| ふぶき ジュン 風吹 ジュン | |||||||||||||||
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第37回東京国際映画祭にて(2024年) | |||||||||||||||
| 本名 | 堀川麗子[1][2][3] | ||||||||||||||
| 生年月日 | (1952-05-12)1952年5月12日(73歳) | ||||||||||||||
| 出生地 | |||||||||||||||
| 身長 | 157cm | ||||||||||||||
| 血液型 | B型 | ||||||||||||||
| 職業 | 女優・歌手・タレント | ||||||||||||||
| ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||||||||||||
| 活動期間 | 1973年 - | ||||||||||||||
| 配偶者 | 川添象郎(1981年 - 1992年) | ||||||||||||||
| 事務所 | パパドゥ | ||||||||||||||
| 公式サイト | 風吹ジュン OFFICIAL WEBSITE | ||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||
| テレビドラマ 『阿修羅のごとく』 『はみだし刑事情熱系』 『ほんまもん』 『わたしたちの教科書』 『風林火山』 『それでも、生きてゆく』 『あさが来た』 『やすらぎの郷』 映画 『蘇える金狼』 『無能の人』 『魂萌え!』 『浅田家!』 アニメ 『君たちはどう生きるか』 CM 大正製薬(ナロンエース) | |||||||||||||||
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風吹 ジュン(ふぶき ジュン、1952年5月12日 - )は、日本の女優[4][5]、アイドル[6][4][5]、歌手[4][7]。本名:堀川麗子[1]。
富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ[2][注 1]、富山県高岡市(小学生から中学2年まで[8])と京都市育ち。パパドゥ所属。高岡市立二上小学校[1]~京都市立花山中学校卒業[1]。
高校教員の父と母の間に生まれるが[2]、11歳小学校5年生の時に父が愛人を作り[2]、両親が離婚[2][9]。ここから人生が暗く傾斜していく[2]。
中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき[2]、母方の親戚を頼り[2]、母・兄と3人で京都に移り住む[9](暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった[9])。内職やアルバイトをする日々だったという[9]。高校進学は母に拒否され家出[2]、以降3年間自活し[2][3]、京都で様々な仕事に就く[2][3]。18歳で上京し、飲食店などに勤務[9]。1970年の秋から[1][2]、1年間[1][2][3]、銀座の高級クラブ「徳大寺」[注 2]でホステスとなり[2][3][13]、源氏名「レオ」として働いていたとき[1][2]、客として来ていた芸能関係者にスカウトされる[2][14]。
芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」[14]。「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」[1]。
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ[3][6][4]、デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真でマスメディアに浮上[1][3][14]。1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発[1][3][4][15]。キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で[1][3]、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが[3]、ホステス時代を隠すため[3]、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった[3]。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている[16]。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている[10]。
人気は束の間で[15]、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り[1][2][10][17][18]、暴力団が介入して[2][18]、風吹誘拐事件[2][10][17][18]、失踪事件[2]などのスキャンダルとなり[1][10][17][18]、マスメディアが大騒ぎし[1][2][10]、二重契約問題でCMを降ろされ[15]、風吹自身も2年の年齢詐称や先の銀座のホステス経験[1][2][10][15]、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことが嘘と発覚し[1][3][17]、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた[1][10][17]。清純派イメージが無くなると以降、ヌードも辞さず[1][19]、1977年『白熱デッドヒート』で映画初出演すると1979年の『蘇える金狼』で松田優作とフルヌードで激しい濡れ場を演じ[1][4][20][19]、ファンやマスメディアを驚かせ[19]、また女優として高い評価を得た[1][20][19]。清純派タレントが醜聞をテコに成長した例はそれまでほとんど無かった[1]。スキャンダルを乗り越えた後はぶっちゃけるようになり[2]、「17歳で初体験。以来、常に恋人はいました。男に尽くして仕事がだめになったことあります」などと話した[2]。彼女は、所属事務所を辞めると決めていたが、1975年に『寺内貫太郎一家2』への出演が決まった[21]。(出演が可能になったことについては、樹木希林の口添えがあったという。以降、樹木が亡くなるまで親交があった)
1981年に川添象郎と結婚[18]。1男1女をもうけるも、1992年に離婚[22]。娘と息子を引き取って育てる[9]。2023年現在、娘・孫はアメリカ合衆国在住[23]。
※特記以外は総合テレビ
| # | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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| 1 | 1974年 5月1日 | A面 | 愛がはじまる時 | 有馬三恵子 | 平尾昌晃 | 馬飼野俊一 | US-819 |
| B面 | 夏のふれあい | ||||||
| 2 | 1974年 8月1日 | A面 | 涙に微笑みを | 竜崎孝路 | US-823 | ||
| B面 | 愛の雨音 | 馬飼野俊一 | |||||
| 3 | 1974年 10月25日 | A面 | ふたりの舗道 | 馬飼野俊一 | US-826 | ||
| B面 | 私はかもめ | 竜崎孝路 | |||||
| 4 | 1975年 5月5日 | A面 | 23才 | 安井かずみ | 三木たかし | US-837 | |
| B面 | こころ半分 | ||||||
| 年 | 楽曲 | タイアップ |
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| 1975年 | 23才 | TBS系テレビドラマ「寺内貫太郎一家2」挿入歌 |
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