| この項目では、企業について説明しています。この会社が運営する鉄道路線については「銚子電気鉄道線」をご覧ください。 |
銚子電気鉄道本社・仲ノ町駅駅舎 (2021年8月16日) | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | 銚子電鉄、銚電、CDK |
| 本社所在地 | 〒288-0056 千葉県銚子市新生町2丁目297番地 北緯35度43分44.0秒東経140度50分0.6秒 / 北緯35.728889度 東経140.833500度 /35.728889; 140.833500座標:北緯35度43分44.0秒東経140度50分0.6秒 / 北緯35.728889度 東経140.833500度 /35.728889; 140.833500 |
| 設立 | 1922年(大正11年)10月10日 (銚子鉄道株式会社として設立) |
| 業種 | 陸運業 |
| 法人番号 | 5040001062287 |
| 事業内容 | 鉄道事業・食品製造販売事業など |
| 代表者 | 代表取締役社長竹本勝紀 |
| 資本金 |
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| 発行済株式総数 | 24万株[2] |
| 売上高 | |
| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 純資産 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 | 24名[2] |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | |
| 外部リンク | https://www.choshi-dentetsu.jp/ |
| 特記事項:1948年(昭和23年)8月20日に銚子電気鉄道株式会社へ資産譲渡。銚子鉄道は解散。 | |
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銚子電気鉄道株式会社(ちょうしでんきてつどう)は、千葉県銚子市に本社を置く鉄道会社である[2]。通称は銚子電鉄[2]、略称は銚電[4] またはCDK。同市内において銚子電気鉄道線(銚子駅 -外川駅)を運営している[2][5]。本社所在地は同線仲ノ町駅構内[6](銚子市新生町2丁目297番地[2])。
1923年(大正12年)に銚子鉄道株式会社として設立開業。戦後、企業再建整備法により、新旧勘定合併のため銚子電気鉄道株式会社と改称し、設立登記を行った。1969年(昭和44年)からは公的助成・補助を受けている[2]。営業キロ数は銚子駅構内から外川駅まで6.4キロメートルである。鉄道事業のほか、食品製造販売業及び物品販売業を行っており、年5億円程度の売上高のうち鉄道以外が8割を占める[4]。とりわけ食品では、鯛焼きやぬれ煎餅、揚げ餅、佃煮等を製造・販売している。
銚子から犬吠埼・外川方面に至る鉄道敷設は、総武鉄道[注釈 1] によって1901年(明治34年)4月に免許が得られ、一部工事が着手された[7]。しかし工費が莫大であり、到底収支は償わないことから、重役会議において中止が判断されて、工事は途中放棄となった[7]。明治の末頃からは避暑客・遊覧者が増加し、土地の有力者間に私設鉄道敷設の議がおこり、1912年(大正元年)12月7日に銚子遊覧鉄道が設立された[7]。これは官線銚子駅を起点として、犬吠に至る3里半の軽便鉄道で、途中、仲ノ町・観音・本銚子・海鹿島の4か所に駅を設置することも併せて認可を得た[7]。工事は翌1913年(大正2年)6月15日に着手され、その年12月28日に開通した[7]。1914年(大正3年)6月に欧州で第一次世界大戦が勃発すると鉄材の暴騰が起こり、特にレールの価格は高値となったため、これを筑波鉄道に売って解散した[7]。
1923年(大正12年)に再び有志らが鉄道敷設の認可を得て、銚子鉄道株式会社を設立し、同年7月開通を見た[7]。路線も新たに犬吠から外川まで延長敷設された[7]。以下は開通直前に行われた試運転の試乗記を掲載した東京日日新聞の記事である[8]。
銚子、仲の町、観音前の停留所を過ぎて本銚子小学校裏手に差しかかると五十分の一のカーブになった幾分は遅くなったが、あたりの眺望がだんだんよくなって来る。いらかのつらなる銚子の町を越えてゆるく流るる坂東太郎が左の窓に浮かぶ。本銚子停留所を過ぎると坦々たる麦畠がつらなり左手は点在した松林をすかして無線電信所の柱や利根河口が絵のように展開する。(中略)銚子唯一の海水浴場、海鹿島にも停留所がある。犬吠灯台のある犬吠にも停留所が設けられた。仙ヶ窟や酉明の浜、又は長崎ノ鼻、外川浜、君ヶ浜などの奇景をあつめた銚子の海にはこの鉄道の開通によってどの位喜びをもたらすことか。丁度三十分で外川に着いた。「気持のいい鉄道」「明るい自動車」の感じが降りてからも記者の頭の中から去らなかった。
1923年(大正12年)6月22日「東京日日新聞」より
その後、観光客や沿線住宅の増加等によって事業は好調に向かい、大正から昭和にかけて笠上黒生・君ヶ浜の2駅を新設した[7]。戦後は銚子電気鉄道株式会社と改称し、1945年(昭和20年)に蒸気機関車による7往復運転を再開したのち、翌1946年(昭和21年)に電車運転が開始された[9]。1960年(昭和35年)11月には電車とほぼ並行する定期路線バスを運転する千葉交通株式会社の資本系列下に入った[9]。この頃既にバスの台頭と自家用自動車の普及に伴う旅客の減少、産業構造の変化に伴う犬吠駅近所の県営採石場での採石停止による採石輸送の停止[10] などによって営業収支は欠損となっており、経営の改善は困難で鉄道の存続が危ぶまれるという状況の中で、1969年(昭和44年)から市単独の私鉄欠損補助金の交付が開始され、1975年(昭和50年)度からは「地方鉄道軌道整備法」に基づいて、国・県・市による運行維持のための欠損補助が行われることとなった[9]。この間、1970年(昭和45年)には市および地元住民の要望によって西海鹿島駅を新設した[9]。1976年(昭和51年)からは、観音駅構内でたい焼きの製造販売を始めた[9]。1985年(昭和60年)には夏季限定の遊覧車(トロッコ列車)「澪つくし号」を導入し[9]、車内ではラムネの販売を行った。
経営権が1989年(平成元年)に銚電恒産に移譲されて以降は、犬吠駅(ポルトガルの城風)・君ヶ浜駅(地中海風)・観音駅(スイス登山鉄道風)・銚子駅構内発着場(オランダ風車小屋風)の改良整備、菜の花・アジサイ・コスモス等の植栽による車窓風景の美化、ワンマン運転化・重軌条交換等の近代化設備整備事業、新たな副業収益対策として銚子名産のぬれ煎餅販売等が進められた[9]。犬吠駅舎は白壁を基調に南欧の建築様式である青い絵タイルがあしらわれ、駅前広場には花壇や花時計のほか、デハ501を改装した電車レストランが設けられた。駅舎2階には千葉県出身の画家である後藤純男の作品を集めた後藤純男美術館がオープンし、絵画作品約60点が展示され、犬吠埼の観光拠点としての整備が進められた。また、イベントとして、夏期限定の「納涼ぼんぼり祭り」(各駅と電車内に商店・旅館等の広告ぼんぼりを掲出)、犬吠駅構内での市民有志による「青空てうし市」の開催、大みそか終夜運転・初日の出客の輸送も行われた[9]。
1989年(平成元年)12月、京成電鉄系の千葉交通社長が保有していた銚子電気鉄道株を銚電恒産が譲り受けた。翌1990年(平成2年)1月の臨時株主総会において、筆頭株主である銚電恒産の親会社に当たる内野屋工務店社長の内山健治郎が銚子電気鉄道の社長に就任した。その後、内野屋工務店はバブル期に計画したゴルフ場の開発に行き詰まり、1998年(平成10年)6月5日に自己破産を申請したが[14][注釈 2]、内山は社長を続投し、鉄道運行は継続された。銚子電気鉄道に対しては、県と市が支援を行った。
2004年(平成16年)2月7日、内山は2003年(平成15年)5月から7月の間に借入金を横領したことが発覚したことから社長を解任され[39]、取締役も辞任[40]、同年6月9日に特別背任の容疑で銚子電気鉄道から告訴状を提出された[41][注釈 3]。
2005年(平成17年)、顧問税理士となった竹本勝紀の指導で、財務諸表を是正・整理するための会計ソフトの導入や、税負担を軽減するための1億円未満への減資を行った。複数の政府系金融機関と交渉して7000万円を調達したが資金はなお不足したことから、労働組合からも借り入れた[42]。
内山は2006年(平成18年)8月29日には総額約1億1000万円の業務上横領の疑いで逮捕され[43]、2007年(平成19年)6月11日に千葉地裁で懲役5年の求刑に対して懲役3年・執行猶予4年の判決が下った[44]。この際、内山と銚子電気鉄道および債権者の間で弁済について示談が成立していることを情状酌量の理由としている[44]。
前述の横領事件で銚子電気鉄道は運転資金の不足を生じ、2006年(平成18年)11月には鉄道車両の法定検査が行えないという事態に陥った[17]。同社は同年11月15日、公式ウェブサイト上で「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」という文章を掲載して、同社で製造・販売しているぬれ煎餅の購入などによる支援を呼び掛けた[17][注釈 4]。
この件はインターネット上の電子掲示板やウェブサイトを通じて話題となり、報道機関にも取り上げられたことから、ぬれ煎餅の注文が相次ぎ、製造が間に合わずに数か月も発送が遅れ、一時は注文の受け付けを中止した[17]。観光バスで電車に乗りに来る客も現れた[42]。この売上により、車両検査が実施可能となり、借入金も返済された。
国土交通省関東運輸局が2006年(平成18年)10月23日から10月26日にかけて実施した保安監査では、線路設備の老朽化が指摘され、同省は同年11月24日に安全確保に関する改善命令が発出された[45][広報 3]。2007年1月14日、有志によって「銚子電鉄サポーターズ」が設置され、プロ野球選手の小林雅英を特別サポーターとして、改善命令に基づいた枕木交換や、踏切設備の改善に限定した基金募集が行われた。
2007年(平成19年)1月23日、銚子電気鉄道は2006年11月24日の改善命令に対し、今後の取り組みを記した報告書を提出した[46][広報 4]。その後、枕木などの交換を行い、4月17日に同対処と駅員への運転教育による安全管理体制確立を内容とする改善措置完了報告を提出した[広報 5]。
2008年(平成20年)5月26日、銚子電鉄サポーターズは支援の成果を上げたとして休止を発表。同会には2008年3月31日までに4698名から入会金として約1658万円、運営費のカンパなども合わせて約1882万円が集まった。同会はこれらの収入から安全対策基金として、2007年に970万円、2008年5月26日に540万円の計1510万円を寄贈、老朽化した踏切看板の交換費用として約100万円を支出したとしている[広報 6]。また、同会は電車や沿線の清掃活動や撮影会などのイベント開催なども行った。同会は今後も存続し、側面的な支援活動は継続するという。
しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、およびそれに伴う福島第一原子力発電所事故などによる風評被害を受け、銚子への観光客が激減した影響などから、車両や設備更新費用が捻出できないと判断。2012年12月に社長が小川文雄から、社外取締役になっていた竹本勝紀に交代した[42]。ある銚子出身の資産家が一般財団法人を銚子に創設し、1億5000万円の資金を用意して銚子電気鉄道を買い取る動きもあったが、この資金で(銚子電気鉄道の事業を継承する)新会社を設立して、第二会社方式による再生スキームの実施を考えていたことが判明。これがメインバンクの不興を買ったため、竹本は正攻法での再建を目指すことにした[47]。
2013年(平成25年)2月1日、銚子電気鉄道は経営の自主再建を断念することを発表し、施設管理と運行の上下分離を図ることで経営刷新を進めることを検討していたが[48]、2013年12月30日には当面10年間の車両・設備更新費用7億6000万円[49] のうち国が3分の1、千葉県・銚子市がそれぞれ6分の1を負担、残りを銚子電気鉄道の自助努力(金融機関からの融資、鉄道事業の運賃改定、食品事業の増収、人件費の削減)するスキームを決定し、関係機関が受け入れに合意したことで当面の廃線危機は回避された[50]。この過程で、2013年に銚子電鉄運行維持対策協議会が組織され、鉄道の存廃を議論し、地域にとって必要という結論となった[42]。
2022年(令和4年)6月30日に2021年度決算が承認され、2015年度以来の6期ぶりに純利益21万円の黒字となった[51][52]。
地域におけるモータリゼーションの進展やバスなど公共交通の充実により地元利用者が僅かにとどまる中、竹本はマスメディアやインターネットユーザーに対する話題性を意識し、経営難ぶりをアピールした自虐的な商品(まずい棒など)をオンラインショップなどで販売し、ファンや面白がった人々に購入を哀訴することで鉄道存続を図っている。また、自身の趣味であるオカルト・ダジャレ・パクリ企画の展開、電車内の風船デコレーション、テレビ企画による駅舎建て替え、鯛焼き販売店の移転、駅名のネーミングライツ、タレントやゲームとのコラボなどを進めてきた。2020年(令和2年)には2000万円を投じた自主制作映画『電車を止めるな!』を公開した。
その一方で、竹本によるメディア向け路線に対しては、「なんだか違和感」「迷走している」「本来の味わいがなくなってしまった」という否定的な意見も少なくない[53][54]。また、「ローカル線らしい趣のある地名が安直なギャグフレーズに消されてしまうのは惜しい。本末転倒」とする意見もある[55]。
現実的な視点から、バス転換による効率化を促す意見もあり、2020年にタレントの杉村太蔵は、テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』で竹本と対談し鉄道事業の廃止とバス化を迫った[56]。2021年には株主総会で株主の一人から廃線と副業(煎餅の製造・販売)の本業化を進言され、竹本は前述のテレビ出演での共演タレントからの税金の無駄遣いだとの指摘に対し「全く反論できなかった」と答えている[57]。
市は「銚子電気鉄道応援基金」を設置して運行維持の補助金を支給しており、2024年度には約2900万円が活用された[58]。一方、市のアンケート調査によると、利用者のうち「ほとんど利用しない」が約5割であり、「週に5日以上利用する」は約2割程度となっている。また、行きの利用区間における路線バスでの移動可否では、「移動することができる」が約4割、「わからない」が約3割となった[59]。

2024年3月現在、電車6両(2000形・3000形・22000形)と電気機関車1両(デキ3形)を保有する。
銚子電気鉄道を守るローカルヒーローとして登場した「銚電神ゴーガッシャー」[60] のアクションショーの一環として行われた、鳳神ヤツルギや銚電神ゴーガッシャーと一緒に臨時列車「ゴーガッシャー号」に乗車し、アクションショーが開催される犬吠駅まで行くという企画で、この列車に乗車するために必要となる、当日限定の記念切符である[広報 7]。主に犬吠駅の駅前広場でアクションショーが開催される日に発売された[広報 8]。
鉄道事業のほか、食品製造販売業、物品販売業を行っている。とりわけ食品では、たい焼き(観音駅から犬吠駅に移転)や銚子名産の醤油を使った「ぬれ煎餅」、揚げもち、佃煮などを製造、販売しており、事業収入の過半を占めている。
特にぬれ煎餅については、銚子駅や犬吠駅の売店、一部の高速道路のサービスエリア・パーキングエリアのほか、首都圏を中心としたデパート、JR東日本や京成電鉄、秩父鉄道等の駅売店、成田国際空港の空港売店ならびに寿司チェーン店「銚子丸」各店舗、千葉県北部や茨城県南部の一部道の駅や農産物直売所などでも販売されており、鉄道事業の欠損圧縮を実現している。主たる収入源がぬれ煎餅などに依存することから、帝国データバンクにおける銚子電気鉄道の登録は「米菓製造」となっている。
また、犬吠駅では製造過程を見せる直売が行われていて、一日乗車券「弧廻手形」についている引換券をぬれ煎餅1枚と交換することもできた(2018年11月に1000円以上購入で100円割引に変更[61])。
2014年(平成26年)にはぬれ煎餅の増産で収益増を図り、鉄道部門の設備投資費用を調達する狙いで銚子市小浜町にぬれ煎餅工場が新設され、同年6月28日この工場事務所1階に直売店「ぬれ煎餅駅」が開業した[21]。
収入の約7割を占める「ぬれ煎餅」の人気が一段落したことから[62]、車両の維持や線路の補修などの費用を賄うため、2018年8月3日にスナック菓子「まずい棒」の発売を開始した[63]。2025年11月28日時点では「コーンポタージュ味」など、18種類が1袋10本入り500円(消費税込み)で発売されている[64]。
「お化け屋敷電車」の企画・演出を担当する怪談蒐集家の寺井広樹が考案し、ネーミングの由来は「経営状況がまずい」にちなむとしている[65]。パッケージのイラストはホラー漫画家の日野日出志による描き下ろしで、キャラクターの名前は「まずえもん(魔図衛門)」。「安銚18年9月31日生まれ。『まずい…』という言葉に反応して魔界からやって来る異星人で銚電ファン」という設定[66]。インターネット通販を含めて、販売開始から4年で400万本以上を売り上げ、鉄道業の赤字を削減した[67]。
2020年に開発されたアイスキャンディーで、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、この鉄道の「経営状況が痩せ細っている」として名付けられた。このアイスキャンディーも寺井広樹が考案した。開発したのはスイカ味でパッケージにはアイスの棒を主食とし、常に栄養不足になっている痩せこけた吸血鬼のような姿をした「金欠鬼」がアイスを持ちながら「経営状況がガリッガリ…」と呟いているイラストが描かれている[68]。商品として売らず、同年8月8日から犬吠駅の売店で三千円以上購入した来訪者に600本限定でプレゼントする予定であったが、「諸般の事情」を理由に配布は取り止めとなった[69]。
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