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高橋惠子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関根恵子から転送)

曖昧さ回避高橋恵子」はこの項目へ転送されています。心理学者については「高橋恵子 (心理学者)」をご覧ください。
曖昧さ回避1960年生で1981年に「高橋恵子」の芸名でデビューした女優の「高橋彩夏」、「高橋京子」、「高橋圭子」、「高橋桂子」、あるいは「高橋佳子」とは別人です。
たかはし けいこ
高橋 惠子
高橋 惠子
本名高橋 惠子
別名義関根 恵子(旧姓・旧芸名)
生年月日 (1955-01-22)1955年1月22日(70歳)
出生地日本の旗日本北海道川上郡標茶町
血液型AB型
職業女優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1970年 -1977年1980年 - 現在
配偶者高橋伴明(1982年 - )
著名な家族秋山佑奈(長女)
事務所ブロウアップ
公式サイト高橋惠子 公式ホームページ
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
泣くな青春
過ぎし日のセレナーデ
葵 徳川三代
ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜
映画
高校生ブルース
朝やけの詩
神田川
青春の門
ラブレター
大日本帝国』 
ふみ子の海
受賞
毎日映画コンクール
女優助演賞
2008年ふみ子の海
田中絹代賞
2010年
日本映画批評家大賞
助演女優賞
2008年ふみ子の海
ゴールデンアロー賞
新人賞(1970年)
山路ふみ子映画賞
山路ふみ子文化財団特別賞(2016年)
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高橋 惠子(たかはし けいこ、1955年昭和30年〉1月22日 - )は、日本女優血液型AB型身長162cm。本名:同じ、旧芸名・旧姓:関根 恵子(せきね けいこ)。芸能事務所ブロウアップを主宰。

北海道川上郡標茶町(字磯分内熊牛原野とされる)出身[1]。小学6年生からは、東京都府中市で育つ。

略歴

2022年2月撮影

中学校時代から持ち前の大人びた容貌で芸能スカウトの目に留まり、2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされ[2]1970年春の中学卒業と同時に大映へ入社[3]

1970年、映画『高校生ブルース』に旧姓(当時の本名)関根恵子の芸名で主演デビューを果たす[4][5]。同年の映画『おさな妻』では子連れの男性と結婚する17歳の役で出演し、この演技によりゴールデン・アロー賞新人賞受賞[6]

1971年11月末に大映が倒産したことにより五社協定が自然消滅し、東宝へ移籍した[7]。翌1972年『新・だいこんの花』にレギュラー出演し、竹脇無我の妻役を務めた[注釈 1][8]

同年7月から東宝と日本テレビが共同制作していた人気テレビドラマ太陽にほえろ!』に、ヒロインである七曲署(ななまがりしょ)の婦人警官「シンコ」役で2年間[9]レギュラー出演し、人気女優となる[1]

1973年熊井啓監督の映画『朝やけの詩』に主演[10]

1974年3月、『太陽にほえろ!』で共演した松田優作の劇団「F企画」の旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを果たした[11]

1977年、年明け直後からストレスがピークとなったことから心のバランスを崩して一時女優業を休業。1979年に女優復帰を願うも、出演予定だった舞台『ドラキュラ』の公演直前、当時新進作家の河村季里と海外失踪騒動を起こした。一時芸能界引退を決意するが、その後元気を取り戻したことから1980年1月に芸能界復帰会見を開いて活動を再開(これらの騒動について詳しくは後述)。

1982年、にっかつロマンポルノ10周年記念の大作『ラブレター』に主演し、同作品はロマンポルノ史上最高の興行収入を記録した[12]。『ラブレター』公開後、所属事務所との契約が切れる時期に、かつて『太陽にほえろ!』で共演した萩原健一からの誘いを受けて、比較的小規模の事務所に移ることとなった[13]

1982年操上和美撮影のヌード写真集が発売された[14]。同年三菱銀行人質事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』で映画監督の高橋伴明[注釈 2]と知り合い結婚[6][15]、同時に芸名も高橋惠子に改名[1]。以後は大人の落ち着きある女性の役柄を数多くこなしている。

1992年、NHK大河ドラマ信長 KING OF ZIPANGU』で織田信長の母「るい」役を1年間担当する。

1997年、蜷川幸雄演出の『近松心中物語』で4年連続で大役を演じたことで様々な舞台出演を依頼されるようになり、以降精力的に活動している[1]

2012年11月、『カミハテ商店』で、1989年の『花物語』以来23年ぶりに映画主演をしている[16]

同2012年から現在まで、テレビコマーシャル「レディースアデランス」に出演中。

2019年、北海道の民放5局[17]NHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加[18]

2021年10月上演の『HOPE』で、66歳にしてミュージカル初主演[19][1]

人物

子供時代

標茶町で酪農家をする両親、10歳上の兄(13歳で他界)のもとで育った[1]。両親はいとこ婚だった[20]。子牛の死産と同時に母牛も死んでしまい、牧場経営を絶たれて借金だけが残った。そのため小学校2年生の時に、父は帯広市で保険外交員に転職し、母は住み込みによる宿泊業の仕事を得て恵子と釧路市へ移った。

その後は5年生で父の転勤により斜里町へ移るも、もともと歌手を目指していた父の『娘を東京で育てたい!(文化的な意味合いで)』との希望と[2]、父が定年を迎えたこともあって6年生の途中で一家揃って東京都府中市へ落ち着く事となる[1]

中学2年生の時に地元の写真屋に家族写真の現像しに行ったところ、偶然訪れていた写真屋の友人が大映のスチールカメラマンで、彼の目に留まったことからスカウトされた[1]。若かりし頃より浅草などの興行に慣れ親しんだ父の大賛成もあり、中学を卒業するまでの1年間、大映の研修所へ通い演技、日舞、体操などのレッスンを積む[21][1]。同時に第1回ミスセブンティーンを目指していたため、コンテストに歌の審査があったことから音楽教室にも通った[注釈 3]

親や教師から高校進学を勧められたが、女優になるため3年間集中して頑張るため自らの意思で高校には行かず、通信教育で勉強したという[22][1]

デビュー後

デビュー作品は当初1970年11月12日公開の映画『おさな妻』で決定していたが[23][24]、同年8月封切の『高校生ブルース』に主演予定だった南美川洋子が降板したことから[25]、急遽代役に抜擢されての主演デビューが決まった[26][5]

『高校生ブルース』の台本を渡されて家で読んだところ、妊娠する女子高生という当時としては衝撃的な役で、上半身裸のシーンもあることが判明[1]。当時15歳で迷いもあったが、芸能界入りする際に両親にとにかく「自分で決める!」と言っていたことから、結局親に相談することなく自らの意思で出演を決めた[1]

デビューから約1年半の間に7本の映画に出演し、そのほとんどの役でセクシーなシーンを演じた[1]ことから、マスコミによる記事で奔放な不良少女のイメージが作られた[27]。また、世間では「脱ぐ女優」、「性に奔放な女」などのレッテルも貼られた[1]。自分とは違うイメージが一人歩きしたことから女優引退を決意するが[28]、引退作のつもりで臨んだ増村保造監督の『遊び』で増村の情熱に感動し、辞意を撤回した[29]

1970年代前半は当時まだ17歳ぐらいだったが大人びた役が多く、本来の自分とのギャップに悩むことが多くなったという[1]。また当時は、「様々な役を演じても素の自分は変わらないでいたい」と思っていたが、多忙により知らぬ間に周囲に流されていることに気づいたり、時には芸能界で人の裏側を見てしまうこともあって次第に心に影響が出始めたという[1]

女優休業、失踪騒動

ストレスを抱えた1977年の年明け直後からは、自己否定するようになったり[30]、同年春には、睡眠薬を大量に服薬し、自殺未遂を起こした[31]。そんなある日、雑誌のインタビューによる作家の河村季里との会話がきっかけで、しばらくの間彼と過ごすことを決意[注釈 4]。ほどなくして女優業を休業して河村とインドに1か月間滞在し、帰国後は岐阜県飛騨の山村で約2年間晴耕雨読の日々を送った[32][注釈 5]

1979年の初夏に事務所に女優復帰を申し出て、7月21日初日の渋谷PARCO西武劇場公演『ドラキュラ』の舞台公演でのルーシー役が決まった[33]。しかし、演技に対して恐怖を感じたため公演直前の7月20日に河村と二人で海外失踪騒動を起こし、タイバンコクに逃亡した[31]後、トルコ、マレーシアなどを転々とした[1]。同年11月初旬に日本に帰国して謝罪会見及び、翌1980年の芸能界復帰会見を経て、民放のサスペンスドラマの愛人役で復帰した[34][注釈 6]

私生活

家族は夫で映画監督高橋伴明との間に一男一女。長女はタレントの秋山佑奈。結婚時に芸名も現姓に改名している。現在は東京都国立市在住。

27歳で結婚して2人の子供に恵まれた後、「子供を自然の中で育てたい」との思いから東京郊外に家を建てた[1]。以後高橋夫妻、惠子の母(父は家が完成する前に死去)、子供や孫をあわせて4世代9人で暮らし、動物も飼い始めたため一時は犬3匹、猫11匹、カメ1匹で賑やかに暮らした[1]。子育てが一段落するまでは、仕事を少しセーブしながら活動した[1]。母は2015年に亡くなった[1]

長女はその後2011年頃から、惠子のマネジャーを務めている[1]。子供や孫たちが独立した後、娘が住むマンションに空きが出たため、上記の家を手放して夫婦で転居した[1]

また、1990年代半ばには演出家・蜷川幸雄から舞台『近松心中物語』の出演依頼があった[1]。過去に舞台をすっぽかしていたことから「自分には出る資格がない」との思いや、同作には地方公演もあるため「引き受けると中学生と小学生の子供もいる中、2か月近く家を空けないといけない」との考えから、依頼を2回断っている[1]。しかし、夫の高橋が助言してくれた[注釈 7]ことから、出演を決めた[1]

孫娘の海空は、惠子が伴明とともにプロデューサーを務め、伴明が監督と共同脚本を務めた映画『「桐島です」』で俳優デビューした[35]

出演

テレビドラマ

映画

舞台

ミュージックビデオ

ラジオ

バラエティ

ナレーション

CM

音楽

シングル

発売日規格規格品番タイトル作詞作曲編曲
大映レコード
1970年10月EPG-9A愛の出発[注釈 8]中山和郎高橋五郎
Bはじめての愛
1971年4月EPG-26A愛の日記[注釈 9]永田秀雄池田孝
B樹氷悲歌[注釈 10][注釈 11]
RCA
1973年EPJRT-1328A朝やけの詩[注釈 12][注釈 13]-松村植三
B朝やけの詩[注釈 12][注釈 14]

アルバム

オムニバス・アルバム

発売日規格規格品番アルバム
WESS RECORDS
2019年3月6日CDWHCD-111私たちの道[注釈 15]

書籍

写真集

受賞

出典:日外アソシエーツ現代人物情報(以下2002年以降)

脚注

注釈

  1. ^インタビューでは、川崎敬三の妻役と答えているが本人の勘違い。
  2. ^それまでピンク映画の監督だった高橋伴明にとって、本作品は初の一般映画であった。
  3. ^この音楽教室では、後に石川さゆりの名前でデビューする小学校6年の天才少女と出会っている。
  4. ^恵子は後年、「河村さんとは私がデビューした頃に出会っていて、雑誌のインタビューで5年ぶりに再会したんです。その時河村さんから『15歳の時はいい目をしていたのに変わったね』と言われて、すごくショックを受けたんです。それで『この人と一緒に過ごせば、純粋だった頃の自分を取り戻せるのではないか』と思ってしまったんです」と述懐している[1]
  5. ^具体的には古民家で暮らしながら野菜の栽培や魚を釣ったり、買い出しのために車の免許を取得するなどしたという[1]
  6. ^本人は後年の雑誌のインタビューで、「会見で謝罪したことで償えたとは思っていません。多くの人にとても迷惑をかけたし、お騒がせしてしまいました。それからはお仕事の声をかけてもらえるだけでありがたいのです」と気持ちを吐露している[1]
  7. ^高橋から「こんなチャンスはない。子供のことはなんとかするからやったほうがいい。(舞台逃亡騒動から17年経っていたため)もう時効だよ」と言ってくれたという。
  8. ^大映映画「おさな妻」主題歌。
  9. ^大映映画「樹氷悲歌」主題歌。
  10. ^大映映画「樹氷悲歌」挿入歌。
  11. ^唄:原イサオとブルー・ファンタジー、関根は曲間とアウトロに挿入される台詞で参加。
  12. ^ab東宝映画「朝やけの詩」サウンドトラックより。
  13. ^セリフ:関根恵子(春子)、北大路欣也(朝夫)。
  14. ^セリフ:仲代達矢(作蔵)、関根恵子(春子)。
  15. ^One Hokkaido Project名義。

出典

  1. ^abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabac『週刊女性』2024年12月17日号.
  2. ^ab高橋惠子 (2012年11月19日). “見知らぬ男性が「娘さんを女優に」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  3. ^高橋惠子 (2012年11月23日). “あの天才少女は「石川さゆり」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  4. ^高橋惠子 (2012年11月28日). “代役で「高校生ブルース」主演”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  5. ^abアサヒ芸能 2012年5月24日特大号
  6. ^ab週刊現代 2012年5月5・12日号 「関根惠子とその時代」
  7. ^高橋惠子 (2012年12月7日). “引退撤回、そして大映が倒産”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  8. ^高橋惠子 (2012年12月10日). “新しい“就職先”は東宝テレビ部”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  9. ^高橋惠子 (2012年12月17日). “ワンクール限定出演だった裕次郎さん”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  10. ^高橋惠子 (2013年1月5日). “苦肉の策は「サービスショット」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  11. ^高橋惠子 (2012年12月30日). “結婚後も続いた優作さんとの交遊”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  12. ^高橋惠子 (2013年1月21日). “復帰作は2時間ドラマの愛人役 2/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  13. ^高橋惠子 (2013年1月23日). “私が大手事務所を敬遠した理由 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  14. ^高橋惠子 (2013年1月23日). “私が大手事務所を敬遠した理由 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  15. ^高橋惠子 (2013年2月1日). “夫も「1か月で離婚」に賭けていた”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  16. ^高橋惠子 (2013年2月6日). “「カミハテ商店」は私がやるべき作品”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  17. ^HBCSTVHTBuhbTVh
  18. ^北海道の歌、参加歌手|One Hokkaido project”. one-hokkaido.jp. 2020年7月11日閲覧。
  19. ^ab“新納慎也初演出Musical『HOPE』日本版初演、高橋惠子ミュージカル初主演で10月上演決定!”. SCREEN ONLINE (近代映画社). (2021年7月4日). https://screenonline.jp/SCREEN_Plus/17464746 2021年10月1日閲覧。 
  20. ^木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 152頁
  21. ^近代映画近代映画社 1970年11月号 113頁
  22. ^高橋惠子 (2012年11月23日). “あの天才少女は「石川さゆり」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  23. ^高橋惠子 (2012年11月26日). “デビュー作は「おさな妻」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  24. ^[1]
  25. ^[2]
  26. ^高橋惠子 (2012年11月28日). “代役で「高校生ブルース」主演”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  27. ^高橋惠子 (2012年11月30日). “「奔放な不良少女・関根恵子」”. 東京スポーツ. 2012年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月16日閲覧。
  28. ^高橋惠子 (2012年12月3日). “「奔放な女優・関根恵子」がひとり歩き”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  29. ^高橋惠子 (2012年12月5日). ““巨匠”と出会い引退を翻意”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  30. ^高橋惠子 (2013年1月11日). “私人・関根恵子までもが“魔性の女””. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  31. ^ab真木よう子「お騒がせ女優」の歴史を振り返るとまだまだ挽回の余地あり 週刊女性PRIME 2017/11/15(文・佐々木博之、主婦と生活社、2017年11月22日閲覧)
  32. ^高橋惠子 (2013年1月14日). “無期限の休養申し入れ山村へ””. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  33. ^高橋惠子 (2013年1月14日). “二度と女優復帰はできないと思いながらタイへ”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  34. ^高橋惠子 (2013年1月21日). “復帰作は2時間ドラマの愛人役 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  35. ^高橋伴明監督新作で高橋惠子との孫・海空が俳優デビュー「いつまで生きるか分からない」で決断”. 日刊スポーツ. 2025年7月5日閲覧。
  36. ^テレビドラマデータベースhttp://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-31054 2025年11月6日閲覧。
  37. ^BS日曜ドラマ 藏”. NHK. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。
  38. ^放送ライブラリー 番組ID:208095
  39. ^月の光 - テレビドラマデータベース
  40. ^“桜井玲香、TVショッピングの売れっ子ナビゲーター役「いろいろなアプローチが出来れば」”. ORICON NEWS (株式会社oricon ME). (2022年6月2日). https://www.oricon.co.jp/news/2237031/full/ 2022年6月14日閲覧。 
  41. ^“「コタツがない家」小池栄子らの“家族写真”到着、新キャストに北村一輝・ホラン千秋ら”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年9月7日). https://natalie.mu/eiga/news/539957 2023年9月7日閲覧。 
  42. ^岸井ゆきの、松山ケンイチのドラマ「お別れホスピタル」新キャストが明らかに療養病棟が舞台の「お別れホスピタル」ドラマ化、岸井ゆきの・松山ケンイチが出演”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年1月15日). 2024年1月15日閲覧。
  43. ^伊東四朗主演『老害の人』老人と若年層の本音がぶつかった先に吹く風を描く「私、ピッタリの年齢になりました」5・5スタート”. TV LIFE web. ワンパブリッシング (2024年3月14日). 2024年3月14日閲覧。
  44. ^“「アナログ」に桐谷健太、浜野謙太、板谷由夏、高橋惠子、リリー・フランキー出演”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年6月2日). https://natalie.mu/eiga/news/527076 2023年6月2日閲覧。 
  45. ^毎熊克哉が桐島聡を演じた「桐島です」7月公開、共演に奥野瑛太・北香那・高橋惠子ら”. 映画ナタリー. ナターシャ (2025年1月29日). 2025年1月29日閲覧。
  46. ^舞台「サザエさん」再び!サザエ役の藤原紀香、波平役の松平健ら続投 子供役キャストは一新”. ステージナタリー. ナターシャ (2025年2月21日). 2025年2月21日閲覧。
  47. ^“河原雅彦×椎名桔平「オリエント急行殺人事件」松井玲奈ら全キャスト発表”.ステージナタリー (ナターシャ). (2020年10月2日)
  48. ^高橋惠子・戸塚祥太がヒトラーに立ち向かう母と息子に、「真夜中に起こった出来事」演出は深作健太”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年11月3日). 2024年11月3日閲覧。
  49. ^「最後のドン・キホーテ」公演日程&会場明らかに、KERA・大倉孝二・咲妃みゆのコメント到着”. ステージナタリー. ナターシャ (2025年5月30日). 2025年5月30日閲覧。
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  52. ^キリンビールが、TVCM「よろこびがあふれ出す 娘とグラス」篇を12月27日(日)より全国で順次オンエア開始”. 共同通信PRワイヤー. 2020年12月29日閲覧。
  53. ^イメージモデルには女優の高橋惠子さんを起用し、財産を遺したい世代(=団塊の世代)と、遺産を相続する世代(=団塊ジュニア)に向けた訴求を強化してまいります日本司法書士連合会 2021年3月3日
  54. ^日本映画批評家大賞 過去の受賞作品 2000年度から2009年度”. Japan Movie Critics Award. 一般社団法人日本映画批評家大賞機構. 2025年3月30日閲覧。
  55. ^朝日新聞人物データベース

参考文献

  • 「人間ドキュメント「奔放な女のレッテルで心のバランスを崩しました~高橋惠子」」『週刊女性』2024年12月17日号、主婦と生活社、2024年12月3日、36-42頁、JAN 4910203631245 

外部リンク

1950年代
1960年代
1970年代
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  • 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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2000年代
2010年代
2020年代

※2017年度は授賞式中止

10代
20代
30代
40代
50代
60代
以上
男性
特別
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象
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