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雪沢千代治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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雪沢千代治

雪沢 千代治(雪澤 千代治[1]、ゆきざわ ちよじ、1889年明治22年)4月1日 -1970年昭和45年)2月20日)は、日本の内務官僚政治家府県知事衆議院議員

経歴

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長崎県西彼杵郡雪浦村(現在の西海市)出身[2]。雪沢梅太郎の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1919年東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入り静岡県属となる。

以後、岩手県理事官兵庫県警視、内務事務官新潟県書記官・学務部長、内務省土木局港湾課長、大臣官房都市計画課長などを歴任。

1937年6月、岩手県知事に就任。以後、熊本県愛知県京都府の各知事を歴任。1944年4月、愛媛県知事兼四国地方行政協議会長となる。松山海運局長、四国軍需管理部長も務め、1945年4月に退官。日本医療団副総裁に就任。戦後公職追放となった。

1952年10月、第25回衆議院議員総選挙長崎県第1区自由党から立候補し当選。1953年4月の第26回総選挙で落選した。

その他、日本繊維工業株式会社顧問、東北電気製鉄株式会社取締役、東北製塩化学工業株式会社社長などを務めた。

1966年4月の春の叙勲で勲三等から勲二党に叙され、瑞宝章を受章する[1]

1970年2月20日、死去。80歳没。

栄典

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脚注

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  1. ^ab『官報』号外第48号2頁 昭和41年4月30日
  2. ^岩手県大鑑 時の人 1940, p. 215.
  3. ^『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 新岩手日報社編『岩手県大鑑』新岩手日報社紀元二千六百年紀念事業部、1940年。 
官職
先代
相川勝六
愛媛県の旗愛媛県知事
官選第34代:1944年 - 1945年
次代
土肥米之
先代
安藤狂四郎
京都府の旗京都府知事
官選第28代:1943年 - 1944年
次代
新居善太郎
先代
相川勝六
愛知県の旗愛知県知事
官選第32代:1942年 - 1943年
次代
吉野信次
先代
近藤駿介
熊本県の旗熊本県知事
官選第29代:1940年 - 1942年
次代
横溝光暉
先代
石黒英彦
岩手県の旗岩手県知事
官選第19代:1937年 - 1940年
次代
山内義文
定数5
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。
愛媛県の旗愛媛県知事(1944年-1945年)
官選
参事
県令
知事
公選
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京都府の旗京都府知事(1943年-1944年)
官選
公選
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愛知県の旗愛知県知事(1942年-1943年)
官選
県令
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公選
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熊本県の旗熊本県知事(1940年-1942年)
官選
県令
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公選
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岩手県の旗岩手県知事(1937年-1940年)
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