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露木茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つゆき しげる
露木 茂
プロフィール
愛称露さん[1]
出身地日本の旗日本東京都千代田区
生年月日 (1940-12-06)1940年12月6日(84歳)
最終学歴早稲田大学政治経済学部
勤務局フジテレビジョン
〈1963年 - 2002年〉
所属事務所TBSスパークル
職歴フジテレビアナウンサー・アナウンス室部長
→アナウンス室専任局長
早稲田大学客員教授
東京国際大学国際関係学部教授
活動期間1963年 -2002年(フジテレビアナウンサーとして)
2002年 -(フリーアナウンサーとして)
ジャンル報道情報バラエティ
配偶者軽部和子1964年 - )
公式サイトキャスト・プラス:露木茂(コメンテーター・キャスター)
出演番組・活動
出演経歴小川宏ショー
スーパータイム
FNS歌謡祭
FNS27時間テレビ』 など
その他東京国際大学特命教授・客員教授

露木 茂(つゆき しげる、1940年昭和15年〉12月6日 - )は、日本フリーアナウンサー

フジテレビエグゼクティブアナウンサー東京国際大学特命教授・客員教授。日本記者クラブ企画委員。

TBSスパークル(旧キャスト・プラス)所属。妻は早稲田大学時代の同級生で同じ放送研究会に所属していた元NETテレビ(現在:テレビ朝日)アナウンサーの軽部和子

来歴

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東京府東京市麹町区(現在:東京都千代田区)出身。千代田区立麹町小学校千代田区立麹町中学校早稲田大学高等学院(早大学院)を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。両親は、早大学院と並行して受験していた東京都立九段高等学校への進学を勧めており、入学金も支払っていたが、最終的には露木本人の意志で早大学院に進学している[2]

高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属(当時の会友には大沢悠里鈴木史朗枇杷阪明石川顕らがいた[3])する。6大学コンサートなどを通じて他の大学のアナウンス研究会員とも交流を持ち、特に徳光和夫森本毅郎は数十年来の友人となった[4]

大学卒業後の1963年、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期入社のアナウンサーに岩佐徹能村庸一らがいる[注 1]1970年には『小川宏ショー』での司会ぶりが評価され、第7回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞する[5]

『小川宏ショー』終了後は、昼の報道番組でキャスターを通算9年[注 2]、夕方の報道番組でキャスターを5年、早朝・深夜の報道番組を1年ずつ務め、あさま山荘事件日本航空123便墜落事故中華航空140便墜落事故などが発生した際に、フジテレビの報道特別番組を担当した[注 3]。この報道特別番組での功績が認められ、日本新聞協会賞を受賞する。

その傍ら、1978年から18回の長きに渡り『FNS歌謡祭』の総合司会を担当するなど、バラエティの分野でも活動した。その後はアナウンス部副部長、アナウンス部専任部長[6][7]、編成局専任局次長、編成局専任局長、役員待遇メディア事業本部専任局長、役員待遇解説委員・エグゼクティブアナウンサーを歴任した。先輩の山田祐嗣が退職した1989年からは、フジテレビにおける最年長・最古参のアナウンサーだった。

フジテレビ在籍中には文化放送露木茂のHOTほっと土曜ワイド』のパーソナリティを担当し、『小川宏ショー』で共演していた小川宏とともにテレビ朝日徹子の部屋』(1976年5月5日)に出演したこともある。『徹子の部屋』に他局の現職アナウンサーが出演した唯一のケースである。また、『ニュースレポート11:30』で共演していた部下の小出美奈と共にTBSクイズダービー』(1986年11月15日)にもギャンブラーで出演したこともある[注 4]

2002年に役員定年(契約満了)を迎えフジテレビを退職してフリーに転身し、4月から1年間、露木にとって初の他局レギュラー出演となるTBSテレビおはよう!グッデイ』の総合司会を務めた。

フジテレビ在籍中から日本大学芸術学部講師として「アナウンス実習」を担当し、その他にも日本大学文理学部講師(「情報社会論」担当)などの教職も務めた。フジテレビ退職後も、2002年4月から2011年3月まで東京国際大学国際関係学部の教授を務めたほか、2003年4月から2011年3月までは早稲田大学客員教授としてマスコミュニケーション論を担当した。

現在はフリーの司会業や講演活動に加え、東京国際大学特命教授を務めるほか、日本記者クラブ企画委員として日本記者クラブ主催討論会の司会も務めている。

人物・エピソード

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(2022年12月)
  • 学生時代には学生バンドの司会、東京中日新聞の電話ニュースアナウンサーのアルバイトを経験する。特に学生バンドの司会は単価が高く、親の仕送りが不要になるどころか、学費すら賄えるほどの収入を得た。フジテレビの初任給は学生バイトの報酬より少なくがっかりしたと述懐している[8]。在学中、直接の面識はなかったが、早稲田大学の後輩であるタモリは学生バンド司会経験者という共通点があり、タモリは露木を見かけるたび「先輩」と声をかけてきたという[9]
  • フジテレビの前に日本麦酒(後のサッポロビール)の内定を得ていた。露木が担当していたニュース番組ドライ戦争に関する特集を組んだ際、ビール会社を志望した理由について「ただでビールが飲めるだろうから」と語っていたが、実際は電話ニュースアナウンサーの先輩に倣ったものだった[10]
  • フジテレビへの入社は4月1日ではなく3月1日となっている。当時のフジテレビはニッポン放送文化放送の共同出資で設立されてから年月が浅く、自社アナウンサーが不足しており、新人でも即戦力として仕事をせよと言われたためで、早大の在学末期からアナウンサー研修を受けていた。また、入社1年目にはTBSからヘッドハンティングを受けたことがある[11]
  • 鉄人28号』のオープニングで流れていた有名な台詞『てつじんにじゅうはちごう、ガオー』は露木の声であり、これがアナウンサーとしての初仕事であった。また、ナレーターや声優としての経験もある。
  • 1969年にフジテレビの労働組合の執行委員となった際、当時の経営陣から執行委員を辞めるよう迫られ、拒否した結果、1970年3月31日の放送を最後にキャスターを担当していた『小川宏ショー』の降板を命ぜられた。しかし、番組終了直前にADから渡された「富士山上空で日航機がハイジャックされた」(日航機よど号ハイジャック事件)というニュース速報を見るや「ただいま日航機がハイジャックされたというニュースが入ってきました。今からその取材に行って参ります」と挨拶し、その日の放送を終了させた。これは露木の独断であったが、生放送中の発言のため撤回することもできず、上層部は彼にリポーターを任せざるを得なかった。翌日の放送からは現場リポートという形で出演を続け、事件の収束後、再びキャスターに返り咲いた。7月に任期満了で執行委員を退任したのと同時に、当時29歳という若さで報道局解説委員に任命されるが、この人事は前述の一件から経営陣より組合活動への参加を牽制する狙いがあったという[12]
  • 1972年連合赤軍あさま山荘事件で犯人逮捕人質救出作戦が行われた2月28日、司会兼リポーターとして出演していた『小川宏ショー』がスタートした9:00から夕方の『FNNニュース』が放送終了時刻の18:45まで現場からリポートしていた。本人の話によると「次の番組を飛ばしたから頑張ってくれ」という指示が本社から出続けたため、食事はおろかトイレにも行けず「一体いつになったら終わるのだろう…」と不安に駆られたという。またこの時、犯人からの銃弾が至近距離に着弾した。
  • 日本航空123便墜落事故の際には、通算10時間以上も『FNN報道特別番組』の司会を務めた。
    • 1985年8月13日の『ニュースレポート11:30』の放送開始直前、中継スタッフ[注 5] から生存者発見の一報が入ってきた。それを受けて露木はこの生存者発見のニュースを伝え、映像だけを見ながら原稿なしのアドリブで番組をこなした(原稿は「乗客乗務員全員死亡」という内容だったのだが、生存者発見の報に原稿を差し替える時間がなかったため、その原稿をゴミ箱に捨ててニュースに臨んだ)。この報道が認められ、日本新聞協会賞を受賞することとなった[13]
    • このニュースの音源は2005年8月21日放送のテレビ東京上を向いて歩こう坂本九物語』の台詞として使われ、2005年8月12日にフジテレビで放送された、日本航空123便墜落事故関連の再現ドラマ内で、当時の映像に露木本人が速報と報道特番で登場した姿がある。
    • またこの時、夏休みで大阪の実家へ帰省する予定だった逸見政孝も家族揃って123便への搭乗を検討したものの直前で東海道新幹線利用に切り替え九死に一生を得た[注 6]。逸見は東京に戻って報道特番に出演することも考えたものの「いいとこ取りになる」と考え実家に残って露木の出演した報道特番を視聴することにした。後に逸見は著書の中で、露木のキャスターぶりを絶賛している。
  • 1986年11月25日の『おはよう!ナイスデイ』の放送中に、有楽町で3億円の強奪事件が発生し、露木は報道センターから速報を伝えることになった。司会の桑原征平[注 7]山田美也子が「フジテレビの報道デスクさん、新しい情報入って来ましたでしょうか?」と呼びかけて映像が切り替わると、飛び込んできたのは、スタッフと談笑し大爆笑中の露木の姿だった。すかさずスタジオに映像が戻り、桑原は苦笑しながら「露木さん、今非常に笑っておりますが、ちょっとこの連絡が、失礼いたしました、連絡がつかなかったようなんですけれど、えー、露木さん、本番前にちょっとリラックスされてたんでしょうかねぇ。失礼いたしました」と苦し紛れの弁明をし、桑原が「露木さん!」と再度呼びかけ再び報道デスクに映像が切り替わると、数秒前とは180度変わった大真面目な顔をし、「突然来たものですから」と弁解してニュースを伝えた[13]
  • 多くのフジテレビの看板番組で司会を務めた芳村真理とは、1966年に芳村が『小川宏ショー』のアシスタントとして抜擢されて以降、何かと同局の大型番組でコンビを組むことが多く、私的にも親しい間柄とされている。特に年末の『FNS歌謡祭』では1978年から関口宏に代わる男性司会者として抜擢されて以来、9年連続でコンビを組み、同番組の黄金期を共に支えた。
    • また、芳村が司会を務めていた『夜のヒットスタジオ』へは、男性の代理司会として2回(1986年2月5日・1990年6月13日)、番組終了後の1990年12月26日の『夜のヒットスタジオ大感謝祭スペシャル』の司会も務めた。
  • アナウンス部長時代には中井美穂有賀さつき河野景子八木亜希子木幡美子佐藤里佳田代尚子大坪千夏松井みどり近藤サト中村江里子小島奈津子西山喜久恵など後に活躍する「女子アナブーム」の主役たちの採用を決めた責任者だった。また仕事柄で芸能関係者と交流がある彼は、新人女性アナウンサーがデビューする頃、タモリや笑福亭鶴瓶などの芸能関係者に「もうすぐ新人が世話になるからよろしくね」と毎年挨拶していた。1988年頃から新人アナウンサーの教育係を担当した。
  • 『スーパータイム』の最終回で、自局のドラマプロデューサー・塩澤浩二が逮捕されたニュースの際、「『スーパータイム』最後の日に、私共身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなくてはならないというのは大変情けない」と、自局の不祥事ながらもバッサリと斬り捨てた。
  • アナウンサー時代には事件の立てこもり犯を説得したことがあると、2017年にゲスト出演した『爆笑問題の日曜サンデー』で証言した[14]
  • 1998年4月から1年間、早稲田大学の大学院に通い、メディアと社会の関係についての講義を受講した。
  • 定年目前の1999年11月、同局の公金を横領したとの疑惑が浮上。政界への工作資金と報道され、当時司会を務めていた『報道2001』を降板し、前任者の黒岩祐治と交代したが、2002年3月までの間は役員待遇のため定年延長となりフジテレビに在籍した。2007年11月、ドラマ『SP』に元総理大臣役で古巣のフジテレビの番組に4年7か月ぶりに出演した。2008年には8月に『カスペ!フジテレビアナウンサー全員集合!超真剣女子アナvs男子アナ完全決着〜アナ☆ログSP〜』にVTRで出演し、11月にも『ウチくる!?』に出演している。
  • 元木昌彦の主張によると、2000年代初め、マスコミを志望する法政大学の編集学という科目にて「フジテレビはブスは採りません」と発言したという[15]
  • フジテレビ退社後、初のレギュラー出演番組となった『おはよう!グッデイ』を担当にするにあたり、”グッディ”の正しい発音を確認するために、ニューヨーク在住の知人に国際電話をかけて確認している。

過去の担当番組

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報道・情報番組の出演経歴(フリー転身後も含めて)

期間番組名役職担当日備考
1965年5月3日1966年11月26日小川宏ショー司会月~土曜日
1966年11月28日
および
1975年10月6日
1970年3月31日
および
1981年3月31日
平日ハイ!土曜日です』開始に伴い、放送曜日を月~金曜日の週5日に縮小
1981年4月1日1982年3月31日サンケイテレニュースFNNキャスター平日(昼)
1982年4月1日1987年3月27日10時台の情報番組ニュースコーナーキャスター平日番組名の詳細は各番組のページを参照
1987年3月31日ニュースレポート11:30キャスター
1986年4月5日1987年3月29日日曜TOP情報司会日曜日
1987年4月1日1987年9月30日ニュース工場キャスター平日
1987年10月1日1988年3月31日DATE LINE
1988年4月4日1991年3月28日10時台の情報番組ニュースコーナーキャスター月~木曜日番組名の詳細は各番組のページを参照
FNNスピークキャスター
1988年4月10日1988年9月11日ニュースバスターズMC日曜日
1991年4月8日1992年3月27日おめざめ天気予報ニュースコーナーキャスター平日
1992年3月31日FNN World Uplink司会
1992年3月30日ニュース&ウェザーニュースコーナーキャスター月・火曜日モーニングLIVE』開始に伴うつなぎ番組として放送
1992年4月1日1997年3月28日スーパータイムキャスター平日番組就任前は、逸見政孝の代役を担当
1995年10月2日ビッグトゥデイニュースコーナーキャスター
1997年4月6日1999年11月14日報道2001司会日曜日
2002年4月1日2003年3月28日おはよう!グッデイTBS平日フリー転身後最初の出演番組
2014年3月31日2016年3月31日報道ライブ21 INsideOUTBS11月~木曜日

バラエティ・特別番組の出演経歴(フリー転身後も含めて)

テレビ
ラジオ

映画

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テレビドラマ

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テレビCM

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著書

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共著

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脚注

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注釈

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  1. ^他、女性アナウンサーが4名入社しているが、露木の著書等に記録が残されていないため、詳細は不明。
  2. ^途中1年離れていた。
  3. ^日航機墜落事故は、本来のキャスターである後輩の逸見政孝が夏期休暇中だったため。
  4. ^「人気キャスター特集」でフジテレビ代表として出演。この回では他に日本テレビNNNきょうの出来事』から小林完吾櫻井よしこが、TBS『JNNニュースコープ』から田畑光永吉川美代子がそれぞれペアでギャンブラー出演している。
  5. ^フジテレビは在京テレビ局で唯一、中継スタッフをこの時点で事故現場に送り込んでいた。
  6. ^逸見の長男・太郎が「新幹線の方が安い」と助言したことと、妻・晴恵が飛行機嫌いだったため。
  7. ^当時は系列の関西テレビ所属のアナウンサーであったが、東京に単身赴任して同番組に出演していた。

出典

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  1. ^露木茂のプロフィール”.エキサイトニュース (2021年3月9日). 2024年4月14日閲覧。
  2. ^露木 1995, p. 14.
  3. ^露木 1995, p. 22.
  4. ^露木 1995, p. 23.
  5. ^第7回ギャラクシー賞受賞作品”.放送批評懇談会. 2021年10月14日閲覧。
  6. ^元アナウンス部部長・露木茂が語る「フジ女子アナ帝国の興亡」(1) - FLASH DIAMOND 2016年4月30日号
  7. ^元アナウンス部部長・露木茂が語る「フジ女子アナ帝国の興亡」(2) - FLASH DIAMOND 2016年4月30日号
  8. ^露木 1995, p. 18-21.
  9. ^露木 1995, p. 23-24.
  10. ^露木 1995, p. 25-26.
  11. ^露木 1995, p. 30-38.
  12. ^露木 1995, p. 57-64.
  13. ^ab笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング(2007年 マイケル宮内・著 廣済堂出版)p.76 - 77
  14. ^知られざる露木茂の話に、爆笑問題も「えーーー!?」”.TBSラジオ (2017年5月21日). 2017年5月22日閲覧。
  15. ^露木茂アナウンス部長は言い放った「ブスは採りません」…美人ばかり集めたフジテレビの盛者必衰
  16. ^ab露木茂 -オリコンTV出演情報
  17. ^【お知らせ】”.おわこんTV. NHK (2014年10月2日). 2014年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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関連項目
出演テレビ番組

ニュース対談 -小川宏ショー -スター千一夜 -紅白スタージェスチャー -モーレツ欲張りゲーム -産経テレニュースFNN -FNNニュースレポート11:30 -FNNニュース工場 -FNN DATE LINE -FNNスピーク -FNN World Uplink -ニュース&ウェザー -FNNスーパータイム -スーパータイムスペシャル -ゆく年くる年 -オレたちひょうきん族 -スターどっきり㊙報告 -森田一義アワー 笑っていいとも! -笑っていいとも!増刊号 -ワイドワイドフジ -荒川強啓のらくらくTOKIO -美味しんぼ倶楽部 -生島ヒロシのおいしいフライパン -生島ヒロシのもっと・自由な生活 -奥さまお手をどうぞ! -大江戸花火まつり -夕やけニャンニャン -夜のヒットスタジオ -志村けんのだいじょうぶだぁ -フジテレビ30年史 -露木茂の日曜TOP情報 -ニュースバスターズ -FNS番組対抗NG大賞 -スターかくし芸大会!栄光の30年スペシャル -オールスター家族対抗歌合戦(復活版)-ビッグトゥデイ -報道2001 -ザッツお台場エンターテイメント! -世界ゴッタ煮偉人伝 -クイズダービー -すばらしき仲間 -おはよう!グッデイ -オジサンズ11 -徹子の部屋 -今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王 -小林麻耶の本に会いたい -報道ライブ21 INsideOUT -アナテレビ -タケちゃんのFNS'97

FNSの日
FNS歌謡祭
出演テレビドラマ
出演テレビアニメ
出演ラジオ番組
同期入社
関連人物
関連項目
フジテレビアナウンス室長

高橋博 /大島秀麿 /本田義夫 /沢田純三 /奥田明利 /小篠菊雄 /今井彬?-1981 /山田祐嗣1981-1989 /永島信道1989-1999 /野間脩平1999-2001 /陣内誠2001-2005 /堺正幸2005-2009 /福井謙二2009-2012 /牧原俊幸2012-2014 /佐久間茂2014-2017 /立松嗣章2017-2019 /佐藤里佳2019-2021 /宮道治朗2021-2024 /山本剛志2024-現職

放送履歴
歴代製作総指揮
歴代総合司会
歴代番組パーソナリティー
歴代進行アナウンサー
ベース番組
通常番組からのコーナー
スピンオフ
枠内特別コーナー
関連項目
関連人物

注1:6月放送、注2:8月放送、注3:9月放送、注4:11月放送、注5:放送中止

カテゴリカテゴリ
報道2001歴代司会
年月男性女性
1992.4 -黒岩祐治松山香織
1994.4 -関戸めぐみ
1995.4 -筒井櫻子
1996.4 -久下香織子
1997.4 -露木茂佐々木恭子
1998.4 -田代尚子
1998.10 -吉崎典子
1999.12 -黒岩祐治
2002.4 -島田彩夏
2007.4 -長野翼
2007.10 -秋元優里
FNS歌謡祭 総合司会
男性総合司会女性総合司会
1974年 - 1975年小川宏吉永小百合
1976年浅茅陽子
1977年関口宏芳村真理
1978年 - 1986年露木茂
1987年 - 1989年露木茂
古舘伊知郎
-
1990年 - 1995年露木茂楠田枝里子
1996年 - 2004年川端健嗣
2005年 - 2007年草彅剛黒木瞳
2008年-
2009年草彅剛
2010年-
2011年 - 2012年高島彩
2013年滝川クリステル
2014年高島彩
加藤綾子
2015年 - 2016年渡部建森高千里
2017年 - 2018年森高千里
加藤綾子
2019年 - 2022年相葉雅紀永島優美
2023年 -井上清華
FNNスピークシリーズ歴代キャスター
期間タイトル男性女性
月 - 金月 - 水月 - 水
1982.4.11984.7.13FNNニュースレポート11:30放送なし露木茂1・2放送なし頼近美津子3放送なし
1984.7.161986.2.21小出美奈
1986.2.241986.2.28永麻理4
1986.3.31986.3.21吉崎典子4
1986.3.241986.5.16石野紀代子4
1986.5.191987.3.31小出美奈
1987.4.11987.9.30須田哲夫2
1987.10.11988.3.31FNNスピーク
1988.4.11988.12.30露木茂2野間脩平2牛尾奈緒美城ヶ崎祐子
1989.1.41989.3.10城ヶ崎祐子
1989.3.131989.3.17城ヶ崎祐子長野智子
1989.3.201991.3.29永麻理
1991.4.11992.3.31野間脩平2山中秀樹2・5松尾紀子
1992.4.11992.8.22FNNスピーク放送なし堺正幸6山中秀樹5・6・7・8城ヶ崎祐子松尾紀子木幡美子放送なし
1992.8.241993.3.31木幡美子近藤サト
1993.4.11994.3.31向坂樹興6山中秀樹8河野景子田代尚子阿部知代8・9
1994.4.11995.4.1堺正幸6田代尚子
1995.4.31996.3.30牧原俊幸
1996.4.11997.3.29川端健嗣8木幡美子平松あゆみ
1997.3.311998.3.28近藤サト木幡美子8
1998.3.301998.9.26向坂樹興8
1998.9.281999.3.31田代尚子
1999.4.12000.4.1牧原俊幸9
2000.4.32000.11.30木幡美子高木広子
2000.12.12002.3.30高木広子佐藤里佳9
2002.4.12005.6.25川端健嗣智田裕一9
2005.6.272006.9.30吉田伸男5
2006.10.22008.9.27奥寺健2島田彩夏2
2008.9.292009.9.26野島卓5藤村さおり
2009.9.282011.3.26石本沙織
2011.3.282012.9.29境鶴丸福原直英藤村さおり9
2012.10.12014.3.29野島卓戸部洋子9
2014.3.312014.4.26石本沙織
2014.4.282014.7.12石本沙織山中章子5
2014.7.142014.9.27斉藤舞子
2014.9.292016.4.1斉藤舞子山中章子5
2016.4.22016.12.25FNNスピークFNNスピークWeekend奥寺健12なし山中章子10
2017.1.42017.3.26山中章子藤村さおり
2017.3.272017.10.1山中章子
2017.10.22018.4.1山中章子11・12竹内友佳12
FNN DATE LINEシリーズ歴代出演者
期間タイトル名放送時間平日版週末版
平日版土曜日日曜日司会アシスタント
1986年10月1日1987年3月31日ニュース工場一本勝負!24:10 - 24:40なし山川千秋阿部知代なし
1987年4月1日1987年9月30日FNNニュース工場23:00 - 24:2023:30 - 24:40露木茂三竹映子永島信道1
1987年10月1日1987年11月16日FNN DATE LINE23:00 - 24:2023:30 - 24:40山村美智
1987年11月17日1988年3月31日なし
1988年4月1日1989年4月2日DATE LINE23:45 - 24:2023:30 - 23:45上田昭夫小出美奈山中秀樹2
1989年4月3日1990年3月31日23:45 - 24:3024:00 - 24:1523:30 - 23:45木村太郎2・3松尾紀子
期間メインキャスタースポーツキャスターお天気キャスター
アンカーマンアシスタント進行アシスタント
月 - 金曜日土 - 日曜日月 - 木曜日金曜日土 - 日曜日月 - 水曜日木・金曜日土 - 日曜日月 - 金曜日月 - 金曜日土 - 日曜日
1984年10月1日1985年3月29日逸見政孝1・2なし幸田シャーミン3なし河村保彦1江本孟紀なしなし(下記参照)なし
1985年4月1日1986年3月30日陣内誠4城ヶ崎祐子長田渚左森末慎二5川端健嗣逸見政孝(メインが兼務)
1986年3月31日1986年9月28日三宅正治
1986年9月29日1987年3月31日山中秀樹4
1987年4月1日1987年9月30日幸田シャーミン3野間脩平永麻理
1987年10月1日1988年3月31日野間脩平安藤優子笠井信輔
1988年4月1日1988年7月9日黒岩祐治安藤優子3小田多恵子筒井櫻子
1988年7月10日1989年4月2日塩原恒夫
1989年4月3日1989年9月30日上田昭夫有賀さつき上田昭夫
1989年10月1日1990年7月1日木幡美子
1990年7月2日1990年9月30日八木亜希子6吉田伸男
1990年10月6日1991年3月31日田代尚子
1991年4月1日1992年3月31日黒岩祐治小林穂波松井みどり黒岩祐治
1992年4月1日1993年9月26日露木茂7山中秀樹8吉崎典子9大坪千夏安藤優子
1993年9月27日1994年3月31日近藤サト佐藤里佳岩谷忠幸
1994年4月1日1994年9月30日松山香織3上田昭夫中井美穂
1994年10月1日1995年10月1日山形斉子岩谷忠幸10
1995年10月2日1995年12月3日菊間千乃八木沼純子10
1995年12月4日1996年3月31日濱田典子
1996年4月6日1997年3月30日富永美樹10
ビッグトゥデイ歴代総合司会・進行役ほか
期間放送時間(JST総合司会フィールドキャスターコーナーキャスターニュースコーナー芸能デスク
男性女性月・火
1995年
10月2日
1996年
5月31日
  • 月曜 - 金曜
  • 14:00 - 15:55
  • (115分)
佐藤充宏寺田理恵子1境鶴丸1・2・3(不在)春風亭昇太栗原はるみ(不在)露木茂4前田忠明2
1996年
6月3日
1997年
3月28日
ピーコ2
1997年
3月31日
1998年
3月27日
  • 月曜 - 金曜
  • 14:00 - 15:50
  • (110分)
杉浦広子5
1998年
3月30日
1999年
2月19日
平野文
1999年
2月22日
1999年
3月31日
島田彩夏6
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