部ですら開発は機密扱いであった。ATB(Advanced Technology Bomber、先進技術爆撃機)という計画名は知られるようになったものの、1988年 4月に想像図が公表されるまでは公式情報はほとんどなかった。
B-2の開発は米ノースロップ・グラマン 社と米ボーイング 社が共同で行い、米ボーイング社がコックピット 部と本体の中央部、残りをすべてノースロップ・グラマン社が担当した。1982年 に6機のプロトタイプ 用の予算が組まれ、1988年11月22日 に最初の機体82-1066がパームデール のアメリカ空軍第42プラントからロールアウトされた。セレモニーは非常に慎重に計画され、招待された500名のゲストは地上からはB-2の正面のみ観覧が可能であったが、上空からの規制は手が抜かれていて、小型セスナ機 により上空から撮影された写真が残されている。
初飛行は当初1989年 7月15日 に予定されていたが(予算編成時は1987年 の予定だった)、燃料系のトラブルのため延期され、最終的には7月17日 にエドワーズ空軍基地 にて行われた[ 1] 。
開発当初は132機の製造が予定されていたが、あまりにも高額な上、維持費も高額であることから結局生産されたのは試作機を含め21機のみで、全機アメリカ空軍に引き渡され、他国への輸出はなされていない。アメリカ空軍は2008年に後述の墜落事故で1機を喪失しており、2021年 の時点でB-2を20機保有している[ 注 2] 。
飛行中のB-2爆撃機 F-117 と同じくステルス性 を最重要視した形となっているが、F-117が直線的な多角形 によって構成された機体デザインだったのに対して、B-2は曲線的なシルエットとなっている。これはF-117が数学的・幾何学的なアプローチで設計されたのに対し、元ヒューズ社のレーダー技術者であるジョン・キャッセンの経験により、乱反射の低減を主目的にし機体に凹凸や鋭角を作らないことを根幹として、粘土を使った模型による実験により開発されたステルス技術を用いたことによる。また、F-117 開発当時はコンピュータの計算能力が低く、曲面のシミュレーションが難しかったために粗い平面の組み合わせで妥協したのに対して、B-2開発時にはクレイ 社のスーパーコンピュータ で曲面がシミュレーション可能となったことも大きく進歩した点である。「空飛ぶ翼」 (flying wing) の概念を大きく踏襲し、垂直尾翼および水平尾翼を有していないため、コンピューターの制御無しでは飛行困難な形状となっており、操縦系統には4重のフライ・バイ・ワイヤ が組まれている。また、ヨー方向安定とその制御 のための垂直尾翼とラダー が存在しないため両翼端にドラッグ・ラダー(スプリット・ラダー)を装備しており、通常飛行時は常に両端をわずかに開いて空気抵抗を発生させヨー安定を確保している。高いステルス性が必要な任務遂行時はレーダー反射を抑えるためドラッグラダーを完全に閉じ、左右のエンジン出力の増減によりヨー方向制御を行っている。機体下部に設けられたタキシングライト(航空標識灯)は、通常時は翼の表面から突出した状態となっているが、任務遂行時はその突出部分がステルス性を妨げるため、機体に格納して平滑な状態にする機能が設けられている。
尾翼が無いことはレーダー反射断面積 減少の面で有利となっており、B-2の機体表面はレーダー 波を吸収してそのエネルギーを熱に変換するグラファイト /エポキシ 複合材 (RAM:Radar Absorbent Material) で覆われているほか、内部構造には非公表ながらレーダー波を吸収するハニカム構造 が大量に採用されているとされる。機体表面を環境変化などから保護するために表面には無数の小さな孔があけられており、本体内で発生した水蒸気などを外部へ逃して変形を防ぐ設計がなされている。
4基搭載された米ゼネラル・エレクトリック 製F118-GE-110 ターボファンエンジン は、レーダー波を反射するエンジンファンが機体正面から露出しないように大きく曲げられたダクトを介して機体内部に深く埋め込まれている。吸気は通常のエンジン へのエアインテーク へ、そのやや前部に刻まれたジグザグ状の切れ目の2つに分けられたエアインテークから取り入れられる。また、排出口は赤外線による下方からの探知を避けるために機体上面に開口している。さらに排気温度を下げるため、排出前の排気には冷気が混合されて温度が下げられ、長く作られた排出口以降の翼上部には熱吸収材でできたタイル が並べられている。初期の設計では飛行機雲 の発生による目視での探知を回避するための薬剤(おそらく塩化フッ化スルフリル [ 注 3] )をエンジン排気に混入させる装置が取り付けられていたが、量産機では装置を取り付けず、飛行機雲ができやすい空域での飛行を回避するとともに、代わりにLiDAR を用いて飛行機雲が偵察機に視認される状況下での飛行を回避するようにされた[ 4] 。
また、B-2は、前脚両側ベイに2基の攻撃目標探索・航法用の米レイセオン (ヒューズ・エアクラフト )社製AN/APQ-181Ku-バンド フェーズドアレイレーダー を装備しており、ステルス性を阻害しないように自機の放つレーダー電波の周波数のみを通す選択透過性の高いカバーで覆われている。アクティブ・レーダー使用時にはステルス性が失われる危険があるため、レーダー波の照射は爆撃直前に地上の標的近辺のみを対象に限って行なわれるようになっている。Kuバンドによる目標の精密画像データは、搭載のGPS 援用目標照準システム (GPS aided targetting system; GATS) によるJDAM 爆弾 投下の精度を向上させる。このレーダーは開発時はC-135 に搭載されテストが行われていた。
自衛用にAN/ALQ-161電子妨害システムとAN/APR-50レーダー分析警報装置を搭載している。AN/ALQ-161電子妨害システムは多数の敵ミサイル ・敵航空機 ・地上からの捜索レーダー波を尾部警戒を含めて360度警戒を行い、複数の探知に対して直ちに適切な複数の妨害電波を送信できる。
コックピットには4台の多機能カラーディスプレイ が設置され、パイロット は左側、コパイロット を兼ねる兵装担当士官 (Weapon System Officer; WSO) は右側のマクドネル・ダグラス 社製ACES-II上方射出シートに座る。これら通常の搭乗員2名のほかに3人目の搭乗用スペースも設けられているほか、WSOの座席の真後ろには長時間航行を想定して簡易トイレおよびギャレー 、さらにコクピット後方には仮眠用スペースも用意されている。操縦は4重のフライ・バイ・ワイヤ でコンピュータによってアシストされている。兵器管理システムにはIBMフェデラルシステムズのAN/APR-50 (ZSR-63) およびZSR-62ディフェンス補助システムの搭載が予定されている[ 1] [ 5] 。
空中給油を受けるB-2爆撃機 機体と任務の性格上、空中給油 受油能力があり、コクピットの後方の機体上面にフライングブーム 方式の給油口(リセプタクル)が装備されているが、ステルス機という性格上、リセプタクルは隠匿式となっており、使用時には給油口部分の外板が180度回転し、裏側にあるリセプタクルが露出するようになっている[ 6] 。
AGM-158 JASSM-ER 空対地ミサイル を投下するB-2B-2では、搭載する航法コンピュータに備わる敵の軍事地理の情報を利用し、最も安全な飛行ルートを設定可能である。また、標的から半径8マイル(約13km)以内にまで到達できれば、250 - 5,000lbsのJDAM (Joint Direct Attack Munition)装着誘導爆弾 によりピンポイントでの目標破壊も可能である。JDAMの高空からの滑空距離は27km程度である。この爆弾 は、B-2上に搭載されたSBRA(Smart Bomb Rack Assembly)上で再プログラム可能であり、天候やターゲットの変更などに応じて臨機応変に対応できる。B-2には通常16発の2,000lbs爆弾が搭載される。他にも、AGM-158巡航ミサイル (JASSM)や5,000lbs(約2.8t)のバンカーバスター (ペイブウェイ )GBU-28 を最大8発、B61 Mod 11 貫通型核爆弾なら最大16発搭載することができる。今後、SDB小直径誘導爆弾 の運用能力付加が予定されている[ 7] [ 5] 。
B-2は1機20億ドル以上(1ドル100円として約2,000億円)という高価な航空機 で、世界一 高価な飛行機としてギネスブック にも登録されている。例えば、世界的に見ても巨大かつ高価なイージス艦 、あたご型護衛艦 は1隻約1,453億円であり、B-2の価格の高さがうかがい知れる。
開発当初は132機製造を予定していたが、取得費だけでなくステルス性 確保のため、7年に一度コーティングの再塗装が必要など維持費も高額で、また冷戦 終結もあり結局、試作機を含む全21機しか製作されていない。量産されれば単価は下がるが、先進軍事技術が多数使用された特別な航空機 のため友好国への供与は現在も行われていない。
維持費は殆どがその滑らかな機体を研ぐためのものである。F-117の開発責任者、スカンクワークス のベン・リッチは費用対効果の観点からこの機体を酷評した。ただしF-117もレーダー波吸収用特殊素材コーティングのチェックのため、維持費が高額であるのは同様で、この為2008年 をもって退役している。
離陸するB-2爆撃機 B-2はステルス性 維持が最重要なため、かつては、湿度・気温などを完全にコントロールされるホワイトマン空軍基地 (ミズーリ州 )の専用ハンガー にのみ駐留し、ほかの基地に展開することは無かった。アフガニスタン 空爆などの際もホワイトマン空軍基地から離陸し、空中給油 を繰り返して爆撃 を行った。このため 1回の作戦行動が40時間を超える事もあった。それ以降は、B-2用簡易ハンガーが開発され、これを設置した基地からの発進が可能となり、2003年 のイラク戦争 ではディエゴガルシア島 から出撃した。現在グアム島 のアンダーセン空軍基地 にも時折派遣されることがある。設計開始時と異なり、担当ミッションは核攻撃ではなく通常爆弾 (誘導爆弾 )投下が主任務である。
2013年 3月27日 、3度目の核実験 を実施した北朝鮮 を抑止する目的で2機のB-2がホワイトマン空軍基地から無着陸で黄海 に飛来。毎年実施していた米韓軍事演習フォールイーグル (英語版 ) へ参加した。
2024年 7月19日 、環太平洋合同演習 リムパック2024に参加(参加部隊不詳)。標的艦タラワ に新型誘導爆弾「クイックシンク」を命中させることに成功した[ 8] 。
2011年リビア内戦 に投入されたほか、2017年1月には再びリビア国内に展開し、ISIL 軍事訓練キャンプを空爆している。2017年のケースでは、2機のB-2をホワイトマン空軍基地から出動させ、34時間かけて北アフリカ入りさせた[ 9] 。
2025年 6月22日 、イランの核施設へのアメリカの攻撃 において、イラン核施設攻撃のためのGBU-57/B MOP (バンカーバスター )運用母機として、少なくとも計7機のB-2がホワイトマン空軍基地 から投入されたと報じられた[ 10] [ 11] 。またこの作戦に際し、東廻りの爆撃実行飛行隊と別に囮の飛行隊が西廻りで同型機飛行が確認報道されていて[ 注 4] 、この作戦で米国保有する同型爆撃機の半分以上を飛行稼働させ実行し、特筆する作戦となっている[ 12] 。
詳細な配備状況に関しては以下に記載する。
第509爆撃航空団(509th Bomb Wing)、ホワイトマン空軍基地(ミズーリ州)第13爆撃飛行隊(13th Bomb Squadron) 第393爆撃飛行隊(393rd Bomb Squadron) 第394戦闘訓練飛行隊(394th Combat Training Squadron) 第53航空団(53rd Wing):エグリン空軍基地 (フロリダ州 )第72試験評価飛行隊(72nd Test and Evaluation Squadron):ホワイトマン空軍基地(ミズーリ州) 第57航空団(57th Wing):ネリス空軍基地(ネバダ州 )第325兵器飛行隊(325th Weapons Squadron):ホワイトマン空軍基地(ミズーリ州) 第715兵器飛行隊(715th Weapons Squadron): 現在未稼働 2006年の核爆弾用の電気信管が台湾に送られる不手際などから[ 13] 、2010年2月1日にB-52とB-2の全管理を地球規模攻撃軍団 へ移管された[ 14] 。
パーソナルネームとして、2機にはそれぞれSpirit of America 、Spirit of KittyHawk の名が、残りにはSpirit of 州名 の形式で名がつけられている[ 15] 。
国立アメリカ空軍博物館 で展示されているB-2試験機の Spirit of Freedom は、2003年12月16日から国立アメリカ空軍博物館 で展示されている[ 16] 。
B-2爆撃機 は極めて高度な軍事兵器 であり、秘密保持には最高度の注意が払われている。機体の写真撮影はアングルや撮影距離などが厳重に管理・制限される。兵器を搭載して戦闘準備を整えた状態のコックピット内映像撮影も禁止されている。
2005年 10月、中華人民共和国 に情報を売り渡したとして、設計者の一人だったノシル・ゴワディア が逮捕された[ 17] 。
墜落したB-2 2008年2月23日、アンダーセン空軍基地からホワイトマン空軍基地へ向かった1機 (89-0127 Spirit of Kansas) が離陸直後に墜落。搭乗員2名は射出座席 によって緊急脱出して無事だった[ 18] 。事故後の調査の結果、原因はアンダーセン空軍基地が所在するグアム の高温・多湿な環境に起因する湿気によるセンサー等の電気系統トラブルと判明。その後直ちに全機に対して湿度対策工事が施されている。 2010年2月26日、アンダーセン空軍基地で離陸準備中の機体 (88-0332 Spirit of Washington) エンジン1基に火災発生、大きく損傷する。1年2ヶ月に及んだ応急修理後、2011年8月に、カリフォルニア州のノースロップ・グラマン パームデール工場まで飛行し移動した。2013年12月16日に修復完了、訓練飛行が実施された[ 19] 。 2022年12月10日 - 飛行中の機体 (90-0041 Spirit of Hawaii) でトラブルが発生。その後、ミズーリ州 のホワイトマン空軍基地 に着陸を行った際に火災が発生して機体が損傷した。損傷程度は不詳だが、同基地は数日間にわたり滑走路が使用不能となった[ 20] 。 爆撃を行うB-2爆撃機 B-2の初実戦は1999年 のコソボ紛争 のアライド・フォース作戦 である[ 21] 。初飛行から10年も経ってからの実戦であるが、それまで実戦経験が無かった理由としては、
あまりに高価であり、偵察 ・撃墜・鹵獲 などによる機密漏洩への懸念から、軍部が出撃させるのをためらっていた(コソボ紛争でも、同じく機密のF-117 が撃墜される事態が発生していた)。 当初、爆撃機 に搭載できる精密誘導爆弾 が無かった。高度な照準器 を用いても、無誘導爆弾 は一般市民を巻き込む可能性が高いため、爆撃機の出動は控えられた。これはB-52 など他の爆撃機も同様である。その後GPS /INS 誘導爆弾が開発され、B-2や従来の爆撃機でも精密爆撃 が可能となった。 単に本格的な空爆を伴う軍事作戦が無かった。 同紛争中、セルビア の中華人民共和国 大使館 への誤爆 が発生した。アメリカ 及びNATO は、古い地図を用いて目標を設定したミスによる誤爆であるとして中国に謝罪した。しかしながら、当時ユーゴスラビア連邦共和国 大統領であるスロボダン・ミロシェヴィッチ と中国は親密な関係にあり[ 22] 、セルビアに撃墜されたF-117の残骸を運んでいた中国大使館地下室を爆撃したという見方もあった[ 23] 。
2025年6月には、イランの核施設へのアメリカの攻撃 (Operation Midnight Hammer)が行われた[ 24] [ 25] 。
B-2 三面図 などから最大17tまで選択可能
2020年代のAgile Combat Employmentという試みにより、B-2が普段は使用していない基地や空港に降りた場合でも給油作業を担えるようパイロットによる給油作業が行われる[ 26] 。
任務中の食事は、一つしかない操縦席後ろで間仕切りの無いトイレの回数を少なくするため、チーズ抜きの脂分の少ない七面鳥の肉が挟まったサンドウィッチである[ 27] 。
簡易ベッドによる仮眠が行える。作戦中に覚醒状態を維持するため、go pillsと呼ばれるアンフェタミン を摂取することも許可されている[ 28] 。
アメリカ空軍最初の全翼式ジェット爆撃機であるYB-49 YB-49とB-2の翼幅はほぼ同じである 実用的な全翼機 の製造はノースロップ の創業者であるジャック・ノースロップ の夢であり、同社自体が彼の夢を実現するために何度も設立されたものである。しかし彼の夢は最大の挑戦、YB-49 爆撃機 の開発失敗によって頓挫し、1952年 失意のうちに彼は航空工業界を引退する。その後ノースロップ社はF-89 やF-5 などの堅実な設計の機体開発に努めることとなる。
1980年 、パーキンソン病 に冒され余命幾ばくもないノースロップは本社に招かれ、存在自体が極秘機密であるにもかかわらず、軍の特別許可を得て製作されたB-2の完成記念模型をプレゼントされた。 この時ノースロップは車椅子に乗らなければ移動が困難な状態で、既に会話もままならなくなっていたが、一枚の紙に「Now I know why God has kept me alive for 25 years (なぜ神が私に25年間の余生を与えたもうたのか、その理由がわかった)」と書き残した[ 29] 。その翌年、ノースロップは全翼機に生涯を捧げた85年の人生に幕を閉じた。
^ B-2一機の価格は約2,000億円。2018年 2月時点での金価格は1gあたり3,700円超。B-2一機分の質量45tの金は約1,665億円超。 ^ オハイオ州 デイトンにある国立アメリカ空軍博物館 に一機が収蔵、展示されているが、この機体は静的強度試験に供された機体で、実戦に配備された実績は無い。主脚等一部の部品に、運用中の他機の部品が取り付けられている。^ 水分と接触すると塩化水素 ・フッ化水素 ・硫酸 からなるミストとなりジェットエンジン排気による飛行機雲の生成は防げる[ 2] 。しかしながら翼端乱流による飛行機雲の生成は防げないほか、当該物質はフッ化水素を発生させる猛毒であり、似た化学物質であるアメリカで使用される家屋燻蒸薬剤のフッ化スルフリル は強い温暖化ガス[ 3] であり、たとえ戦時下であっても国際戦時法に照らし放出は好ましいものではない(米国は化学兵器禁止条約 の締約国である)。 ^ 一部報道では囮飛行隊の方が爆撃飛行隊の方より機数が多いとの報道あり 陸軍航空部 1911 - 1924
昼間爆撃機 (DB) 夜間短距離爆撃機 (NBS) 夜間長距離爆撃機 (NBL) 地上攻撃機 (GA)
陸軍航空部陸軍航空隊 1924 - 1930
軽爆撃機 (LB) 中爆撃機 (B) 重爆撃機 (HB)
陸軍航空隊陸軍航空軍 空軍 1930 - 1962
爆撃機 (B) * =ミサイル 長距離爆撃機 (BLR) 戦闘爆撃機 (FB) 攻撃機 (A) (1924 - 1962)
命名法改正 1962 -