1897年の相撲(1897ねんのすもう)は、1897年の相撲関係のできごとについて述べる。
1月11日に英照皇太后崩御につき、東京相撲1月場所を30日間中断し、千秋楽が2月18日にまでずれ込んだ[1]。
9月6日、大阪相撲の八陣調五郎が横綱(神理教免許)となる。