| 人物情報 | |
|---|---|
| 全名 | 鳥飼玖美子 |
| 別名 | 町田玖美子 |
| 生誕 | (1946-03-21)1946年3月21日(79歳) 東京都港区赤坂 |
| 国籍 | 日本 |
| 出身校 | 上智大学外国語学部 コロンビア大学大学院 サウサンプトン大学大学院 |
| 配偶者 | 町田 |
| 両親 | 父:鳥飼正智(元 海軍主計少佐) |
| 学問 | |
| 研究分野 | 通訳論、翻訳論、異文化コミュニケーション論、英語教育 |
| 研究機関 | 立教大学ほか |
| 学位 | コロンビア大学大学院修士課程(英語教授法)、サウサンプトン大学大学院Ph.D.(通訳学) |
| 特筆すべき概念 | 日本における早期英語教育、異文化コミュニケーション |
| 学会 | 日本通訳翻訳学会 |
| 主な受賞歴 | ギャラクシー賞第13回期間選奨(1970年)、第61回NHK放送文化賞(2009年度)、第20回コムソフィア賞(2010年)、共同受賞=大学英語教育学会(JACET)「大学英語教育学会賞」学術出版部門(2014年) |
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鳥飼 玖美子(とりかい くみこ、本名:町田 玖美子、1946年3月21日 - )は、日本の通訳者・英語教育学者・通訳学者。立教大学名誉教授。
大学在学時から同時通訳者として活動し、23歳でアポロ11号の月面着陸の生中継(NETテレビ)、24歳で大阪万博期間中の特別番組(NHK総合、全21回)を担当するなど、若くして数々の大舞台を踏んだことで広く知られる[1][2][3]。のちに研究者に転身、英語教育や通訳学、異文化コミュニケーションを専門として積極的に発言を続ける[1][2]。NHKの英語講座をはじめ、メディア出演も多い。
東京都港区赤坂檜町5番地に生まれ育つ[† 1][1]。父は海軍主計少佐で、母はシンガポールで数年間を過ごした帰国子女だった。中之町幼稚園を経て、檜町小学校に入学した。3年次から母親の母校である東洋英和女学院小学部に編入した[1]。
小学2年生のころ、近くに住んでいた米国人家庭(父親が軍人)の少女と遊びたくなったが、ことばが通じないので、お互いに見つめあうだけだった。鳥飼は、英語での名前の聞きかたを自分の母親に問い、翌日また少女のもとへ出かけ、"What's your name?" と話しかけた。その少女ベッキーとは、一家が相模原に転居した後に泊まり込みで遊びに行くほど親しい関係となった。ベッキーとはほぼ会話なしで遊んでおり、彼女が帰国してからは交流が途絶えたが、その楽しかった想い出が英語に触れた原体験となった[1]。
東洋英和女学院高等部1年時、月刊誌『百万人の英語』の記事をきっかけに留学に関心を持ち、父親から高校生対象の留学プログラムがあるらしいと聞かされたこともあり、本格的に英語学習を始める。近所の米国聖公会の宣教師フレッド・ハナマン宅で開かれていた英語を話す会に毎週通い、大学生や社会人に交じって津田英語会の最上位クラスに週3回通った。AFS留学試験に1度落ちたが、翌年、2回目で合格した。1963年、AFS10期生としてニュージャージー州に10か月間留学した[1][4][5]。
留学中にスペイン語に親しむ機会があったことから、1965年、上智大学外国語学部イスパニア語学科に入学した[1]。同年、英検1級に最優秀で合格した[3]。通訳案内業試験にも合格したが、ガイド業には適性がないことを自覚したという[1][3]。
イスパニア語学科に入学し、スペイン語の習得に追われるなかで、英語を話す能力が落ちていることに気づき、危機感を抱く。1966年、国際会議のアルバイトを始めたところ、会議の場で行われている同時通訳に関心を持ち、前年に設立された国際会議運営会社アイ・エス・エスの訓練生となった[3]。自らが習得した英語がアメリカの高校生のような英語であることを指摘され、語彙も含め、アメリカでもイギリスでもない中庸の「大人の英語」を強く意識して取り組むようになる。
同年11月、国際青年会議所会議で同時通訳者としての活動を開始した[1][6]。最初のメディア出演は木島則夫モーニングショーで、準レギュラー格として頻繁に登場し、司会者が奈良和になるころまで出演した[1][3]。
1969年3月、上智大学を卒業した[7][8]。1969年7月、アポロ11号の月面着陸の際には、村松増美とともに生中継(NETテレビ、現在のテレビ朝日)を担当した[1][3]。1970年4月からは大阪万博期間中に毎週火曜日20時から放送された「万国博アワー」(NHK総合)のサブ司会者兼通訳者を務め、ギャラクシー賞第13回期間選奨を個人で受ける[9]。1971年、『こんにちわ鳥飼玖美子です』を出版し、さらに衆目を集めた[3]。1971年4月からラジオ番組「百万人の英語」の講師を務め、1992年9月の番組終了まで21年間にわたって出演した[1][6]。
1973年3月、数学者(当時、東京大学理学系研究科修士課程院生)の町田
1987年、2年後に開学することになった東洋英和女学院大学から英語教員の打診を受ける[3]。同年、東京で開講したコロンビア大学大学院の修士課程(英語教授法)に入学した[3]。1989年、東洋英和女学院大学人文学部に専任講師として迎えられる[1][6]。1990年10月、コロンビア大学大学院修士課程を修了した[6]。1993年に東洋英和女学院大学助教授[6]、1995年に社会学部に移籍[6]し、1997年に教授に就任した[6]。学生の将来の目標につながる英語の授業、自分らしい英語の習得に費やす単位数を課題とした[11]。1997年、立教大学から招聘され[1]、大学教育研究部英語科教授となる[6]。翌年、同観光学部観光学科[6]に転じると[12]、英語学習と実業の世界の橋渡しを考え、大きく変化する観光業[13]や国際機関を取り巻く社会の変化の展望[14]を示してきた[15]。
1998年からNHKの英語番組に継続して出演するようになる。2009年4月から2018年3月まで、NHK教育(Eテレ)「ニュースで英会話」の監修・講師を務めた[16][17]。2018年4月から2020年3月まで、NHK教育「世界へ発信!SNS英語術」に出演した[17]。2020年春の改編をもって22年間続いたNHK英語番組へのレギュラー出演が途絶えたが、後継番組「世界にいいね!つぶやき英語」に数回出演した。1年後、2021年4月から後継番組「太田光のつぶやき英語」に解説役としてレギュラー出演が復活した[18]。
日本の英語業界の現状に寄せる批判は厳しく、著書『TOEFL・TOEICと日本人の英語力』[19]ほかで論じてきた。文部省が2002年度夏に「英語を使える日本人を育成するための戦略構想」を発表して小学校の英語教育をとりあげると、著書『危うし! 小学校英語』で日本における早期英語教育に強い懸念を表明し[20]、その立場は変わっていない[† 2]。21世紀の世界はグローバル化することを理由として外国語教育で英語を中心にすえること、日本で広まる英語中心のコミュニケーションとは英語を単なる道具として使いこなせばよいとする考え方に一石を投じ、多くの民族と文化から成り立つ社会を比べる視点から、EUが全加盟国の言語を公用語として用いることと会議のたびに通訳者・翻訳者を入れる意義ならびに背景にある理念を紹介した。言語が人の「権利」であり、また「権力」として働くことを認めるなら、ある人の母語を公の場で使えなくするとは権利を奪うことではないかと問いかけた[22][23]。
大学の入学試験に民間試験を導入しようとする文部科学省の動きに警鐘を鳴らしてきた[24]。
東京都教育委員会が都立高校入試に用いるために2022年11月に実施を決めている「中学校英語スピーキングテスト」(ESAT-J)については、あまりに問題が多いことから「不公平な入学者選抜が行われる可能性が高い」[25]ため「強行突破は踏みとどまるべき」[26]として、反対の論陣を張っている[27][28][29][30]。
通訳者が要請に応えて十分に働くために専門教育が重要であり[31][32]英語教育のひとつの分野を当てて育てる存在と唱えている[23][33]。言葉の使い手が生まれ育った文化の特徴をそぎ落とすことが英語を含む外国語の教育に可能か、欠かせないものか、英語教育の視点から問い続けてきた[23][34]。
2003年、戦後の同時通訳者のパイオニアたち[† 3]にインタビューを始め、そのオーラルヒストリーを博士論文にできないかと考えた。2004年、大学教授として多忙ななかでも学位取得が可能な英国サウサンプトン大学人文学研究科の博士課程に入学。2007年6月、61歳で通訳学のPh.D.を取得した。同年、英語の博士論文を日本の読者向けに書き改めた『通訳者と戦後日米外交』を発刊した[2][35][36]。
2006年、立教大学経営学部国際経営学科教授[6]、2008年からは異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科の教授を務め[† 4]、母語に備わった文化の要素を認めないまま外国語を使おうとしても、「外国語」を母語とする聞き手には話し手の「異文化の理解」はともなわず[38]、意思が通じにくいこともあると重ねて指摘した[39]。2011年、教授を退任[6]し、同大学大学院独立研究科異文化コミュニケーション研究科[40][41][42]特任教授となる[6][43][44][45][46]。外国語教育を考えるとき、世界で活躍する人材のためには、英語に限らず外国語を学び身につけさせる教育のあり方と[47][48]、異なる文化を備えたもの同士が意思を通じさせるには「壁」があると意識することを論じている[49]。
2015年3月、立教大学特任教授を退任した[6][50][51]。同年4月、国際教養学部が新設された順天堂大学の客員教授・評議員[52][53]となるが、翌2016年3月に退任した[54]。2012年4月から2016年3月まで国立国語研究所客員教授を兼任した[55]。2021年現在、中京大学言語文化学科客員教授[56]、昭和女子大学国際学部客員教授[57]、盛岡大学客員教授[58]を務める。1998年からNHKの英語番組に継続して出演しており(2020年度を除く)、2022年現在、NHK教育「太田光のつぶやき英語」に解説役としてレギュラー出演する[18]。
学生のころ、『同時通訳の神様』と称された國弘正雄が出演していたテレビ番組の後任として声がかかった[1]。スタッフに前任者の國弘を紹介してもらい、初対面したところ、國弘は難解な漢語や四字熟語を多用し、鳥飼を小馬鹿にするような態度をとった[1]。鳥飼は当惑しつつも真剣に「同時通訳を一生の仕事としたい」と語ったところ、國弘は「君もいつかは自分の歌が歌いたくなるよ」と述べた[† 5][1]。國弘への第一印象は最悪なものであったが、駆け出しの学生に対して「神様」は意外に親切で、鳥飼を「玖美子ちゃん」と呼び、なにかと仕事をまわしてくれたという[† 6][1]。その後、鳥飼は國弘の予言どおり「自分の歌」を歌うことになる。
2022年6月4日、『太田光のつぶやき英語』にフワちゃんがゲスト出演した際、フレンドリーなやりとりをする企画設定のもと話しかけたフワちゃんに対して手厳しく応対する様子が放映された[59][60][61][62]。番組上の演出がうまく噛みあわなかったとのことで、後日、和やかな交流の様子が紹介されている[63][64][65]。
日本通訳翻訳学会名誉会員[66]・元会長(2004-2010)[67][68]、日本コングレス・コンベンション・ビューロー元会長(2002-2008)[67]、日本国際文化学会顧問(2019-)[69]、公益財団法人中央教育研究所理事[70]。日本学術会議連携会員(2011-)[71][72][73][74]。NHK放送文化賞選考委員(2017-)[75][76]。
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