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雑賀陽平

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曖昧さ回避西岸良平」とは別人です。
雑賀 陽平
本名石井 利信[1]
生誕1950年3月8日
兵庫県神戸市
死没 (2005-04-25)2005年4月25日(55歳没)
兵庫県尼崎市
職業会社役員(東邦アート(株)大阪支店長)
漫画家
活動期間1971年 - 2005年
受賞第20回新人賞(漫画雑誌「COM」10月号、1971年)
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雑賀 陽平(さいが ようへい、本名:石井 利信1950年3月8日[2] -2005年4月25日)は、兵庫県神戸市出身の漫画家

来歴

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1968年兵庫県立夢野台高等学校卒業。1971年、漫画雑誌「COM」10月号に於いて、『我らの時代-失われない世界-』で第20回新人賞を受賞[1]。その後、1980年創刊の季刊誌「漫金超(まんがゴールデンスーパーデラックス)」ではいしいひさいち川崎ゆきおなどとともに活躍。作品数は多くはなかったが、ラジカルなナンセンス漫画家として知られた。その後は「週刊朝日」の『デキゴトロジー』を夏目房之介と担当していた他、「夕刊フジ」や「神戸新聞」などに4コマ漫画を連載していた。

その後は本業である画廊「東邦アート」の大阪支店長を務め、漫画家としての活動は休止していたが、2005年4月25日、通勤途中にJR福知山線脱線事故に遭遇し急逝した[1]。55歳没。

没後、家族に宛てた絵手紙を展示する「家族の絵手紙展」が不定期に開催されており[3]2007年4月には房江夫人による手記『最後の絵手紙―福知山線脱線事故で夫を失った妻の手記』を幻冬舎より出版[4]2011年1月4日、公式サイト「さいがようへい.com」をオープン(現在は閉鎖)。

作品一覧

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  • 我らの時代
  • 我らの時代-失われない世界-
  • とのおー

脚注

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  1. ^abc漫画家・雑賀陽平さん、尼崎事故で風刺とともに散り いしいひさいち氏らとナンセンスギャグ競演 -ウェイバックマシン(2012年12月9日アーカイブ分)
  2. ^『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.253
  3. ^■ 石井利信(Y20)「家族の絵手紙」展のお知らせです。/事務局から投稿」『一般社団法人親蔦会』2015年4月13日。2025年4月22日閲覧
  4. ^最後の絵手紙 / 石井 房江【著】」『紀伊國屋書店ウェブストア』。2025年4月22日閲覧

関連項目

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外部リンク

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