| 阿川 佐和子 | |
|---|---|
| 誕生 | (1953-11-01)1953年11月1日(72歳) |
| 職業 | エッセイスト タレント |
| 最終学歴 | 慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業 |
| 代表作 | 『朝のホットライン』 『ビートたけしのTVタックル』 『サワコの朝』 |
| 主な受賞歴 | 1999年:講談社エッセイ賞(『ああ言えばこう食う』) 1999年:坪田譲治文学賞(『ウメ子』) 2008年:島清恋愛文学賞(『婚約のあとで』) |
| 配偶者 | 既婚(2017年 - ) |
| 親族 | 阿川甲一(祖父・父方) 増田清(祖父・母方) 阿川弘之(父) 阿川尚之(兄) |
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| プロフィール | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1953年11月1日 | ||||
| 現年齢 | 72歳 | ||||
| 出身地 | |||||
| 血液型 | O型 | ||||
| 公称サイズ(2008年4月時点) | |||||
| 身長 /体重 | 150cm /―kg | ||||
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| 活動 | |||||
| デビュー | 1981年(昭和56年) | ||||
| ジャンル | タレント・エッセイスト | ||||
| モデル:テンプレート -カテゴリ | |||||
阿川 佐和子(あがわ さわこ、1953年11月1日 - )は、日本のエッセイスト・小説家・タレント。150cm(2024年時点では自称146cm[1])。
作家・阿川弘之の長女として東京都で誕生。幼少期(2〜3歳)の1年間は広島市の伯母宅で育つ[2][3][4]。その後、東京の中野区鷺宮、新宿区四谷へと移る。中野区立若宮小学校[5]、新宿区立四谷第六小学校[6]、東洋英和女学院中学部・高等部を経て[7]、慶應義塾大学文学部西洋史学科を卒業[8]。
卒業後は織物職人を目指し、その過程でいくつかのアルバイトを経験。1981年、『朝のホットライン』でリポーターを務め、1983年より『情報デスクToday』のアシスタントを務める。1989年からは『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを務める。1992年に米国ワシントンへ渡り、帰国後は『報道特集』のキャスターとなる。1993年には週刊文春で「阿川佐和子のこの人に会いたい」の連載が始まる。硬派な報道番組に出演し続けていたため「報道キャスター」のイメージが強かったが、1998年『ビートたけしのTVタックル』の進行役でビートたけしや大竹まことを筆頭に浜田幸一、三宅久之などの強烈な共演者に臆することなく適度にツッコミを入れつつ進行に徹する姿がうけ、タレント性の才能も引き出される。2011年10月1日には、自身の名を冠した土曜朝のトーク番組『サワコの朝』(TBS)が放送開始。2012年、『聞く力―心をひらく35のヒント』(文春新書)を上梓[9]。同書はトーハン発表の「2012年年間ベストセラー」で総合1位を記録し[10]、「2013年年間ベストセラー」においても総合3位を記録する大ヒットとなった[11]。2015年3月15日には、博物館明治村の4代目村長に就任し、初の女性村長となる[12]。2017年5月9日に元・大学教授との婚姻届を提出、結婚したことが報道された[13][14][15]。檀ふみとは同じ大学出身、かつ父親が有名作家同士であるなど共通点が多いために親密であり、共著も多くCMでも共演している。
「佐和子」という名前を名づけたのは父・弘之であるが、これは阿川家とは縁もゆかりもない「南佐和子」という女性の墓石から父が勝手に取ったものである。これは、兄・尚之の出生時、父が師と仰ぐ志賀直哉の『暗夜行路』に出てくる直子と名付けるつもりだったが、男児だったため日赤病院へ向かう道すがら、偶然通りかかった立山墓地(青山霊園の飛び地)の墓石の「南尚之」という文字が目に入り、この名前を拝借して尚之と名付けた(ただし、当時は尚も之も当用漢字ではなかったため役所で受理されず、仕方なくカタカナで「ナホユキ」と申請し、両字が当用漢字に追加されてから改名した)ため、次に生まれた佐和子も、同じ南家の墓石から名付けられた[16]。
童謡「サッちゃん」などで知られる阪田寛夫と阿川弘之は友人関係にあり、 娘の内藤啓子や大浦みずきとは幼馴染で、鷺宮の同じ団地の阪田家にはしょっちゅう上がり込んでいた[17]。なお、童謡サッちゃんのモデルは自分ではないと阿川は述べている。
ある日、阪田に「お宅(阿川家)のかつお節弁当の作り方わかる?」と尋ねられ、楽曲制作のヒントを求めていると感づいた阿川は「みんなのうた」用の楽曲として制作されることを期待して詳しく説明をした。そのアイデアは後年、山本直純作曲の合唱組曲「遠足」の第3曲「おべんとう」として発表された[18]。
新幹線のぞみ号の名付け親である。新型新幹線の名称決定委員に任命された際、鉄道好きの父・弘之から「日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた」とのアドバイスを受ける。候補に挙がった名前で大和言葉は「つばめ」しかなく、委員会の終盤に父の言葉とともに、最有力候補となっていた「希望(きぼう)」を大和言葉にすると「のぞみ」になることを述べ、最終的にこれが採用されることとなった[19]。
2013年(平成25年)6月22日にフジテレビで放送(関西テレビでは6月15日に放送)された『さんまのまんま』にゲストとして出演した阿川が語ったところによると、明石家さんまが主演したトレンディドラマ『男女7人夏物語』で主要登場人物7人のうちの1人を俳優以外から選ぶ方針があり、その人選の中で阿川もまた出演者の候補として挙げられていた。しかし放送当時、阿川は報道系番組『情報デスクToday』に出演していたこともあり、事務所が阿川本人に無断で出演の話を断ってしまい、後にその事実を知らされた阿川は幻のドラマ出演をとても残念がった[注 1]。その役は小川みどりが務めた。
軽井沢にあった父弘之の別荘を受け継ぎ、度々滞在している。また2013年から、軽井沢に住むセント・アンドリュース出身のスコットランド人とヒッコリーゴルフ(クラシックスタイルのゴルフ)のイベント「阿川佐和子トロフィー」を軽井沢プリンスホテル晴山ゴルフ場で年2回開催しており、このイベントが日本におけるヒッコリーゴルフの静かなブームを生んだ[21]。
母方の祖父が増田清(建築家)
報道・情報番組
| 期間 | 番組名 | 役職 | |
|---|---|---|---|
| 1981年10月 | 1990年3月 | 朝のホットライン(TBS) | リポーター |
| 1983年10月 | 1989年9月 | 情報デスクToday(TBS) | アシスタント |
| 1989年10月 | 1991年3月 | 筑紫哲也 NEWS23(TBS) | 第2部でのサブキャスター |
| 1993年4月 | 1994年9月 | JNN報道特集(TBS) | キャスター |
| 1998年2月 | 現在 | ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日) | 進行レギュラー |
| 2005年10月2日 | 2007年3月25日 | スタ☆メン(フジテレビ・関西テレビ) | MC |
その他
など
| 「NEWS23(第2期)」(第2シリーズ) - 「news23」の 歴代キャスター ('16.4 - ) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 「NEWS23(第2期)」(第1シリーズ)の 歴代キャスター ('13.4 - '16.3) |
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| 「筑紫哲也NEWS23」 - 「NEWS23(第1期)」の 歴代キャスター |
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| 「NEWS23X(クロス)」の 歴代キャスター |
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| 市民対話出演の国家首脳 | |||||||||||
| 歴代テーマ曲のアーティスト | |||||||||||
| 関連人物 | |||||||||||
| 前身番組 | |||||||||||
| 関連番組 |
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| 関連項目 | |||||||||||
| 1 2019年6月よりアンカーとして出演。2 2012年春より単独メイン。3 月曜-木曜担当。4 金曜担当。5 サブキャスター兼務(蓮見は2012年10月から)。6 後藤のメイン就任後はスペシャルアンカーとして随時出演(2008年3月まで)。7 番組開始から1997年9月まで。8 金曜日のみ出演。9 筑紫哲也夏季休暇時のメインキャスター代理。10 膳場貴子不在時のメインキャスター代理。11 番組開始前、筑紫にキャスター就任の要請あり(実際のメインキャスターは森本毅郎)。 | |||||||||||
第15回講談社エッセイ賞 | |
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| 第1回 - 第10回 |
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| 第11回 - 第20回 |
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| 第21回 - 第30回 |
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| 第31回 - 第40回 | |
| 第1回 - 第10回 | |
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| 第11回 - 第20回 | |
| 第21回 - | |
| 10代 | |
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| 20代 | |
| 30代 | |
| 40代 | |
| 50代 | |
| 60代 以上 | |
| 男性 | |
| 特別 賞 | |
| *は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象 | |