あおしま たつや 青嶋 達也 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | (1965-08-12)1965年8月12日(60歳) |
| 血液型 | B型 |
| 最終学歴 | 早稲田大学第一文学部 |
| 所属事務所 | フジ・メディア・テクノロジー |
| 職歴 | フジテレビジョン ( - 2025年8月31日スポーツ統括担当部長[1])→fmt(同年9月1日 - )(現職) |
| 活動期間 | 1988年 - |
| ジャンル | スポーツ |
| 配偶者 | 小長谷悠紀 |
| 公式サイト | フジテレビ・青嶋達也 |
| 出演番組・活動 | |
| 出演経歴 | 『UEFAチャンピオンズリーグ』 『セリエAダイジェスト』 『FNN NEWSCOM』 『THE WEEK』 |
青嶋 達也(あおしま たつや、1965年8月12日[2] - )は、日本のフリーアナウンサー。フジ・メディア・テクノロジー所属。元フジテレビアナウンサーで、フジテレビ所属時代はスポーツ統括担当部長を務めた。
父は、元オートレーサーの青嶋守隆(期前、元浜松所属)[3]。
静岡県浜松市富塚町(現在の浜松市中央区)出身。静岡県立浜松北高等学校、早稲田大学第一文学部国文学専修卒業。卒論は「放送の敬語的表現」であった[4]。同大卒業後の1988年フジテレビ入社。同期アナウンサーは、当時三人娘と称された有賀さつき、河野景子、八木亜希子。アナウンサー以外の同期には片岡飛鳥、中江功がいる。本人によれば、元々はラジオ局志望で、ニッポン放送が第一志望だったが同社の試験に3回落ち、ダメ元で受けた系列のフジテレビにたまたま受かったという[5]。入社当初は主にニュースキャスターを志し、平日夜の報道番組『FNN NEWSCOM』ではサブキャスターを務め、メインキャスターの木村太郎に薫陶を受けた[5]。また並行して中央競馬中継の実況も担当する。
1994年の『FNN NEWSCOM』終了後は、競馬中継を担当していた経緯から本格的にスポーツ実況に転向。『セリエAダイジェスト』をはじめとするサッカー番組を中心に、バラエティー番組のナレーションなど幅広いジャンルの番組を担当した。1996年10月から1年半は土曜日の情報番組『THE WEEK』のメインキャスター(4代目)も担当した。2000年代以降は、サッカー・競馬番組に加え、ニュースや各種番組ナレーション(『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』など)、一部バラエティー番組のスペシャル放送を担当。2006年のW杯ドイツ大会では決勝の実況を務める(地上波民放テレビ局では東京12チャンネル時代の金子勝彦に次いで2人目、現行のジャパンコンソーシアム体制では初)。2011年の女子W杯ドイツ大会でも決勝の実況を務め、日本(なでしこJAPAN)の初優勝を伝えた。UEFAチャンピオンズリーグやJリーグカップでも決勝戦の実況を担当している。
自転車のロードレースとの関わりも深く、フジテレビがツール・ド・フランスの放映権を獲得した1992年から2004年まで、ツール・ド・フランスの実況を担当していた。そのため、当時は毎年7月になるとJ SPORTS(かつてはフジテレビも出資していた)の生中継(後の『J SPORTS cycle road race』)に出ずっぱり状態になるのが通例だった。その後も2006年・2007年のジャパンカップサイクルロードレースで場内実況やレース後のインタビューを担当するなど、自転車競技との関係は続いたが、2010年代以降はほぼ関わりはない。
また、1996年にフジテレビ系列で放送されたアニメ『みどりのマキバオー』のオープニングテーマ『走れマキバオー』を担当。同僚の三宅正治、福井謙二両アナとの音楽ユニット「F・MAP」として参加し、青嶋は間奏でのコント・イントロ&間奏でのレース実況音声を担当した。2003年に放送された『実況格闘』(出場アナウンサーが課題VTRに対しアドリブで実況を行いその優劣を競う特番)では志生野温夫・神田康秋・煙山光紀らといった他のアナウンサーを下して優勝しているほか、『FNSアナウンス大賞』では2002年・2007年にスポーツ部門の部門賞を受賞するなど、過去に多くの受賞歴がある。
2025年4月より、山形県のフジ系列局・さくらんぼテレビにて『News イット! やまがた』の火曜~木曜キャスターを務める。フジテレビに籍を残し『BSスーパーKEIBA』等のレギュラー番組を継続しつつ山形に通う「二拠点生活」となる[6]。山形とは「妻が米沢市出身」という程度の縁しかなかったが、ローカル局の現場から東京の番組を見ることで新たな発見もあったという[5]。
同年8月で60歳(還暦)を迎えるにあたり、フジテレビで勤務延長する道もあったが「新しいチャレンジをするなら60歳で始めたほうがいいかな」との理由でそれを選択せず、8月末でフジテレビを定年退職した[5]。退職後はCX系列のフジ・メディア・テクノロジーに入社しフリーアナウンサーとして活動する一方、現在司会を担当している『BSスーパーKEIBA』『News イット! やまがた』などの番組はそのままフリーの立場で続投することも明らかにしている[5]。
レギュラー番組(生放送)
| 期間 | 番組名 | 役職 | 担当日 | |
|---|---|---|---|---|
| 1988年10月7日 | 1989年3月31日 | 笑っていいとも! | テレフォンアナウンサー | 金曜日 |
| 1989年4月5日 | 1990年3月28日 | 水曜日 | ||
| 1990年4月2日 | 1990年9月27日 | FNNニュース・明日の天気 FNN NEWSCOM | キャスター | 月~水曜日 |
| 1990年10月1日 | 1994年3月31日 | 月~木曜日 | ||
| 1996年10月5日 | 1998年3月28日 | THE WEEK | 司会 | 土曜日 |
| 2022年4月10日 | 現在 | BSスーパーKEIBA(BSフジ) | キャスター | 日曜日 |
| 2024年11月4日 | マンデーフットボール on TVer | 月曜日 | ||
| 2025年4月1日 | News イット! やまがた(さくらんぼテレビ) | キャスター | 火~木曜日 | |
その他
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