軌間 軌間の一覧 最小軌間 15インチ 381 mm (15 in) 狭軌 2フィート、600 mm 597 mm 600 mm 603 mm 610 mm (1 ft11+ 1 ⁄2 in) (1 ft11+ 5 ⁄8 in) (1 ft11+ 3 ⁄4 in) (2 ft) 750 mm ,ボスニア ,2フィート6インチ ,800 mm 750 mm 760 mm 762 mm 800 mm (2 ft5+ 1 ⁄2 in) (2 ft5+ 15 ⁄16 in) (2 ft 6 in) (2 ft7+ 1 ⁄2 in) スウェーデン3フィート 900 mm 3フィート 891 mm 900 mm 914 mm (2 ft11+ 3 ⁄32 in) (2 ft11+ 7 ⁄16 ) (3 ft) 1m軌間 1,000 mm (3 ft3+ 3 ⁄8 in) 3フィート6インチ 1,067 mm (3 ft 6 in) 4フィート6インチ 1,372 mm (4 ft 6 in) 標準軌 1,435 mm (4 ft8+ 1 ⁄2 in) 広軌 ロシア軌間 1,520 mm 1,524 mm (4 ft11+ 27 ⁄32 in) (5 ft) アイルランド軌間 1,600 mm (5 ft 3 in) イベリア軌間 1,668 mm (5 ft5+ 21 ⁄32 in) インド軌間 1,676 mm (5 ft 6 in) ブルネル軌間 2,140 mm (7 ft1 ⁄4 in)
軌間の差異 軌間不連続点 · 三線軌条 · 改軌 · 台車交換 · 軌間可変 地域別
4フィート6インチ軌間 (以下、1,372mm 軌間)は、鉄道 線路 のレール間隔をあらわす軌間 の一つ。主に19世紀 初期のスコットランド のラナークシャー地方の鉄道で採用されたため、英語圏ではスコッチゲージ (英 :Scotch gauge )とも呼ばれる。イングランド の初期のいくつかの鉄道で採用された4ft 8in (1,422 mm)軌間とは異なっていた。初期の鉄道会社は各社独自の軌間を選択したが、19世紀後半には、各鉄道会社で同一の軌間(いわゆる標準軌 と呼ばれる)が確立されたことにより、各社間で車両の乗り入れ が促された。1840年代 初頭には、標準軌の鉄道がスコットランドで建設し始め、最終的にすべての1,372 mm軌間は標準軌に改軌 された。1,372 mm軌間の鉄道は1846年 にイギリスで法的に使用できなくなった。
スコットランドで用いられなくなった後、1882年 (明治 15年)開業の日本の東京馬車鉄道 がこの軌間を採用し、その後継の東京市電車(現:都電) や後発の他社もこれに倣ったため、この軌間は特に東京圏 で広く用いられることとなった。こうした経緯から、この軌間は日本で馬車軌間 (ばしゃきかん)と呼ばれるほか、東京ゲージ [ 1] [ 2] と呼ばれることもある。
スコットランド ノース・エアシャー にあるエグリントンカントリーパークにある1831年のスコッチゲージ路線の一部。アードロサンアンドジョンストーン鉄道で使用されていた長さ15フィート(4.57 m)の平底レール 19世紀初めから中期にかけて、数社の旅客鉄道 が1,372 mm軌間で建設された。
アードロサン・アンド・ジョンストーン鉄道[ 3] - 路線長:16 km[ 4] 。1806年7月20日に承認され、1810年11月6日に開業した[ 5] モンクランド・アンド・キルキンティロック鉄道[ 6] 。路線長:10マイル(16 km)[ 4] - 1824年5月17日に承認され、1826年10月1日に開業した[ 5] 。技師はエディンバラ 出身のトーマス・グレインジャー(Thomas Grainger )であった[ 6] 。 バロチニー鉄道[ 3] - 路線長:10.5 km[ 4] 。1826年5月19日に設立され、1828年8月8日に開業した[ 5] 。 エジンバラ・アンド・ダルケイス鉄道[ 3] - 1826年5月26日に認可され、一部は1831年7月4日に開業した[ 5] 。 ガーンカーク・アンド・グラスゴー鉄道[ 3] - 路線長:13.3 km[ 4] 。1826年5月26日に設立され、1831年9月27日に正式開業した[ 5] 。技師はグレインジャーとエディンバラ出身のジョン・ミラー(John Miller )であった[ 3] [ 6] 。 ウィショウ・アンド・コルトネス鉄道[ 6] - 路線長:17.7 km[ 4] 。1829年6月21日に設立され、1834年3月21日に一部開業した[ 5] 。技師はグレインジャーとミラーであった[ 6] 。 スラマンナン鉄道[ 3] - 路線長:20.1 km[ 3] [ 4] 。1835年7月3日に設立され、1840年8月31日に開業した[ 5] 。 ペイズリー・アンド・レンフルー鉄道[ 3] - 路線長:4.8 km[ 4] 。1835年7月21日に認可され、1837年4月3日に開業した[ 5] 。技師はグレインジャーであった[ 6] 。1866年に標準軌に改軌された。 ロバートスティーブンソン・アンド・カンパニーは、ガーンカーク・アンド・グラスゴー鉄道向けにスコッチゲージの機関車であるセントロロックス(英 :St.Rollox )を製造した。これは後にペイズリー・アンド・レンフルー鉄道に売却された[ 3] [ 5] 。
すべての路線は後に標準軌に改軌された[ 3] [ 5] 。
上記の鉄道に加えて、1822年 と1835年 の間に承認された3つの鉄道があり、ダンディー地方 にて建設された。その路線の軌間は、4 ft6+ 1 ⁄2 in(1,384 mm)であった。
グレインジャーとミラーは、同じエリアに1,676 mm(5 ft 6 in)軌間の鉄道を2路線 建設した。トーマス・グレインジャーは、1,435 mm(4 ft8+ 1 ⁄2 in)では狭すぎ、イザムバード・キングダム・ブルネル の2,140 mm(7 ft1 ⁄4 in)では広すぎると考え、この軌間を選択したと言われている[ 3] 。
スコットランドにおける1,372 mm軌間の終焉[ 編集 ] グラスゴー・ペイズリー・キルマーノック・アンド・エア鉄道とグラスゴー・ペイズリー・アンド・グリノック鉄道(1837年 7月15日に議会の承認を得て、後にグラスゴー・サウスウェスタン鉄道とカレドニアン鉄道となる)は、開業時から標準軌で建設された[ 3] 。
ジョージ・スチーブンソン に由来し、スティーブンソンゲージとしても知られる1,435 mm(4 ft8+ 1 ⁄2 in)軌間は、1846年軌間統一法 の発効後、グレートブリテン島 の標準軌となった[ 7] 。旧路線のいくつかの路線は存在しているが、使用されていない。
1,372 mm軌間を採用する京王線 (府中競馬正門前駅 ) 都電 で唯一現存する荒川線 日本国内では、東京馬車鉄道 が1882年 (明治15年)の開業時から1,372 mm軌間を使用した[ 8] [ 注 1] 。同鉄道がこの軌間を採用した経緯は不明である[ 1] [ 9] 。ニューヨーク の馬車鉄道 がかつて1,372 mm軌間を採用していたのに倣ったとする説[ 10] [ 11] が存在したものの、実際にはニューヨークの馬車鉄道は当初から1,435 mmの標準軌 を採用しており、1,372 mm軌間を採用していたことは一度もないため、その説は誤りだとする反論[ 1] がある。
東京馬車鉄道が東京電車鉄道と改称して動力を電気に改めたが軌間はそのまま引き継ぎ、同じ東京市 内で開業した東京市街鉄道と東京電気鉄道も1,372 mm軌間であった。3社は合併して東京鉄道と改称した後、東京市に買収されて東京市電気局 の運営による東京市電(のちの東京都電) に引き継がれた。また、東京市電への乗り入れ や中古車両の購入を視野に入れた同業他社も1,372 mm軌間を採用し、このうち王子電気軌道 と城東電気軌道 は後に東京市電へ組み込まれた[ 注 2] 。
東京の1,372 mm軌間の路線図 鉄道及び軌道事業者によって運営する路線は、1993年 (平成 5年)の函館市電一部廃止以降、以下の区間のみ。
都市高速鉄道 としては京王電鉄、都営地下鉄新宿線のみ採用している。特に京王電鉄については、その創業期に東京市電への乗り入れを計画したことや、軌道法 により敷設を始めたことなどから1,372 mm軌間を採用し、地方鉄道として開通させた旧玉南電気鉄道区間(府中駅 -東八王子駅 間)では京王電気軌道への合併後に1,067 mmから1,372 mmへの改軌も行ったが、最終的に東京市電乗り入れは実現しなかった。1945年 (昭和 20年)には京王線が軌道法から地方鉄道法 による鉄道に変更されたが、以後も1,372 mm軌間を使用し続けた。後に都営新宿線を建設する際、都が相互乗り入れを予定している京王帝都電鉄(当時)に対して1,435 mmへの改軌を迫ったが、まだ通勤輸送が本格化しておらず営業 運転を継続しながら改軌が行えた1950年代 の京成 に比べ、1970年代 の京王線のダイヤ と車両数では営業を続けながらの改軌工事が不可能であったことなどから、京王の言い分が関係各所に受け入れられ、都営新宿線の方が京王に合わせて1,372 mm軌間を採用したという経緯がある。これにより都営地下鉄が当時保有する3路線全てが、いずれも乗り入れ先の都合でそれぞれ異なる軌間となった[ 注 3] 。日本の改軌論争 も参照のこと。
京浜急行電鉄 - 前身である京浜電気鉄道時代の一時期(1904年 〈明治37年〉 -1933年 〈昭和8年〉)に、1,372 mm軌間へと改軌し、東京市電に乗り入れていた。京成電鉄 -都営地下鉄1号線 (現浅草線)乗り入れ前の1959年 (昭和34年)に、標準軌へ改修するまで採用していた。王子電気軌道(現在の都電荒川線)への乗り入れを構想していたためである。新京成電鉄 - 京成の子会社。1947年 (昭和22年)に1,067 mmで開業した後の1953年 (昭和28年)に京成と合わせて1,372 mmに改軌し、さらに京成と同じく1959年(昭和34年)には標準軌に改軌している。開業時に1,067 mmを採用した経緯については、京成松戸線 を参照。東急玉川線 (玉電) -多摩川 河川敷の砂利採取場 から都心に砂利を輸送する目的も担っており、渋谷から東横百貨店(後の東急百貨店 東館)の1階を抜けて東京市電に乗り入れるためこの軌間とされた。1969年 (昭和44年)に前述の世田谷線を除いて廃止。このほか、支線の一つだった溝ノ口線は1943年 (昭和18年)に1,067 mmへ改軌の上、当時の大井町線 (現:田園都市線 )に編入された。横浜市交通局 (横浜市電 ) -1972年 (昭和47年)廃止。西武鉄道 (旧)大宮線 - 東京市電の払い下げ車を使用していた。並行して省線川越線 が開通したため、1941年 (昭和16年)に廃止。以上のように、1,372 mm軌間は東京 周辺では広く採用されたのに対し、その他は函館市電の採用例しかない。また、日本国内のみならず世界的に見ても東京以外での使用例がきわめて少ないことから、これを東京ゲージ と呼ぶ専門家もいる[ 1] [ 2] 。
^ 1897年 (明治30年)開業の品川馬車鉄道は767 mmあるいは737 mmとされる。1899年 (明治32年)に東京馬車鉄道は品川馬車鉄道を合併し、動力を電気 に改めるにあたり1,372 mmに改軌 した。^ 例外として、同じく市電に編入された杉並線 (14系統、旧・西武軌道線)は終始1,067 mmの狭軌を採用していた。 ^ 後に開通した大江戸線 は浅草線と同じ標準軌であるが、リニアモーター 駆動によるミニ地下鉄 であるため、浅草線と車両の互換性はない。
Thomas, John (1971).A Regional History of the Railways of Great Britain. Volume 6 Scotland: The Lowlands and the Borders . Newton Abbott: David & Charles.ISBN 0-7153-5408-6 .