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長友佑都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長友 佑都
名前
愛称ナガ[注 1]、モトリーノ[注 2]、ナガティエロ[注 3]
カタカナナガトモ ユウト
ラテン文字NAGATOMO Yuto
基本情報
国籍日本の旗日本
生年月日 (1986-09-12)1986年9月12日(39歳)
出身地愛媛県東予市(現:西条市
身長170cm[6]
体重68kg
選手情報
在籍チーム日本の旗FC東京
ポジションDF(SB)[7]
MF(WB、SH)[7][8]
背番号5
利き足右足[9]
ユース
1999-2002日本の旗西条市立西条北中学校
2002-2005日本の旗東福岡高等学校
2005-2007日本の旗明治大学
クラブ1
クラブ出場(得点)
2008-2010日本の旗FC東京 72(5)
2010イタリアの旗チェゼーナFCloan 16(0)
2011イタリアの旗 チェゼーナFC 0(0)
2011イタリアの旗インテル・ミラノ(loan) 13(2)
2011-2018イタリアの旗 インテル・ミラノ 157(7)
2018トルコの旗ガラタサライSK(loan) 15(0)
2018-2020トルコの旗 ガラタサライSK 32(2)
2020-2021フランスの旗オリンピック・マルセイユ 25(0)
2021-日本の旗 FC東京 98(2)
代表歴2
2007-2008 日本 U-232(0)
2008-日本の旗日本144(4)
獲得メダル
男子サッカー
 日本
AFCアジアカップ
2011 カタール
2019 UAE
EAFF E-1サッカー選手権
2010 日本
2025 韓国
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月8日現在。
2. 2025年7月15日現在。
■テンプレート■ノート■解説■サッカー選手pj
YouTube
チャンネル
活動期間2020年4月13日 -
ジャンルサッカー
登録者数25.1万人
総再生回数24,364,069回
登録者100,000人2020
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002020-12-07-00002020年12月7日時点。
テンプレートを表示

長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県東予市(現:西条市)出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはディフェンダー(右サイドバック、左サイドバック)、ミッドフィールダー(ウイングバック、サイドハーフ)[7][8]日本代表

妻はタレントで女優平愛梨

経歴

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生い立ち

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愛媛県西条市(旧・東予市)生まれ[10]。父の実家は大きな新聞販売所を経営しており、父方の祖父母の家で三世代で暮らしていた[10]。小学1年生の時にサッカーを始めた[11]

小学3年生の頃に両親が離婚し、母の地元西条市の実家近くへ引っ越す[10]。母子家庭であることを周囲に隠したがっていた[10]

西条市立神拝小学6年生の時に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも不合格[12][13]

西条市立北中学校在学時に恩師である井上博に出会い[14]、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベース、体幹が作られている[12][14][15][16]2001年のU-15全日本ユース選手権では県3位の成績を残した[17]

2002年、サッカーの強豪である東福岡高等学校に進学。森重潤也の下で2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが[15][18]、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず[19]、進学先の明治大学政治経済学部には指定校推薦で入学した[20][21][22]。高校時代の同級生には近藤徹志ラグビー日本代表豊田将万などがいる。

明治大学時代

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2005年、明治大学サッカー部に入部。神川明彦監督によって右サイドバックへコンバートされた[19]。神川は長友を右サイドバックにコンバートした理由について、フィジカルの強さ、走力、攻撃の完結力を生かすためであると語る[23][15][注 4]。このポジションでのプレーをものにしつつあった矢先、入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発[19]。試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。

2006年8月にかけて復帰し、後期リーグの開幕戦で入部以来初の先発出場[25]。椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功し[26]、復帰後3試合ほどで神川が「別格」と評するほどのプレーを見せるようになった[27]。身体能力の強さから3バックで臨む際にはセンターバックを務めたこともあった[28]。ここから急速に頭角を現し、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出された[29]。同学年には藤田優人林陵平橋本晃司らがいた。

2007年3月に行われたFC東京との練習試合におけるFWリチェーリとのマッチアップが当時の監督・原博実などFC東京関係者の関心を引き[30]、5月から特別指定選手としてFC東京の練習に参加[21]。7月8日のナビスコカップ準々決勝・横浜F・マリノス戦で途中起用され公式戦デビュー。さらにU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出[31][注 5]。右ウイングバックで出場し、ダイビングヘッドでの先制点に加え[25]PKを獲得するなどの活躍を見せた。

FC東京時代(第1次)

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大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意し[7][13]、2008年に在学したままサッカー部を退部してFC東京と正式に契約を結んだ[注 6][33]。神川は長友を2008年度のサッカー部副将に据えるつもりでいたが、長友の強い決意に触れてこれを撤回[34]。サッカー部を1年残して退部しFC東京とのプロ契約を決断した理由の一つに「女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」ことを挙げている[35][9][7]。3月8日、リーグ開幕戦のヴィッセル神戸戦から、前年までレギュラーだった金沢浄らを押しのけて先発出場を果たす[13]。5月3日、第10節大宮アルディージャ戦でJリーグ初得点を決めた[13]。東京加入後の主なポジションは左サイドバックであったが[36]、同年後半、当時の監督である城福浩は、東京のその時点でのチーム状況や対戦相手の選手の特長によって、右サイドバックを主としていた徳永悠平と長友を左右入れ替えて起用した[注 7][38]

5月18日には岡田武史率いる日本代表に初招集され、5月24日のキリンカップコートジボワール戦にフル出場して代表初出場を記録。11月13日のキリンチャレンジカップシリア戦では先制のミドルシュートを決め代表初得点を記録した。また、同年の北京オリンピック日本代表に選出され[39]本大会にも出場したが、チームはグループリーグで3戦全敗に終わり、後に「余裕がなかった」「思い通りのプレーはできなかった」と語っている[40]

2009年からはフィジカルコーチの土斐﨑浩一とともにアップダウンの質の向上を目指し走法の改良に着手[41]。運動量と、強靭なフィジカルを活かしたスピード感のあるプレーに磨きをかけた。同年12月に日本代表の特別講師を務めた川本和久からは、代表選手の中で唯一長友だけが「文句なし」のランニングフォームであると評価された[42][14]。同年後半からは攻撃の駒としてサイドハーフに上がり、サイドバックには椋原健太らが投入されるという起用法も見られ[8]、FC東京のナビスコカップ優勝に貢献するなど、ユーティリティー性を発揮し、この年のJリーグベストイレブンにも選出された[43][13]。なお、FC東京加入による明治大学サッカー部退部後も大学には在籍し、2009年度に同大学の政治経済学部を卒業した[44]

2010年の南アフリカワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場を果たした[13]。グループリーグ第1戦のカメルーン戦では後にチームメイトとなるサミュエル・エトオを徹底マークし完封、第2戦のオランダ戦においては途中出場したエルイェロ・エリアのポジションに合わせて右サイドバックにポジションチェンジするなどエースキラーとして活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。同大会から国際サッカー連盟(FIFA)が導入したレーザー計測によると、長友のトップスピードは第1戦のカメルーン戦では時速30.13 km[45]、第2戦(オランダ)では同26.70 kmと[46]、両試合ともに対戦相手を含めて最速を記録した[注 8]。また、この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与された[49][13]

7月14日、ワールドカップでの活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したACチェゼーナへ買い取りオプション付きでの期限付き移籍が決定[50]。退団セレモニーの際は「みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語り、FC東京サポーターから拍手でイタリアに送り出された[51]

ACチェゼーナ時代

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チェゼーナ時代 (2010年)

チェゼーナでは自ら希望した背番号5番を譲り受け[52]、左サイドバックとして開幕戦のローマ戦からフル出場。当時のチェゼーナ監督のマッシモ・フィッカデンティからは「長友は左右どちらもいいが、ポゼッションとビジョンの点では左の方がいい」と評され[53]、試合に応じ両サイドで起用(試合展開によっては前線に入る)され、11月21日の第13節パレルモ戦ではチェゼーナ加入以来初となるアシストを決めた[54]。その後、12月18日の第17節カリアリ戦までフィールドプレーヤーではチーム唯一の全試合フル出場を続け、強化部長のロレンツォ・ミノッティからは「(長友は)とてもいいプレーをキープしており、人間的にも素晴らしくロッカールームを団結させる存在」と高く評価された[55]。また、本人もセリエAでの経験から、トップレベルの相手に対する間合いの取り方を体得し、走力、フィジカルの更なる向上の手応えを掴んだと語っている[56]

2011年に開催されたアジアカップでは全6試合にフル出場[13](日本代表では長友と今野泰幸のみ)し、決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフにポジションを上げて、李忠成の決勝点をアシストするなど日本代表のアジア制覇に貢献した[57]

インテル・ミラノ時代

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インテル時代 (2011年)

2011年1月31日、移籍金約2億円で[58] チェゼーナへ完全移籍した[59]。しかし冬の移籍市場の最終日でもある同日、元鹿島アントラーズ、元サッカーブラジル代表で、前年12月にインテル監督に就任したばかりのレオナルドの熱望もあり、ダビデ・サントンとのトレードで、2010-2011シーズン終了まで電撃的にレンタル移籍が決定した[60][61][62]。背番号は55番[注 9]

同年2月6日、セリエA第24節ローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグのバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献[64]。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し[65][66]、地元紙から高評価を得たものの[67][66]、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。

2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表された[68][69]。12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日のレッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。

2012年10月7日のセリエA第7節ACミランとのミラノダービーで2枚のイエローカードを受け、自身初の退場処分となった[70]。12月9日に行われたセリエA第16節ナポリ戦でイタリアでの公式戦100試合出場を果たした[71]。2013年1月にはレアル・マドリードへの移籍が噂されたがインテルでのパフォーマンスに集中したいとコメントし、クラブへの残留を強調した。2013年2月25日、第26節のミラノダービーで同点ゴールをアシストするも直後に左膝を負傷し途中退場。以後、出場から遠ざかり4月14日の第32節カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷と診断され手術が必要とされたが[72]、保存療法を選択することで手術を回避し、シーズン終盤に復帰を果たした。

2013年8月27日の2013-14シーズンのセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点を挙げ、第2節のカターニャ戦でもヘディングシュートを決め、2試合連続ゴール。得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレーを繰り返した[73]。同年12月22日のミラン戦において、後半に交代でピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマークを受け継ぎ、移籍4シーズン目にして初めてゲームキャプテンを任された。この年、アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞に選出された。2013-14シーズンはシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシストを記録するなど[74] 攻撃面でも大きな向上を見せたが[75][76]、チームは2年連続でCL出場権を逃した。

2014年のFIFAワールドカップではグループリーグ全試合にフル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシスト[77][78]したが、自身の背後のスペースを狙われて[79] 左サイドで数的不利の状況を作られ連続失点[80][78]。走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど[注 10]死力を尽くしたが[83]、2戦目・3戦目での攻撃参加は得点に結びつかず[83]グループリーグ敗退に終わった。

2014-15シーズン、インテルの副主将に就任[84]2015年1月開催のAFCアジアカップでは準々決勝UAE戦で右太もも肉離れを起こし、日本代表もここで敗退[85][86]。同大会後、初の先発出場となった同年2月のパレルモ戦でも右太ももを痛め、長期離脱。これが、長友にとってシーズン4度目の故障となった[85]。5月のラツィオ戦から戦列復帰[87]

2015-16シーズン当初は、サイドバックの補強が進められたために長友は余剰人員となり[88] サイドバックでのポジション争いにすら参加できず[89] 一時は売却対象となった[90]。イタリア国内外から複数のオファーが寄せられたが、インテル残留を希望し移籍を拒否[91]。残留は叶ったものの、途中出場した第2節カルピ戦で失点に絡むミスをしたことも重なり[92] 苦しい立場は続き[93] 第3節から第8節までは出場機会なし。しかし、放出確実と目される中でもコンディション作りを怠ることなく、約2ヶ月ぶりの出場、シーズン初先発となった第9節パレルモ戦では気持ちの入ったプレーで好アピール[94][95]。第11節ローマ戦でも守備に冴えを見せ[96]、復権に成功した[97]。クラブからは契約の更新を打診され[98]、2016年4月に2019年6月末までの契約延長を発表[99]。同年にはマンチェスター・ユナイテッドFCリヴァプールFCからのオファーが届いたが、インテルでのプレーを希望し拒否した事をクラブの公式サイトで明かした。

2017年4月15日、第32節のACミランではミラノダービーでフル出場を果たした。シーズン終了後には移籍の噂も報道されたが、残留した。

2017-18シーズン、9月17日に行われた第4節のFCクロトーネ戦で途中出場し、インテル通算200試合を達成した[100]。シーズン序盤はレギュラーの座を確保していたが、11月19日のアタランタBC戦以降はダビデ・サントンや新加入のダウベルトジョアン・カンセロなどとポジション争いを繰り広げている[101]

2017年11月10日の国際親善試合ブラジル戦で日本代表では7人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。

ガラタサライ時代

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インテル加入以降、数々の選手とのポジション争いを制してきたが2017年11月頃から出場機会が激減。2018年1月31日、出場機会を求め、トルコスュペル・リグガラタサライSK期限付き移籍[102]。4月29日、第31節のベシクタシュJK戦とのダービーではアシストを記録して勝利に貢献した[103]。2月5日の20節以降のリーグ戦には全てスタメン出場し、5月20日の最終戦にもフル出場してチームは勝利、ガラタサライの3年ぶり21度目のリーグ優勝に貢献した。シーズン終了後に、ガラタサライへの完全移籍が発表された。

ロシアワールドカップには髪を金に染めて臨んだ

6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出され、W杯3大会連続出場を果たす。大会前に髪色を金にして話題を集めた[104]。グループリーグ3試合にフル出場し、第2戦のセネガル戦では乾貴士の得点をアシストし[105]、GL突破に貢献[106]。しかし、チームは決勝トーナメント1回戦で敗れてベスト16止まりとなった。3大会でW杯11試合出場は、川島、長谷部と並び日本人最多出場となった[107]

2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出され、アジアカップ3大会連続出場を果たした。大会では、レギュラーとして活躍するも、チームは準優勝となった。2月24日に行われた第23節のアクヒサル・ベレディイェスポル戦で十字靱帯損傷により戦列離脱となったが、4月20日に行われた第29節のカイセリスポル戦で復帰し、その復帰戦で移籍後初ゴールを挙げた[108]

2020年は、外国人選手の人数規定によりガラタサライ側から戦力外通告を受けた。同年6月30日に契約満了し退団した[109][110]

マルセイユ時代

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2020年8月31日、リーグ・アンに所属するオリンピック・マルセイユへ加入した。背番号は25番[111]。9月20日、リール戦でデビューした。リーグ・アン第26節のナント戦で移籍後初アシストをした。2021年7月、1年でマルセイユ退団が発表された。

FC東京復帰

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2021年9月12日、FC東京に完全移籍で加入することが発表された。11年ぶりの復帰となる[112]。背番号はこれまで付けたことがなかった50で、かつてFC東京、及び日本代表で付けていた背番号5と、原点に戻るという意味の0を合わせたものとなった。2022年11月、2022 FIFAワールドカップカタール大会に臨む日本代表に選出[113]。フィールドプレーヤーとしては史上初、ゴールキーパーを含めても同大会で選抜された川島永嗣を含め歴代4人目のタイ記録となる4度目のW杯日本代表選出となった[114]。大会前には金髪から赤髪に変えて話題を呼び[115]、大会中にはグループリーグでW杯優勝経験があるドイツとスペインを破り、試合後のインタビューで「ブラボー!」と連呼したことも話題を集めた[116]。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れて目標のベスト8には届かなかったものの、全4試合にスタメン出場し、歴代W杯日本代表最多の通算15試合出場を達成した[117]。W杯前は「年齢的にもそろそろ引退かな...」と答えていたが、W杯後は「これが面白いからサッカー選手はやめられねぇだよ(笑)」と答え、その後、FC東京に残留するとの発表があった。2023年、加齢による肉体的な強度の低下をメディアやツイッター上で懸念されていたが、堂々たるパフォーマンスをみせて、ルヴァンカップ準々決勝のアビスパ福岡戦では大学時代以来のセンターバックで起用された[118]

2024年3月、実力と周囲に好影響を与える安定した人柄が評価されて日本代表に復帰した。3月16日にはJ1で14年振りの得点を決めた[119]

2025年7月、EAFF E-1サッカー選手権2025決勝大会の第2節の中国戦にフル出場。代表戦の出場は2022 FIFAワールドカップのクロアチア戦以来となった[120]

人物・エピソード

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好きな芸能人は平愛梨。好きな女優も平愛梨[121]。仲の良い選手は香川真司[121]。対戦して衝撃を受けた選手はキリアン・エムバペで、理由はスピードが速すぎるから[121]。地元の好きなところは西条祭り[121]。ファン・サポーターへのひと言は「みんなブラボー」[121]

サッカーを始めたきっかけは、当時好きな女の子にモテたかったから[121]。7歳でサッカー選手を目指し始めた[121]。プロサッカー選手になるために意識していた事は、誰よりも努力することであり、体幹トレーニングを特に意識した[121]

2023年、新たな趣味でピアノを始めたが、3日で挫折した[122]

家族

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スポーツ一家の第二子長男(一つ上の姉と二つ下の弟がいる[123])。母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手の吉田達雄[124]。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実大叔父にあたる。父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。2023年時点で妻との間に四子に恵まれており[注 11][125]、2022年6月にはベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞。

プレースタイル

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豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。また、俊敏性に優れて1対1に強く、上背はないが大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つと評された[126][127][128]

イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評している[129]

評価

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この節に雑多な内容が羅列されています 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります2014年11月

選手として

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  • 概ねパフォーマンスが安定して高い事に加えて、メンタル面で安定して明朗な人柄であり、2024年3月にはそのトップクラスの実力と、おとなしい選手が多い日本代表の中で、コミュニケーションのすり合わせなどの面も期待されて招集された[130]
  • 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」[131]
  • 幼少期に和太鼓を習っていた経験から[132]、明治大学で負傷欠場していた際は出場選手を太鼓で応援。そのリズムはスタンドの話題となり[133]鹿島アントラーズのサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった[11]
  • U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大監督の神川明彦が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを務めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを(試合会場まで)見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった[134][25]。神川は「(後輩の)江尻が(U-22代表の)コーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場(U-22代表のコーチ)にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
  • 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命された[135]。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供[136]
  • 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名している[137]
  • インテル加入に際し、長友はイタリア語で書かれた契約書を読めず交渉が難航していた。困ったレオナルドは日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコJAPAN通訳)に通訳を依頼[138]。レオナルドがイタリア語からポルトガル語へ、鈴木がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友に伝えられ無事に契約書へサインした。
  • セリエA初得点を決めたときにハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた[139]。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。当初はゴールパフォーマンスだったが、「お辞儀」が広く認知されたことでアシストなど長友が活躍した場合にも、選手たちが輪になってお辞儀をする光景が見られた。また若手選手の下部組織であるプリマヴェーラでも、ゴールの後にお辞儀を行う場合がある[140]
  • インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた[141]。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍にもかかわらずチェゼーナとはクラブ、サポーター共に非常に良好な関係を保っている[142]
  • インテル在籍時のチームメートだったヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった[143]。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだよね。かわいすぎるよ!あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っている[144]
  • アントニオ・カッサーノはインテルに移籍した際の記者会見で、以前から顔見知りだった長友の名前を挙げ「私がインテルに来たのは、長友のためというのもあります」「ユウトはすでに私の愛弟子になっています」と発言し、会場の記者たちの笑いを誘った[145]。その後、練習やプライベートでの親密ぶりはもとより、試合でも攻撃で抜群のコンビネーションを見せた。両者の関係はカッサーノがインテルを去ってからも良好で、頻繁に電話やメールのやりとりを続けている[146]
  • インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価している[147]。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり[148]、新シーズンに向けたイベントでは5,000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど[149]、卓越したコミュニケーション能力を見せた。チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」と語っている。コルッチはレッジーナ中村俊輔と、カターニャ森本貴幸と共にプレーした経験があり、「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。礼儀正しくて物静か。あまり輪の中に入ってこない、いつもクールな日本人。中村は根っからに真面目だったな。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからじゃないかな。森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。中田(英寿)もそうなんだろう? でも長友は違う。ロッカールームでふざけあってたし、冗談も言いあってた。最初は言葉も話せなかったのにね。今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思うよ」と語っている[150]
  • 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した[151]
  • 自身初の著書『日本男児』が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得した[152]。後にイタリア語に訳され『Un ragazzo giapponese』として出版されている。
  • 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した「2011年度世界のディフェンダートップ5」の一人に選ばれた[153]
  • 2013年6月14日からディズニーXDで、本人をモデルとし、監修したアニメ『ゆうとくんがいく』が放送された[154]
  • イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのベストプレーヤー左サイドバック部門で最優秀プレーヤーに選出された[155]
  • 2016年、リオデジャネイロオリンピック日本代表のオーバーエイジ(OA)候補に挙げられ、自身も出場に意欲的であったが[156]、クラブからの協力が得られなかったことや[157]ワールドカップアジア最終予選との兼ね合いにより[158] 選外。長友の次善案として[156]OAには藤春廣輝が選ばれた[159]。藤春選出について長友は「(藤春は)攻撃に特徴があるが、守備でも(チームを)引っ張ってほしい」とコメントしている[157]
  • 2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた[160]
  • 先輩の中村俊輔からもサッカー選手との考えの観点などから尊敬されている[161]

経営

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  • 2015年4月から自身がオーナーを務める「長友佑都フットボールアカデミー」を開校する。
  • 2016年4月1日、「運動・食事・精神」の事業を柱にした「株式会社Cuore」を設立し代表取締役社長に就任(cuoreはイタリア語で「心」の意[162]

プライベート

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  • 2016年12月1日、流行語大賞で交際中のタレントで女優平愛梨に向けた「(僕の)アモーレ」といった言葉がトップテンに受賞された。
  • 2016年12月24日、クリスマスイブに平との婚約会見を行い、翌2017年1月29日に婚姻届を提出した[163][164]
  • 2017年9月2日、自身のInstagramで平の妊娠を発表。2018年2月5日、第1子男児の誕生を報告[165]
  • 2019年3月15日、平の第2子妊娠を報告[166]。8月13日、第2子の誕生を報告[167]
  • 2021年4月22日、自身のTwitterで第3子男児誕生を報告[168]
  • 2022年2月6日、自身のTwitterで平の第4子妊娠を報告[169]。4月22日、自身のInstagramで第4子男児誕生を報告[170][171]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本リーグ戦リーグ杯天皇杯期間通算
2006明治大12---1010
20072--1010
2007FC東京36J10010-10
200852933030353
20093114110362
201012110-131
イタリアリーグ戦イタリア杯オープン杯期間通算
2010-11チェゼーナ5セリエA16000-160
インテル5513230-162
2011-1235210-362
2012-1325020-270
2013-1434520-365
2014-1514010-150
2015-1622040-260
2016-1716000-160
2017-1811020-130
トルコリーグ戦トルコ杯オープン杯期間通算
2017-18ガラタサライ55スュペル・リグ15010-160
2018-1917100-171
2019-2015121-172
フランスリーグ戦F・リーグ杯フランス杯期間通算
2020-21マルセイユ25リーグ・アン250-10260
日本リーグ戦リーグ杯天皇杯期間通算
2021FC東京50J110000-100
202253000010310
20232906020370
20242920010302
2025
通算日本J11707151801938
日本--2020
イタリアセリエA1869150-2019
トルコスュペル・リグ47231-503
フランスリーグ・アン250-10260
総通算4281833211047220
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2010-11インテル55-30
2011-12-70
2012-1382-
2014-1520-
2016-1740-
2018-19ガラタサライ2050
2019-20-60
2020-21マルセイユ25-20
通算UEFA162230


年度その他の国際公式戦出場得点
201241
2013インターナショナル・チャンピオンズ・カップ10
201410
インターナショナル・チャンピオンズ・カップ31
2015インターナショナル・チャンピオンズ・カップ20
2016インターナショナル・チャンピオンズ・カップ30
総通算142
出場歴

タイトル

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クラブ

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FC東京
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ガラタサライSK

代表

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個人

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代表歴

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サッカー日本代表での長友佑都

出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 144試合 4得点(2008年 - )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
200871
2009112
2010160
2011100
2012100
2013120
2014100
2015100
201650
2017100
201890
2019121
202010
202180
2022110
202400
202520
通算1444

出場

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No.開催年月日開催地スタジアム対戦国結果監督大会
1.2008年5月24日日本の旗豊田豊田スタジアムコートジボワールの旗コートジボワール○1-0岡田武史キリンカップサッカー2008
2.2008年5月27日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002パラグアイの旗パラグアイ△0-0
3.2008年6月2日日本の旗横浜日産スタジアムオマーンの旗オマーン○3-02010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
4.2008年8月20日日本の旗札幌札幌ドームウルグアイの旗ウルグアイ●1-3キリンチャレンジカップ2008
5.2008年10月9日日本の旗新潟新潟スタジアムアラブ首長国連邦の旗アラブ首長国連邦△1-1
6.2008年11月13日日本の旗神戸ホームズスタジアム神戸シリアの旗シリア○3-1
7.2008年11月19日カタールの旗ドーハジャシム・ビン・ハマド・スタジアムカタールの旗カタール○3-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
8.2009年1月28日バーレーンの旗リファーバーレーン・ナショナル・スタジアムバーレーンの旗バーレーン●0-1AFCアジアカップ2011予選
9.2009年2月4日日本の旗新宿国立霞ヶ丘競技場陸上競技場フィンランドの旗フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ2009
10.2009年2月11日日本の旗 横浜日産スタジアムオーストラリアの旗オーストラリア△0-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
11.2009年3月28日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002バーレーンの旗バーレーン○1-0
12.2009年5月31日日本の旗 新宿国立霞ヶ丘競技場陸上競技場ベルギーの旗ベルギー○4-0キリンカップサッカー2009
13.2009年6月6日ウズベキスタンの旗タシュケントパフタコール・マルカジイ・スタジアムウズベキスタンの旗ウズベキスタン○1-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
14.2009年6月17日オーストラリアの旗メルボルンメルボルン・クリケット・グラウンドオーストラリアの旗オーストラリア●1-2
15.2009年9月5日オランダの旗エンスヘデデ・フロルーシュ・フェステオランダの旗オランダ●0-3国際親善試合
16.2009年9月9日オランダの旗ユトレヒトスタディオン・ハルヘンワールトガーナの旗ガーナ○4-3
17.2009年10月8日日本の旗静岡アウトソーシングスタジアム日本平香港の旗香港○6-0AFCアジアカップ2011予選
18.2009年10月14日日本の旗利府宮城スタジアムトーゴの旗トーゴ○5-0キリンチャレンジカップ2009 ~ALL FOR 2010!~
19.2010年2月2日日本の旗大分九州石油ドームベネズエラの旗ベネズエラ△0-0キリンチャレンジカップ2010
20.2010年2月6日日本の旗調布味の素スタジアム中華人民共和国の旗中国△0-0東アジアサッカー選手権2010
21.2010年2月14日日本の旗 新宿国立霞ヶ丘競技場陸上競技場大韓民国の旗韓国●1-3
22.2010年3月3日日本の旗 豊田豊田スタジアムバーレーンの旗バーレーン○2-0AFCアジアカップ2011予選
23.2010年4月7日日本の旗大阪長居陸上競技場セルビアの旗セルビア●0-3キリンチャレンジカップ2010
24.2010年5月24日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002大韓民国の旗韓国●0-2
25.2010年5月30日オーストリアの旗グラーツUPCアレーナイングランドの旗イングランド●1-2国際親善試合
26.2010年6月4日スイスの旗シオンスタッド・ドゥ・トゥールビヨンコートジボワールの旗コートジボワール●0-2
27.2010年6月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーンフリーステイト・スタジアムカメルーンの旗カメルーン○1-02010 FIFAワールドカップ
28.2010年6月19日南アフリカ共和国の旗ダーバンモーゼス・マヒダ・スタジアムオランダの旗オランダ●0-1
29.2010年6月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルクロイヤル・バフォケン・スタジアムデンマークの旗デンマーク○3-1
30.2010年6月30日南アフリカ共和国の旗プレトリアロフタス・ヴァースフェルド・スタジアムパラグアイの旗パラグアイ△0-0(PK3-5)
31.2010年9月4日日本の旗 横浜日産スタジアム○1-0原博実キリンチャレンジカップ2010
32.2010年9月7日日本の旗 大阪長居陸上競技場グアテマラの旗グアテマラ○2-1
33.2010年10月8日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002アルゼンチンの旗アルゼンチン○1-0アルベルト・ザッケローニ
34.2010年10月12日大韓民国の旗ソウルソウルワールドカップ競技場大韓民国の旗韓国△0-0国際親善試合
35.2011年1月9日カタールの旗 ドーハカタールSCスタジアムヨルダンの旗ヨルダン△1-1AFCアジアカップ2011
36.2011年1月13日シリアの旗シリア○2-1
37.2011年1月17日カタールの旗ライヤーンアフメド・ビン=アリー・スタジアムサウジアラビアの旗サウジアラビア○5-0
38.2011年1月21日カタールの旗 ドーハサーニー・ビン・ジャーシム・スタジアムカタールの旗カタール○3-2
39.2011年1月25日大韓民国の旗韓国△2-2(PK3-0)
40.2011年1月29日ハリーファ国際スタジアムオーストラリアの旗オーストラリア○1-0
41.2011年6月1日日本の旗 新潟東北電力ビッグスワンスタジアムペルーの旗ペルー△0-0キリンカップサッカー2011
42.2011年6月7日日本の旗 横浜日産スタジアムチェコの旗チェコ△0-0
43.2011年10月7日日本の旗 神戸ホームズスタジアム神戸ベトナムの旗ベトナム○1-0キリンチャレンジカップ2011
44.2011年10月11日日本の旗 大阪長居陸上競技場タジキスタンの旗タジキスタン○8-02014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
45.2012年2月29日日本の旗 豊田豊田スタジアムウズベキスタンの旗ウズベキスタン●0-1
46.2012年5月23日日本の旗袋井静岡県小笠山総合運動公園スタジアムアゼルバイジャンの旗アゼルバイジャン○2-0キリンチャレンジカップ2012
47.2012年6月3日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002オマーンの旗オマーン○3-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
48.2012年6月8日ヨルダンの旗ヨルダン○6-0
49.2012年6月12日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアムオーストラリアの旗オーストラリア△1-1
50.2012年8月15日日本の旗 札幌札幌ドームベネズエラの旗ベネズエラ△1-1キリンチャレンジカップ2012
51.2012年9月11日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002イラクの旗イラク○1-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
52.2012年10月12日フランスの旗サン=ドニスタッド・ド・フランスフランスの旗フランス○1-0国際親善試合
53.2012年10月16日ポーランドの旗ヴロツワフヴロツワフ市立競技場ブラジルの旗ブラジル●0-4
54.2012年11月14日オマーンの旗マスカットスルタン・カーブース・スポーツコンプレックスオマーンの旗オマーン○2-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
55.2013年2月6日日本の旗 神戸ホームズスタジアム神戸ラトビアの旗ラトビア○3-0キリンチャレンジカップ2013
56.2013年5月30日日本の旗 豊田豊田スタジアムブルガリアの旗ブルガリア●0-2
57.2013年6月4日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗オーストラリア△1-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
58.2013年6月11日カタールの旗 ドーハジャシム・ビン・ハマド・スタジアムイラクの旗イラク○1-0
59.2013年6月15日ブラジルの旗ブラジリアエスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリアブラジルの旗ブラジル●0-3FIFAコンフェデレーションズカップ2013
60.2013年6月19日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコイタリアの旗イタリア●3-4
61.2013年6月22日ブラジルの旗ベロオリゾンテエスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピントメキシコの旗メキシコ●1-2
62.2013年9月6日日本の旗 大阪長居スタジアムグアテマラの旗グアテマラ○3-0キリンチャレンジカップ2013
63.2013年9月10日日本の旗 横浜日産スタジアムガーナの旗ガーナ○3-1
64.2013年10月11日セルビアの旗ノヴィ・サドスタディオン・カラジョルジェセルビアの旗セルビア●0-2国際親善試合
65.2013年10月15日ベラルーシの旗ジョジナトルペド・スタジアムベラルーシの旗ベラルーシ●0-1
66.2013年11月16日ベルギーの旗ヘンククリスタル・アレナオランダの旗オランダ△2-2
67.2014年3月5日日本の旗 新宿国立霞ヶ丘競技場陸上競技場ニュージーランドの旗ニュージーランド○4-2キリンチャレンジカップ2014~ありがとう国立競技場~
68.2014年5月27日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002キプロスの旗キプロス○1-0キリンチャレンジカップ2014
69.2014年6月2日アメリカ合衆国の旗タンパレイモンド・ジェームス・スタジアムコスタリカの旗コスタリカ○3-1国際親善試合
70.2014年6月6日ザンビアの旗ザンビア○4-3
71.2014年6月14日ブラジルの旗 レシフェアレナ・ペルナンブーココートジボワールの旗コートジボワール●1-22014 FIFAワールドカップ
72.2014年6月19日ブラジルの旗ナタールアレーナ・ダス・ドゥーナスギリシャの旗ギリシャ△0-0
73.2014年6月24日ブラジルの旗クイアバアレーナ・パンタナールコロンビアの旗コロンビア●1-4
74.2014年9月5日日本の旗 札幌札幌ドームウルグアイの旗ウルグアイ●0-2ハビエル・アギーレキリンチャレンジカップ2014
75.2014年9月9日日本の旗 横浜日産スタジアムベネズエラの旗ベネズエラ○3-0
76.2014年10月10日日本の旗 新潟デンカビッグスワンスタジアムジャマイカの旗ジャマイカ○1-0
77.2015年1月12日オーストラリアの旗ニューカッスルニューカッスル・スタジアムパレスチナの旗パレスチナ○4-0AFCアジアカップ2015
78.2015年1月16日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアムイラクの旗イラク○1-0
79.2015年1月20日オーストラリアの旗メルボルンメルボルン・レクタンギュラー・スタジアムヨルダンの旗ヨルダン○2-0
80.2015年1月23日オーストラリアの旗シドニースタジアム・オーストラリアアラブ首長国連邦の旗アラブ首長国連邦△1-1 (PK4-5)
81.2015年6月11日日本の旗 横浜日産スタジアムイラクの旗イラク○4-0ヴァイッド・ハリルホジッチキリンチャレンジカップ2015
82.2015年9月3日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002カンボジアの旗カンボジア○3-02018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2019予選
83.2015年9月8日イランの旗テヘランアザディ・スタジアムアフガニスタン・イスラム共和国の旗アフガニスタン○6-0
84.2015年10月8日オマーンの旗 マスカットシーブ・スタジアムシリアの旗シリア○3-0
85.2015年11月12日シンガポールの旗カランシンガポール・ナショナルスタジアムシンガポールの旗シンガポール○3-0
86.2015年11月17日カンボジアの旗プノンペンプノンペン・オリンピックスタジアムカンボジアの旗カンボジア○2-0
87.2016年3月24日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002アフガニスタン・イスラム共和国の旗アフガニスタン○5-0
88.2016年3月29日シリアの旗シリア○5-0
89.2016年6月3日日本の旗 豊田豊田スタジアムブルガリアの旗ブルガリア○7-2キリンカップサッカー2016
90.2016年6月7日日本の旗吹田パナソニックスタジアム吹田ボスニア・ヘルツェゴビナの旗ボスニア・ヘルツェゴビナ●1-2
91.2016年11月15日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002サウジアラビアの旗サウジアラビア○2-12018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
92.2017年3月23日アラブ首長国連邦の旗アル・アインハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアムアラブ首長国連邦の旗アラブ首長国連邦○2-0
93.2017年3月28日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002タイ王国の旗タイ○4-0
94.2017年6月7日日本の旗 調布味の素スタジアムシリアの旗シリア△1-1キリンチャレンジカップ2017
95.2017年6月13日イランの旗 テヘランシャヒード・ダストゲルディ・スタジアムイラクの旗イラク△1-12018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
96.2017年8月31日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗オーストラリア○2-0
97.2017年9月6日サウジアラビアの旗ジッダキング・アブドゥッラー・スポーツシティサウジアラビアの旗サウジアラビア●0-1
98.2017年10月6日日本の旗 豊田豊田スタジアムニュージーランドの旗ニュージーランド○2-1キリンチャレンジカップ2018
99.2017年10月10日日本の旗 横浜日産スタジアムハイチの旗ハイチ△3-3
100.2017年11月10日フランスの旗リールスタッド・ピエール=モーロワブラジルの旗ブラジル●1-3国際親善試合
101.2017年11月15日ベルギーの旗ブルッヘヤン・ブレイデルスタディオンベルギーの旗ベルギー●0-1
102.2018年3月23日ベルギーの旗リエージュスタッド・モーリス・デュフランマリ共和国の旗マリ△1-1
103.2018年3月27日ウクライナの旗ウクライナ●1-2キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE
104.2018年5月30日日本の旗 横浜日産スタジアムガーナの旗ガーナ●0-2西野朗キリンチャレンジカップ2018
105.2018年6月8日スイスの旗ルガーノスタディオ・ディ・コルナレードスイスの旗スイス●0-2国際親善試合
106.2018年6月19日ロシアの旗サランスクモルドヴィア・アリーナコロンビアの旗コロンビア○2-12018 FIFAワールドカップ
107.2018年6月24日ロシアの旗エカテリンブルクエカテリンブルク・アリーナセネガルの旗セネガル△2-2
108.2018年6月28日ロシアの旗ヴォルゴグラードヴォルゴグラード・アリーナポーランドの旗ポーランド●0-1
109.2018年7月2日ロシアの旗ロストフ・ナ・ドヌロストフ・アリーナベルギーの旗ベルギー●2-3
110.2018年10月16日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002ウルグアイの旗ウルグアイ○4-3森保一キリンチャレンジカップ2018
111.2019年1月9日アラブ首長国連邦の旗アブダビアール・ナヒヤーン・スタジアムトルクメニスタンの旗トルクメニスタン○3-2AFCアジアカップ2019
112.2019年1月13日シェイク・ザイード・スタジアムオマーンの旗オマーン○1-0
113.2019年1月21日アラブ首長国連邦の旗シャールジャシェイク・ハリーファ国際スタジアムサウジアラビアの旗サウジアラビア○1-0
114.2019年1月24日アラブ首長国連邦の旗ドバイアール・マクトゥーム・スタジアムベトナムの旗ベトナム○1-0
115.2019年1月28日アラブ首長国連邦の旗 アル・アインハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアイランの旗イラン○3-0
116.2019年2月1日アラブ首長国連邦の旗 アブダビシェイク・ザイード・スタジアムカタールの旗カタール●1-3
117.2019年6月5日日本の旗 豊田豊田スタジアムトリニダード・トバゴの旗トリニダード・トバゴ△0-0キリンチャレンジカップ2019
118.2019年9月5日日本の旗鹿嶋茨城県立カシマサッカースタジアムパラグアイの旗パラグアイ○2-0
119.2019年9月10日ミャンマーの旗ヤンゴントゥウンナ・スタジアムミャンマーの旗ミャンマー○2-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
120.2019年10月10日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002モンゴルの旗モンゴル○6-0
121.2019年10月15日タジキスタンの旗ドゥシャンベパミール・スタジアムタジキスタンの旗タジキスタン○3-0
122.2019年11月14日キルギスの旗ビシュケクドレン・アムルザコフ・スタジアムキルギスの旗キルギス○2-0
123.2020年11月13日オーストリアの旗グラーツメルクーア・アレーナパナマの旗パナマ○1-0国際親善試合
124.2021年5月28日日本の旗千葉フクダ電子アリーナミャンマーの旗ミャンマー○10-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
125.2021年6月11日日本の旗 神戸ノエビアスタジアム神戸セルビアの旗セルビア○1-0キリンチャレンジカップ2021
126.2021年9月2日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田オマーンの旗オマーン●0-12022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
127.2021年9月8日カタールの旗 ドーハハリーファ国際スタジアム中華人民共和国の旗中国○1-0
128.2021年10月8日サウジアラビアの旗 ジッダキング・アブドゥッラー・スポーツシティサウジアラビアの旗サウジアラビア●0-1
129.2021年10月12日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗オーストラリア○2-1
130.2021年11月11日ベトナムの旗ハノイミーディン国立競技場ベトナムの旗ベトナム○1-0
131.2021年11月16日オマーンの旗 マスカットスルタン・カーブース・スポーツコンプレックスオマーンの旗オマーン○1-0
132.2022年1月27日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002中華人民共和国の旗中国○2-0
133.2022年2月1日サウジアラビアの旗サウジアラビア○2-0
134.2022年3月24日オーストラリアの旗 シドニースタジアム・オーストラリアオーストラリアの旗オーストラリア○2-0
135.2022年6月6日日本の旗 東京国立競技場ブラジルの旗ブラジル●0-1キリンチャレンジカップ2022
136.2022年6月14日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田チュニジアの旗チュニジア●0-3キリンカップサッカー2022
137.2022年9月27日ドイツの旗デュッセルドルフデュッセルドルフ・アレーナエクアドルの旗エクアドル△0-0キリンチャレンジカップ2022
138.2022年11月17日アラブ首長国連邦の旗 ドバイアール・マクトゥーム・スタジアムカナダの旗カナダ●1-2国際親善試合
139.2022年11月23日カタールの旗 ドーハハリーファ国際スタジアムドイツの旗ドイツ○2-12022 FIFAワールドカップ
140.2022年11月27日カタールの旗ライヤーンアフメド・ビン=アリー・スタジアムコスタリカの旗コスタリカ●0-1
141.2022年12月1日カタールの旗 ドーハハリーファ国際スタジアムスペインの旗スペイン○2-1
142.2022年12月5日カタールの旗アル=ワクラアル・ジャヌーブ・スタジアムクロアチアの旗クロアチア△1-1(PK1-3)
143.2025年7月12日大韓民国の旗龍仁龍仁ミルスタジアム中華人民共和国の旗中国○2-0EAFF E-1サッカー選手権2025
144.2025年9月9日アメリカ合衆国の旗コロンバスLower.comフィールドアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国●0-2国際親善試合

ゴール

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#開催年月日開催地スタジアム対戦国勝敗試合概要
1.2008年11月13日日本の旗神戸ホームズスタジアム神戸シリアの旗シリア○3-1キリンチャレンジカップ2008
2.2009年5月31日日本の旗東京国立霞ヶ丘競技場陸上競技場ベルギーの旗ベルギー○4-0キリンカップサッカー2009
3.2009年10月8日日本の旗静岡アウトソーシングスタジアム日本平香港の旗香港○6-0AFCアジアカップ2011予選
4.2019年10月10日日本の旗さいたま埼玉スタジアム2002モンゴルの旗モンゴル○6-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選

脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^チェゼーナFC時代の同僚であるエマヌエレ・シャケリーニや[1]インテル・ミラノ時代の同僚であるマルコ・マテラッツィなど[2]
  2. ^「MOTORINO」。イタリア語で「原動機付自転車」を指す[3][4]
  3. ^「Nagatiello」。接尾辞「-ello」はイタリア・カンパニア州に多い姓で、長友は同州のナポリに見られるような気質を持つという意[5]。また「-ティエロ」はイタリアで子供への愛称や親しみを込める場合にも用いられる。
  4. ^一方で、クロスの精度や攻撃のオプションのパターンには課題が残るとしていた[24]
  5. ^U-22日本代表は二次予選第5戦終了時点でアジア最終予選進出を決めていたため、第6戦のマレーシア戦は消化試合となっており[25]、この試合に限っては主力メンバーの大半が入れ替ったセカンドチームとなっていた[32]
  6. ^サッカー部総監督の井澤千秋は「スポーツ推薦で入ってきた選手であれば、4年間(サッカー部に)在籍しないとまずい」と述懐しており、指定校推薦で入学し、一般生として入部したことが幸いした[27]
  7. ^長友はしばしば「ゴリラ」と自称するが、二人は「ゴリラ兄弟」とのこと[37]
  8. ^第3戦のデンマーク戦ではクリスティアン・エリクセンが同28.72kmを[47]、決勝トーナメント1回戦・パラグアイ戦では本田圭佑が同29.43kmを記録しており及ばず[48]
  9. ^「いつも5番を着けていたが、デヤン・スタンコビッチが使っていたので、55番を希望した」とコメントしている[63][3]
  10. ^3試合とも11km超を走り、時速30km超を記録[81]コロンビア戦ではサンティアゴ・アリアスが時速31.39kmで長友を上回った[82]
  11. ^いずれも男児である。

出典

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関連項目

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J1
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2000年代
2010年代
2020年代
J2
2020年代
J3
2020年代
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日本代表 - 出場大会
全般
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