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7世紀

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(2023年3月)
千年紀:1千年紀
世紀:6世紀 -7世紀 -8世紀
十年紀:600年代610年代620年代630年代640年代
650年代660年代670年代680年代690年代
イスラム教の誕生。画像は天使ジブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。
聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム
岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが翼のある天馬(ブラーク英語版)に乗って「夜の旅(イスラー)」を行った聖地であり、それを記念してこの建物が建てられた。
玄奘三蔵。困難多い求法の旅の果てにインドに到達しヴァルダナ朝ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。画像は東京国立博物館所蔵の玄奘の肖像画。
ナーランダ僧院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ僧院跡。
マハーバリプラム。南インドのパッラヴァ朝の貿易港として発展した地域で「海岸寺院」ほか特色あるヒンドゥー建築が並び立った。画像は「ガンガーの降下」とも「アルジュナの苦行」とも知られている浮き彫り(レリーフ)で岩山に掘られたものとしては世界最大級を誇る。
ドヴァーラヴァティー王国チャオプラヤー川流域にモン人が築いた国家で、6世紀後半には国家体制の基盤がなされて、仏教を受容し独特の文化を開花させた。画像は、現在のタイのプラパトムチェーディー国立博物館が所蔵する漆喰の仏像で、プラパトムチェーディー寺院遺跡から発掘されたもの。
シュリーヴィジャヤ王国スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。
法隆寺聖徳太子により7世紀初頭に創建された寺院で焼亡の後、7世紀後半に再建されたとされる。以後西院伽藍は罹災に遭わず世界最古の木造建築物に認定されている。画像は中門と五重塔を含む法隆寺西院伽藍。
天寿国繡帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。
飛鳥の石造物奈良県明日香村飛鳥時代に都が置かれたこともあり、幾つもの遺構が残るが、その用途が知られないものも多い。画像は酒船石遺跡の小判形石造物と亀形石造物で、斉明朝の両槻宮との関連があるとも考えられている。
吐蕃の王ソンツェン・ガンポ。この王のもと吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。画像は王とその二人の妃である唐から来た文成公主とネパールから来たチツン。
唐の太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。
奉先寺大仏。洛陽近郊の龍門にある石窟寺院で、仏教信仰に篤い則天武后の命で造営されたもの。中央の大仏は毘盧遮那仏で、その顔は則天武后をモデルにしているといわれる。
パレンケ遺跡。この遺跡はマヤ文明の古典期を代表するもので、とりわけパカル王の墓所があった「碑文の神殿」は有名である。画像はパカル王の遺体に被せられていた翡翠仮面メキシコ国立人類学博物館蔵)。
皇帝ヘラクレイオスの栄光と蹉跌。サーサーン朝のホスロー2世を下し、「真の十字架英語版」を奪い返したことで東ローマ皇帝ヘラクレイオスの権勢は絶頂に達した。しかしその勝利も束の間、更なる強敵イスラム軍に大敗北を喫することになる。画像は15世紀の画家ピエロ・デラ・フランチェスカの壁画「真の十字架の歴史英語版」の「ニネヴェの戦い」の場面。
ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。
西ゴート王国の安定。7世紀のイベリア半島は「西ゴート・ルネサンス」または「イシドールス・ルネサンス」の時代とも呼ばれ、レケスウィント王のもとでは「西ゴート法典」の整備や、トレド教会会議の開催などの取り組みがなされた。画像は「グアラサールの宝物英語版」の一つであるレケスウィント王の宝冠(スペイン国立考古学博物館蔵)。

7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀

できごと

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600年代

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610年代

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620年代

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630年代

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640年代

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690年代

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700年代

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7世紀

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時代の動向

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東アジア

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大陸

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前世紀末に華北を再統一し、さらに南北朝の対立を解消した武川鎮軍閥出身の楊氏(普六茹氏)のが内乱の末に崩壊し、群雄割拠の中からやはり武川鎮軍閥出身の出身の李氏(大野氏)のが内乱を収拾して統一王朝を建設する。唐は建国当初はモンゴル高原東突厥の後塵を拝していたが、第二代皇帝太宗李世民はこれを屈服させて羈縻支配に置き、唐を世界帝国に成長させる。唐は武則天武周に取って代わった一時期を含め本世紀に最盛期を迎える。しかし、本世紀末の682年より東突厥は唐の支配より再び独立を果たし、唐と南北に対峙するようになる。

朝鮮半島

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日本

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日本では飛鳥時代古墳時代終末期)にあたる。

西アジア

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南アジア

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東南アジア

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ヨーロッパ

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人物

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イスラム世界

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ムハンマドと正統カリフ

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ウマイヤ朝

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キリスト教世界

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フランク王国

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ローマ教皇

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イングランド・アイルランド

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西ゴート王国

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東欧

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東ローマ帝国

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イラン

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インド・チベット

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中央アジア

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東アジア

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  • 煬帝(楊広)(569年 -618年) - 隋王朝第2代皇帝(在位604年 -618年)・高句麗遠征に失敗し殺害される
  • 陸法言(生没年不詳) - 隋の音韻学者・漢字発音の標準を定め『切韻』5巻を編纂・これは現存最古の韻書科挙にも影響
  • 竇建徳573年 -621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・高句麗遠征軍から逃れて河北で自立・宇文化及を倒すが李世民に敗北
  • 李密582年 -618年) - 隋末唐初に割拠した群雄・楊玄感の反乱に続いて挙兵し河南で自立・王世充に敗北する
  • 王世充(? -621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・洛陽にて恭帝侗を擁立・さらに自ら皇帝を名乗るが李淵に敗北

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渤海

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  • 大祚栄(? -719年) - 渤海の初代国王(在位698年 -719年)。東牟山に都城を築き独立・後に唐の冊封を受ける。

朝鮮

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日本

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脚注

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注釈

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  1. ^ただし、日本成立以前の倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。

関連項目

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外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、7世紀に関するカテゴリがあります。
7世紀の十年紀と各年
千年紀世紀
紀元前 (BC)
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BC4千年紀BC40世紀BC39世紀BC38世紀BC37世紀BC36世紀BC35世紀BC34世紀BC33世紀BC32世紀BC31世紀
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紀元 (AD)
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3千年紀21世紀22世紀23世紀24世紀25世紀
4千年紀以降
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