| この項目では、本名:「戸塚 哲也」と名乗る作家・雁屋哲について説明しています。サッカー選手については「戸塚哲也」をご覧ください。 |
| 雁屋 哲(かりや てつ) | |
|---|---|
| 本名 | 戸塚 哲也(とつか てつや) |
| 生誕 | (1941-10-06)1941年10月6日(84歳) |
| 国籍 | |
| 職業 | 漫画原作者、エッセイスト |
| 活動期間 | 1972年 - |
| ジャンル | 漫画の原作・構成 |
| 代表作 | 『男組』(画:池上遼一) 『美味しんぼ』(画:花咲アキラ) |
| 受賞 | 第3回新語・流行語大賞新語部門(1986年、『究極』) 第32回小学館漫画賞青年一般部門(1987年) |
| 公式サイト | kariyatetsu |
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雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉10月6日 - )は、日本の漫画原作者、エッセイスト。のりこえねっと共同代表。本名:戸塚 哲也(とつか てつや)。別名に阿月田 伸也(あづきだ しんや)、瀬叩 龍(せたたき りゅう)、雁屋F(かりや えふ)[1]がある。
1941年(民国30年、昭和16年)10月6日、中華民国北京特別市に誕生。終戦後に日本に引き揚げ、東京田園調布[2][3][4]で育つ。結核性の感染症に冒されて小中学生時代は入退院を繰り返し、医者にかかる機会が多かったことから自らも医師を志望していたが、東大病院の建物の陰気さに嫌悪感を持ち、志望を変更した[5]。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。
大学入学時は学者志望だったが、大学4年の夏に「大学に残っているより、もっと生々しい人間社会の実態を知りたい」と[6]、大学卒業後広告会社の電通へ入社して3年9ヵ月間の会社員生活を送る。しかし、会社組織には順応できず、在籍中に漫画原作者として活動を始める。1974年(昭和49年)に退社後はフリーランスとして本格的に活動を開始した。初期は男性向け雑誌、少年誌などで劇画をメインに原作を手掛け、テレビ化、映画化された作品もある。
1983年(昭和58年)にグルメ漫画『美味しんぼ』を花咲アキラの作画で連載を開始した。1988年(昭和63年)にオーストラリアのシドニーに移住。日本の「食」についてのエッセイも発表している。1990年代後半には論壇誌『週刊金曜日』で、漫画『蝙蝠を撃て!』『マンガ日本人と天皇』をシュガー佐藤作画で発表している。
1972年(昭和47年)に阿月田伸也名義で池上遼一とともに講談社『週刊少年マガジン』上で連載開始し、主人公の孤児が競輪で活躍するスポーツ根性を描いた『ひとりぼっちのリン』が初作品である。以後、男性的で反権力的な劇画作品を多く手がけ、屈強な肉体と精神を持つ若者[※ 1]が、人間を蹂躙する腐敗した権力と対決するものが多い。少年誌連載作品では『男組』『男大空』などがある。
この時期の青年誌連載作品の代表作である『野望の王国』は、男組から180度転換し、権力を手に入れようとする悪人による暴力と殺戮が中心のピカレスク的内容となり、現在でもカルト的な人気を得ている。日本文芸社より出版された「完全版」の後書きにて雁屋は「『野望の王国』は、人間社会を動かしているものの根本は暴力であることを、きれいごとなしに描いたつもりである」と述べている。
雁屋にとって転換点となったのは、『風の戦士ダン』である。従来、作画担当が原作に無い要素を入れる事を好まない雁屋であるが、作画の島本和彦は本作品において原作に無いギャグを入れた。しかし、雁屋はそれを面白いとして承諾し、さらには原作執筆時にもギャグを入れるようになった。これが暴力漫画一辺倒であった雁屋にとっての転換点となり、『美味しんぼ』のヒットの伏線となる[※ 2]。島本は、作品の中でつらい目に遭う主要キャラに「同じ原作者の作品でもこうも違うものか!!『美味しんぼ』ではウマいモノ食っては文句を言い。更にウマいモノ食ってる。というのに!!」と、自身の不満をセリフに書き、社会現象にまでなった当時の『美味しんぼ』との違いをギャグにしている。
1983年(昭和58年)、『美味しんぼ』を若手漫画家の花咲アキラとのコンビで小学館『ビッグコミックスピリッツ』誌上にて連載開始。作中で東西新聞社が掲載する「究極のメニュー」を描き、究極という言葉が1986年(昭和61年)に新語・流行語大賞新語部門金賞に選ばれた[8]。以後現在に至るまで連載が継続し、単行本の売上は累計1億冊を突破している。1987年(昭和62年)、第32回小学館漫画賞の青年一般部門を受賞した。アニメ、ゲーム、テレビドラマ、映画化もされている。
『美味しんぼ』は、雁屋作品では最長の連載期間・最高の単行本売り上げ部数となり、商業的に成功した漫画である。一方で1990年代からは少年誌・青年誌向けの新たな作品を発表していないため、野望の王国に代表される従来のようなバイオレンス漫画の原作者としての活動はほとんど行っていない。そのため『美味しんぼ』の連載以降については、むしろ本作品が雁屋の代表作とされる。後に雁屋がブログを開設する際も、タイトルを「美味しんぼ日記」とし、自らもそれを認めている。雁屋はグルメブーム批判のために原作を担当したが、本作の誕生によって料理漫画からグルメ漫画と呼ばれるようになってしまった[9]。また自身をグルメ作家、食通扱いされることに対しては嫌悪感を示し、作中でも「食通」や「グルメブーム」の虚飾と俗物振りを度々批判している。
『美味しんぼ』はグルメ以外にも食の安全や倫理に関する話題を多く取り上げており[※ 3]、そのため戦後の食文化に一石を投じたとして評価されることがある。しかし、作中で実在のメーカーや特定の商品を取り上げて批判することもある(味の素、アサヒビール、サントリーなど)。また、食関係の知識について誤った認識のまま掲載したケースも数例存在し、これに対する批判もある[※ 4]。
食文化や、食に絡んだ政治的なテーマを扱うことも多く、第13巻「激闘鯨合戦」では捕鯨とそれに絡む日本文化を紹介しながら「捕鯨は文化である」と訴えた。2009年(平成21年)、自身のブログ「美味しんぼ日記」において、捕鯨妨害活動を行う反捕鯨団体シーシェパードは海賊を通り越して「テロリスト」であると批判、自衛隊艦船を送り込むのは当然であるとした上で、シーシェパードの拿捕と乗組員の逮捕拘引を主張した[10]。同時に、活動を黙認しているオーストラリア政府も批判した。豪州については第33巻「魅惑の大陸(後編)」では同国を「世界でも一番進んだ思想であるオーストラリアの多文化主義」と憧れて自ら移住もしたが[11]、第65巻「オーストラリアの危機(中編)」では豪州において差別主義が台頭しつつあることを取り上げ、作中人物に「今はあまり行かない方がいい国だ」と言わせ、観光でも行くことは危険であると、過去の考えを改め痛烈に批判した[12][13]。
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| 関連楽曲 | |
日本の反レイシズム | |||||||
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| 主導団体 | 対レイシスト行動集団(旧「レイシストをしばき隊」) -男組 -憂国我道会 -のりこえねっと -ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会 -友だち守る団 -反差別国際運動 -レイバーネット日本 | ||||||
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| 活動 | |||||||
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| 関連項目 | |||||||
| 第1回(1984年) |
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| 第2回(1985年) |
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| 第3回(1986年) |
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| 第4回(1987年) |
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| 第5回(1988年) |
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| 第6回(1989年) |
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| 第7回(1990年) |
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| ※受賞者の役職は当時のもの。 | |||||