駅ビル(えきビル)あるいはターミナルビルは、駅業務を行う施設と鉄道事業以外に用いられる施設を一体化した建築物を差す[1]。世界初の駅ビルは阪急電鉄梅田駅の阪急本社ビルディングである[2]。
特に日本において発達しており、プラットホーム等に比べ駅の「顔」として紹介されることが多い。
一般的には駅と直結して一体的となっている商業施設などの建物全般を指す。
多くの場合、テナントとして百貨店を始めとする各種の店舗、企業のオフィス、ホテルなどを入れている。駅ビルに入居するテナントは駅の利用者層に応じて様々であり、観光客利用が多い駅では、駅ビル内に地元商品、土産物を取り揃えた店もある。都心にある特に大規模な駅ビルでは下層階に商業施設、上層階にホテルやオフィスを入居させる例も見られる。
建物全体の規模の中で駅舎としての性格が小さくなる場合もあり、「駅ビル」と「駅に隣接し、駅と結ばれているビル」を厳密に区分して定義することは難しい。以下、一般的に駅ビルと見なされている建物について述べる。

1920年に完成した阪急電鉄梅田駅の阪急本社ビルディングがその第一号である[3][4]。阪急電鉄の創業者である小林一三のアイディアで、ここでは1階が百貨店の白木屋に貸し出され、2階が阪急直営の食堂、3階以上が本社事務所となっていた。1925年には改装され、直営の阪急マーケットが営業を始めている。阪急マーケットは後の阪急百貨店へと発展し、これは日本初の鉄道会社が経営する百貨店(ターミナルデパート)となる。その後新京阪鉄道(現在の阪急京都線)天神橋駅の新京阪ビルディング(1926年)、大阪電気軌道(現在の近鉄)上本町停留場(大阪上本町駅)の大軌ビルディング(後の近鉄百貨店上本町店、1926年)など、他社も相次いでターミナルビルを建設した[3]。なお1929年まで、地方鉄道法に基づく「鉄道」は兼業を禁止されていたが、軌道条例、軌道法に基づく「軌道」であるため適用されなかった[5]。
関東地方では、1931年に開業した東武鉄道の浅草雷門駅(現浅草駅)に百貨店の松屋浅草店が入居したのが初である[4]。また、東京横浜電鉄(現在の東急)が阪急百貨店を倣って渋谷駅に東横百貨店(東急百貨店東横店)を開業させている。こうしたターミナルビルは、鉄道会社の増収策であるのみならず、郊外の沿線住民に鉄道を利用し、都心側の百貨店で買い物をしてもらうという相乗効果を狙ったものである。大手私鉄のターミナル駅は既存市街地のはずれに位置していたが、こうしたターミナルビルを中心とした商業施設の充実により、第二次世界大戦後には新宿・渋谷・池袋のような副都心として発展してゆくことになる(「関東私鉄」も参照)[4]。
一方、日本国有鉄道(国鉄)では、戦後復興の過程で民間の資金を導入し、1階部分を駅施設、2階以上を民間商業施設などとした民衆駅と呼ばれる駅を建設した。1950年の豊橋駅に始まり、1973年の秋田駅まで66の例がある[6]。また1971年の法改正で国鉄の出資できる事業範囲が広まった[7]ことにより、同年の平塚ステーションビル、1983年の大阪駅アクティ大阪[7]などが建設された[6]。1987年の国鉄民営化後のJRグループも積極的に駅ビルの展開を行なっている[5]。
また1970年代以降は、特に利用者の多い郊外の駅においても、駅と商業施設、行政サービス機能などを一体化させた再開発事業が行われている[8]。地方都市においても、1971年の伊予鉄道松山市駅のいよてつそごう(現在のいよてつ髙島屋)のような巨大な駅ビルがみられる[5]。
駅ビルの中には、その都市を代表するような巨大建築がある。例えば近畿日本鉄道の大阪阿部野橋駅(あべのハルカス、高さ300m)JRの札幌駅(JRタワー、高さ173m)・東京駅(グラントウキョウサウスタワー、高さ205m)・名古屋駅(JRセントラルタワーズ、高さ245m)、のような超高層のビルや、大阪駅(大阪ステーションシティ、延床面積819,000m2)、京都駅(建築面積32,400m2、延床面積238,000m2、幅470m)、博多駅(JR博多シティ、開発面積 約22,000m2、延床面積 約200,000m2、幅240m)のような巨大建築もあり、殊に大阪ステーションシティは日本最大の駅ビルである。東京駅のグランスタや品川駅のアトレのように、人通りの多いターミナル駅を中心に駅ナカ商業施設が充実している駅も増加している。その一方、地方都市や衛星都市の駅のように2~3階建ての「ミニ駅ビル」と呼ばれる施設もある。代表的な例としては、JR東日本のグループ会社である横浜ステーシヨンビルが運営するエキストがある。
駅ビルの運営企業は、かつては私鉄本体またはその子会社か、国鉄と地元の合弁が多かったが、国鉄民営化後はJR本体やその100%子会社が直接運営に携わるケースも増えている。
1920年代に日本で出現したような駅ビルは、当時の欧米にも類例がみられず、日本の鉄道建築に特有のものであった[3]。
ただし、交通機関の結節点である駅近くに商業施設を集中させるというアイデア自体は、1830年代のパリにおけるパリ-サンジェルマン鉄道のターミナル駅構想などで既に存在している[9]。また駅舎内のホテルについては、欧米の主要ターミナル駅の多くにおかれており、日本においては1970年代ごろまで東京ステーションホテルなど少数の例にとどまったのとは対照的である[7][10]。
利用者の利便性の向上や鉄道会社の増収策として、駅内部のショッピングセンターを充実させる試みが行われている。ドイツ鉄道は1997年のライプツィヒ中央駅改装の際に駅舎内にショッピング街「プロメナーデン(Promenaden)」を作っている。実現には至っていないものの、ミュンヘン中央駅の改良計画「ミュンヘン21(ドイツ語版)」では、より大規模な駅と商業施設の融合の構想がある[11]。

スイス連邦鉄道は、2002年12月から「RailCity」の全国統一ブランドで駅ショッピングセンターの開発を進めてきた[12]。その形態は、商業施設主体の駅ビルを新設したもの(例:ベルン中央駅、バーゼルSBB駅南口(Bahnhof Süd))のほか、既存の地下街と旧来の駅舎内の商業施設を一体としてRailCityと呼称するもの(例:チューリッヒ中央駅(de:Shopville)、ジュネーヴ駅)、旧来の駅舎内でバックヤードの整理縮小により生み出されたスペースを商業施設としたもの(例:バーゼルSBB駅本屋(北口に相当)、ローザンヌ駅)、旧来の駅舎の大部分を取り壊し出札などの駅機能と地下街を一体として整備したもの(ルツェルン駅)など、さまざまである。なお、スイス連邦鉄道は10周年となる2012年12月、2013年からの「RailCity」ブランド廃止を発表し[13]、ベルン中央駅、バーゼルSBB駅、ルツェルン駅、チューリッヒ中央駅及びジュネーヴ駅のショッピングセンターについては、2013年10月から2014年夏に掛け順次ショッピングバッグを模したロゴに変更された[14]。
韓国では「民資駅舎」と呼ばれる駅ビルが1980年以降主要駅に建設されている。これは、当時の鉄道庁(現韓国鉄道公社)が、民間資本により新駅舎を建設し、建設後に所有権を国家に移転し、一定期間(通常30年)民間企業に運用権を与えるBTL方式で商業施設を運営する形である。韓国初の民資駅舎は永登浦駅で、その後ソウル駅、龍山駅等各地に広まった。
英語のStation Buildingは駅舎を指す。
エキナカ等の小規模な商業施設及び地下街は省略。
JR四国グループのJR四国ステーション開発が担う。
※ 1950-1973年、旧国鉄時代に建設された「ステーションビル」については、「民衆駅」も参照。
JRや私鉄の公式サイト内では「駅ビル」と紹介されることがなく駅ビルとは呼ばれないことが多いが、鉄道駅の駅舎に様々な施設が鉄道駅の施設に合築して使用されているケースが全国に多数ある。例えば、
などが該当する。
特に近年は街づくりの一環として、交通の便がよく集客が見込まれる鉄道駅舎を地域の交流の場として活用しようと、駅舎を改築するケースも増えている。例えば島根県安来市にある安来駅は、2008年に駅舎を大規模に改築した結果、観光と地元の情報発信をする町の玄関口としての機能を高めて観光客の集客に貢献している[24]。また富山県舟橋村にある越中舟橋駅に併設された舟橋村立図書館は、駅直結というアクセスの良さも手伝って、年間約151,000冊、住民1人あたりの貸出冊数は55.8冊と、村民一人当たりに換算した貸出冊数が日本一の図書館となった。この事例は村内コミュニティーの中心的活動基地として村おこしに大きく貢献した成功例として高く評価されている[25]。
自治体施設併設駅は、2013年3月31日現在JR東日本管内だけでも84駅ある。[33]
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