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関西棋院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関西棋院
Kansai Ki-in
団体種類一般財団法人
設立1950年9月2日
所在地日本の旗日本大阪府大阪市中央区北浜1-1-14号 北浜一丁目平和ビル
北緯34度41分28.7秒東経135度30分31.2秒 / 北緯34.691306度 東経135.508667度 /34.691306; 135.508667座標:北緯34度41分28.7秒東経135度30分31.2秒 / 北緯34.691306度 東経135.508667度 /34.691306; 135.508667
法人番号1120005015278ウィキデータを編集
主要人物理事長 池坊雅史
活動地域日本の旗日本
主眼棋道の発展と普及をはかり日本文化の一翼を担う囲碁を伝承すること
ウェブサイトhttps://kansaikiin.jp/
テンプレートを表示
囲碁

一般財団法人関西棋院(かんさいきいん)は囲碁棋士を統括し、近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動を行う組織(一般財団法人)。日本棋院から1950年に分離独立。2025年現在、135人の棋士が所属している。機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行していた(月刊誌としては2019年4月号までで、同年5月からは季刊に移行)。

なお、同じく大阪府大阪市にある囲碁団体の関西総本部日本棋院関西支部であり、関西棋院とは別の組織である。

概要

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本院は大阪府大阪市中央区北浜にあり、全棋士が本院所属である。

事業活動として、プロ棋士の対局の実施運営、 各種囲碁大会・囲碁セミナー・囲碁ツアーの実施。機関紙『囲碁関西』など出版事業、免状の発行、囲碁サロン・囲碁教室・子ども囲碁学園の経営、 囲碁ネット事業等。2010年現在、48支部ある。

所属棋士が各種タイトル戦に参加する場合、まず3段階(ABC方式)の院内予選を行ない、その勝者が日本棋院所属棋士と混合の最終予選に出場することが多い[注 1]。また関西棋院独自の棋戦として、関西棋院第一位決定戦産経プロアマトーナメント戦がある[注 2]。その一方、本因坊戦最終予選の参加枠は4人(日本棋院の7分の1)に限られ、竜星戦阿含桐山杯NECカップ囲碁トーナメント戦についても出場制限が課されている。

日本棋院同様の院生からの入段(プロ入り)制度とは別に、特例で年長のアマ強豪をプロ編入してきた歴史があり、陳嘉鋭坂井秀至石井茜らにプロ棋士への道を開いた。2009年からは「研修棋士制度」としてプロ編入試験(試験碁)を制度化し[1]、2018年まで運用された。2018年からは、後継の制度として「外来棋士採用試験」が導入されている[2]

歴史

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独立までの動き

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日本棋院設立から昭和初期までの関西囲碁界は、主な棋士は日本棋院に参加し、関西支部(後に関西本部)が設立されていた。中心にいたのは久保松勝喜代光原伊太郎などで、独自の大手合も行っていたが、五段以上の昇段は東京でなければ認められず、若手の高川格田中不二男をはじめ、有力な棋士は東京の大手合にも参加していた。

終戦後は、戦時中に宝塚に疎開していた橋本宇太郎を中心にまとまり、関西在住の棋士達の待遇面(主に昇段制度、交通関係)での地位向上を目指した。1947年(昭和22年)には、空襲で焼けた日本棋院会館の復興のために全棋士による募金活動が行われ、関西支部には計50万円の目標が課せられたが、関西でも資金が必要であることから、募金の半分を東京に送ることにして募金を行った。その結果100万円が集まったが、全額を関西で使おうという意見が棋士や後援者で強まり、関西の会館の建物を買い、財団法人関西棋院として財務上は独立した組織となった。

東西対立から独立

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関西棋院が法人として独立した後も、日本棋院との関係はそれまでとは変わりなかった。1950年(昭和25年)には日本棋院と関西棋院の12人ずつの選手による東西対抗戦、及び東西対抗勝ち抜き戦が行われた。この際、藤沢秀行に敗れた佐藤直男が涙を流して悔しがり、梶原武雄に逆転負けを喫した炭野武司が奇声を発して部屋中を飛び回るなど、東西の対抗意識は激化していった[3]

同年第5期本因坊戦で橋本宇太郎が本因坊位を獲得するが、その就位式席上で日本棋院津島寿一総裁が、これまで2年で1期だった本因坊戦を1年1期に改めると述べた。これが本因坊である橋本当人に相談もなく決められたことで、関西棋院の猛反発を呼ぶこととなった。関西棋院内部には独立派と協調派が生まれるが、多数となった独立派により同年9月に免状発行権を持った組織として独立が宣言される。協調派の棋士はここから分かれ、日本棋院関西総本部を設立した[4]

翌年の第6期本因坊戦では、日本棋院新鋭の期待株坂田栄男が挑戦権を得た。この七番勝負で橋本は坂田に1勝3敗に追い込まれたが、そこから3連勝して本因坊を防衛。もしこの勝負に橋本が敗れていたら関西棋院は発足直後に解散に追い込まれていただろうとも言われている[5]

また1958年に日本棋院東海本部が中部総本部に再編成した際に、伊神肇、植松弘聖らが離脱して、名古屋市に関西棋院中部総本部を設立した。

発展と現状

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1960年代から70年代にかけては、橋本宇太郎と橋本昌二の「両橋本」(両者に血縁関係はない)が関西棋院の二枚看板となり、十段王座のタイトルを奪うなど活躍した。1962年には名人戦リーグに10名中4名、本因坊リーグにも8名中3名の関西棋院所属棋士が参加(半田道玄が本因坊挑戦権獲得)、第1期・第2期の十段の座を橋本宇太郎と半田道玄の関西勢同士が争うなど、大いに気勢を上げた。橋本昌二は「組織存続のため、日本棋院との戦いは死活問題だった」と語る[6]

しかし日本棋院との緊張関係が緩和に向かった上、独立によって日本棋院所属棋士との対局機会が減少したこともあり、所属棋士の活躍は次第に目立たなくなった。七大タイトル保持者も、1981年の橋本昌二(王座)以降、長らく出現しなかった(次項参照)。三大タイトル(棋聖・名人・本因坊)リーグ在籍者もゼロの年が目立ちはじめ、特に本因坊リーグへは2000年度(結城聡)以降、2009年度(同)まで参加がなかった。

しかし2010年になり、坂井秀至が碁聖のタイトルを奪取すると、結城聡天元位を獲得してこれに続いた。2014年には村川大介井山裕太から王座を、2019年にはやはり井山から十段を奪取するなど、かつての勢いを取り戻した。2012年の第68期本因坊リーグは8名中3名(32期ぶり)、2013年の第38期名人戦リーグも9名中3名を関西棋院勢が占めた。

中部総本部には一時は20名を超える棋士が所属したが、2010年3月末をもって閉鎖された[7]

2012年4月1日、法人制度改革に伴い、公益法人より活動の制約が少ない一般財団法人となった[8]。日本棋院との再統合も何度か話題に上っているが、未だに実現していない。アジア大会の際、日本棋院と共に全日本囲碁連合結成に参加するなど、そのあり方の模索が続いている。

その一方で小学生の藤田怜央が英才特別採用され、2022年9月1日に初段でデビュー、それまでの仲邑菫を上回り9歳4ヶ月を更新することになった[9]

顕彰

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→詳細は「関西棋院賞」を参照

1973年に関西棋院賞を創設し、最優秀棋士賞、利仙賞(敢闘賞)、道玄賞(殊勲賞)、新人賞を設ける。1981年からは連勝賞、1992年には永井賞(30歳未満が対象)、山野賞(普及貢献賞)、2007年には吉田賞(対外戦最多勝)を設けた。

関西棋院棋士のタイトル戦

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関西棋院棋士の七大棋戦での成績を示す。なお、七大棋戦の総数は1952年まで本因坊戦のみの1棋戦、1953年に2棋戦、1962年に4棋戦、1975年に5棋戦、1976年に6棋戦、1977年に7棋戦である。詳細は日本の囲碁タイトル在位者一覧を参照。色付きはタイトル獲得。

年代

(結果)

棋戦関西棋院棋士結果相手
1940年代

(出場4、

獲得3)

1941年本因坊関山利一3-3加藤信
1943年本因坊橋本宇太郎1-0関山利一
1945年本因坊橋本宇太郎0-2岩本薫
1949年本因坊橋本宇太郎4-0岩本薫
1950年代

(出場8、

獲得5)

1951年本因坊橋本宇太郎4-3坂田栄男
1952年本因坊橋本宇太郎1-4高川格
1953年王座橋本宇太郎1-0前田陳爾
1955年王座橋本宇太郎2-1島村利博
1956年王座橋本宇太郎2-0坂田栄男
1957年王座半田道玄0-2島村利博
1958年王座半田道玄0-2藤沢朋斎
1959年王座橋本昌二2-0山部俊郎
1960年代

(出場6、

獲得4)

1960年王座半田道玄2-0大窪一玄
1962年十段橋本宇太郎3-1半田道玄
本因坊半田道玄1-4坂田栄男
1963年十段半田道玄3-1橋本宇太郎
1965年王座半田道玄2-0大窪一玄
1967年王座橋本昌二0-2藤沢秀行
1970年代

(出場7、

獲得1)

1971年王座橋本昌二0-2坂田栄男
1972年王座橋本宇太郎1-2坂田栄男
1974年十段橋本昌二3-1坂田栄男
1975年十段橋本昌二0-3林海峰
1977年棋聖橋本宇太郎1-4藤沢秀行
天元苑田勇一1-3島村俊宏
1979年十段橋本昌二1-3加藤正夫
1980年代

(出場6、

獲得1)

1981年十段橋本昌二2-3大竹英雄
王座橋本昌二2-1加藤正夫
1982年王座橋本昌二2-0加藤正夫
1986年天元苑田勇一1-3小林光一
1988年天元苑田勇一1-3趙治勲
1989年碁聖今村俊也1-3小林光一
1990年代

(出場2、

獲得0)

1997年碁聖結城聡1-3依田紀基
1998年碁聖苑田勇一0-3依田紀基
2000年代

(出場6、

獲得0)

2002年碁聖結城聡1-3小林光一
2005年棋聖結城聡3-4羽根直樹
碁聖結城聡0-3依田紀基
2007年王座今村俊也1-3山下敬吾
碁聖横田茂昭0-3張栩
2009年碁聖結城聡0-3張栩
2010年代

(出場13、

獲得5)

2010年碁聖坂井秀至3-2張栩
天元結城聡3-0山下敬吾
2011年碁聖坂井秀至2-3羽根直樹
天元結城聡0-3井山裕太
2013年十段結城聡3-2井山裕太
2014年十段結城聡2-3高尾紳路
王座村川大介3-2井山裕太
2015年王座村川大介0-3井山裕太
2016年碁聖村川大介0-3井山裕太
王座余正麒0-3井山裕太
2017年十段余正麒1-3井山裕太
2018年十段村川大介0-3井山裕太
2019年十段村川大介3-1井山裕太
2020年代

(出場5、獲得0)

2020年十段村川大介1-3芝野虎丸
2022年十段余正麒0-3許家元
王座余正麒0-3井山裕太
2023年王座余正麒2-3井山裕太
2024年本因坊余正麒0-3一力遼

所属棋士

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他、総勢138名(2019年2月現在[10]

役員

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段位の記載がある人物は関西棋院所属棋士。

(2025年7月現在[12]

参考図書

[編集]

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^ただし棋聖戦は第1期から第24期まで、各段優勝戦が両棋院混合で行なわれていた。第25期からリーグ制移行に伴い、他棋戦同様に院内予選がおこなわれるようになったが、第29期以降は予選C段階から日本棋院中部総本部・関西総本部との混合で行なわれている。
  2. ^かつては関西棋院選手権戦(神戸新聞社主催)や関西棋院早碁名人戦(産経新聞社主催)もあった。関西棋院選手権戦は天元戦に、関西棋院早碁名人戦は十段戦にそれぞれ統合された。

出典

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  1. ^アマ向け碁の試験 プロに勝てば囲碁棋士に 関西棋院”. 朝日新聞. 2019年2月18日閲覧。
  2. ^外来棋士採用試験規定”. 関西棋院. 2019年2月18日閲覧。
  3. ^藤沢秀行『不滅の抗争譜 昭和の名局2』日本棋院刊、1980年、106頁。 
  4. ^『昭和囲碁風雲録(上) 』岩波書店、2003年、293-296頁。 
  5. ^藤沢秀行『不滅の抗争譜 昭和の名局2』日本棋院刊、1980年、127頁。 
  6. ^“関西の若手 台頭の兆し 「西高東低」の囲碁会に旋風”. 神戸新聞. (2005年4月5日). http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-501.html 題字ママ[リンク切れ]
  7. ^『碁ワールド』2010年5月号
  8. ^“一般財団法人に関西棋院が移行”. 朝日新聞. (2012年4月10日). http://www.asahi.com/igo/topics/TKY201204100330.html 
  9. ^囲碁の最年少プロ誕生へ、9歳4か月の藤田怜央君…仲邑菫二段の10歳0か月抜く”. 読売新聞社 (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  10. ^関西棋院所属棋士”. 関西棋院. 2019年2月18日閲覧。
  11. ^【訃報】永井 一夫 副理事長”. 関西棋院 (2024年7月18日). 2025年7月15日閲覧。
  12. ^関西棋院概要”. 関西棋院. 2025年7月15日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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国際プロ棋戦
個人戦
団体戦
その他
日本の棋戦
七大タイトル
その他公式戦
全棋士参加可
一部棋士参加可
女流棋戦
非公式戦
休止・終了
棋戦
2011–25年に終了
2001~10年に終了
2000年以前に終了
七大タイトルの前身
関連項目
韓国の棋戦
タイトル
その他
中国の棋戦
タイトル
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台湾の棋戦
年別の棋戦
ヨーロッパの棋戦
北米の棋戦
国際アマチュア棋戦
日本の現役囲碁棋士
七大タイトル
保持者
名誉称号
保有·有資格者
七大タイトル
在位経験者
九段
八段
七段
六段
五段
四段
三段
二段
初段
棋士は日本棋院または関西棋院所属。Wikipediaに項目のある棋士のみ記載。日本の囲碁棋士一覧も参照。
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